Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/導入部/過去ログ2

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過去ログ[編集]

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CDの冒頭部分[編集]

最近、日本のCDの冒頭部分に、「『'''○○'''』は××の12thシングルである。」のような表記があります。記事内部の表記なら分かるのですが、導入部分にこう書かれると、このCDの分野に明るくない人や、英語表記に慣れていない人にとっては苦痛ではないでしょうか。ある程度は我慢していたのですが、あるCDの冒頭部分に「43rd」という表記がされているのを見て、問題提起させていただきました。スタイルマニュアルで禁止(若しくは「推奨されない」)するべきではないでしょうか。--天澄幽蛇AZ Cafe] 2007年3月2日 (金) 06:29 (UTC)修正。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月20日 (火) 10:05 (UTC)

ジャンル的に、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽辺りでの提案から始めた方が良いような気がします。ただ、作品記事として「○枚目」や「○番目」という記述をした方が良い、という提案ならここでも良いかも知れません。--なっしゅびる 2007年3月2日 (金) 17:24 (UTC)
過去にウィキプロジェクト アルバムで提案されたことがありましたが、「ウィキプロジェクトに拘束力は無い」との理由で一蹴されました。なので、「考慮すべきガイドライン」のレベルであるここで提案させていただきました。また、作品記事全般でもこのような序数詞を用いた数え方では読み辛い、との考え方ももちろんあります。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月3日 (土) 04:45 (UTC)
難しく考えずに、見つけるたびに12th→12枚目のなどと書き換えればよいことではないでしょうか。日本語版において12thのような表記が相応しくないことは冷静になれば誰でも分かることなので、編集合戦に持ち込んでまで英語表記に拘る人がいるとも思えません。--モノノハズミ 2007年3月4日 (日) 08:52 (UTC)
順次書き換えています。が、それでもふと確認すると英語表記に変更されています(例に出した「43rd」も、私が加筆した際に「43枚目」に直したはずなのですが、現在は「43rd」に戻っています)。「誰でも分かること」とおっしゃいますが、分かってない人が多いんです。おそらくそれらの人たちに「その表記方法はやめろ」と言っても、「(アーティストの)公式にはこうなっている」と返すでしょうし、仮にその人が納得しようが、たぶん次から別の人が涌いてくることと思います。なので、ここでの提案とさせてもらいました。正直、ガイドラインで禁止しても書く人はなくならないという思いもあります。しかし、確実に減るとは思います。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月4日 (日) 09:24 (UTC)
そうですか。認識不足でした。どうも私は呑気すぎるようです。上のほうで冒頭括弧内の(原語でない)英語表記を明示的に禁止できないかと提案しましたが、そのときもあんな拒否反応があるとは予想していませんでした。 --モノノハズミ 2007年3月4日 (日) 10:25 (UTC) --(脱字補充)モノノハズミ 2007年3月20日 (火) 12:17 (UTC)

議論が若干停滞しているようなので、一度提案をまとめさせていただきます。

  1. 「導入部分での作品の番号を表記する際に、アルファベットの序数詞を使用しない」と明記。
  2. 上記を示すCDの導入部の例をひとつ追加。取り消し。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年4月2日 (月) 01:02 (UTC)

特に1ですが。これだけ書けば少なくともアカウントを取っている方にはわかってもらえると思います。批判がないようならば、書き込みたいと思います。

また、直接は関係ないのですが、現在CDの導入部分のタイトルに『』をつけているものとつけていないものが混在しているので、現在明示されていない部分を(例が挙げられているので、暗示はされているのですが)はっきり記入することも提案します。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月20日 (火) 10:05 (UTC)

良いと思います。天澄幽蛇さんの提案に賛成票を入れておきます。--はま 2007年3月20日 (火) 11:37 (UTC)
私も賛成します。--モノノハズミ 2007年3月20日 (火) 12:17 (UTC)
少なくとも「枚目」と言い換えることには反対です。私はなるべく日本語で書けることは日本語で書きたい立場なのですが、この件に関してのみは、言い換えることによるデメリットの方が大きいと考えられるからです。理由を端的に言えば、現状多くのJ-POPアーティストにおける「アルファベットの序数詞」は「アーティストが認定した公式ロットナンバー」のようなものであって、事実上の「枚目」とは限らないからです。これは日本のアルバムの発売形態が非常に多様化しているために起こる現象です。例を挙げると
  1. データ配信されたもので、物理的に「枚目」と数えられないが、公式には「2nd」などとされているアルバム
  2. 同日に違うタイトルで3種類発売されたが、どれも「3rd」とされたアルバム
  3. さらにその次の「4th」アルバム(6枚目なのに4枚目?)
とりあえず、私が思いついたものだけでもこれだけあります。たとえば「3rd」アルバムが3種類発売された後の「4th」アルバムを「4枚目」に書き換えた場合を例に取ると、
  • 「~は、誰々の4枚目のアルバム。ただし、事実上の6枚目である。」
という、よくわからない説明になります。このままでは説明不足なので、その後必ず「公式では4thアルバムとされているから冒頭定義で4枚目と書いた」ということを書かないと意味が通じなくなりますから、いずれにせよ「アルファベットの序数詞」は記事上から消えませんし、説明も書き換えた後の方が確実に長くなってしまいます。そういうことを一々説明するよりは
  • 「~は、誰々の4thアルバム。事実上の6枚目である。」
とした方が、端的には意味が伝わりやすい、と思いませんか?また、アーティスト自身が「4枚目」とせず「4th」としている場合などは、より検証可能性に沿っているとも考えられます。これらが単独の理由であるならまだましで、活動の長いアーティストの場合、これらがどんどん組み合わさってとてもややこしいことになります。さらに、私が挙げた例もあくまで一例であって、もっとややこしい場合も出てくるかもしれません。これらをふまえた上でも「枚目」と言い換えるべきでしょうか?--ZERO 2007年4月1日 (日) 16:46 (UTC)

その場合、"枚"だと媒体単位になりますので、「『なんちゃら』は、なんとかの○作目の~アルバム」とすればいいだけの話ではないでしょうか。上記にあるようなややこしい販売状況であれば、冒頭直後の節で経緯や「オリジナルアルバムとしては○作目である」とか解説しておけば、解説できると思います。--Dump 2007年4月1日 (日) 19:34 (UTC)

「アルファベットの序数詞はロットナンバー」とおっしゃいますが、公式で発表されていようが、所詮は読みやすさやデザインからの、「○枚目」のかっこつけた言い方でしかありません。わざわざ序数詞でなければいけないというのをすべてのアーティストの方が検証可能性を満たすとは思えません。「同時に発売~」については、現在インディーズ時代を含む・含めない、オリジナルアルバム・それ以外などで「○枚目」が併記されている例も珍しくありません。「事実上~」で十分対応可能だと考えます。

これらの序数詞は、CDに使われているからまだ違和感が少ないですが、たとえば「『'''○○'''』は××監督の4th監督作品である。」という表記ですら、今のスタイルマニュアルでは禁止することができません。「CDではこの表記がたまに使われる」以外に、これらを分けて考える理由は見つかりませんが。

あと、提案2の「例を挙げる」につきましては、いいCDのアイディアが思い浮かばなかったので、取り消しさせていただきます。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年4月2日 (月) 01:02 (UTC)

私の言葉が足りず、大変な誤解を招いたようなので補足します。私は「必ず序数詞でなければいけない」と言っているわけではないんです。「○枚目」で全く問題が出てこない場合は、それがベストだと思っています。この点までは皆さんと同じ考えです。私が問題としているのは「現在記載されている助数詞を書き換えることで、先ほど挙げたような(もしくは予測していないような)問題が出てきた場合でも、無理矢理にでも「枚目」「番目」に書き換えなければならないのか?」という点についてです。実際スタイルマニュアルに掲載されたとなると、その後おそらく各記事で大規模な書き換えがなされるでしょう。そういった過程において問題が起きた場合、Dumpさんのお話でいえば、「枚目」「番目」に書き換えて説明文を加えることで、かえって著しく冗長になってしまう場合など、 天澄幽蛇さんのお話でいえば『資料に「○枚目」が併記されていない例』に直面した時などです(事実そういう事例があります)。こうなった場合に『「○枚目のかっこつけた言い方でしかない」というのはあなた独自の見解である。「○枚目」と言う表記は資料には出てこないので検証可能性を満たさない上、事実上の「枚目」とは異なる。資料に基づいて序数詞に書き換えるべき』といったような意見が間違いなく出てきます。こうなった際に『あくまで「考慮すべきガイドライン」であるから強制力はなく、何らかの理由・特殊な事情があればノートで議論して「枚目」「番目」でなくてもよい』と考えられる余地があるように説明文には配慮していただきたい、ということなのです。文例としては「枚目(番目)が望ましい」などです(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アルバムの議論は今見えないようなので、ここに置いておきます[1])。--ZERO 2007年4月2日 (月) 22:45 (UTC)
私はスタイルマニュアルでは「望ましい」という表記はあまり好ましくないと考えています。「別に禁止されていないんだから、かまわないだろう」と解釈する人が、(経験上)おそらく出てきます。また、文章を無駄に長くするとさまざまな解釈がされてしまうので、これもあまり好ましくないと思います。
また、例えばあるアーティストが何らかの理由で4枚目のアルバムを「4th」としていて、それを冒頭部分に書いたところで、始めて見た方には何のことか分かりません。私の提案が「意味の分からない表記を減らす」ことを目的としている以上、それを冒頭部分には書くべきではないと思います。解説部分に書くなり、表記方法はほかにあると考えます。
ちなみに、ZEROさんがおっしゃる例外的な事例については、私はまったく理解ができません。私の足りない脳にすべての非があるとしても、具体的な事例を挙げてはいただけないでしょうか。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年4月3日 (火) 02:43 (UTC)

わかりました。そこまで反対なさるのであれば、みやすいとおっしゃる方が多い方にに従います。--ZERO 2007年4月3日 (火) 13:04 (UTC)

定義文の体言止めについて[編集]

定義文が大言止めになっている例がたいへん多いのですが、どうしてこのようなことがはやりだしたのでしょうか? 本文も全部体言止めにするなら整合性がとれますが(もちろんそんなことはご遠慮いただきたいですが)、定義だけ体言止めとするのは文章としてあまりに稚拙でしょう。○○は××である、というように述語をキチンと書いてほしいものです。--PeachLover- ももがすき。 2007年8月5日 (日) 03:11 (UTC)


定義文の体言止め[編集]

定義文を体言止めにするおかしな現象が非常に目につくのですが、このようなことが起きているのはなぜでしょうか? 定義文を、キチンと述語を書かずに体言止めにしましょうというようなことが推奨されているのですか? 気持ち悪いですね。なぜ「~は××である。」と書けないのでしょうか?--PeachLover- ももがすき。 2007年8月10日 (金) 14:36 (UTC)

どうも「冒頭定義は簡潔に」という部分が一人歩きして、単に短く書ければ(=文字数さえ少なければ)良いと思っている人もいるみたいですね。小生は個人的に焼いたシシャモの頭と尾を取り除いて盛り付けられているみたいで落ち着かない部分ではありますが。
それらの記述では、作成時にWikipedia:素晴らしい記事を書くには#冒頭の段落は明確で簡潔に辺りをやや誤解しているのかもしれません。文法上であからさまな誤りもなく意味が通れば別に構わないとは思いますが、冒頭文は概要やその他の節に橋渡しをするための食前酒みたいなものなので、多過ぎても駄目だし、変に自己主張(文章の癖が強いなど)されても困るという面もあるかも。やはり冒頭部分は洗練された簡潔な文章を心掛けたい…と思っているけど、小生自身もどーもうまくいきません(自爆)。気になったら修飾と過剰な説明の記述は概要の節に分離して、コンパクトにまとめると美しいかも?とか個人的に思っています。--夜飛/ 2007年8月10日 (金) 15:03 (UTC)
体言止めしたから述語がないということはいえません。というか述語と体言止は関係ありません。といっておきます。さて、「~は××である。」という書き方が推奨されているのでしょうか。百科辞典的であればなんら問題はないと思いますがいかがでしょうか。ところで、「気持ち悪い」という個人の主観で井戸端に苦言を呈するのはなんか間違っているような気がしてなりません。--あなん 2007年8月10日 (金) 15:16 (UTC)
感覚の問題だけではなく、PeachLoverさんが指摘する体言止めではない記述のほうが、他の部分の文章の記述との整合性を考えても、内容の適切さからみて妥当だと思います。ただ、「である」などを省略が不可だ、というほど、大きな意味がある話ではないように思います。新聞などの日常的に目に触れる「記事」だと省略したがる傾向が影響しているように思います。直せる際には適宜直すべきかと思いますし、特にその点で編集合戦等になるような話ではないように思いますが。--磯多申紋 2007年8月10日 (金) 15:28 (UTC)
体言止を推奨はしませんが、あったらおかしいとも思いません。それよりは、冒頭の導入文を「定義文」と呼び、「A は B である」式の文しか認めないあるいはそれに準じて近い形にしなければならない、というような風潮が当たり前であるかのように言われていることのほうが違和感を禁じ得ません。既に引用されている「すばらしい記事を書くには」に統合されてしまった元ネタであるwikipedia:コンテクストを確立するが示唆している内容は、記事の主題に対する導入として、主題を含むさらに広い文脈や主題の簡単な説明をすることによって、記事の主題が置かれているコンテクストを明らかにするように求めています。記事の主題になんらかの定義がある場合にそれを記述することは、コンテクストを確立するいい考えのひとつである、ということが示唆されているだけであって、記事冒頭が定義文であるべきだと言われているわけではないと考えます。記事の主題に関する定義が含まれない冒頭文はありえますし、認められるべきではないですか。--Wailerleaf 2007年8月10日 (金) 15:37 (UTC)
段落末尾が体言止めになっていると違和感がありますが、そうでなければ使用を問題視するほどのことではないように思います。特に末尾が似たような表現の文が続くと流れが悪いので、その回避を目的に用いるのは一理あるかと。--こまくさ 2007年8月10日 (金) 16:04 (UTC)
好みの問題ではないでしょうか。どちらでもあまり気にしない人もいれば、どちらかでないと気になるといった方もいると思います。個人的には「である」がついていないためか、定義なしと即時削除に出される記事を見つけるとなんだかなと思います。明仁は、・・・(中略)・・・今上天皇。といった定義文に「である」がついてもつかなくても、文章を理解することはできますし。--Tiyoringo 2007年8月10日 (金) 15:59 (UTC)
こんなところに議論があるとは思いませんでした。いささかいまさらながらのコメントですが、私としては「〜である」で終わるほうがキモチワルイです。おおむねの日本語の百科事典は「〜をいう」などの場合以外、「〜である」のときは「〜。」で体言止めするのがほぼ慣習であるように思っていました。実際手近の平凡社や小学館をみて、やはりそのように読み取れるのですが、そうでもないのでしょうか。--Kotoito 2008年2月11日 (月) 08:19 (UTC)
今日ちょこっと図書館で眺めた百科事典では、(例文は天文台からとってますが)
天文台 天文学の研究を行なうための施設。」
というふうになっているのに対して、ウィキペディアでは
天文台は、天文学の研究を行なうための施設。」
というふうになっていて、わずかな違いのようですが私には後者は気持ちわるく感じます。--Kestrel 2008年3月23日 (日) 13:04 (UTC)
どちらかでなければならない理由があることについては議論を経て結論を出すことを試みる価値があるわけですが、どちらでも良いことについて議論をしてもどうせ結論は出ませんし、あまり意味がないように思う。「必ず『~である』とすべきである」なんていう結論を出してまたひとつ新たなルールを作ろうということならば、猛反対させてもらおうと思う。どっちでもいいじゃん、説明としてクォリティが下がるとかってことじゃないんだし。
ひとつ付け加えておくと、冒頭部に「A=B」形式の一文がないというだけの理由で「定義なし」とか言って即時削除を貼り付けるやつとかにはたびたび殺意を覚えているということを書いておきたい。定義ってのは、何について説明をする項目なのかの宣言なんかなわけで、それにはいろいろな様式があるんだ。定義文がない=定義なし、みたいな短絡思考をする程度のひとは百科事典作りという趣味に向いてないよ。--Nekosuki600 2008年3月23日 (日) 13:23 (UTC)

「○○は××である」か「○○とは××である」か[編集]

最近、「○○××」という定義文を「○○とは××」という風に書き換える編集を時々目にします()。どちらが正しいのでしょうか。個人的感想を申し上げますと、「○○とは…」は何とも言葉にしづらい違和感を感じます。それは別として、わざわざ変更する必要はあるのでしょうか。--Avanzare 2008年4月8日 (火) 07:56 (UTC)

結論から申しますと、「は」でも「とは」でも、お好きなほうを用いればよろしいかと思います。現状ではいずれの形も用いられており、日本語としても違和感は感じません。どちらを用いるかは、前後の文脈や好みによって決定される程度のものでしょう。この項目でも、いずれの形もWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#例の内で挙げられているのが、何よりの証拠でしょう。
ただ、最近は Google などの「とは検索」への対策として、「とは」を用いる編集者さんも多いように感じます。とは言え、「わざわざ変更する必要があるか」と問われれば、「特にはない」が大方の答えでしょう。
また、ご存知とは思いますが、そのような瑣末な言い回しだけを書き換えるような編集はあまり歓迎されません。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすをご参照になればお分かり頂けるように、他の加筆・修正などの編集を行った際に同時に行うならば、大きな問題とはならないでしょう。ですので、「とは」への書き換えのみを行うような編集者さんがいらっしゃったら、利用者ページのノートなどで注意喚起の呼びかけを行ってみるのも有効かも知れません。
--Marianne 2008年4月8日 (火) 15:49 (UTC)

