マルチステーション5550

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マルチステーション5550
別名 IBM 5550
開発元 日本IBM
製造元 松下電器産業
姉妹機種 IBM JX
種別 パーソナルコンピュータ
発売日 1983年3月15日(35年前) (1983-03-15[1]
OS 日本語DOS、OS/2
CPU Intel 808680286
グラフィック テキスト82×25行、グラフィック1024×768または720×512ドット
次世代ハード PS/55

IBM 5550(アイビーエムごうごうごうまる)は、1983年から1990年代まで日本IBMが開発・販売した、主に企業向けのパーソナルコンピューターのシリーズ。日本での正式名称は「IBM マルチステーション5550」。後継はPS/55シリーズ。

IBM日本で最初に販売したパーソナルコンピュータであり、漢字などの2バイト文字を表示できたため、韓国台湾中国などでも販売された。

概要[編集]

IBMは世界的には1981年にインテル i8088仕様のIBM PCを発売していたが、当時の日本語処理には非力であったため、日本ではIBM PCを発売せず、代わりに日本のパソコン市場では広く使われたインテルi8086を利用して日本独自仕様の「マルチステーション5550シリーズ」を発売した。最初のモデル群は1983年3月15日発表、6月出荷。

1987年に「パーソナルシステム/55」シリーズと改称されたが、その上位モデル(PS/55 S/T/V以降)はIBM PS/2MCAバス)ベースとなり、下位モデル(PS/55 M/Pまで)は従来モデル(マルチステーション5550)のアーキテクチャであった。

キャッチフレーズは「1台3役」で、3役とは「日本語ビジネス・パーソナル・コンピューター」「日本語ワード・プロセッサー」「日本語オンライン端末」であった。「マルチステーション」の名前もここから来ている。および「多機能ワークステーション」「つながるOA、ひろがるOA」。

イメージキャラクターは渥美清、CMのコピーは「友よ。機は、熟した。」であった。

特徴[編集]

5550は1981年の企画当初より、IBM PCとの互換性にとらわれない日本市場に特化したパソコンとワープロの複合機として考えられていた[2]。日本語ワープロでは一般的たった24×24ドットの文字を表示するため、当時のパソコンとしては高解像度の1024×768ドット(グラフィック画面の場合)での表示をサポートした。日本IBMは日本に限らずアジア太平洋地域の製品開発を担当していたため、中国語や韓国語といった他の言語への対応を見据えて、表示用フォントはディスクから読み込んでソフトウェアで表示する方式をとった[3]。キーボードは日本語ワープロ機能に適した1型と、通信端末機能に適した2型などが用意された。ディスプレイは目の疲れを防ぐために長残光蛍光体を使用し、モノクロディスプレイは黄緑色の単色表示であった[1]

5550は以下の3つの機能を軸にソフトウェアを供給した。

  • 日本語ビジネス・パーソナル・コンピューター - マイクロソフトが開発した「日本語DOS」と、その上で動作するMultiplanなどのアプリケーションソフトが用意された。
  • 日本語ワード・プロセッサー - 日本IBMが開発した文書プログラム
  • 日本語オンライン端末 - 日本IBMが開発した「3270漢字エミュレーション」「5250漢字エミュレーション」

当初、文書プログラムや各端末エミュレータは日本語DOSとは別の独自のOSで動作するものであった。また、文書プログラムは内部コードにEBCDICIBM漢字コードを採用し、データ用のフロッピーディスクも日本語DOSと互換性がない独自のフォーマットであった。これら3つの機能は起動時に使用するフロッピーディスクの入れ替え、またはハードディスクの起動区画を変更することで切り替えて使用することになっていた。それぞれ独立した別々のソフトウェアとして供給されたことについて、日本IBMの5550担当者は「アプリケーションが独立しているため、逆に1つ1つの機能を十分に引き出すことができる」と釈明した[4]。3270漢字エミュレーションは1983年10月に発表された「日本語3270PC」、5250漢字エミュレーションは1984年9月に発表された「日本語5250PC」として日本語DOS上で動くバージョンが開発され、従来品と並行して段階的に機能が実装されていった[5]。文書プログラムも1986年に日本語DOS上で動く「DOS文書プログラム」に置き換えられた。

5550の本体は、3台の5.25インチフロッピーディスクドライブが縦置きで搭載できる立方体に近い形状になっていた。これは、ハードディスク非搭載モデルの場合、システムディスク、日本語フォント、ユーザーデータ用で合わせて3枚のフロッピーディスクが必要になるためであった。1985年2月に発売された下位機種「5540」は漢字ROMボードを内蔵し、本体はJXに近いスタイルの省スペースデスクトップ型になった。1985年9月には5550と同様の本体形状でCPUにIntel 80286を搭載した「5560」が発表された。

ラップトップ機[編集]

