ミスター雁之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。221.187.47.104 (会話) による 2016年4月3日 (日) 14:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ミスター雁之助
ミスター雁之助の画像
プロフィール
リングネーム ミスター雁之助
本田雅史
本田雁之助
本名 本田雅史
ニックネーム 鬼神道
身長 178cm
体重 110kg
誕生日 (1968-06-20) 1968年6月20日(55歳)
出身地 長崎県長崎市
所属 ガッツワールドプロレスリング(選手兼Truth相談役)
スポーツ歴 野球
トレーナー ターザン後藤
デビュー 1991年6月22日
引退 2008年12月27日
テンプレートを表示

ミスター雁之助(ミスターがんのすけ、1968年6月20日 - )は、日本男性プロレスラー。本名:本田 雅史(ほんだ まさし)。長崎県長崎市出身。熊本商科大学(現・熊本学園大学)卒業。身長178cm。体重100kg。既婚。

経歴

FMW時代

1991年、大学の同級生である江崎英治(ハヤブサ)と共にFMWのプロテストを受けて合格。1991年6月22日に北海道羽幌小学校体育館の市原昭仁戦でデビューを果たした。

1995年2月には大仁田厚と組んで、ミスター・ポーゴザ・グラジエーターから世界ブラスナックルタッグ王座を奪取。次代のエース候補と目された。

FMW離脱と再参戦

1995年4月ターザン後藤らと共にFMWを離脱し「真FMW」としてIWA・JAPANなどで活動。8月、同団体が川崎球場で開催したデスマッチ・トーナメントでは初戦でタイガー・ジェット・シンに敗れた。

1997年に再びFMWに参戦し、冬木弘道金村キンタローらとヒールユニットTNRを結成して、ハヤブサら正規軍と敵対した。翌年には、田中正人を破り、二冠統一選手権王者となった。ライバルのハヤブサがマスクを脱いで新キャラクター、H(エイチ)となると、雁之助自身がハヤブサを名乗る覆面レスラーとなって横浜アリーナのメインイベントでHと対戦したが、Hのフェニックススプラッシュに敗れた。雁之助はこの試合終了後、長年敵対してきたハヤブサと和解した。

FMW倒産後から引退まで

FMW倒産後は、ハヤブサらと共にWMFを立ち上げるもののハヤブサ、GOEMONマンモス佐々木など主力選手の多くが離脱した。雁之助は小島聡佐々木健介などのトップレスラーとWMFのリング上で対戦し、2003年全日本プロレスでは黒田哲広とのタッグでアジアタッグ王座を奪取した。

その後、自らのニックネームを冠した自主興行「鬼神道」を開催。

2007年1月27日無我ワールド・プロレスリングにフリーとして参戦。バック・クオーターメインとのシングルで勝利。試合後、インディー批判をする同団体の西村修に対し雁之助は、(西村はその場に不在であったが)「インディーの何が悪いのか、何が気に食わないのか教えてくれ」と訴えていた。

4月18日、旧知のさくらえみ率いるアイスリボンに電撃入団したが、2日後「アイスリボンは女子の団体」と希月あおいら所属選手が反対し、本人不在のうちに退団→最高顧問就任となった。その後も不定期でアイスリボンの試合には出場している。

2007年、引退を発表した。金村キンタロー解雇に伴う活動休止から再開したアパッチプロレス軍でFMWレジェンド軍を率いて参戦するなど、数多くの試合をこなし、2008年12月27日、自主興行「鬼神道ファイナル〜ミスター雁之助引退試合〜」を以って現役を引退した。

引退後

引退後も雁之助はネオプラスによる新体制となったアイスリボンには引き続きリングアナウンサー、コーチ、最高顧問兼任として参加して大会ではリングアナウンサー、試合のない日ではコーチとして、後進の指導にあたっている。

また、2009年5月25日にはプロレスラーの芸能活動支援を目的にプロレスラーによる芸能事務所「鬼神道プロダクション」を設立(オープニングメンバーにGENTARO宮本裕向藤田峰雄真琴)。自主映画を制作し、映画主演を果たすなどタレント、俳優としても活躍する他、9月5日からは「鬼神道リターンズ」と題してプロモーターとしての興行を定期的に開催している。

2010年ガッツワールドプロレスリングが新たに旗揚げした新ブランド「Truth」の相談役に就任する。

現役復帰

2014年10月12日、ガッツワールドプロレスリング初の後楽園ホール大会にてガッツワールドプロレスリング所属選手として現役復帰を果たした[1]

得意技

ラフ&パワーの王道ヒールファイトを展開するが、見た目にそぐわずテクニカルな丸め込みも得意とした。

ファイアー・サンダー
フィニッシュ・ホールド。現在は宮本裕向が受け継いでいる。
技名は大仁田の得意技、サンダー・ファイヤーを嫌がらせの意味でひっくり返したことに由来。「ファイー」ではなく「ファイー」である[2]
サンダーファイヤー・パワーボム
FMW復帰の頃に多様していた。
リバース・ファイヤー・サンダー
ブルズ・ポセイドンと同型。
雁之助クラッチ
オリジナル技。現在では多くの選手がコピーしている。
念仏パワーボム
かつて抗争していた新崎人生からコピー。
涅槃
人生との抗争時に極楽固めに対抗して開発。
ラリアット
サソリ固め
ノーザンライト・スープレックス  
 FMW離脱前に多用していた。
火炎攻撃
各種凶器、反則、急所攻撃

タイトル歴

NWA
FMW
全日本プロレス

エピソード

  • リングネームの由来は、練習生当時、ターザン後藤に「芦屋雁之助に似ている」と言われたことから。当初は「本田雁之助」としたが、すぐ後に現在のものに改めた。
  • このリングネームに改めた際、東京スポーツは「大仁田、雁之助売り出す」「この男の名を覚えておけ」という見出し付きで大きく報じていた。
  • FMW時代のトークショーでヤクルトスワローズの昔からのファンであるとコメントしている。理由は、長崎は毎年ヤクルトの試合があったため、少年時代はヤクルトに入団するのが夢だったとの事。
  • 学生プロレス出身者であり、自らが相談役を勤め所属選手が学生プロレス出身者で多数を占めるガッツワールドプロレスリングが「学プロの延長」とされる風潮を嫌っている。週刊プロレスがガッツワールドプロレスリング旗揚げ10年目で初の後楽園ホール大会の模様を掲載拒否した件について、学プロの延長であることや一インディー団体の小さな大会と捉えられたことを理由として、自身のTwitter上で週刊プロレスや編集長らを痛烈に批判した。

映画

脚注

  1. ^ 「ニュース・ファイル」、『週刊プロレス』No.1763、平成26年11月5日号(10月22日発行)、75頁、2014年。
  2. ^ [1] Twitter 2014年11月24日

外部リンク