読み仮名が不要な英数字について[編集]

現在は

  • 読みが不要なものは次の通りにする。
    • 項目名がひらがな、カタカナだけのもの。
    • 項目名が英数字だけのもので、特殊な読み方をしないもの。

とあります。 「英数字だけのもので、特殊な読み方をしないもの」では例えば「GO」は単語として読んで(ゴー)か、あるいは一文字ずつ読んで(ジーオー)か悩む場合もあるでしょう。いっそのこと「項目名が英数字だけのもので、通常の読み方がひとつに限られるもの」としたほうが良いのではと考えました。現実にはまぎらわしいものについては読み仮名がつけられているようなので大きな問題ではありませんが。--Sweeper tamonten 2008年4月16日 (水) 19:59 (UTC)

「3.1 読み仮名」の変更を提案します[編集]

次の規定の下線の部分の削除を提案します。

2.読みが不要なものは次の通りにする。 
・項目名がひらがな、カタカナだけのもの(それらの組み合わせだけのものを含む)。 
・項目名が英数字だけのもので、特殊な読み方をしないもの。

理由は,現行の規定だと音だけが分かっていてカタカナ・ひらがなの書き分け方が分からないときに検索できないからです。典型的な例として『チケットぴあ』を上げておきます。表記のぶれとして「ちけっとぴあ」「ちけっとピア」「チケットピア」などが考えられます。読み仮名として「ちけっとぴあ」があればひらがなで検索すれば表記のブレを考慮する必要がありません。(実は「チケットぴあ」で上記の編集を行なったところ,こちらのガイドラインの変更を提案したほうがよいというアドバイスを頂きました。)以上よろしくご検討ください。Suzukitaro 2009年8月22日 (土) 02:58 (UTC)

  • コメント提案なさっている内容とあなたの投稿とに齟齬がある気がします。あなたはひらがなだけ、またカタカナだけのものについても、読みを付しています。この提案ではこれには理由が存在しない、ということでよろしいでしょうか。--竹麦魚(ほうぼう) 2009年8月22日 (土) 03:22 (UTC)
    • 私の誤読でしょうか?ひらがなだけのものに読みが付けられたケースはなさそうに思いますし、「下線部を削除するという提案」ですからカタカナだけの記事にひらがなの読みを付けてよいとする提案のように思えるのですが。
      なお、Suzukitaroさんの修正された記事のうち、「漢字とカタカナ混在の項目名の、カタカナ部分をひらがな読みとする」ケース(ファーブル美術館差分など)や、「英数字のみの項目名にカタカナ読みだけでなくひらがな読みを併記する」ケース(MEMORIES差分など)については、提案に記されていないようには思います。--NISYAN 2009年8月22日 (土) 04:01 (UTC)
  • コメント 一応関連する議論として「Wikipedia‐ノート:リダイレクト削除の方針#ひらがな等からのリダイレクトについて」を提示しておきます。「ぶれを、リダイレクトで解決するか、読みで解決するか、解決方法には複数ありえる」という観点で。
    そして、上に書いたことを一部被りますが、以下感じたことを。一部、英数字項目も含んでいますが、Suzukitaroさんのひらがな読み追加には、英数字項目や漢字カタカナ混在項目も含んでいますので、それについてもコメントしています。
    • ja-1やja-2の日本語学習者が、ローマ字から人名の読みで検索する場合には、漢字混在の記事であってもカタカナ部分をひらがな読みで記すことは、有用ではあると思う
    • Suzukitaroさんが修正されたケースでは、メスカリンアンフェタミンのようなものについて、それで検索の有用性が上がるかというと疑問。
    • Suzukitaroさんが修正されたケースで、MEMORIESにカタカナ読みはあってもいいのではないかと思いますが、ひらがな併記で検索の有用性が上がるかは疑問。
    • Request for Comments」は「大概RFCと略記されるし、リクエストフォーコメントなんて読みで、検索の有用性が上がるかというと疑問(参考
それから、{{検索キーワード|ちけっとぴあ|ちけっとピア|チケットピア}}のように「読者には見せないが、検索に引っ掛けるためのキーワード登録として複数の語句を指定する」みたいなことはできないものでしょうか?あえて冒頭導入分に入れる必要もないかなという印象も持っているのですが、どうでしょうか?--NISYAN 2009年8月22日 (土) 04:01 (UTC)
  • 私は化学分野なので記事名がカタカナだけの記事をよく取り扱いますけれど、Suzukitaro さんのご提案は少なくとも科学関係の記事については無用と思います。もう少しご提案の内容を練られたほうがよいのではないでしょうか。作業だけで大量の編集が必要な事態は避けていただきたいと思います。--Su-no-G 2009年8月22日 (土) 08:06 (UTC)
  • 私もわざわざ読み仮名を書く必要はないと思いますので、{{検索キーワード|ちけっとぴあ|ちけっとピア|チケットピア}}のようにできるのであればそれが一番良いと思います。--新幹線 2009年8月24日 (月) 12:22 (UTC)

導入部の読点について[編集]

多くの記事の導入部をみると、「〜は、〜である。」と「は」の後に読点をいれています。ニュースサイト「Impress Watch」の記事の導入部もこんな感じですが。私からすると、いちいち読点をいれなくてもいいのにとおもってしまいます。読点は別にいれなくてもいいということを明示してもいいのではないでしょうか。--Rikumio 2009年10月6日 (火) 15:46 (UTC)

コメント 私は、入れたほうが読みやすいと思いますが、結局は主観の問題でもあったり、ケースバイケースであったりするものと考えます。現在のガイドラインでは、必ず読点を入れなければならないとルールで定めている訳ではなく、また本記事もあくまでガイドラインなのですから、入れないほうが読みやすいと考える人は、各自の判断で入れないようにすればよいと思います。--Kanohara 2009年10月19日 (月) 08:37 (UTC)
「導入部(第一段落)の例」にしめされている文章は、いずれも「は」の後に読点がいれられているので、利用者の多くは読点をいれなければならないとおもいこんでいるのではないでしょうか。--Rikumio 2009年12月11日 (金) 11:17 (UTC)
私は句読点は入れる派です。思い込みではありませんよ。--長島左近 2009年12月30日 (水) 02:04 (UTC)

記述内容の改変提案[編集]

以下の箇所について、記述内容の改変をご提案させていただきます。

3.読みの文字種別は次の通りにする。
・漢字はひらがなにする。
・特殊な読み方をしない英数字はそのままに記載する。読みが特殊なものはひらがな、またはカタカナで書く。
・ひらがな部分とカタカナ部分はそのまま読みにも書く。

第3項のひらがな部分とカタカナ部分はそのまま読みにも書く。 という記述についてですが、このような記述では、語弊があります。 カタカナ部分はそのまま...書く。 ということは、"ふしぎの国のアリス"であれば、"ふしぎのくにのアリス"と書くという事なのか、" - くに - "とは書かずに、"ふしぎのくにのありす"と書くといっているのかが解りづらいです。 また以前のセクションでも話題になっていますが、漢字とカタカナが混ざっている場合は、全てひらがなが良いと思います。 皆様のご意見をお聞かせください。--Squash 2010年1月3日 (日) 16:35 (UTC)

私は、例の場合なら「ふしぎのくにのアリス」と書くべきであり、カタカナをわざわざ平仮名に直す必要はないと考えます。カタカナにわざわざ平仮名で読み仮名を振るのは、まるでカタカナを読めない児童向けの書籍のようで、言い方は悪いのですが「馬鹿にされている」ように思え、個人的にはあまり好ましい印象を受けません。以前の議論で出されていた「平仮名での検索」についても、そこまで配慮する必要性を感じません。--Kanohara 2010年1月3日 (日) 17:25 (UTC)
ご意見ありがとうございます。カタカナにわざわざ平仮名で読み仮名を振るのは、まるでカタカナを読めない児童けの書籍のようでとおっしゃられていますが、こちらによると、誰でも容易に概要を理解できるようとあります。この場合の"誰でも"とは、Wikipediaを利用する人全員と考えられます。よってカタカナを平仮名に直すべきであると思います。--Squash 2010年1月4日 (月) 03:51 (UTC)
それだと冒頭文だけでなく、全文を平仮名で書かなければ意味がないのでは。それに、通常は平仮名表記されることがない外来語を平仮名で表記するのは、かえって読みにくくなるように思えます。
仮に平仮名で統一する場合、「ヴ」などは「う゛」と表記するのでしょうか、それともバビブベボ行に変換するのでしょうか。--Kanohara 2010年1月4日 (月) 04:53 (UTC)
(コメント)カタカナが読めないのであれば、冒頭導入文以降に登場する本文の説明を読むのも難しいのではないかと思いますし、というのはKanoharaさんの意見にある通りですので、別の話を。
Kanoharaさんの話にある「平仮名での検索」については、以前の節で書いた通りですが、その検索キーワードとなる「平仮名の読み」は冒頭導入文になければならないという性質のものではなく、そもそも読者に見える形である必要もないものだと思いますので、今回の提案を考える上で考慮する必要はないと思います。その「平仮名の読み」のための「検索キーワード」の話については、別のところ(少なくとも、スタイルマニュアルとか導入部とかの範疇ではないと思う)で近いうちに提案してみます。--NISYAN 2010年1月4日 (月) 05:21 (UTC)
Kanoharaさん、NISYANさんのご意見を読ませていただき、考え方が変わりました。確かに、冒頭部のみではなく、全文を平仮名表記しなければならないと感じました。また、「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」に関しても、判断ができかねるので、カタカナはカタカナで表記するのが相応しいと考え直しました。
  • 少し話題がそれるのですが、そごう・西武のように、項目名は「そごう・西武」となっていても、導入部では「株式会社そごう・西武」と表記されている場合についてお話しさせていただきます。こういった場合には、「かぶしきがいしゃ そごう・せいぶ」とするのか、単に(項目名と合わせ)「そごう・せいぶ」と表記すべきなのかを議論の上、明記したいと思います。--Squash 2010年1月4日 (月) 05:49 (UTC)

本件についてなのですが不特定多数のユーザーにも意思表明をおこなっていただくために、投票をするというのはいかがでしょうか? ちなみに現段階(当該セクション)の意見をまとめさせていただくと、

3.読みの文字種別は次の通りにする。(項目名の直後の括弧内に関して)
・漢字はひらがなにする。
・特殊な読み方をしない英数字はそのまま記載する。読みが特殊なものはひらがな、またはカタカナで書く。
・ひらがな部分とカタカナ部分はそのまま括弧内にも書く。
(原則として、ひらがな部分はひらがな、カタカナ部分はカタカナで書く。)

このようになります。(下線部が併記事項)

このままでは不十分ですので、以下の事項を投票の結果併記したいと思います。

  • 甲、 読み仮名等をくくる括弧は半角とするのか、全角とするのか。

半角括弧を全角へ全角括弧を半角へといった編集を減らすため。

  • 乙、 括弧内に英語を表記する際に、英称:English と英称:を付加するのかどうか。

→記事スタイルを統一し、表記ブレによる利用者の困惑を防ぐため。

  • 丙、 項目名に株式会社など慣習的に読み仮名が省略される可能性がある単語について、括弧でくくり、かぶしきがいしゃと記載するべきかどうか。

→乙の理由に同じ。
以上です。--Squash 2010年1月10日 (日) 15:07 (UTC)

コメント 提案の内容についてはコメントを控えますが、ウィキペディアでは多数決主義を採用しておらず、議論は投票ではなく合意形成によって解決すべきであるとされています。かつては調査投票として投票を行う場合もありましたが、つい昨日から「Wikipedia:投票の指針」は廃止され歴史文章化されましたので、ウィキペディア日本語版では現在、投票についての方針やガイドラインは存在していない状態です。提案の内容については、「もはやノートで意見は出尽くし、投票によって解決する他に手段が思いつかない」ような状態であるとも感じられませんので、まずは合意形成を試みるのが宜しいのではないでしょうか。--Kanohara 2010年1月13日 (水) 07:58 (UTC)
コメント 提案の範囲がはっきりしていないし、当ガイドラインの範囲を越える内容もあるようにおもいます。
  • 「不思議の国のアリス」の読み仮名は「ふしぎのくにのアリス」とするというのが、実際に行われている慣習だとおもいます。ですので、ガイドラインの文言をめぐって意見の対立があるという状況がよく理解できません。
  • 括弧の件は読み仮名を囲む場合のことだけではないので、WP:JPEのノートででもやるべきでしょう。
  • 読み仮名の決めかたを簡単に考えすぎていませんか。たとえば、趙紫陽を日本語読みで「ちょうしよう」と読んでしまっていいのですか。欧陽菲菲ではどうですか。こういったことは当ガイドラインで決められることではないとおもいます。
なお、提案の内容についてのコメントではないのですが、「片仮名」という語は和語です。片仮名そのものを指すときに片仮名で「カタカナ」と書くのはやめてほしいです。 --Hatukanezumi 2010年1月13日 (水) 09:47 (UTC)
お二方のコメント、真摯に受け止めたいと思います。
  • kanoharaさんがおっしゃるとおり、合意形成によって解決するようにしていきたいと思います。
  • また、hatukanezumiさんにつきましては、ご指導の言葉を頂き、大変感謝しております。また「片仮名」の件に対してですが、不快感をあたえてしまいました。これからは表記を改めていきたいです。

今回の件を今後の教訓にしていきたいです。
私事なのですが、今回本件を提起した理由についてお話させていただきます。当方が読み仮名が無いものに読み仮名をつける作業をしていた際に、カッコは全角読み仮名は強調しないなどという理由で(理由なく取り消したものも…)幾つかの投稿が取り消されてしまいました。しかし、このページ(スタイルマニュアル導入部)にはそういった記述がありませんでした。(カッコの指定は記述されていない、読み仮名は強調してもよい) ですのでそういった無駄な取り消しや編集を防ぐために特記しようと思いました。丸括弧の乱用申し訳ありません。--Squash 2010年1月14日 (木) 08:05 (UTC)

「導入部の例」について[編集]

ここには例として「*シャア・アズナブルは、アニメ『機動戦士ガンダム』およびその関連作品の登場人物である。『機動戦士ガンダム』では主人公であるアムロ・レイのライバルとしての役割をもった。アムロと同じくニュータイプ(高い認識能力をもつ新しい人類のこと)であり、ジオン公国軍のパイロットや指揮官として数々の活躍をした。」ということが書いてありますが、これは例として不適切だと思うので消した方がいいと思います。

理由は、「導入部の書き方」に「記事の扱う主題についてまったく知識の無い読者であっても理解できるよう<中略>専門用語を使うのは避けてください。」と説明されており、ウィキペディアを読む前にガンダム作品に触れたことがない読者(記事の扱う主題についてまったく知識の無い読者)には、番組劇中の言葉(「ジオン公国」、「ニュータイプ」等)を使っても何の事か理解できず、専門用語と変わらないからです。--124.96.232.254 2010年1月19日 (火) 12:41 (UTC)