1987年に発売されたIBM パーソナルシステム/55 モデル5535は日本IBM初のラップトップパソコンとなった。エプソン製のバックライト方式液晶ディスプレイを搭載し、サイズはW310×D350×H100mm、重量は8.1kgとなった。日本IBMの堀田一芙(当時、営業推進企画ワークステーション担当)は「そもそも、日本人が楽に持ち運びできる重さは3kg。それが最初から無理ならば、頑丈にして8.1kgにした。」とコメントし、都心の狭いオフィスに適した省スペース・省エネルギーなパソコンであると主張した[6]。液晶ディスプレイの技術的な制約から、ディスプレイの文字モードでの解像度は738×525ドットとなり、16×16ドットフォントでの表示になった。これは既に旧型となっていた5550の16ドットフォント表示と同じアーキテクチャで、PS/55対応ソフトが約1000本だったのに対して5535対応ソフトは約30本と、対応ソフトの少なさが懸念に上がった[6]。IBMのメインフレームと接続するためのオプションカードが用意され、通信機能にも力を入れていた。

評価[編集]

多機能パソコンとしては既に日本電気がN5200、富士通がFACOM 9450を販売していたが、どちらも需要が伸びず苦しい状況にあった。日本IBMが5550でパソコン市場に参入し大々的に宣伝したことで多機能複合パソコンの市場が活性化され、N5200やFACOM 9450はそれまでの倍以上のペースで売り上げた。当時の市販のパソコンが売り切りで保守メンテナンスがないことに不満を持ったユーザーが多機能パソコンに取り付いた。企業への一括導入に対してメーカーやディーラーのサポートが手厚いことも利点に挙げられた。IBM専用端末のリプレースとして約500台の5550を導入することを決めた明治生命保険相互のシステム担当者は「専用端末並の速さでホストコンピューターと応答できなければ意味が無いし、また多様な通信ソフトがないと困る。これだけの仕事をこなす市販ソフトは現在見当たりませんから。」とコメントした。日本IBMのあるセールスマンは、専用端末の半額で複合パソコンが登場したことに困惑する様子を見せた[7]

日経パソコンは、FACOM 9450とN5200は独自OSでマルチジョブやファイルの互換性を配慮していて使いやすいだろう、と評価したことに比べ、5550についてはIBM機との接続だけを考えるならその選択が無難とした。日本語ワープロの機能では、5550が入力キーボードへの配慮で他機種より一歩優れているとしたが、ソフトウェア体系とかな漢字変換機能が統一されていないことに不満を挙げた[4]

1985年2月に発売された5540については、わずか4ヶ月前にショップ売りパソコンのJXが発売されていたが、5550の下方展開と思われていたJXとの間に5550と互換性の高い5540が登場したことで、ユーザーに混乱をもたらした。価格の割高感について日本IBMの手嶋邦彦(当時、機器事業部企画・管理担当)は、既存モデルとの互換性への配慮や米国IBM本社による厳しい技術審査に苦労していることを打ち明けた[8]

5550の上位製品にはオフィスコンピュータのシステム/36があり、システム/36の下方展開がなされる代わりに5550の上方展開はしばらくないだろうと予想されていた。しかし、1985年9月に5550の上位製品にあたる5560が発売された。ソフトハウスは既存のソフト製品の動作が高速になることを歓迎した。一方で、下位オフコンのシステム/36 ETは300万円近くし、150万円クラスの5560とは競合していないものの、今後は競合が増すことが予想された[9]

製造委託[編集]

5550の本体は松下電器産業プリンター沖電気工業、キーボードはアルプス電気が製造を行った[10]

5550は数千台を超える規模の販売が予定されていたが、日本IBMの自社工場にはパソコンを大量生産する環境が整っていなかったため、松下電器産業が製造を受託して日本IBMにOEM供給することになった[11][12]。松下が自社で販売しようという案もあったが日本IBM側がこれを拒否。次に日本IBMと合弁で販売会社を設立しようとしたが、小林大祐(当時、富士通の会長兼パナファコムの社長)が難色を示したため実現しなかった[13][14]。シリーズがPS/55に移行した後も5550系統のモデルは松下が製造を担当した[15]

ただ、1984年に松下通信工業と松下電器産業から互換性はないが仕様が酷似した特注のビジネスパソコン「JB-5000」やワープロの「パナワード5000」が販売されていた[16]

備考[編集]

