マルチステーション5550

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IBM 5550(アイビーエムごうごうごうまる)は、1983年から1990年代まで日本IBMが開発・販売した、主に企業向けのパーソナルコンピューターのシリーズ。日本での正式名称は「IBM マルチステーション5550」。後継はPS/55シリーズ。

IBM日本で最初に販売したパーソナルコンピュータであり、漢字などの2バイト文字を表示できたため、韓国台湾中国などでも販売された。

呼称

日本での正式名称は「IBM マルチステーション5550」である。主に形状・サイズによって「5550」を中心に、上位モデルの「5560」、下位モデルの「5540」、後にはラップトップパソコンの「5535」、更に下位モデルの「5530」などの各シリーズが登場した。型番は仕様によって「5551-K01」などと7桁で表現した。

1987年に「パーソナルシステム/55」シリーズと改称されたが、その上位モデル(PS/55 S/T/V以降)はIBM PS/2MCAバス)ベースとなり、下位モデル(PS/55 M/Pまで)は従来モデル(マルチステーション5550)のアーキテクチャであった。

以下ではアーキテクチャが「マルチステーション5550」のモデル(モデル名がM/Pまで)について説明する。

概要

IBMは世界的には1981年インテル i8088仕様のIBM PCを発売していたが、当時の日本語処理には非力であったため、日本ではIBM PCを発売せず、代わりに日本のパソコン市場では広く使われたインテルi8086を利用して日本独自仕様の「マルチステーション5550シリーズ」を発売した。最初のモデル群は1983年3月15日発表。

キャッチフレーズは「1台3役」で、3役とは「日本語ビジネス・パーソナル・コンピューター」「日本語ワード・プロセッサー」「日本語オンライン端末」であった。「マルチステーション」の名前もここから来ている。および「多機能ワークステーション」「つながるOA、ひろがるOA」。

イメージキャラクターは渥美清、CMのコピーは「友よ。機は、熟した。」であった。

特徴

日本市場向けに以下の特徴が与えられた。

  • 日本語表示用に当時としては高解像度の 1024x768
  • FDDは5.25インチ2DD(後に3.5インチFDDも提供された)
    • 初代5551は3ドライブという特異な形状(ハードディスク無しの場合、システムディスク、日本語フォント、ユーザーデータ用で必要なため)
  • IBM PCPC/XTPC/ATよりコンパクトな、本体および拡張カードのサイズ
  • 本体背面から差込でき、ディップスイッチの無い拡張カード(ユーザーは本体ケースを開けてはいけない)
  • 初期のハードディスク無しモデルは、ソフトウェアで日本語表示を実現(後のDOS/Vの前身)
  • 起動に使用するディスケット(フロッピーディスク)の入れ替え、またはハードディスクの起動区画変更で、以下3機能に切り替え可能
    • 日本語ビジネス・パーソナル・コンピューター (OS「日本語DOS」。「KDOS」と呼ばれる場合あり)
      • 英語環境の実装はなく、同じIBMのPC系列とは互換性がない
    • 日本語ワード・プロセッサー(文書プログラム。DOSの上で動く「DOS文書プログラム」の前身)
    • 日本語オンライン端末(「3270漢字エミュレーション」「5250漢字エミュレーション」。DOSの上で動く「日本語3270PC」「日本語5250PC」の前身)
  • キーボードは用途に応じた多数の配列より選択(1型は日本語ワープロ専用のキーが多数)
  • モノクロディスプレイは、長時間の使用でも眼の疲れが少ない、グリーン・イエロー

これら仕様となった理由は以下が伝えられている。

  • 日本語表示を、国産メーカーで一般的であった16x16ドットではなく、24x24ドットで、行間も含め表示する
  • 日本のオフィススペースに合わせた、本体および拡張カードのサイズ
  • 競合する国産メーカーのワープロ専用機にも対抗する

なお5550の後期では、以下の使用形態が一般化した。

  • 日本語DOSに加えて、OS/2(バージョン1.xまで)も選択可能
  • ワードプロセッサーは「DOS文書プログラム」(日本語DOSまたはOS/2の上で稼動)
  • オンライン端末は「日本語3270PC」または「日本語5250PC」(日本語DOSまたはOS/2の上で稼動)
  • カラーディスプレイの普及(日本語DOSのデフォルトは、黒背景にグリーン文字)