ニュータイプ(高い認識能力をもつ新しい人類のこと)と、わざわざ()に入れて説明されてますし問題があるとは思えません。ジオン公国についても、初見であろうと「シャア・アズナブルという人物がそういう名前の国に所属している」という認識は出来ますし、特に問題があるとは思えません。その国がどんな国か、などということは問題ではありませんし。--ことりん 2010年1月20日 (水) 03:14 (UTC)
124.96.232.254と同じ者です。
「ジオン公国」には「公国」と付いている為、知らない人が見ても国であるという事が解り、文脈からジオン公国に所属していると考える事が出来ますが、導入部での表記の例としてそれを出してしまうと、それをもとにして「アロウズのMS」、「リガ・ミリティアのMS」、「ミノフスキードライブ搭載機」等、知らない人が見れば何の事か解らない記述をしてしまう人がいると思います。この記事に在るこれ等の記述は、「シャア・アズナブルという人物がそういう名前の国に所属している」というような情報を認識させる為に在るのではありません。どの様な書き方をするのが適切かということを伝える為に在るのです。--花言葉は愛 2010年4月3日 (土) 04:46 (UTC)
コメント 文脈から判断できない場合は、「独立治安維持部隊アロウズ所属のモビルスーツ」「レジスタンス組織リガ・ミリティアのモビルスーツ」「推進機関としてミノフスキードライブを搭載する」などと適宜言い換えるのが宜しいかと思います。文章の冒頭で「(作品名)に登場する架空の人物/兵器」であることが十分に説明されているのであれば、その後に続く内容は作品内におけるその物事の位置づけを解説する文であっても十分に文意が通じると、個人的には考えます。もちろん、ことさら専門用語を用いたり、わざと分かりにくい表現を推奨している訳ではなく、誤解を招く恐れがある表現や分かりにくい表現を見かけたら、個人の判断でより分かりやすい表現に書き換えれば宜しいかと思います。シャア・アズナブルの文例については、私は問題ないと考えます。--Kanohara 2010年4月3日 (土) 05:06 (UTC)
「冒頭の段落は、明確で簡潔」もガイドラインの一つです。最初から導入部に番組内の用語など書かければ、そのように付け加えて説明する人要もないでしょう。そうすればどちらのガイドラインにも則していると思います。仮に簡単な解説を付け加えていくとするなら、シャア・アズナブルの文例も、番組内用語全てに簡単な解説を付け加えた文に変更しなければならないでしょう。
導入部には、定義に続いて概要(記事の要点を示した、記事全体の簡略版)を書くものです。データを羅列したり、記事全体の説明にならないような雑多な内容を記すことは避けてることになっています。--花言葉は愛 2010年4月3日 (土) 09:05 (UTC)
もちろん、冒頭の段落は明確かつ簡潔でなければならず、かつ「記事の扱う主題についてまったく知識の無い読者であっても理解できる」内容でなければならないのは指摘されるまでもないことで、私も記事を執筆する上で、自分なりに最大限の努力を払っているつもりです。概要文を読んでもさっぱり記事の主題が理解できない、問題のある記事が多いという現状も把握しています。ですが花言葉は愛さんの主張や会話ページでの議論、編集履歴などを拝見する限り、花言葉は愛さんは少々神経質になりすぎているのではないかという印象も受けています。花言葉は愛さんが何らかの信念を持って、ガンダム関係の個別記事を、他の記事を参照することなしに、作品についてまったく知らない読者にも伝わるような内容にしようと努力しており、その活動にお墨付きを得るためにルールの改正を求めていることは、何となく分かります。ですが、読者に普通の読解力があれば理解できるような内容まで詳しく正確に説明しようとするのは、読者を子供扱いして侮りすぎているようにも感じます。その結果、かえって「シャア・アズナブルが登場する機動戦士ガンダムシリーズという作品についてはよく分かったけれど、肝心のシャアについてはさっぱり分からない」ような記事になってしまっては本末転倒ではないでしょうか?
どこからどこまでが分かりやすくて、どこからどこまでが分かりにくいかというのは個人差もあると思いますが、シャア・アズナブルの例については問題がない、適切なバランス感覚の上で成立した説明になっていると、個人的には考えます。--Kanohara 2010年4月3日 (土) 13:03 (UTC)
同じような事を前にも言いましたが、このは例文は「シャア・アズナブルがどう言う者か」を伝える為に在るのではありません。スタイルマニュアルであるこのページでシャアについてさっぱり分からなかったとしても問題ではありませんし、シャアに関する適切なバランス感覚の上で成立した説明を書いたところで意味も有りません。
これは例文なので重要になってくるのは「どの様な書き方がルール(注1)に則した適切な書き方か」を伝えることですが、この例文自体がルールに反したものになっている為、これがもとで、ルールに則さない誤った記述(注2)を執筆者に促しかねないことが問題です。
注1.「記事の扱う主題についてまったく知識の無い読者であっても理解できるよう<中略>専門用語を使うのは避けてください。」等。
注2.「リガ・ミリティアのパイロット」、「コーディネイターのパイロット」等、番組視聴前の人が見れば何の事か解らないか、誤って認識させそうな記述。
--花言葉は愛 2010年4月4日 (日) 07:12 (UTC)
専門用語を使ってはいけないのは「記事の扱う主題についてまったく知識の無い読者であっても理解できるよう」という理由に基づくものなのですから、杓子定規に「いかなる理由があろうと絶対禁止」なのではなく、知識のない読者にも問題なく理解できるように書かれていれば、ルールを遵守していることになると考えます。シャア・アズナブルの例文の場合、これが「アムロと同じくニュータイプであり、ジオンのパイロットや指揮官として数々の活躍をした」という文章であったなら、花言葉は愛さんの言うように不適切な例であったかも知れません。ですが実際の例文では、ニュータイプは「高い認識能力をもつ新しい人類のこと」で、ジオンが「公国」であると文中で説明されているのですから、ルールに即したものであると考えます。ですので何の説明もなく専門用語が出ているものについては、「シャア・アズナブルの例とは違う」のですから、用語に解説を添えるなり、その方が分かりやすいなら平易な単語に置き換えるなりすれば良いのです。--Kanohara 2010年4月5日 (月) 00:25 (UTC)
ひとつお尋ねしたいのですが、花言葉は愛さんはどのような文章だったら「シャア・アズナブルの例文」が適切な例文になる、とお考えでしょうか。--ステイシア・ボーダー 2010年4月4日 (日) 08:13 (UTC)
  • シャア・アズナブルは、アニメ機動戦士ガンダム』及びその関連作品の登場人物である。(定義)劇中に於ける本名は、キャスバル・レム・ダイクン。(よく知られている別名)本項ではアニメ作品だけでなく、漫画ゲームをはじめとしたメディアミックス作品で描かれたシャア・アズナブルの様子も解説する。(概要、記事全体の説明)
例文はこの様な感じが良いのではないかと。ここは「定義を記載する。その時には項目名を太字にする。」、「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。」、「導入部に概要がまとめてあることが望ましい。」、「導入部(定義と概要)は記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべき。」、「記事の主題についてまったく知識の無い読者であっても理解できるよう専門用語を使うのは避ける。」、「概要には、記事全体の説明にならないような雑多な内容は避ける。」といったガイドラインを説明するページなので、例文はそのガイドラインを表現したものでなければならないと思います。
避けてくださいとなっているようなものを無理して入れる必要はないでしょう。ここはシャアがジオン軍人であることを伝えなければならないページでも、「専門用語には解説を添える」というルールを説明しなければならないページでもないんですし。仮に今の例文を記載し続けるのなら、例文だけをそのような書き方にしているだけでは「専門用語には解説を添える」等をルールとして認識させる効果は無いですから、このページの本文にも「(Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#専門用語には解説をが参考になるでしょう)」等を表記すべきではないでしょうか。--花言葉は愛 2010年4月7日 (水) 11:13 (UTC)
コメント 花言葉は愛さんの文案は、確かにガイドラインから大きく逸脱する内容ではありませんが、定義文の例文としては如何なものでしょうか?
本ガイドラインでは定義の意義について「定義がなければ、調べたいものかどうかを判断するために読み進めなければなりません。」と書かれています。この例文は「機動戦士ガンダム」の登場人物であれば、本名の部分を除いてまったく同じ書き方ができてしまう内容であり、シャア・アズナブルなる人物が悪役であるのか主人公であるのかといった情報すら読み取ることができません。読者がシャアを「新世紀エヴァンゲリオン」や「宇宙戦艦ヤマト」の登場人物と区別する上では役に立つ定義文かも知れませんが、「アムロ・レイ」や「アストナージ・メドッソ」のような登場人物と区別することはできません。唯一、シャア本人について記している本名の部分についても、作品について全く知らない人にとっては耳慣れない単語の羅列でしかないことを考えれば定義の体を成していないと言えますし、また全ての物語の登場人物に「よく知られている別名」が設定されている例は稀であることを考えると、例文の内容としては不適切のように思えます。
「概要、記事全体の説明」が必要なのは言うまでもありませんが、この例文の内容はシャア・アズナブルについての説明ではなく記事の構成についての説明で、「機動戦士ガンダム」の登場人物に限らず、メディアミックス作品の登場人物全てに適用できてしまう文面であり、汎用性は高いものの定義文の体を成していません。そもそも本記事の「#概要文」によれば、「概要、記事全体の説明」は定義に続いて書くものであるとされており、つまり「概要、記事全体の説明」とは定義文には含まれないのです。他の例文を見ても、これらの「導入部の例」は「概要、記事全体の説明」を含んだものではなく、逆に言えば「概要、記事全体の説明」は、これらの文例の直後に続くことが暗黙の了解となっているわけです。
花言葉は愛さんは、「高い認識能力をもつ新しい人類」「ジオン公国」といった単語も「専門用語」であると捉えているようですが、それを専門用語であると捉えるなら他の例文における「黒鉛」「フランスの劇作家ボーマルシェ」「モーメントの概念」「強塩基性」「ウェブ上のドキュメント」といった単語も「専門用語」になってしまうように思えます。過剰に専門用語を使うことは戒めるべきですが、それ以上簡単に表現できないものまで言葉狩りをするのも過剰かつ、何の益にもならないでしょう。「Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#専門用語には解説を」へのリンクなどを設けるのは親切だと思いますし、その提案に限って言えば賛成ですが、ガイドラインの趣旨を読めば、その辺りは特に明記しなくても汲み取れる範囲であり、杞憂ではないかとも思っています。--Kanohara 2010年4月12日 (月) 05:56 (UTC)

原語表記の最初の文字が無差別に大文字で記されている件[編集]

Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (導入部)/読み仮名と原語表記のスタイル#導入部における項目名の原語表記についてで話題になりかけて立ち消えになっていた事案ですが(もしこの件に関する議論が他にありましたら教えてもらえると助かります)、項目名が日本語以外に由来する場合に括弧内に表記する原語 が、多くの場合、最初の文字を大文字で表記されています。これは定義文に限らず、本文中での語句説明などでも大文字から始まっているケースが非常に多いようです。ドイツ語の名詞や固有名詞などは別として、これらは辞書の見出し語のように小文字であってしかるべきではないでしょうか。コメントがつかない場合に備えて予め書いておきますが、俺は自分がそれに気づいた時には(触るもののほとんどが人物記事なので稀にですが)小文字に直しています。何か問題ありますか?--小内山晶 2010年7月6日 (火) 04:40 (UTC)

個人的には、小山内晶さんの意見に賛成です。辞書の見出し語で小文字で始まるものはそのように修正するということは、特に問題がないと考えます。
ドイツ語の名詞については、どうしてこうなったのか (ウィキペディア上でではなく、正書法の歴史として) の知識がないので、意見を保留します。極端な例を出すと、初期のラテン語碑文には大文字しか現れないわけですが、現代の日本語の文章中での表記としてはどうするべきなんでしょうね。 --Hatukanezumi 2010年7月6日 (火) 13:47 (UTC)
あ、あと、もしも記事冒頭部に限らず本文中でどうするかについて意見をお聞きになりたいのなら、Wikipedia:表記ガイドのノートのほうがいいかもしれません。--Hatukanezumi 2010年7月6日 (火) 14:39 (UTC)
Hatukanezumiさん、ありがとうございます。この節を立てた主な理由は、ボクシング関係の18階級の項目で確かほとんど全部が大文字で始まる英語表記を括弧書きしていたのを直したことについて、あれはあれでよかったのかと思ったからなのですが、現代の日本語で書かれた学術書・論文や翻訳書・論文、原書・論文、いずれもドイツ語の名詞だけが大文字からの表記、他の英語・フランス語・ラテン語…などは小文字からの表記というのが一般的な気がします。英語の大文字から始める書き方がウィキペディア日本語版のどこかで推奨されていたら反対すると思いますが、あまりカチッとしたガイドラインがないのだったら、現状はこれでいいかなあとゆるく考えています。--小内山晶 2010年7月6日 (火) 15:26 (UTC)

記事名でのリンク[編集]

記事の中には最初の記事名で、例えば「ノート:スタイルマニュアル (導入部)」という風に内部リンクしているものがあります。節名でのリンクを避けるガイドはWikipedia:スタイルマニュアル (見出し)#見出しの中でリンクはしないというものがありますが、導入部での記事名でリンクを避けるガイドは探しても見当たりませんでした。確かに、Wikipedia:レイアウトの指針#導入部では「[[記事名]]のような自己リンクは意味がないのでしないでください」という風に、自己リンクを避ける説明はあるのですが、その記事自身でなく他の記事へもリンクすべきではないというガイドラインは見当たりません。こういったルールはどこかに存在するのでしょうか? または無用なのでしょうか? もしも、まだ討議されたことがないのであれば、こういったリンクは百科事典の体裁としてなじまないと思います。ご意見をお待ちいたします。--Shigeru23 2010年10月11日 (月) 11:04 (UTC)

1年以上待ってもご意見が戴けませんでした。改めて「導入部の書き方」節の1つ目に次のような文言を加えてはどうかと提案します。下線部が追加する文言です(下線そのものは加えません)。一部、元の文言も修正します。
1. 第1文の主題(主語)を項目名とし、定義を記載する。その時には項目名の左右を(''')でくくって太字にする。 太字となった項目名には内部/外部のいずれも一切のリンクを張らず、また、斜体や黒以外の色文字を用いずに、特段の文字飾りを施さずにそのまま黒の正体文字(傾いていない文字)とする。
1週間よりはかなり長い相応の期間だけ待って反対意見が無ければ、上記の変更を行うつもりでおります。 --Shigeru23 2011年12月16日 (金) 10:56 (UTC)
  • コメント 「○○の一覧」「○○の歴史」「○○における○○」といった記事の場合、「○○」部にリンクを張るのが合理的な場合があります。節名でのリンクを避けるのは、技術上の不具合を回避するためらしいので、援用する必要はないです。
    「また、斜体や黒以外の~」については前方の「その時に項目名の~」以下の部分と合わせて、「その時には項目名の左右を(''')でくくって強調(多くの閲覧環境では太字で表示)し、それ以外の色の指定などの文字装飾は使用しない。」に変えたほうが良いかと思います。閲覧環境によっては黒背景に白字で表示されるなど、無装飾が黒字と決まっているわけではありません(たとえば、Winodowsの視覚障碍者向け動作モードの一つにそのような環境があります )。 --Yhiroyuki 2011年12月16日 (金) 12:29 (UTC)
  • 反対 あまり詳細なルールを定めるのも、指示の肥大化になってしまうように思います。技術的に特に問題がないというのでしたら、そのルールは特に必要ないのではないでしょうか。またYhiroyukiさんの提案についても、「Wikipedia:色の使用は控えめに」のガイドライン草案や、「Help:ページの編集#文字飾り」の解説で事足りる内容に思え、導入部のスタイルマニュアルに記述するものとしてはやや蛇足にも感じます。--Kanohara 2011年12月16日 (金) 13:10 (UTC)

定義文の体言止めについて2[編集]

以前から記事の定義文を体言止めから「である」体に変える(だけ)という編集を見かけることがあったのですが、どうもここの定義文の例がすべて「である」体になっていることが原因のようです。履歴を調べてみると2007年1月のこの編集で特に事前の提案もなく変更されており、その後上の「定義文の体言止め」で同じ編集者により問題提起されていますが、議論を見れば分かるとおり体現止めを排除するというようなことに見解の一致は見られません。現在の例のうち鉛筆、ガリレオ・ガリレイ、水酸化ナトリウムを体言止めにして、体言止めと「である」で終わるものとを半々にし、「どっちでも問題ない」ということを示すことができるようにしておくことを提案します。特に異論がなければ数日後に編集いたします。--頭痛 2010年12月19日 (日) 00:08 (UTC)

コメント である体に変える根拠としては「Wikipedia:表記ガイド#文体」辺りが根拠になっているのだと思います。また、他に類似する議論として、一年前の「Wikipedia:井戸端/subj/記事の導入部に「~とは~である。」に統一すべきか否か」という議論があります。
どうも長年引っ張っている問題であるらしいので、そうした意図での改正を加えるのであれば更に「文体を『……とは……である。』に統一すべきであるという意見と、体言止めに統一すべきであるという意見と、揺れは許容されるべきであるという意見があり、議論が行われました。今のところは一致した見解はありません」という趣旨の案内を付け加えることを提案します。--Kanohara 2010年12月19日 (日) 01:16 (UTC)
よいと思います。付け加える位置は7つの例文の後ろでよいでしょうか。--頭痛 2010年12月20日 (月) 12:08 (UTC)
コメント その辺りはお任せします。--Kanohara 2010年12月20日 (月) 14:22 (UTC)
ありがとうございます。上記のように修正・追記いたしました。--頭痛 2011年1月2日 (日) 13:37 (UTC)

「項目」の意味の混同について[編集]

#定義文についてですが、「項目」という語が他の部分と異なる意味で使用されていると感じる部分があります。ページ全体で「項目名」が「記事名」の意味で使われているため、「項目」も「記事」で統一することが適切かと考えます。しかし、「本文の第1文はその項目についての定義を書きます。」という文では「項目」の言い換えは「記事の主題」であり、「記事」の意味で受け取ると「…は、…についての記事である。」のような定義文が有り得ることになります。同様に、「また、他の人も、その項目に対する知識がなくても誤りであることがはっきり分かるので対処しやすくなります。」では「記事内容」の意味で使われており、「記事」の意味で受け取ると作成者やバイト数などの知識も想定していることになります。適切に書き換えることができるという方がいらっしゃいましたら、ぜひよろしくお願いします。--彼方陣 2011年9月24日 (土) 05:21 (UTC)

しばらく意見がありませんので、該当の「項目」を「項目の主題」と書き換える提案をいたします。2011年10月24日 (土) 05:21 (UTC)まで反対意見がないようでしたら実施したいと思います。--彼方陣 2011年10月15日 (土) 13:22 (UTC)

「概要」節[編集]

Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#概要文
>数行程度しかない「概要」節を作ると却って読みにくくなることもあります。
これは(導入部が長すぎる場合と比較して)、果たして真実なのですかね。
議論提案までは至らないのですが、ちょっと気になったので…大変失礼いたしました。
もちろん、小さい記事に対してセクション分けすぎるのは論外と思いますが、ある程度の分量がある記事についてでして。--Benzoyl会話2012年4月9日 (月) 03:12 (UTC)
論理的に言って「数行程度しかない「概要」」と「導入部が長すぎる」は比較対象にならないでしょう。数行程度のものを導入部にまとめても「長すぎる導入部」にはなりませんし、「導入部が長すぎる」のであれば十分な量の「概要」節が作れますから。「導入部が短い場合でも「概要」節をつくったほうがよい場合もある」というようなことを言いたいのでしたら、具体例かなにかを示していただかないと議論にならないと思います。--頭痛会話) 2012年4月9日 (月) 03:46 (UTC) なおこの文書の概要文に関する記述を行った利用者:Metronomeと私は同一人物です。と言っても私個人の考えを書いたわけではなく、議論に基づいてですが。--頭痛会話2012年4月9日 (月) 03:58 (UTC)
頭痛さん、早速の丁重なごコメントを下さり誠に有難うございます。人物記事ですと「人物・来歴」が概要にあたるので良い(安易?)なのですが、『となりのトトロ』等のフィクション作品記事ですと「概要とはなんぞえ」という定義が難しいですね。
5W1Hのうち、Why(なぜ)How(どのように)的な部分は概要化した方がいいのではないかという気もいたします(具体的な記事が見当たらず済みません)。自分なりに勉強・検証してから改めてこちらに参る所存です。失礼いたします。--Benzoyl会話2012年4月10日 (火) 01:39 (UTC)
記事全体の要点をまとめるというだけですから別に難しくはないと思います。なお人物記事の「人物」とか「来歴・人物」のような節も無意味に作られているものが多いです。気が付いたものは除去しています。--頭痛会話2012年4月10日 (火) 02:05 (UTC)
御挨拶が遅れており、大変申し訳ございません。『難しくはない』との見解ですね、了解いたしました。
SLAM DUNK」「幽☆遊☆白書」などでの、頭痛さんの編集で『概要ではない』との御判断があったので、気になった次第だっただけでした。また勉強してから参ります。--Benzoyl会話2012年4月13日 (金) 01:16 (UTC)

複合的記事名(子記事)において暗黙的に多用されてきている「○○では」やトートロジー定義文[編集]

最近暗黙的に、「○○では」というスタイルマニュアルにない形式の導入部の使用が流行している様です。例:[2][3][4]。こういったものは主要な記事の内容から分枝した子記事や一覧記事で行われがちなようです。このようなやり方は方針に反するため明白に禁止すべきではないでしょうか。

例えば日本における死刑の最初の一文は「本稿では、日本における死刑(にほんにおけるしけい)の概要、歴史を述べる。」となっており一切の“内容”を含んでいませんが、英語版では"Capital punishment is legal in Japan."となっており、一文で“最も重要な事項”を説明しています。日本語版において書かれがちな導入部にはどうも奇妙な拘りがある様に見えます。

  1. 記事名と同一の文字列を太字にして最初の一文に(それも可能な限り最初の名詞句として)押し込まなければならない。
  2. 最初にある記事名の文字列は真っ黒でなければならず、リンクを貼って色が付く事は決して許されない。
  3. 記事名中にある単語へのリンクの必要を感じた場合トートロジー(同語反復)で補う。例:[5][6]
  4. 定義文は「それが何か」を説明する機能を損ってでも、可能な限り簡潔であるべきである。記事内容を要約する長い導入部は「概要」節にしなければならない。
  5. このようにして“簡潔”になった導入部の定義文が定義するものは「記事の主題の定義」ではなく「記事の定義」である。故に「は」「とは」に換えて「では」を繋辞に用いる
  6. なお、項目名以外の事物も言及する場合、導入部に「当記事では○○についても説明する」と書き加える。

おそらくこの様な考えで発生したやり方なのだと思います。このような“では定義文”はもはや「記事の主題」を何も定義していません。更に文章をよく見ると、日本語では無主語文で一見何も問題が無いようにも見えますが、しかしこれを仮に英語など人称が必須な言語に訳すと一人称になります。そのような文章は百科事典ではありません。エッセイや演説です。冒頭から筆者の一人称POVになっている異質な記事です。(英語版で引用や例示以外の地の文で"I"や"we"という単語を見たことなんてありませんよね?)

なので、「導入部に必ずしも項目名を入れる必要がない」という事をここで明言するべきでしょう。--荒巻モロゾフ会話2012年10月9日 (火) 16:13 (UTC)

コメント 基本的には賛成ですが、よくある「AのBABである」「本稿にではAのBについて述べる」のような形についても、結局のところその記事で扱う A や B の定義まで噛み砕いて「AのBは……の……である……において、……から……にかけて……の……である」といった風に丁寧に説明すれば、標準的な形に無理なく収まるという場合も結構あるような気がします。もちろんそれが難しい記事も多いですので、1から4については明確に否定しておいたほうが適切でしょう(5と6については特に問題があるとは思いません)。ただ、単に「導入部に必ずしも項目名を入れる必要がない」と示すだけでは指針として不十分ですので、よくあるパターン――「○○の歴史」「○○における××」「○○の一覧」「○○の登場人物」などについては代わりとなる定型文または文案を提示する必要があると思います。--氷鷺会話2012年10月21日 (日) 14:22 (UTC)
本題からはそれますが、「英語版で引用や例示以外の地の文で"I"や"we"という単語を見」ようと思えば、たとえばen:Category:Article proofs収録の記事にはいくらでもそういう文例があります。--211.1.206.202 2012年10月21日 (日) 15:01 (UTC)
どうもこの問題は英語版にある方針文章が未訳であることが原因であるようです。同様の問題を扱ったガイドラインとしてen:Wikipedia:Superfluous bolding explainedを見つけました。固有名ではない説明的な記事名の場合、無理やり冒頭にタイトルを太字にして詰め込んで奇妙な文章にするべきではないと名言されている様です。またen:MOS:BOLDTITLE#Format_of_the_first_sentenceにも冒頭を太字にするべきでない例について示されています。なので、これらを参考にして日本語版にも同様の方針を移入するのがよいと思います。--荒巻モロゾフ会話2012年11月10日 (土) 05:16 (UTC)

既存の出典の取扱いについて合意に至ったので御報告[編集]

報告 検証可能性の裏付けとなっている出典の表示の削除の問題(特にこれらがメンテナンスや整理といった名目あるいは一環として行われる問題)に対応するため、先月9月、Wikipedia‐ノート:出典を明記する#出典表示の重要性の再確認と複数付けられた出典表示の保護についてでコメント依頼を行い対応について検討が行われ、様々な御提言をいただき、WP:REFに新たに規定を追加することで反対意見なく合意されています。WP:REFには以前から出典の表示には「内容に問題がないか確認できる」「読者がさらに調べるときの参考になる」といった重要な機能があることが明記されています。方針やガイドラインに従って出典の明記を求めつつ、その一方で既に方針やガイドラインに従って適切に明記されている出典の表示を整理名目で削除するといったことは、自らの行為の根拠を自ら否定するものでメンテナンス全体に対する信頼を大きく損ないます。その後の別の観点からの議論では、出典の表示の適切な維持は当然の共通認識であり杞憂なのではという御意見も頂戴し、私の主張の提示の仕方が下手なこともあって単なる観念的な議論のように見られてしまうところもあったかもしれませんが、これらの議論提起に至るにはそれなりの具体的事実もあったわけです。今回の議論で執筆活動で活躍されている皆さんからこのようなことは当然の共通認識であるとの御意見をうかがって安心するとともに、その当然の共通認識から逸脱するような行為があれば方針ないしガイドラインの趣旨に基づいて厳正な対処が行われることと思っております。(先月の合意についてメンテナンス関連の各文書で御報告させていただいております)--W-run会話2013年10月6日 (日) 00:40 (UTC)

本来の名称の一部を記事名としている場合の導入部について[編集]

会社名の記事では、原則「株式会社」などを省いて記事名にしています。例えば株式会社○○の場合、記事名は「○○」ですが、導入部は「株式会社○○は、……」のようになっています。この現状を追認し、

  • 1.第1文の主題(主語)を項目名とし、定義を記載する。その時には項目名を太字(''')にする。

  • 1.第1文の主題(主語)を項目名とし、定義を記載する。その時には項目名を太字(''')にする。ただし、会社記事などで項目名が本来の名称の一部である場合は、第1文の主語を本来の名称にし、本来の名称全体を太字にしてよい。

とし、導入部の例に

  • 株式会社日立製作所(ひたちせいさくしょ)は、日本最大の総合電機メーカー。大手電機8社の一角(パナソニック、ソニー、シャープ、NEC、富士通、日立製作所、東芝、三菱電機)。 注:記事名は日立製作所であるが、第1文の主語は「株式会社日立製作所」としている。

を追加することを提案します。1w程度の間に反対がなければ本文に反映するつもりです。--アルビレオ会話2013年11月22日 (金) 00:26 (UTC)

報告 反映しました。説明は少し変えています。--アルビレオ会話2013年11月30日 (土) 02:02 (UTC)

記事名が愛称や通称の場合の正式名称の扱い[編集]

導入部の書き方の第3項は「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。」となっていますが、これを「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。記事名が愛称や通称の場合、正式名称を導入部に太字で書く。」とすることを提案します。

よく知られている別名の扱いから言って当然だと思いますが、今後記事を書く人に判りやすくするためです。--アルビレオ会話2014年2月9日 (日) 08:28 (UTC)

タイトルの誤字を修正(通商→通称)しました。--アルビレオ会話2014年2月10日 (月) 07:03 (UTC)

反映しました。--アルビレオ会話2014年2月18日 (火) 04:49 (UTC)

英語版の翻訳による修正 導入部の特に量の指針です[編集]

英語版の導入部は結構量が多かったりするんですけど、日本語版では大きな記事なのに定義だけになっているということも多々見受けられましたので導入部はどういったもので、どう書けばいいのかをこの記事の「導入部」でより詳しく説明し、記事の長さに相応した導入部の長さの目安といった説明を追加したいと思い、英語版から翻訳しました。以下に修正案sandboxを作りました。

2005年2月2日にスタイルマニュアルから分離分離に伴う修正がおよそ9年と半年前です。2008年5月6日に概要節を許容する記述が追加されました。

他の追加は表記や例文が多いので、現在の記述は大まかには上の3回による説明です。修正案では、論理構造としてテンプレートはどういう順番にするとスクリーンリーダーにもその使用者にもいいのかといった部分からも補強できます。1週間待ち異論がなければ修正します。--タバコはマーダー会話2014年7月24日 (木) 14:55 (UTC)

コメント このノートには利用者:Metronomeのアカウントで過去に参加したことがあります。まず翻訳お疲れさまです。訳文についていくつか気になった点などもあるのですが、あまり余裕がないので少し後で書かせていただくことにして、取り急ぎ「長さ」についてだけコメントします。
「長さ」なのですが、段落数だけ目安を作ってもあまり意味がないのではないかと思います。例えば村上春樹の現在の版は5段落、不思議の国のアリスは2段落ですが、どちらも文章量はあまり変わりません(前者は切りすぎだと思っていますが)。1段落の文字数がどれくらいか、という共通了解が確認できていないと、長さの「目安」に合わせて既存の導入部の文章を複数の段落に切り分けたり、逆に統合したりするだけ、みたいな編集が横行しかねないと思います(英語版はひょっとしたら1段落の文字数はだいたいこれくらい、という共通了解が成立しているのかもしれません。よくわかりませんが)。
導入部の書き方は執筆者も結構気を使うところだと思いますし、「目安」を作るなら段落だけでなく文字数の目安もセットにしたうえでもうちょっと幅をもうけてもらったほうがいいかなという気がします。いまのところ具体的な文字数の案などは考えていませんが、一般的には1段落は200字~400字くらいになるでしょうか(?)
あとバイト数ですが、本文はたいした量ではないがテンプレートや表、外部リンクなどで跳ね上がっている記事も多いので、そういった点の考慮も必要だと思います。--新続頭痛会話2014年7月28日 (月) 20:16 (UTC)
段落数を目安として示していない日本語版は導入部がどんどん短くなっている印象を受けます。ちょちょっと頭で説明されている第二次世界大戦よりも、en:World War IIは5段落になってますけど、導入部では概説的に説明するという機能は果たされています。英語版では、Wikipedia紙版のために品質管理をしたことがあるので、導入部の品質が解離しているのはそのためかと思われます(en:Wikipedia:Summary style#Lead sectionen:User:Jimbo_Wales/Pushing_To_1.0
これは日本語版では9年以上前にちょろっと翻訳された導入部のガイドラインを、6年前にテコ入れしただけで、それで日本語版の導入部が短い傾向にあるというなら今のガイドラインの結果かと思うんです。
英語では文字数となっていたものをバイト数としましたが、英語は1文字1バイト、1バイト文字のアルファベット以外の日本語で使われるひらがなカタカナ漢字は1文字2バイトなので、自分の翻訳が元とバイト数がそれほど変わらないということからバイト数にしました。英語では文字数=バイト数と単純ですが区別も書いておらず、「文章が何文字」とも書いてないです。日本語では文字数を算出する計算を説明したり、文字数とはなんであるかといった説明が必要となり分かりにくいので、バイト数にしました。
長さの節には、絶対的な規則ではないという前置きがあります。英語版ではざっと調べたところ文字数の規定はないです。en:Wikipedia_talk:Manual_of_Style/Lead_section/Archive_11#Length逆に文字数とか、段落の意味を示さない柔軟な方法をとっているみたいです。随所で4段落「程度」という語尾にして柔軟性を考慮しました。バイト数にしろ、長さの節に「提示される導入部の量は、それ以降の本文の量を反映しているという要点の説明であり、絶対的な規則ではありません」と入れるということもできますし、すでに、絶対的な規則ではないという前置きがあります。
定義だけにされがちな現状から、一定の長さが必要とされているということを今より示すのが目的です。長さの節は消してもいいですが、あったほうが分かりやすいかとは思います。
--タバコはマーダー会話2014年7月29日 (火) 07:42 (UTC)
意図はわかりますが、やはり過去の経験上、現在の草案の書き方だと前述のように目安ににあわせるためだけの意味のない編集みたいなものに対する懸念が払拭できず、もう少し慎重な書き方をしてほしいという気持ちがあります。「柔軟な方法」であるならそれが間違いなく伝わるような書き方を考えるべきかと。このあたりは他の方のご意見も伺っておきたいですね。--新続頭痛会話2014年7月29日 (火) 09:17 (UTC)
段落の数が固定されているのではないかという指摘ですが、単純に4段落とは違うということを説明しました。定義以降の文章として、記事の概要を示すということの記述も多々ありますので、単純に適当に区切るだけというようにはとれないと思います。
慎重さが足りない部分、間違いなく伝わらないようになっている部分についてもう少し具体的にお願いいたします。--タバコはマーダー会話2014年7月29日 (火) 10:26 (UTC)
現在の案の「慎重」を期しているというのは、冒頭の「理想的には4段落程度」というのと、「導入部の要素」節の「通常は4段落程度です」というのと、「長さ」の節で「常は導入部は4段落を超えるべきではありません」に対して「しかし絶対的な規則ではないが」という注記がある、くらいですよね。これだけでは「単純に4段落とは違う」というようなことは読み手には伝わらないと思います。目立つ表の部分だけ見てそのような段落の規則があると考える人も多いでしょう。--新続頭痛会話2014年7月29日 (火) 10:34 (UTC)
もし表しか見ず「4段落である」と解釈し4段落にしたというような単純な編集に対して、他で絶対性を回避するような記述となっているので、そのように単純なことではないと説明できるようになっています。現状では説明できないということはないです。
個人的には「絶対的な規則ではない」とすぐ手前で修飾しているのは、慎重な記述であるともとれます。--タバコはマーダー会話2014年7月29日 (火) 11:34 (UTC)
う~んと、どこかに書いてあるから、ということではなくて、いちいち「そのような単純なことではない」というような説明をしながら差し戻し編集などをしなくても済むようにしてほしい、ということなんです。とりあえず焦らずに他の方のご意見がないかもうしばらく見ることにしませんか。私も修正案などゆっくり検討したいので。--新続頭痛会話2014年7月29日 (火) 11:53 (UTC)
では頭痛さんの懸念を払しょくするためには、表の直後に「提示する導入部の量は、数値的な絶対性があるということではなく、それ以降の本文の量を反映していることの説明を大雑把に試みたものに過ぎません。」と入れるのはどうでしょうか?--タバコはマーダー会話2014年7月29日 (火) 12:22 (UTC)

(インデント戻し)注意書きを入れるなら「以下の長さはあくまで執筆の際の目安であり、これに厳密にあわせるだけのために無理に段落を分けたり文章を加減する必要はありません。またバイト数はテンプレート、リストなどで付加される分は考慮していません。」とかでしょうか。文字数について触れましたが、例えば

記事の長さ 導入部の長さ 導入部の文字数
15,000バイト以下 1から2段落 50字から500字
15,000–30,000バイト 2から3段落 500字から1000字
30,000バイト以上 3から4段落 1000字から1600字