  • 当時の日本IBMは外資系にも拘わらず徹底した「日本語化」を行ったため、用語は以下で統一されていた
    • システム装置 (PC本体のこと)
    • 表示装置 (ディスプレイのこと)
    • 鍵盤 (キーボードのこと)
    • 印刷装置 (プリンタのこと)
    • 数値演算共用プロセッサー(FPUのこと)
    • 多重記憶アダプター (独自仕様のバンクメモリのこと)
    • 3.5型/5.25型ディスケット駆動機構 (3.5インチ/5.25インチFDDのこと)
  • 用途に応じた多数の鍵盤(キーボード)に共通して、上部に4個単位で幅を空けた12または24個のPFキー(現在のFキー)がある。これは3270/5250専用端末ではPFキーが12または24個なため、5550が当初からオンライン端末として設計されたことによる。なお IBM PCPC/XTPC/AT前期まではFキーは10個であり、12個になったのはPC/AT後期の101キーボードからのため、5550の方が先である。
  • 派生製品として、機能をオンライン端末に限定した製品(5295など)がある
  • IBMサービスセンター(ISC。法人向けのハードウェア修理受付窓口)の電話番号は、今でも末尾が「5550」である。
  • 5550には英語環境の実装がなかったため、日本IBMは英文需要に対し当初はJXのオプション、後にPC/XT・ATそのもの、最終的にPS/55(のモデルS/T/V以降)で応えていた

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本アイ・ビー・エム「高性能、多機能の超小型システムを発表 ―日本アイ・ビー・エム―」、『情報科学』第19巻、情報科学研究所、1983年、 101-105頁、 ISSN 03683354
  2. ^ “83年度日経製品賞最優秀賞 (3) 日本IBM・マルチステーション5550。”. 日本経済新聞: p. 20. (1984年2月1日) 
  3. ^ 「Special Interview: キーマンが語る: 日本IBM情報システム(株) 竹村譲 氏、日本IBM(株) 羽鳥正彦 氏」、『The BASIC』第120巻、技術評論社1993年、 33-40頁。
  4. ^ a b 平野正信「インダストリ:出そろった多機能、複合パソコン」、『日経コンピュータ』、日経マグロウヒル1983年5月30日、 49-65頁。
  5. ^ 日本アイ・ビー・エム「最新のワークステーション IBMマルチステーション5560登場」、『情報科学』第21巻、情報科学研究所、1985年、 97-107頁、 ISSN 03683354
  6. ^ a b 岡田雅之「ハード最前線 : IBM パーソナルシステム/55 モデル5535 日本アイ・ビー・エム初のラップトップパソコン」、『日経パソコン』、日経マグロウヒル1987年11月2日、 131-134頁。
  7. ^ 高橋純夫『日経パソコン』、日経マグロウヒル1983年10月24日、 122-123頁。
  8. ^ 「ハード最前線:IBM 5540 5550の廉価版、下方シリーズ化の第1弾 JXとの近接販売でユーザーは困惑」、pp.65-67。
  9. ^ 「ハード最前線:日本アイ・ビー・エム IBM5560 5550の約2倍の処理速度 オフコンとの間を埋めるべく、さらに発展か」、p.97。
  10. ^ 「ASCII EXPRESS:ついに発売されたIBMマルチステーション」、『ASCII』第7巻第5号、アスキー、1983年7月、 100頁。
  11. ^ “日本IBMからOAパソコン「マルチステーション5550」”. 日本経済新聞. (1983年3月16日) 
  12. ^ Matsushita Technical Journal「日本IBMパソコンのOEM生産を本格的に始めた。IBM 5550は,その1号機である」との記載あり”. 2011年10月18日閲覧。
  13. ^ 当時、パナファコムのビジネス向けパソコン「C-180ファミリ」を富士通は「FACOM 9450」、松下は「C-18シリーズ」としてOEM販売していた上に、これらと5550は競合関係にあった。
  14. ^ 小林紀興 『日本電気が松下・富士通連合軍に脅える理由』 光文社、1985年、209頁。ISBN 4-334-01186-1
  15. ^ 「ASCII EXPRESS: 日本アイ・ビー・エムがパーソナルシステム/55を発表、米国IBMのPS/2に対応」、『ASCII』第11巻第7号、アスキー、1987年7月。
  16. ^ 堀川明美「ハード最前線:松下通信工業JB-5000 松下が巧妙な販売戦略を展開 ひと皮むけばIBM5550との互換性が」、『日経パソコン』、日経マグロウヒル1985年8月26日、 73-78頁。

参考文献[編集]

  • 「ASCII EXPRESS : ついに発表されたIBMマルチステーション」、『ASCII』第7巻第5号、アスキー、1983年5月。
  • 高橋純夫、蟻田温之「ハード最前線:IBM 5540 5550の廉価版、下方シリーズ化の第1弾 JXとの近接販売でユーザーは困惑」、『日経パソコン』、日経マグロウヒル1985年4月1日、 64-69頁。
  • 中野潔「ハード最前線:日本アイ・ビー・エム IBM5560 5550の約2倍の処理速度 オフコンとの間を埋めるべく、さらに発展か」、『日経パソコン』、日経マグロウヒル1985年11月18日、 93-97頁。

外部リンク[編集]