モデル

  • 5551-A/B/C/D/E/G/H/J/K/M/P (中心モデル。当初はディスプレイ脇に置ける。後半より5541サイズとなる)
  • 5541-B/E/J/K/M/P (省スペース・モデル。ディスプレイの下に置ける。後半は更に小型化する)
  • 5561-G/H/J/K/M/P (ややサイズが大きいモデル)
  • 5530-G/H (小型のスタンドアロン用モデル。オンライン端末機能はサポートしない。3.5インチFDD)
  • 5535-M (日本IBM初のラップトップ。3.5インチFDD)

競合製品

競合は個人用・ホビー用のPC-8800シリーズや、FM-11ではなく、以下のビジネス向けパソコンであった。

影響

  • 高価で巨大であった32705250の専用端末は、5550への置き換えが進んだ
  • 日本IBMは競合国産メーカー(富士通日本電気など)と異なり、ワープロ専用機を遂に発売しなかった
  • 1024x768の解像度は、後にPS/2の8514/AXGAに引き継がれた
  • ソフトウェアで日本語表示をする(OSでフォントファイルを持つ)方法は、後のDOS/Vに引き継がれた

備考

  • 当時の日本IBMは外資系にも拘わらず徹底した「日本語化」を行ったため、用語は以下で統一されていた
    • システム装置 (PC本体のこと)
    • 表示装置 (ディスプレイのこと)
    • 鍵盤 (キーボードのこと)
    • 印刷装置 (プリンタのこと)
    • 数値演算共用プロセッサー(FPUのこと)
    • 多重記憶アダプター (独自仕様のバンクメモリのこと)
    • 3.5型/5.25型ディスケット駆動機構 (3.5インチ/5.25インチFDDのこと)
  • 用途に応じた多数の鍵盤(キーボード)に共通して、上部に4個単位で幅を空けた12または24個のPFキー(現在のFキー)がある。これは3270/5250専用端末ではPFキーが12または24個なため、5550が当初からオンライン端末として設計されたことによる。なお IBM PCPC/XTPC/AT前期まではFキーは10個であり、12個になったのはPC/AT後期の101キーボードからのため、5550の方が先である。
  • 5550は数千台を超える規模の販売が予定されていたが、日本IBMの自社工場にはパソコンを大量生産する環境が整っていなかったため、松下電器産業が製造を受託して日本IBMにOEM供給することになった[1][2]。松下が自社で販売しようという案もあったが日本IBM側がこれを拒否。次に日本IBMと合弁で販売会社を設立しようとしたが、小林大祐(当時、富士通の会長兼パナファコムの社長)が難色を示したため実現しなかった[3][4]。シリーズがPS/55に移行した後も5550系統のモデルは松下が製造を担当した[5]
  • 派生製品として、機能をオンライン端末に限定した製品(5295など)がある
  • IBMサービスセンター(ISC。法人向けのハードウェア修理受付窓口)の電話番号は、今でも末尾が「5550」である。
  • 5550には英語環境の実装がなかったため、日本IBMは英文需要に対し当初はJXのオプション、後にPC/XT・ATそのもの、最終的にPS/55(のモデルS/T/V以降)で応えていた

脚注

  1. ^ “日本IBMからOAパソコン「マルチステーション5550」”. 日本経済新聞. (1983年3月16日) 
  2. ^ Matsushita Technical Journal「日本IBMパソコンのOEM生産を本格的に始めた。IBM 5550は,その1号機である」との記載あり”. 2011年10月18日閲覧。
  3. ^ 当時、パナファコムのビジネス向けパソコン「C-180ファミリ」を富士通は「FACOM9450」、松下は「C-18シリーズ」としてOEM販売していた上に、これらと5550は競合関係にあった。
  4. ^ 小林紀興『日本電気が松下・富士通連合軍に脅える理由』光文社、1985年、209頁。ISBN 4-334-01186-1 
  5. ^ 「ASCII EXPRESS」『月刊アスキー』第11巻第7号、アスキー、1987年7月。 

参考文献

  • 「ASCII EXPRESS」『月刊アスキー』第7巻第5号、アスキー、1983年5月。 
  • 『日本アイ・ビー・エム50年史』、日本アイ・ビー・エム、1988年。 

外部リンク