みたいな風に併記したらどうか、というようなことを考えていました。上の文字数はあまりよく検討したものではなく、1段落は200~400字くらいとみて適当に入れています。ただこのように注意書き等を入れるにしても、現状の良質な記事や秀逸な記事でも適合していないものがかなり出てくると思うので、「あくまで目安」とはいえ導入するならコメント依頼の呼びかけとかお知らせページへの記載などそれなりの周知と了解が必要ではないかと思います。

個人的な意見というか好みとしては、目次で全体の構成がわかるようになっていればリードは導入部にすっきりおさまる程度の分量があればいいのではと思っています。単に「本文に比例して導入部の量も増える」ということを言いたいだけなら具体的な分量を示す目安は必ずしも必要ないのではという気もします。--新続頭痛会話2014年8月1日 (金) 10:07 (UTC)

段落数をさらに「4段落程度」と「程度」をつけたまま記載することは、計算が容易となり、主観的すぎて統一性がはかれないこともなく、客観的(具体的)すぎて計算もさらに複雑となり柔軟性に欠けることにもならないかと思われます。あまり具体的すぎると、例えば2段落800字に抑えるとか、1600字に抑えるような修正のほうが起こりやすいかと思われます。
「9年半」にわたり、導入部は第1文が定義でありさらに概要を説明するものとされ、昔は概要節は禁止でした。「直近6年」では、その長さは記事全体の長さに比例することが記載されています。そして、導入部を節に変えるのは例外的であり、通常は目次以前の部分に書くということが記載されています。適合していない場合には、現行のガイドラインに従っても修正されている必要があることです。今回の修正は、さらに補足説明しているだけです。ガイドラインとしては了解されているものと考えられますので、(文字数を具体的にするのでなければ)新たな広い了解は不要であると思います。--タバコはマーダー会話2014年8月1日 (金) 14:58 (UTC)

横から失礼いたします。以前「#複合的記事名(子記事)において暗黙的に多用されてきている「○○では」やトートロジー定義文」にて問題点を指摘していましたが、今回タバコはマーダーさんが翻訳による導入部の修正を提案したことに便乗して、導入部のスタイルのヴァリエーションに関するルールを英語版から導入したいと思い、翻訳文を拵えてきました。

これを導入することによって変更される点を概略しますと:

  • 項目名がその主題を説明している場合、無理に記事名を冒頭文に登場させて不自然な文章にしてしまったり、太字にして目立たせる必要はないことを明示(記事名が太字で主語になっているコピュラ文を書く義務のない事を言及)。
  • 定義文の同語反復は回避されるべき。
  • 特筆性の理由(なぜウィキペディアに記事を持つに値するか)が示されなければならない。
  • 冒頭文に定義文以外のパターンが加わる。

といったところです。もちろんこのまま採用する訳にはいきません。日本語版に合わせてローカライズも必要でしょう(主に読み仮名に関してや、例の選び方)。タバコはマーダーさんの草案を見ますと、段落の出だしに関しては手つかずであるので、この部分を私の翻訳してきた方針で補う形にするべきだと思います。

現在でも事実上、英語版から翻訳されてきた記事では定義文以外の導入部のバリエーションは用いられていますので、これは現状の追認といえます。日本語版の方針に記事名を強調した出だし以外の導入部の書き方が無いせいで、今も、説明的な記事名の翻訳において、もはや「原作レイプ」と言えるような奇妙な冒頭文(同語反復や、「では」を使った意味上の主語が筆者自身である定義文)を持った記事を書く利用者が多いです。このような問題文章を書いてしまっている方々に、方針の方を英語版に合わせることで、英語版の冒頭をそのまま訳すことは日本語版での方針違反ではないのだと安心させてあげたいと思うのですが、いかがでしょうか。--荒巻モロゾフ会話2014年8月5日 (火) 12:01 (UTC)

便乗のご提案ですね。繰り返しや、循環定義や、太字化が分かりにくいとかですね。ぜひよろしくお願いします。一応ですが、Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安はガイドライン化にむけて議論中のようです。
私のほうではさらに手をつけるとしても、en:Wikipedia:Manual of Style/Lead section#Citationsとか、#Clutterあたりにしようと思っていましたので、別に定義部分が充実するかと思います。--タバコはマーダー会話2014年8月5日 (火) 14:58 (UTC)
議論まとめ
頭痛様が投稿ブロックされていますので、頭痛様によって異論を呈されていた4段落の表記部分以外は異論のないものとして一旦反映し、4段落の表記部分についてはガイドラインとかを踏まえて提案しなおします。--タバコはマーダー会話2014年8月5日 (火) 14:58 (UTC)

導入部の量として段落数による目安の追加[編集]

英語版からの翻訳による修正です。「導入部を4段落程度に」というのは簡単に数えられる目安です。長さの節はバイト数から段落数の目安を提案しますが、先の議論を踏まえて単純な編集を避けるようにしました。バイト数による段落数の目安の節は、自分の翻訳が英語版と似たようなバイト数になることから単にバイトとしました。以下が修正案です。

方針ウィキペディアは規則主義ではありませんがあり、その私論がWikipedia:指示の肥大化を避けるです。さらに、段落の文字数が何文字であるとしていけば、日本語の多くは1文字2バイトであり、テンプレートのバイト数を計算し差し引いてといった、複雑な指示となっていきます。そこまで定義しません。 [9]から「直近の6年」では、その長さは記事全体の長さに比例することが記載されています。概要の説明にある程度の長さを要求している点に変化はありません。1週間待ち異論がなければ修正いたします。--タバコはマーダー会話2014年8月5日 (火) 16:35 (UTC)

導入部をもう少ししっかり書いて欲しいということ自体は、私も良質な記事の選考などでしばしば指摘してきたことですし同感なのですが、導入部の理想的な分量を「4段落程度」と冒頭部でざっくり指定してしまうことが適切な指示であるか疑問です。日本語版には920,000以上の記事がありますが、特別:長いページを利用して調査した所、全体のおよそ1/9に当たる100,000番目に長い記事でもそのサイズは13,000バイト程度ですし、半分の450,000番目に長い記事では3,600バイトほどでしかありません。長さ節では、導入部の長さを3から4段落にするのは30,000バイト以上の記事であるとされていますが、そのような30,000バイト以上の分量のある記事は30,000記事程度しかなく、改定案の指示に従うなら導入部に4段落程度の導入を書けるような記事は日本語版ウィキペディアでは全体のわずか3.3%の記事のみです。そのような極一部の記事にしか適応できない分量を一般的な目安として冒頭部で「理想的には4段落程度」という提示をするのはあまり良くないと感じました。ガイドラインでは「短い記事以外は」とされていますが現実にはウィキペディアの記事の半数以上が5,000バイトにも満たない短い記事なのですから、このような指示はあまり現実にも即していないように思えます。
また、日本語版では特に長い記事では概要節を作ることも認められていますが、英語版のen:Wikipedia:Manual of Style/Lead sectionでは概要節を作って記事の要約の解説をする方法は説明されていませんから、英語版のガイドライン文書を日本語版に移入する際にはその辺りの日本語版と英語版の運用の違いも考慮する必要があるかと思います。多くの場合、日本語版では4段落もの導入部が必要となるような分量の記事であれば導入部に概要を詰め込むのではなく概要節に切り分けて書かれることの方が多いように感じますし、そのような点も考慮した指示にする必要があると思います。バイト数と段落数の関係の具体的な数字にも疑問はありますが、まずはクリティカルな部分を押さえましょう。--重陽会話2014年8月8日 (金) 16:13 (UTC)
数では大半がスタブに近いので、スタブを基準に説明すべきではないかということはないと思います。ほとんどのガイドラインでは、数ではスタブが多いからと言ってスタブを対象として書いていないかと思われます。短い記事は、現状でも記事の長さに応じた長さの導入部が必要とあり、どちらかというとWikipedia:スタブなどがあるかと思います。また今この節にて私が提案していることではないので、この部分について議論を行っても、本題の「4段落程度」という提案とは異なります。スタブが大半で長大な記事は稀なのは英語版でも同じです:en:Wikipedia:Version_1.0_Editorial_Team/Assessment#Statistics
(長大な記事は少ないので)一般的な目安として冒頭部で「理想的には4段落程度」という提示をするのはあまり良くない。「理想的」は「一般的」の同義ではないかと思われます。
「概要節」については、既に現行のガイドラインに書いてあるかと思います。英語版では私論のen:Wikipedia:Writing better articlesにて、"Overview"という節が作られることがあるとだけ書いてあり、絶対的にダメだということにもなっていないかと思います。ひとまず「4段落程度」という部分に焦点を当てていただきますようお願い致します。
重陽様と先の議論で頭痛様は「導入部をもう少しなんとか」というご意見をおもちなんですが、私もそうなんです。現状のガイドラインでは機能していないということだと思うのですが、これについて作戦は3つしかないと思うんです。
  1. 個人の主観に任せる。具体的な目安はなし。現状。どのように書けばいいのか分からないんだと思います。
  2. 大雑把な提案を行う。「4段落程度」など一見して分かり、指示が肥大化していない、大雑把なもの。
  3. もっと細かく指示する。段落とは何であり、文字数はどうであり、バイト数はこのように算出しなどとなっていきますが、ウィキペディアは規則主義ではありませんに反していき、その私論のWikipedia:指示の肥大化を避けるのようになっていきます。
現状ではよくない、大雑把な指示もよくないとなれば、3番になってくるのではないかと思います。--タバコはマーダー会話2014年8月8日 (金) 22:18 (UTC)
各々の記事を観察していますと、「概要」と名付けられた節は実際には「概要」ではなく、「雑多な内容(の箇条書きでないもの)」と言った方が適切であると感じます。「雑多な内容の箇条書き」が禁じられた代わりに体裁を変えて雑多な内容が復讐にやってきた、もしくは、執筆者が自分の執筆した記述の情報がどの種類のものであるかを分類する(内容を組織化する)ことを行わずに「概要」と言ってお茶を濁した結果の産物、それが概要になっていない「概要」節の存在なのでしょう。こういったものに対しては草取りの一環として積極的に適切な節名を付けて分類しなおすべきだと思います。(Wikipedia:完璧な記事には「(完璧なウィキペディア記事とは)構造と記事の各部分のどちらにもその必要性に関して、はっきりした説明、十分な説明があるようになっています。」とあります。)
方針において導入部がそれ自体でスタンドアローンに記事の要約版になることが要求されている以上、その仕事を別の節が奪ってはならないと思います。"Overview"に関しましても、冒頭から定義の役割を奪うような「概要」や、研究論文ごっこの「アブストラクト」とは性格が異なるもの、どちらかと言うと「諸元」や「あらすじ」もしくは「事のあらまし」といった目的であると考えた方がよさそうです。「概要」はできる限りやめさせるべきでしょう、それが定義や、冒頭部を記事全体のミニチュアとすることを邪魔する様であるのなら。そのようにしていけば文字数や段落数を気にしなくても自然とつり合いのとれたサイズになると思いますよ。--荒巻モロゾフ会話2014年8月9日 (土) 10:35 (UTC)
概要節についてはすでに現行のガイドラインで書いてあるので、その概要節をどうするかについては優先順位は「低」として言及していません。下記に「その他:概要節についての脱線した話題」節を用意しました。そういった話題は大丈夫ですが、提案事項から逸れた話題です。--タバコはマーダー会話2014年8月9日 (土) 16:32 (UTC)
コメント「スタブを基準に説明すべきではないか」ではなく、「全体の3.3%にしか当てはまらないものをスタンダードにすべきでない」です。そのような意図はなくともガイドライン冒頭部の解説は多くの記事に当てはめられるべき一般的事項の解説であると解釈される懸念が非常に大きいですし、ガイドライン冒頭部では多くの記事に当てはめるべき一般的事項の解説に留めるべきです。改定案後半の長さに関する具体的説明に従えばウィキペディアに含まれる記事の大多数は導入部を4段落にすべきでない記事なのですから、このような書き方では意図しない方向に流れかねないと思います。導入部の要素節での書き方も同様です。
検証可能性の遵守という意識がここ数年で時間をかけて徐々に浸透してきたように、導入部を何とかしようとするのであれば自身の編集で実際に導入部を何とかする編集を心がけ、記事選考などの人の目が集まる場所でしっかり冒頭部を書き込むことを指摘し浸透させていくといった不断の努力によって改善に向かわせるという方法が最善かつ唯一であると思っています。検証可能性の意識が変わってきたのは別に検証可能性に関わる方針やガイドラインに何か大きな変更が加えられたというわけではないですし、ルールをいじれば改善するというようなものではないですよ。既にこれまでも導入部は「それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。」と解説されているにもかかわらず現実としてそうはなっていないのですから、方針やガイドラインを変えることで意識を変えるという手法はウィキペディアでは成り立ちにくいと思います。--重陽会話2014年8月10日 (日) 03:41 (UTC)
追加のご説明ありがとうございます。スタブに近い大多数の記事は4段落にすべきではないので、冒頭の記述には疑念があるということですね。「導入部の長さは記事の長さに応じ、長大な記事では4段落程度が望ましい」という注釈した形に訂正する方法もあります。
「ガイドラインの記述を見直すよりも、その他の手段によって浸透を図るべき」といったことは、ひとつのご意見ではありますが、このことは1人の人間が二者択一することではなく、詳しいガイドラインがあって、それを遵守しようという意識が浸透した場合とも捉えられます。ですが、脱線する議論は下部に「その他」を用意していますので、そちらでお願いしたいです。--タバコはマーダー会話2014年8月10日 (日) 04:36 (UTC)
長大な記事というのがどの程度の長さの記事を想定されているかは分かりませんが、記事が長大になればなるほど記事主題や記事内容によって適切な導入部の長さに大きな違いが生じますし、ガイドラインの導入部で具体的な数字を上げるのは、記載位置が脚注であってもやはり難しいかなと思います。具体的な数字を示すのであれば記載場所を冒頭部でなく導入文の説明の部分のみに絞り、内容も通常は4段落程度とピンポイントに数字を示すのではなく「導入部の適切な長さはその記事にもよりますが、記事の長さや内容に応じて1段落から5段落程度の分量が目安となります。」と幅を持たせ柔軟な対応が可能なようにしておく方がいいように思います。5段落としたのは、実際にこれまで数千バイトの小さな記事から10万バイトを超える長大な記事まで色々書いてきた実感として、どのような記事でもその記事内容の要約としての冒頭部は概ね5段落程度には収まるだろうという感覚的な部分によります。実際にWikipedia:秀逸な記事においてもほぼ全ての記事で導入部は5段落以内に収まっている(定義と概要が合わせて5段落を超えるような長さのものでは、大抵記事の要約となる部分が概要節に分離されている)ことからも、5段落程度を一定の目安とするのは妥当なラインであるように思います。430,000バイトを超える超長大な記事である三木武夫でも導入部は5段落ですね。自分のこれまでの記事執筆を振り返ってみても、半金属の140,000バイトほどで3段落(記事内容が各論の積み重ねであるため記事内容の要約としてはこれで十分であり、これ以上導入部の記述を増やしても冗長になるだけで理解に資さない。)、アン女王戦争(英語版からの訳)の57,000バイト程度で箇条書き部分を段落と見れば5段落(複数の局面がある戦争であるため各局面の概説が必要なためどうしても段落が多くなる。)など、大抵はその範囲内になっています。また、半金属のように記事の内容によって記事分量に対しては短めの導入部で十分であるようなケースもありますので、記事の長さだけでなく記事内容によっても適切な導入部の長さが変わることを明示するために「記事の長さに応じて」でなく「記事の長さや内容に応じて」とするのがいいと思います。それと、氷鷺さんがおっしゃるような害の部分を考えると、具体的数字を示せばその具体的数字に合わせるためだけに段落数を増やすという無意味な編集や、具体的数字に合わせるために無理に導入部を水増ししようとするような編集をして導入部が冗長になってしまったりすることも想定されます、具体的な数字を示した後に続けて「ただし導入部を分量の目安に合わせるために無理に段落を分けるだけの編集や、導入部の分量を水増しするために冗長な説明を付け足すような編集は行うべきではありません。」ぐらいの注意喚起もあわせて必要でしょう。--重陽会話2014年8月12日 (火) 07:12 (UTC)
長大なとか、逆に小さい記事がなんであるのかといった「抽象的な表現」に対して、重陽様も主観的であるとして、バイト数という履歴ページから容易にわかる「簡単で具体的な表現」を使って具体化させています。「抽象的な表現では、主観が異なってくるため分かりにくい」という解釈と、それよりも好ましい表現「バイト数は記事の大きさを図る単純な大雑把な尺度」という価値観は共有されているものだと思います。
英語版を翻訳した5,7000バイトから日本の430,000バイトの記事では5段落程度が目安として妥当なラインであるというご意見から、何らかのバイト数を示して長大な記事に差し掛かってくる大雑把な境界線を示し、「4段落前後」という表現ではなく「3~5段落」として、さらに注釈していくというやり方もあるかと思いました。必要な注釈は「記事の長さや内容に応じて」とか、「続く内容をある程度説明するとこれくらいになるのではという目安であって、数にこだわるのではなく説明が達成されているということも考慮すべき」というものです。
個人的には4~5万バイトでは長大なほうに入ってくるかと思います。6万バイトですと長大だと思います。導入部の規定がある英語版から翻訳された記事の導入部が定義文だけにされ概要節が作られるという誤った編集もあると思います。そうならないようにするためには英語版の3万バイトに近い数値が必要かなと思います。
段落数合わせの編集ではなく、概要であるかということも考慮するための注意喚起は、導入部ではないですが、修正案の「長さの節」に入っています。
冒頭では「長大な記事で3~5段落というのが目安となるでしょうが、個別には記事の長さや内容に応じます」としたり、単に「記事の長さや内容に応じる」とし詳しくは長さの節で説明するという方法もあります。「長さの節」にてバイト数などを示しつつもっと規範的でない方向へ修正してはどうかなと思います。
スタブに近いものについては、「スタブ節」を用意して、スタブに近いものはしっかりした導入部を作るための内容がない場合が多いということを説明してはどうでしょうか。--タバコはマーダー会話) 2014年8月13日 (水) 00:28 (UTC)(以降に練り直しました)--タバコはマーダー会話2014年8月13日 (水) 04:07 (UTC)
ここで重要なのは記事を執筆する方々に対して過不足ない量の導入部を書いていただけるように説明することなのですから、長大な記事に絞って「3~5段落」とするよりはもっとターゲットを広く取り「導入部の適切な長さはその記事にもよりますが、記事の長さや内容に応じて1段落から5段落程度の分量が目安となります。」として、段落数の細目は後の長さ節に譲る方がいいのではないかと思います。現状では多くの記事において導入部の分量が不足していることは確かですが、かといって導入部が必要以上に肥大化してしまうこともまたガイドラインの精神に反することですし、「長さや内容による」という説明を注釈に回して「3~5段落」と明記してしまうのは導入部の肥大化を招きかねずあまり良くないと感じます。ウィキペディアは誰でも気軽に編集できるその性質上、方針文書の全体をしっかり把握した上で編集作業が行われると言うことはむしろ稀で、文書の一部をかいつまんで読み導入部の段落数は3から5段落にすべきだという思い違いにより機械的な編集作業が行われると言うことも十分に起こり得ますし、そのような編集が行われるかどうかを常に監視し続けることは不可能ですので、方針作りの段階でしっかり想定しておくべきです。また、方針文書類における脚注の説明は見落とされがちですし、説明すべき事項は本文中でしっかり説明すべきだと思いますし、説明を本文と脚注とに分けてしまうのは混乱を招きあまり良くないようにも思います。
導入部における記事内容の要約が必要ないほど記事のサイズが小さいことと、その記事がスタブであるということは全くの別問題です。数千バイト程度の記事サイズであっても、記事主題に対して説明すべき事柄が十分に説明されているならばその記事はスタブではありません。英語版ではen:55 Cancri dのように10,000バイトに満たないサイズで導入部が記事の定義のみであっても、良質な記事に選出されているような記事もあります。逆に記事のサイズは大きくても記事主題に対して説明すべき事柄が十分に説明されていないならばその記事はスタブです。スタブかどうかを判断基準にするのはいまいちなように思います。
導入部の具体的な分量の数字に関しては、5段落程度というのは少なくとも私の個人的な感覚と秀逸な記事の記事群をみた印象ですので、もう少し実際に普段記事を書いている人たちの意見を集約してどの程度の分量を目安として示すのが適当かを探る必要があるかと思います。実際に記事を書いている方々そっちのけで英語版からの移入や机上の論議だけで具体的な数字を設定しても仕方ないのかなと思います。--重陽会話2014年8月15日 (金) 13:05 (UTC)
(インデントを左にします)追記を見落としておりました。
スタブに近い記事は、導入部でしっかりした要約を作るほどの内容がないということです。重陽様による「半数以上が5,000バイトにも満たないという短い記事で、多いので、大多数の短い記事の導入部の肥大化を避けるために、それよりも数が少ない長大な記事をスタンダードにしないほうがいいのでは、そして長大な記事の表現は曖昧なのでバイト数に言い換えてきました」、以上の意見を踏まえて議論が進んできています。スタブに近い記事が多いからと言って、そのような記事をスタンダードにすれば今度は要約すべき内容がないので、削除されないという程度の記事かと思いますが、どのガイドラインでもそこをスタンダードにしてしまえば、もっと簡単な説明になってしまいますから。なので、定義と要約である導入部を作り上げるほどの内容がないということを、スタブ節を作って先に説明すればいいのではないかということです。
Wikipedia:スタブは、まだ成長していない項目で、大半は1段落程度と明文化されています。短い記事というかと思います。1万バイトで良質な記事に選出されているような記事はスタブではないですし、記事のサイズが大きく主題に対して説明が不十分なものがスタブという解釈は、スタブの意図を脱している例外であって、スタンダードなスタブの説明ではないと思われます。
脚注は序文だからです。
アベコベになっていますが、机上の議論ここでの議論「導入部をこう書くとこうなるのではという」のほうであって、実際の検証を経ているものは「日本語版の現在までのガイドラインと実際には足りないことが多いのではとする導入部、英語版の段落数の目安を示したガイドラインと実際に内容に相応した分量のある導入部」です。
「4段落前後」か「長大でも5段落程度という感覚的な目安」というのを含め「長大で3~5段落」なのか「小さいのも含めて1~5段落」とするのか、長大な記事で1段落というのは定義だけになりかねないとかを含めてもそこまで大きく変動もしていないかと思われます。特に段落数を押し付けようとしているのではないので、ウィキペディアは規則主義ではありませんがあり、その私論がWikipedia:指示の肥大化を避けるを考慮していくことを最初に明言しています。大雑把に示した後で、目安にすぎないという注釈によって、個々の記事に応じるように曖昧にするということです。異論があるなら合意を形成するというウィキペディアの手法は受け入れていますが、異論がないのに議論をすべきだとか、異論なく本文に反映され後に別の表現がいいと気付いた方が議論するというのではなくて反映される前に今議論を作り出すべきであるというのは、本来要求されている水準から肥大していると思います。--タバコはマーダー会話2014年8月20日 (水) 02:13 (UTC)
下の#4点目:導入部の出典節でKusunoseさんに紹介していただいた英語版ガイドラインのCitations節を見ていて気付いたのですが、英語版ガイドラインの原文は「no more than four well-composed paragraphs 」ですから、「4段落程度」ではなく「4段落以下」ではありませんか?上手く日本語に落とし込めませんが、この部分の文意は「理想的には導入部は4段落以下であるべき」「その段落は文章構成良く記述されているべき」という感じであるかと思います。英語版はガイドラインの導入部では「4段落以下」と短い記事から長大な記事まで広くフォローしておき段落数の細目は後のLength節に譲るという、正に先に私の述べた通りの構成になっているようですね。本提案自体がそもそも英語版からの翻訳による修正の提案ですし、翻訳元である英語版でも「4段落以下」となっているのですから、やはりガイドラインの導入部では「4段落前後」や「3~5段落」のように長大な記事に絞った説明をするよりは「1段落から5段落(5段落以下)」のようにターゲットを広く取った説明にする方がいいのではないでしょうか。もっと早く英語版と照らし合わせてみればよかったのですが申し訳ありません。
指示の肥大化に付いては考え方の相違でしょうが、私は指示の肥大化を恐れるあまり説明すべきことを脚注に追いやったり説明されなかったりすることで誤解や勘違いを誘引するのは本末転倒であり、方針・ガイドライン文書に変更を加える際にはそのようなことはむしろ避けるべきだと考えています。もちろん程度問題であり冗長な説明を長々と記述することもまた避けるべきではありますが、少なくとも本件に関しては「目安に過ぎない」と本文中に明記することは氷鷺さんのおっしゃるような容易に想像できる害を防ぐ有効な手立てでもありますし、肥大化と言うほど細かな指示でもありませんから、やはりわざわざ目に触れにくい脚注に持っていく必要はどこにもないように感じます。--重陽会話2014年8月21日 (木) 17:00 (UTC)
「no more than」は、はじめは「以下」と思ったんですけど、goo辞書などいくつか辞書を見ましたが「以下」という訳は真っ先に出てこないですし、「長さ節」を見ると長さに応じてという意図があるので、小さいほうが良いというのは求められていないので、苦慮した部分ではあります。No more than 類の意味をperspectiveの違いから考える:4段落なんだけれど多くない、「わずか4段落です」が近いと思います。英語版は5段落の記事も普通にありますし、日本語版の事情として揺らぎがもっとあるようなので、これらを考慮し「4段落程度」(議論の途中で「程度」が「前後」になっていました)としました。
また最初に「以下」としてしまうと、これまでの議論とは逆になるだけで短い導入部を作る恐れがあります。日本語版特有の短い導入部を問題にしていますから、「以下」という表現を冒頭に持ってくるのは避けたということです。冒頭で4段落以下という表現では、日本語版特有のように思える、10万バイトで冒頭は定義だけという記事に適切な要約をつけるというアクションは起こせないですから。
「以下」という表現よりは、「程度」「前後」「記事全体の長さに応じて」というほうがいいかと思います。
「文章構成よく」は最近追記されたもので、それ以前にはありませんでしたので、私が説明できることはあまりないです。
「脚注」という表現に行き違いががあると思います。「脚注節に入れる」のではなくて、文章に「注釈を加える」ということです。例えば「3~5段落」とした文章に、「これは規則ではない」という補助的な説明を加えるというだけです。この補助的な説明(注釈と表現しました)が長くなりすぎるなら、脚注節ではなくて、長さ節で説明します。--タバコはマーダー会話2014年8月22日 (金) 11:13 (UTC)
no more thanに関するご提示いただいた文書を確認させていただきましたが、以下という感じではなさそうですね。勘違いを正していただきありがとうございます。
タバコはマーダーさんのおっしゃるように長い記事において不十分で短い導入部しかないと言う状態は確かに不適切であり是正が必要ですが、同様に短い記事で不必要に長い導入部もまた不適切なのであって、ガイドラインの導入部においてはどちらにも偏らないバランスが最も必要だと思います。「4段落以下」と書いてしまうと長い記事において短い導入部が作られてしまう懸念があるということを想定されているのであれば、逆に「4段落程度」と書いてしまうと短い記事に置いて不必要に長く冗長な導入部が作られてしまう懸念が想定されるということもご理解いただけるはずです。そのようなことを考慮していくと、あちらを立てればこちらが立たずになってしまいますし、それであればやはり、導入部には具体的な数字を書かずに「導入部は記事全体の長さや内容に応じた適切な分量で記述してください(#長さ参照)」ぐらいに留めるしかなさそうに思います。
脚注については、本文中に注意書きを追記するという意図であると言うことで了解しました。--重陽会話2014年8月23日 (土) 05:51 (UTC)
「4段落以下」と書いてしまえば、長い記事になのに定義だけとなっている記事を改善できないでしょう。このような記事は、既に起こってしまっている事態なので、避けなければなりません。
「4段落程度」と書くことについては、当初から「長さ節」を提示して長さ相応にすることを提案し、議論も既に「長大な記事で3~5段落」などの補足説明を付ける方向で進んできています。あらゆる記事で4段落を推奨するとは考えとして持っておりません。ですので、「補足説明を加えて4段落程度と書くことによって、補足説明をしてあるのに短い記事にて不必要に長い導入部が作られてしまう懸念」になってくるかと思います。もちろんこれは避けたほうがいいですが、そのように表記しても短い導入部が作られてしまう懸念のほうが個人的には大きいかと思います。なので「以下」という表記を避けることは優先しました。
当初の提案理由は、長い記事というのも増えてきたのに、古い記述のままではよくないので、しかるべき説明が新たに必要ではないかということでした。現在、それに対して、短い記事が多いという比率が変わるまで、5,000バイトのような短い記事をスタンダードに説明したほうがいいという主張にて膠着状態にあります。
冒頭は「長さに応じて1~5段落が目安」と表記することにしようかと思います。「長い記事の数のほうが多くなる(これはないでしょう)」あるいは「長い記事が数として増えているのに、非常に短い導入部が一向に減らないと感じる場合」といった理由が再び生じたり、誰かが後に再び冒頭では理想的な長さを示したほうがいいと考えた場合には、「長い記事でも3~5段落が読みやすいでしょう」のようにするという提案もできるでしょう。--タバコはマーダー会話2014年8月26日 (火) 06:21 (UTC)
お返事が非常に遅くなってしまい申し訳ありません。「長さに応じて1~5段落が目安」ということであれば私からは異論ありません。あとは今後の影響を見ながら調整を行っていくということで、問題ないかと思います。ありがとうございました。--重陽会話2014年9月2日 (火) 11:21 (UTC)
了承しました。合意が得られたとします。--タバコはマーダー会話2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)
反対 量を規定することに意味はありませんし、こういった発想をする人間がいる以上、むしろ害のほうが容易に想像できます。現状に問題があるとして、改善に役立たないならまだしも悪化させるだけの話です。まず「段落」単位というのが論外。--氷鷺会話2014年8月9日 (土) 16:59 (UTC)
ご参加ありがとうございます。害、悪化、論外といった表現が実際にどのようなことなのか、本当に害なのか、それを対策するのにはどうしたらいいのかなどの評価可能な、判断につながる表現にしていただけると幸いです。
段落という単位は、過去のガイドラインにもあったものです。量については過去に何回か議論されています。Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (導入部)/導入部の長さと「概要」節。--タバコはマーダー会話2014年8月9日 (土) 21:53 (UTC)
利用者‐会話:氷鷺#導入部のノートページにてを含めて2か月近く議論を放棄されております。その間のログインも頻回です。量についての議論も、過去には段落数が用いられていたり、現在では「その長さは、一般に記事全体の長さに対応します」とされ、そのような合意があります。新たに形成された合意に関しても参加されておらず、会話ページにても議論の放棄ないし対話拒否が行われているため、全体としてこれまでの合意が覆されたとは解釈できません。Wikipedia:合意形成の沈黙を同意とみなす、を適用いたします。--タバコはマーダー会話2014年9月29日 (月) 04:24 (UTC)

その他:脱線した話題[編集]

2014-08-05T15:22:05‎ の英語版の翻訳による変更を戻す提案[編集]

#英語版の翻訳による修正 導入部の特に量の指針です節の合意に基いた変更ですが、かなりの問題が見られるためこの変更を戻すことを提案します。問題点を以下に箇条書きします。

  • 導入部の冒頭、「ウィキペディアの記事の導入部(あるいは導入節、序)は、目次よりも前にある節であり、最初の見出しです。」と説明されていますが、通常日本語版では導入部を節や見出しとしては扱いません。節から内部リンクで誘導されているHelp:セクションの中のHelp:セクション#最初のセクションの前の部分の編集節でも記事の導入部は節とは別の物として説明されています。定義からしておかしいのはガイドライン文書として致命的でしょう。このように定義がおかしいこともあり、現在の説明ではこのガイドラインの取り扱う範囲が分かりにくいです。元の文にあった「本文の先頭から最初の見出しまでの範囲を扱います。」という説明の方が簡潔かつ明瞭でしょう。
  • 元の文にあった「Wikipedia:スタイルマニュアルの一部ですので、全体として守らなければならないのはスタイルマニュアルと同様です。もし、スタイルを変えたい場合には、一貫性を維持するためにも全体への修正として提案してください。また、修正時にはすべてのスタイルマニュアルで矛盾がないようにしてください。」という重要な注意喚起が欠落しています。
  • 冒頭に「そして理想的には、慎重に適切な出典を明らかにすることが推奨されます。」という文章が入っていますが、ガイドラインで説明されている通り導入部は記事本文の要約であるため、記事本文に適切な出典を付けて記載されている事項に関しては導入部でも重複して出典を明らかにする必要はなく、これまでもそのように運用されています。これは現状と矛盾しています。
  • 「定義だけで記事の基本的な説明が十分なされるような場合や、スタブ記事のような短い記事の場合は、概要は必要ありません。」という、ウィキペディアの記事の半分以上を占める短い記事に対する解説が除去されています。現行では導入部の要素節の「短い記事以外は、導入文(導入部)から始めるべきです。」という説明がされていますが、どのような記事を短い記事とするかの説明が不十分であり改定時に除去されてしまった文の方が適切であると思います。また、短い記事であっても「○○は××である。」といった定義を示す導入文は必要なのですから、このぶぶんはかなり説明不足です。
  • 「それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。」という、導入部とは何かを端的に示す最も重要な部分が除去されています。この部分はこれまでも記事の選考などで十分な導入部を作成すべきだと指摘するときにしばしば引用されてきた文であり、除去は不適当であると思います。「簡潔な概要として独立させることができるようにすべきです。」「その記事の簡潔版として単独にできるような方法で、その記事が取り扱う最も重要な点を簡潔に要約すべきです。」という文がそれに対応しているのかもしれませんが、導入部とは何かを端的に示すという観点からは先の文の方が優れているように思います。
  • 導入部の構成節の上部に「導入部の適正な構造」が示されていますがこれが何を意味しているのか意味を取りにくいです。これはWikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)に誘導されていることからレイアウトとしてそのような順番でテンプレートを配置しましょうということかと思いますが、もう少しブラッシュアップして意味を取りやすくしないとガイドラインを参照する人に混乱を与えかねません。また、英語版では特殊文字テンプレートがinfoboxの下に置かれるのかもしれませんが日本語版では通常infoboxの上に置かれるべきものですから、現状と矛盾しています。
  • 導入部の構成説の下部の解説文について、削除用テンプレートがただ列挙されているだけで説明がなくガイドラインとしての解説の体をなしていません。また、「このことは短いボックスの後では一般的です。」「記事本文の前に使用者に示されるべきです。」「スクリーンリーダーの使用者は、目次は導入文の次に来ると見込んでいる。」など意味がよくわからない説明が多く、文章にかなりのブラッシュアップが必要でありこのままガイドラインとして提示し続けるのは良くないように思います。
  • 理解しやすい概要を提供する節、「主題に注目すべき価値を定め、そうでなくても少なくとも導入部にて紹介されるべきです。」という部分の意味がよくわかりません。
  • 相対的な強調節、出版された情報源に限定するのはウィキペディアの運用に反します。また、「引用句、生年月日、分類学名、件数、タイトルのような特定の事実」のうち、確かに生年月日は人物記事に置いて導入部のみに示され記事本文には示されていないことは多々あるように思いますが、引用句、件数、タイトルが何を想定しているのかよく分かりません。
  • 全体の構成として細則の説明が先に来てしまっているため初心者が理解しがたくなってしまっているように思います。今の文章はウィキペディアの編集に関する事項をよく理解している人が更なる理解を求めるような場合に適したガイドラインになっており、ガイドラインとしては好ましい状態ではありません。元の文の導入部の書き方節にあった「第一文には記事の主題の定義を記し、続いて記事の簡潔な概要を記します。主題の別名や、間違いやすい範囲外の内容なども、導入部に記してください。」というような、まず何を書くべきかと言うことを簡潔に示した説明がこまかな細則よりも先に必要でしょう。また、上で個々に指摘した部分もありますが、意味が分かりにくい文章が非常に多いです。

これらの問題を解決するには非常に時間がかかるでしょうから、一度改定前の文章に戻した上で精査していくのが適切であると思います。--重陽会話2014年8月10日 (日) 05:12 (UTC)

お戻しください。--タバコはマーダー会話2014年8月10日 (日) 06:07 (UTC)
変更後の文章の一部を自分で訳したものと見比べてみました。どうやら誤訳と受け取れる部分が多いみたいですね。しかし、少なくとも「導入文」節に関しては、私の翻訳したもの(前述の翻訳案から現行になじむ様に表現を少し変更)と差し替えれば、致命的に意味不明な部分はなくなると思います。現行の「理解しやすい概要を提供する」から「段落の出だし」(改訳案の「最初の段落」)まではタバコはマーダーさんの訳と同じ部分の翻訳です。「最初の文の形式」以降は第一文を定義文以外のものも認める内容であり、現行の「最初の文の形式」「定義」「第1段落の例」と差し替えて使用するものです(「第一文のフォーマット」「脚注」における例は日本語版向けにローカライズが必要と思います)。これでもまだ意味不明だったり、日本語として自然でなかったり、意訳しすぎて誤訳になっている箇所があるかもしれません。これに対しても、より洗練された文章にするためのダメ出しがあればお願いします。--荒巻モロゾフ会話2014年8月11日 (月) 19:40 (UTC)
荒巻様、お疲れ様です。部分的な差し戻しではなく全体的な差し戻しが提案されていますので、一旦差し戻して、ブラッシュアップも兼ねて順に見ていってはどうかと思うんです。--タバコはマーダー会話2014年8月11日 (月) 23:14 (UTC)
ちょうどWikipedia:独立記事作成の目安でも似たような作業をしている所なのですが、方針文書類の改定を英語版からの翻訳によって行うのであれば①訳の正確性のチェック②英語版と日本語版の運用の違いのすり合わせ③英語版の良くない部分の手直しや日本語版の現行文書の方が優れている部分の取り入れ、の3つの作業が必要だと思うのですね。荒巻モロゾフさんの訳は非常に分かりやすくはなっているとは思いますが、例えば記事名を第一文の主語としない具体例としてen:Electrical characteristics of dynamic loudspeakersが挙げられている部分はやはり日本語版に存在する記事で例示すべき部分でしょう。また、脚注5で良い例として「『オックスフォード英語辞典』 [...] は英語の最高の辞書である。」という書き方が挙げられていますがこれは「主観的な「美麗辞句」は使わないでください」に反するように思えますし、実際に現行のen:Oxford English Dictionaryでも第一文は「『オックスフォード英語辞典』 [...] はオックスフォード大学出版局が発行する英語辞典である。(en:Oxford English Dictionary08:40, 11 August 2014‎(UTC)より訳)」と「最高の」という美麗辞句を除去する形に改められています。この辺りの作業には時間がかかるでしょうし、やはり「一旦変更前に戻す→ノートで改定案の精査→改定案をガイドラインに反映」という手順を踏む方がいいように思えます。--重陽会話2014年8月12日 (火) 06:07 (UTC)
「意味が分からない」というご意見は、工程として英語に近いため、全体に固い表現や、抽象的な表現、推敲が足りない部分が多く意味が取りにくい部分が多々あるので、もう少し噛み砕いたり、英語原文にはない部分で翻訳時に必要な説明を追加したり、主語や述語、副詞などの順序を見直したりといった工程が必要といったところだと思うのですが、やってみました。
--タバコはマーダー会話2014年8月15日 (金) 11:06 (UTC)
ありがとうございます。とりあえずできそうなところをローカライズ&改善してみましたので、ここからは別の節を設けて、差し戻しとは独立・平行してやっていこうと思います。--荒巻モロゾフ会話2014年8月15日 (金) 13:16 (UTC)
改善作業は別途行っていくと言うことで、一旦英語版からの移入を元に戻しました。ありあとうございます。--重陽会話2014年8月16日 (土) 06:00 (UTC)

「導入部の文章」ローカライズ・改善[編集]

導入部の文章に関する方針の英語版からの訳を、日本語版に適合した形にするためにここでブラッシュアップしていきたいと思います。

今のところ変更は3か所です。en:egg (food)は日本語版がないので、代わりに新宿 (桐生市)という、有名な地名の同綴異義語で日本語版の代表をさせてみました。 『オックスフォード英語辞典』の代わりに日本の国語辞典である『明解国語辞典』を引き合いに出して、よろしくない「最高の」の代わりに「日本で最初の現代語中心の小型国語辞典」という客観的に確認できる事項で代表させてみました。数学者というだけで特筆に値すると誤解されそうなエミー・ネーターの代わりにアマチュアであるものの昭和新山の記録を残したという功績によって特筆性が確保されている三松正夫を挙げてみました。他にもこれぞと思う改善案があればドシドシお願いします。現時点での問題を挙げますと:

  • 関連項目として挙げられている「en:news style」がよく分からない。日本語のジャーナリズムにおいてニューススタイルとして確立された手法なのか詳しくないので、翻訳しようにも手が付けられない。
  • en:List of environmental issuesの代替を何にしようか決まらない。
  • 同様にen:Electrical characteristics of dynamic loudspeakersの代替も決まらない。
  • en:Inaugural games of the Flavian Amphitheatreは翻訳すると優れた記事になりそうなのでどことなく勿体ない気がする。
  • en:2011 Mississippi River floodsの類例はきっと日本語版では強引に定義文にして歪められているだろう事が予想され、代わりを挙げにくい。
  • 「第一文に記事名がない場合、そこに『書かれている』関係語句を太字に」することはともかくとして、太字の範囲が飛び飛びになっている例を日本語版で見たことがない。
  • en:Death of Azaria Chamberlainの様な例の記事を邦人では挙げにくい。日本語版は被害者であろうと積極的に名前を出していようと無条件に芸能人・セレブリティ以外の本名を隠蔽したがる様なので。

こちらでローカライズが困難と感じたのはこれくらいになります。あと、現行とのすり合わせなのですが、どうしても現行の方針から消滅せしめたい部分があります。それは「定義」節です。冒頭には定義以外の文章も現れうるという変更をするに際し、定義の大切さを箇条書きで延々と説いているのはどうも適合しません。なお「定義文は次のことに注意してください。」以下の二つの忠告の相当する内容は翻訳案の中に既に含まれています。--荒巻モロゾフ会話2014年8月15日 (金) 14:07 (UTC)

  • ニューススタイルというのは、ウィキペディアは百科事典なので、新聞みたいに文字を削りすぎなくてもよく、逆にもう少しそれぞれの用語の説明を充実させるというときに出てくる言葉ですね。「ウィキペディアは百科事典です」が先にあって、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」があるので。
  • en:List of environmental issuesは自分が手を付けた時には、そもそもWikipedia:一覧記事のガイドラインも英語版のen:Wikipedia:Manual of Style/Listsのようになっていないのでそのまま持ってくるのは難しいと思いました。なので飛ばしました。
  • 以降の具体的な例文については、自分の翻訳の対象(Opening paragraph節まで)としていませんでしたので、日本語版と比べてどうなのかはまったくわかりません。例の部分、First sentence節からは見ていません。
なので、例の部分、First sentence節からは新たに追加しようとしていた文章ですし、私も詳しくないので分けて考えてもいいかもしれません。--タバコはマーダー会話2014年8月17日 (日) 00:53 (UTC)

文章修正以外の部分[編集]

文章の固さを和らげる、意図をとりやすくする、翻訳を改善するといった、すでに新たな文章が決まっていてそれを修正改善するだけならいいのですが、重陽様による「導入部は節ではない」「導入部には出典は不要」といったいくつかのご意見がありますので、記述してはならない事項があるとするようなことでは、文章改善のための意見交換ではない合意の形成が必要になると思います。

以下に挙げる以外の、見出しに関する議論は、後回しか無しでいいと思います:[見出しとは - コトバンク]のようなものを想定しましたが、必須ではない記述です。--タバコはマーダー会話2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)

1点目:冒頭の古い説明に関して[編集]

ガイドラインの冒頭(導入部)では「全体として守らなければならないという記述による重要な注意喚起が必要」という重陽様のご意見がありました。しかし冒頭部全体が守るべきであるとする記述になっているのは、2005年にページが作成された時に、まだガイドラインテンプレートが使われていなかったためです。そのままですので、ガイドラインテンプレートのある現在では、過剰な説明のようになります。

提案する文章に関して、重陽様によって「構成要素の説明が先に来るため初心者に優しくないので、最初のほうで別名や間違いやすい範囲に触れるべき」というご意見がありました。なるべく最初のほうで説明したほうがいいということであれば、提案していた文章のように、それも冒頭で説明すればいいと思います。そうすれば、他のスタイルマニュアルと同様に、レイアウト順に説明していくという、一貫性を保つことができます。

この2点、冒頭部はガイドラインがなんであるかというもはや古い説明だけで占めるのではなく、初心者に優しい記述を冒頭部に持ってくるということです。そのことでレイアウト順に説明しているというスタイルマニュアル間の一貫性が保てます。初心者向けの簡単な説明の節は先頭にあってもいいかもしれませんが、その前に冒頭に持ってくるということを決定できるということです。

いくつかの論点が合わさっていますので、また違う議論になるかもしれません。--タバコはマーダー会話2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)

Wikipedia:合意形成における十分な告知と、沈黙による同意が得られたと判断し、冒頭に、導入部のガイドラインとしての記述を持ってくる方向に致します。--タバコはマーダー会話2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)
同意したと言うよりは単にここまで手が回らなかったというだけですが、ウィキペディアに多くの時間が割けない状態でいつまでもお待たせするわけにも行きませんので、ひとまずこれで進めていただいて構わないかと思います(下の節も同様)。必要があれば後から再修正提案をするということもできますしね。--重陽会話2014年9月3日 (水) 22:29 (UTC)

2点目:導入部の節としての扱い[編集]

「導入部は節ではない」とご意見されています。しかし{{Edit-first-section}}、Help:Section editing demo (metawiki)mediawikiなどによって節であるとされていると解釈できます。

重陽様のご意見の根拠であるHelp:セクション#最初のセクションの前の部分の編集ですが、英語版でも同様にen:Help:Section#Editing before the first sectionとあり同じです。日本語版では、内容ではsection=0を指定するとあり、Mediawikiの仕様を探すとsection0は1番目の節を意味します。また紹介される{{Edit-first-section}}テンプレートは、「1番目の節を編集する」テンプレートという意味になりますし、またm:Help:Section editing demoもご覧くださいとあり、このテンプレートを用いると書いてあります。このヘルプの文章は、導入部を編集するという点においては説明として妥当です。ですが、最初の節とは何かという説明としてであれば、内容を併せると結論は得られないかと思います。

そこまで既に書かれているのでHelp:セクションにてPOVを追加し、ウィキペディアの母体のウィキメディア財団が作る編集機能では導入部の部分を最初の段落として扱っていることを、補足として説明すればいいのではないかと思います。--タバコはマーダー会話2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)

Wikipedia:合意形成における十分な告知と、沈黙による同意が得られたと判断し、3日後以降にHelp:セクションに説明を追加し、こちらのガイドラインにおいても導入部を節とも取れるようにする方向で行きたいと思います。--タバコはマーダー会話2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)

3点目:出版された情報源に限定[編集]

「(相対的な強調を)出版された情報源に限定するのはウィキペディアの運用に反します」というご意見は、理由がまだ説明されていませんので、詳しいご説明をお願いいたします。むしろWikipedia:信頼できる情報源に反するのではないかと思われます。--タバコはマーダー会話2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)

コメント 横槍失礼します。これは「出版」という言葉の定義の問題のように思えます。「Wikipedia:信頼できる情報源」には、以下のように書かれています。
一般に「出版」という用語は、伝統的な印刷物もしくはオンライン上の活字資料を想起させます。しかし、音声、動画、マルチメディアといった素材も、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであれば、信頼できる情報源として必要な基準を満たしているかもしれません。それら媒体の情報源も活字の情報源と同様に、信頼できる第三者によって著され、そして出典として適切に用いられなければなりません。 — Wikipedia:信頼できる情報源#概要
もし、文案についての「出版された」という言葉が、「伝統的な印刷物」に限定する意図で用い、オンライン上の活字資料、音声、動画、マルチメディアなどの素材を排除することを狙って用いたものであるなら、そうした意図は上記引用箇所で定義されているウィキペディアの運用に反します。一方、「出版された」という言葉に、印刷物以外のマルチメディア素材も含まれていることを踏まえている者が「出版された情報源に限定すべきではない」という主張すれば、ウィキペディアのルールに反抗的な別のニュアンスが生じることは言うまでもありません。「出版」という単語の定義次第で、重陽さんの主張もタバコはマーダーさんの主張も、正しくもなり、誤りにもなります。
ただ、「出版」という日本語は、伝統的な印刷物以外は含まないニュアンスが強いため、ウィキペディアの方針文書に精通した者の間だけで正しい意味が通じる内容にもなりかねず、訳語として不適切ではないかと強く懸念しています。私個人としても実際、「Wikipedia:信頼できる情報源」に上記文言が追加される以前、「ウィキペディアで認められている出典は、伝統的な印刷物に限る」という主張を頑なに譲らない方と長い長い不毛な議論になり、個人に対するコメント依頼を経てブロック依頼になるまでもつれたことがあるので、「出版」という訳語には苦い思いを抱いています。じゃあ他に適切な訳語があるのかと問われると悩ましいですが、「Wikipedia:検証可能性」の現在の版で用いられている表現に沿って「信頼できる情報源が公表・出版している内容」などとした方が、誤解が少なくて済むのではないでしょうか。--Kanohara会話2014年8月17日 (日) 12:51 (UTC)
私の先のコメントは、通常「出版」と言えば成書や雑誌として印刷された物を指し示すものである一方、ウィキペディアの情報源として認められるものは出版物に限るわけではないため「ウィキペディアの運用に反します」と申しました。英語版と照らし合わせるとpublishedを出版されたと訳しているようですが、あまり適切な訳であるようには思えません。publishという語は日本語の出版という言葉よりももう少し広い概念を示す語であり、「出版された」とすると文書の意味合いが変わってしまいます。--重陽会話2014年8月17日 (日) 13:51 (UTC)
チェック 方針等を参考に他の訳語や表現に変えればいいので、解決したものとします。せっかくKanohara様が「出版」という表現の苦い思い出を例示してくださいました。「出版」という訳語があまり適切でないというご意見については、WikipediaPOVの「出版」を定義しているWikipedia:信頼できる情報源などの関係方針にて行うべきだと思います。

4点目:導入部の出典[編集]

「導入部は重複するため出典不要で、これまでそのように運用されている」というご指摘。いろんな分野のポータルで、新着やおすすめ系の記事を50記事くらい見たところ、出典があるものもありますし、不要とまで一概に言える状態にはなっていないと思います。またSTAP細胞のような議論の活発な記事では、出典は必要とされているでしょう。提案のように「理想的には出典を明らかに」という記述でいいのではないかと思います。--タバコはマーダー会話2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)

「新着やおすすめ系の記事を50記事くらい」のなかで導入部に出典があるものというのは、記事本文中には重複して同じ情報が出てこない導入部のみに単独に書かれている情報ではないでしょうか?そのような事項には当然出典は必要ですが、私が言っている「本文で出典を示して書かれている重複部分には出典は不要」というのとは別の話ですよね。STAP細胞の記事も見ましたが、これは導入部に独自の情報を導入部に独自の出典を用いて書かれている「記事主題の要約」であって、本ガイドラインが求めている「記事内容の要約」にはなっていませんね。論争が激しい記事主題であるためこのような形になってしまうのは仕方ないと思いますが、本ガイドラインが想定している「導入部」とは異なる例外中の例外でしょう。--重陽会話2014年8月17日 (日) 14:12 (UTC)
「50記事くらいの例」によって導入部にも出典が示されているということが、「理想的には出典を明らかに」と記述する理由になるかと思いました。さらに説明していくとすれば。
導入部と記事本文の両方にて重複した記述に対して、両方で出典を明らかにすることもあります:STAP細胞も一部の記述がそうです。エナメル質蜂蜜小田急3000形電車 (初代)京王6000系電車桂正和などもあります。つまり様々な方が、導入部にも重複した出典を提示することがあります。
その理由として方針やガイドラインでは、単にWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にであって、他にWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:出典を明記するにおいて、導入部は例外であるとか、重複する事項には出典が不要とは、方針やガイドラインにおいて明文化されていないです(少し違う場面でWikipedia:サマリースタイルが、各記事に出典を要求しています)。ですので、導入部にもどんどん出典がつくことがあるということです。
「導入部は重複するため出典不要で、これまでそのように運用されている」というのは、方針やガイドラインではなく、重陽様個人が独自的にそのように解釈していたということだと思うのですが、ご説明をお願いいたします。また、まだ伺っていなかったこととして、記述の改善策があればご説明ください。--タバコはマーダー会話2014年8月18日 (月) 09:48 (UTC)
私が執筆や選考に関わっていない秀逸な記事の中にも、熊野三山本願所ベンジャミン・ディズレーリ中山トンネル (上越新幹線)フィンセント・ファン・ゴッホなど記事の要約部分を出典をつけない形で書かれている記事は多くありますよ。「導入部は重複するため出典不要で、これまでそのように運用されている」からこそ、これらの記事の選考でも導入部に出典がないことが全く問題視されずに秀逸な記事に選出されたのであって、導入部の重複部分に出典を重複して付ける必要はないという考えは私個人の独自解釈でなく秀逸な記事レベルの記事を書き選考する方々の中にも共有されている考えと言えるでしょう。むしろ私はこれらの先例に倣って記事を書いて来たに過ぎません。「様々な方が、導入部にも重複した出典を提示することがある」からといって、「だから理想的には重複した部分にも出典を提示すべきだ」とまで言ってしまうのはちょっと飛躍があるように思います。
出典に関する方針文書に関しては、そもそも重複する事項をどうするかという問題には触れられてすらおらず「不要とも必要とも指示されていない」というだけでしょう。記事本文中の対応する記述に出典が提示されているのであれば、各方針が求める出典を示す責任は十分に果たされています。Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずにに書かれているように導入部以外の記事本文中においては同じ情報を繰り返すような冗長な記述は行うべきではありませんし、情報が重複するのは意図的な重複部分である導入部に固有の特殊な問題ですから、出典に関する方針類において重複部分をどうするかというトピックが取り上げられていないのは仕方ないことだと思います。不要だと明文化されてないから「導入部にもどんどん出典がつくことがある」ということは分かりますが、それはあくまでも「つくことがある」であって「理想的には付けられるべき」ということではないですよね?タバコはマーダーさんの説明からは、「理想的には重複した部分にも出典を提示すべきだ」と方針文書に書き加えるに足る論拠が不足しているように思えます。私は別に、「導入部は本文と重複する部分であるため出典は不要です」という文章をこのガイドラインに組み込むべきだと言っているわけではありませんし、実運用としてそうなっているケースもあるのだという事例を示しているだけなのですから、それをいくら否定しても「理想的には重複した部分にも出典を提示すべきだ」と方針文書に書き加える根拠にはなりませんよ。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけにあるように、ウィキペディアのガイドラインは利用者間の合意や運用の積み重ねを明文化したベストプラクティスの集積であって、先にルールを決めて利用者を従わせるような性質のものではありませんから、実情に沿わない規定を組み込む事には賛成できません。--重陽会話2014年8月18日 (月) 17:49 (UTC)
まず新たにわかってきたことは「導入部は本文と重複する部分であるため出典は不要です」と、このガイドラインで明文化するということでもない、ということですね。
明文化と独自解釈の違いを挙げたのは、解釈のほうはまだ説明が必要であって、つまり現時点では当然こととはされていないからです。秀逸な記事にて出典なしの導入部があるということで、これを「重複部分に出典を重複して付ける必要はない」と解釈したり、また方針を「不要とも必要とも指示されていないだけ」と解読することもあるかと思うんですが、それはまだ当然なことにはなっていないということです。
「most、多くはこうしている、多くの実情」ではなく、「best、ベストプラクティス、どうあるべきか、理想的には」を方針等、また他の証拠に照らして、話し合うものかと思います。most即ちbestではないですから。
離れた場所で出典が提示されているというのは、Wikipedia:独自研究は載せないの方針の根幹部分は満たしているでしょう。しかし、出典を示す責任を「十分に」果たすには、参考文献に列挙するだけにはしないための{{参照方法}}は個々の文章に明記するということであって、その根拠としてWikipedia:出典を明記する#本文中に注釈を挿入する必要があります。Help:脚注#スタイルと用法にもある通りです。ここまでは、明文化されていることです。
一文に複数の脚注リンクを置く場合など、その説明対象の範囲が文というより節・句・単語などになることもあります。(中略)
段落全体など、比較的広い範囲の文章に対してひとつの脚注が対応することもあります。そのような場合でも本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入したり、本文や注釈文に注釈範囲を明示したりするなど配慮してください。 — Help:脚注#スタイルと用法
これらを併せれば、「導入部は特に例外化されていないので、理想的には、導入部も同様に出典を示すのが望ましい」かと思われます。--タバコはマーダー会話2014年8月19日 (火) 03:57 (UTC)
導入部に関して必ずしもそのような方針・ガイドラインの解釈や運用がされているわけではないということは先に示した事例からも明らかでしょう。「秀逸な記事にて出典なしの導入部がある」というだけでなく、「選考過程において誰も出典なしの導入部を問題視していない」ということも考慮ください。記事選考において出典は非常に重要視される要素ですし、もしタバコはマーダーさんがおっしゃるような方針の解釈が広く共有されていて導入部の記事本文と重複する部分にも出典を示すことが理想であるという考えが一般的であるならば、導入部に出典が示されていないことは必ず問題視されますしそのような記事が選考を通ることはないでしょう。「それはまだ当然なことにはなっていないということです。」とのことですが、これまでの先例を見る限りむしろタバコはマーダーさんのような方針解釈こそ「まだ当然なことにはなっていない」ように思います。--重陽会話2014年8月19日 (火) 16:02 (UTC)
(インデントが多いので左に)了解しました。当然なことというのは、明文化されておらず説明されていないことを当然のことだとしないでいただきたいということを説明していますが、それは失敗しております。1解釈、2その説明、3合意の形成、4明文化という段階を経るわけですから1を間を抜かして4として扱わない、1と4を混同しないでいただきたいということです。
どういう議論内容があったのか説明責任は果たしたと思いますので、「理想的には出典を明らかに」とも「出典は不要です」とも記述しないことにします。--タバコはマーダー会話2014年8月19日 (火) 23:31 (UTC)
英語版のen:WP:LEAD#Citationsでは、「複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。(Complex, current, or controversial subjects may require many citations; others, few or none.」という記述があります。参考まで。--Kusunose会話2014年8月20日 (水) 01:33 (UTC)
Kusunoseさんありがとうございます。ご紹介いただいた節を見て疑問に思い、「理想的には出典を明らかに」の部分を英語版の該当部と見比べてみたのですが、ここの「as appropriate」は「適切な」というよりは「必要に応じて」と訳すべき部分ではないかなと思いました。また「ideally」も手前の「four well-composed paragraphs」の方にかかっているだけで、and以降の「出典を提示する」という部分にはかかかっていないように思います。であれば、英語版文書の該当部の文意は、「出典の提示は必要に応じて慎重に」ということであって、このような意味であればen:WP:LEAD#Citationsとも、私が先に示した日本語版における事例ともほとんど食い違わないかと思います。タバコはマーダーさんに「記述しないことにします」とおっしゃっていただいた直後に混ぜっ返してしまうようで申し訳ないのですが、英語版の文意に沿って「出典の提示は必要に応じて慎重に行ってください」と記述するのであればガイドラインに加えることに同意できます。同時に、Kusunoseさんに紹介いただいたen:WP:LEAD#Citationsの部分も訳してガイドラインに組み込むことができれば、既存の方針・ガイドラインでは導入部における出典が不要とも必要とも指示されていないという状態も解消できそうですね。時間があるときに訳して文案を作ってみます。初めから英語版の文書と照らし合わせながら議論を進めればよかったのですが、回り道になってしまったようで申し訳ありません。このような方向性でいかがでしょうか?--重陽会話2014年8月21日 (木) 15:39 (UTC)
en:WP:LEAD#Citationsは、「導入部も検証可能性や他の方針に準拠し、本文中に挿入する(Inline citations)方法をとる」ことを明文化しています。なので「理想的には」がかかっていても、かかっていなくても、Wikipedia:出典を明記する#本文中に注釈を挿入する方法をベストな方法としてとってくださいということにはなっております。
英語版のen:WP:LEADの導入部の該当部分をはしょると「もったいぶるようにほのめかさないでください。その代わりに(Instead、接続詞なのでほのめかさない方法に言及していくことが予想され)、NPOVで明白に、理解しやすく書いて、(;等価文、言い換えると)そして、導入部は4段落前後とし、出典を明記してください」なので、さらに必要部分をはしょると「ほのめかすのでなく、NPOVで明白に、出典を明記する」となります。これを「必要に応じて」で修飾すると、「ほのめかすのではなく、明白に、必要に応じて出典を明記してください」と、骨抜きになってしまうようにも思えます。
「必要に応じて」よりは、en:WP:LEAD#Citationsを考慮すると論争の対象などの場合に出典が多くなるわけですから、Wikipedia:出典を明記するの本文中に示す形式によって「適切に」示すとか、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源の「内容に応じて適切な、珍奇な主張には強固な出典」によって「適切な」出典を示すという、それもスタンダードには本文中に出典を明記する形を推奨していると思われます。この辺りの解釈は適合していますでしょうか?--タバコはマーダー会話2014年8月22日 (金) 10:07 (UTC)
それらのご意見に同意できる部分はあまりありませんが、強く推すわけではありませんので「出典の提示は必要に応じて慎重に行ってください」という記述を加えることに同意が得られないのであれば、「理想的には出典を明らかに」とも「出典は不要です」とも記述しないことにするという結論を維持すると言うことで構わないと思います。en:WP:LEAD#Citationsの翻訳による導入の方はいかがでしょうか?ざっと内容を読んだ範囲では、この節は導入部における出典提示の考え方を示す非常に重要な節だと思いますし日本語版に導入することは非常に有用だと思います。--重陽会話2014年8月23日 (土) 04:43 (UTC)
en:WP:LEAD#Citationsの内容を足せば現在議論になっていることのバランスをとる方法に言及していますので、ご提案ありがとうございます。これでいきたいです。
議論前は「そして理想的には、慎重に適切な出典を明らかにすることが推奨されます」となっていました。「適切」という部分が、やはり議論がある記事では大切だと思いますので。
「理想的には」は外し、「慎重に」は「適切な出典」となっていれば出典選別作業の慎重さの意味合いを含んできますので、「そして必要に応じて適切な出典を明らかにします」でいかかでしょうか。「明らかにします」は「明記します」でもいいですし、文末「します」は文体に過ぎないのでもしからしたら変わることもあるでしょう。--タバコはマーダー会話2014年8月23日 (土) 08:07 (UTC)
出典を示す必要がないケースも含意されている表現であればen:WP:LEAD#Citationsや日本語版ウィキペディアにおける実運用との矛盾もなくなりますし、「そして必要に応じて適切な出典を明らかにします」であれば構わないと思います。--重陽会話2014年9月2日 (火) 11:35 (UTC)
了承しました。これにて大枠の同意が得られましたので、修正翻訳案に移行致します。--タバコはマーダー会話2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)

en:WP:LEAD#Citationsの訳[編集]

en:WP:LEAD#Citationsの訳について、利用者:重陽/下書き4に文案を作りました。英語版に書かれている内容のうち、「検証可能性の方針は、疑いが持たれるもしくは持たれそうな記述や引用部は個別参照法によって記述の裏付けをするように助言しています。」という部分は、日本語版のWikipedia:検証可能性に個別参照法を薦めるような記述が含まれていないことおよび、ここを除去しても文章全体の文意に影響がないと思われることから除去しています。その他補足説明や文章の細かな調整を行っていますが、詳しくは英語版からの訳そのままの版との差分[10]をご確認ください。英語版の文書の文意を変えるような変更にはなっていないはずです。また、日本語版の現状としてもこの文案と同じ運用がなされていることから、この文案をガイドライン化しても現状を変えてしまうような変更にはならないはずです。これでよければ、英語版から翻訳による全体の改定にあわせてこちらもガイドラインに組み込みたいと思います。--重陽会話2014年9月7日 (日) 16:10 (UTC)

inline citationを個別参照法と誤訳し、特別な方針の例外への言及にてcitation requirementsを検証可能性と誤訳しているという、重大な誤訳によって英語版の文書の文意は変わっていると思います。この誤訳を元に「日本語版のWikipedia:検証可能性には個別参照法はない」との解釈が生じていますが、誤訳が原因の二次的な誤解かと思われます。「疑いが持たれそうな記述」など意味の分からない記述などは、「説明が求められそうな記述」など他の方針等と整合のある表現にしたほうがいいかと思います。重陽様が私に対してすでに指摘されている、元の文面を利用するという部分によって、例えば「閲覧者」ではなく「読者」としたほうがいいでしょう。わたしの方で翻訳することもできます。--タバコはマーダー会話2014年9月8日 (月) 07:58 (UTC)
en:Wikipedia:inline citationに対応する日本語版の文書がWikipedia:出典を明記する/個別参照法であるように、日本語版ウィキペディアにおいてinline citationに対応する語として個別参照法が使われてきたと言う事情を反映しての訳語の選択ですので、inline citationを個別参照法と訳すことで英語版の文意が変わることはありませんよ。citation requirementsはそのまま訳せは「出典提示の要件」ですが、それの要件とは何かといえば結局はWikipedia:検証可能性であり、Wikipedia:出典を明記するですよね。であれば、ストレートに検証可能性と言ってしまったほうが文意はよりはっきりするでしょうし、こちらも英語版の文意が変わるようなことはないでしょう。どちらかと言えば日本語版の実情に合わせたカスタマイズの部類ですので、はじめにそう言っておけばよかったですね。それと、「日本語版のWikipedia:検証可能性には個別参照法はない」ではなく、「Wikipedia:検証可能性には、引用や(タバコはマーダーさんの表現をお借りすれば)説明が求められそうな記述に対しては個別参照法(inline citation)を使えと言った特別な助言がはっきり明記してあるわけではない」ということであり、端的にいえば英語版のen:WP:CHALLENGEがまだ日本語版には導入されていないというような意味合いで申しました。後のご指摘の部分はどのような表現を選択するかという訳語の好みの問題でしかないのでどちらでも構わないかと思います。--重陽会話2014年9月8日 (月) 22:37 (UTC)
日本語版ウィキペディアにおいてinline citationに対応する語は、個別参照法ではなく、いわゆる「本文中の出典の注釈」です。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方(ガイドライン)にある通り、「本文中に注釈を入れる方法(inline citation)」とか、英語版と併せてWikipedia:検証可能性#著作権と剽窃にある通り、「出典注釈や本文中での出典言及によって、情報源を適切に記載してください。(source use an inline citation, and in-text attribution where appropriate. ―en:Wikipedia:Verifiability#Copyright and plagiarism)」のように。
en:Wikipedia:inline citationとは部分的にしか対応していないのがWikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)ですね。Wikipedia:出典を明記する#個別参照法(ガイドライン)にある通り、ハーバード方式など同一文献の異なるページを参照したりといった個別参照法ですから、対応しておりません。Wikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)には、合意された強い拘束力はないですし、合理的な理由もないので理解しかねます。誤訳に基づいた二次的な誤解です。
出典の要求(citation requirements)に関連するのが、検証可能性(verifiability)と独自研究は載せない(no original research)であり、出典の示し方を示しているのがWikipedia:出典を明記するです。これらは相互関係にあるかと思いますが、ストレートに言い換えが可能な言葉ではないので、ガイドラインの文書にて「出典の要求」を「検証可能性」と独自解釈で書き換えてしまうのはよくないかと。表現を別の事例で変えれば、「独自研究は載せない」を「検証可能性」に書き換えてしまうこともよくないでしょう。
「citation requirementsはそのまま訳せは「出典提示の要件」ですが」とそのまま訳しておられます。つまり、そのまま訳せば「導入部に出典提示の要件についての例外があるということではありません。」ということになります。
それをなぜか、「そのままではなくて独自研究・独自解釈」をしたほうの、「結局はWikipedia:検証可能性であり、Wikipedia:出典を明記するですよね」を反映してしまっているので、重大な誤訳なのでよくないと思います。--タバコはマーダー会話2014年9月9日 (火) 11:34 (UTC)
タバコはマーダーさんがそのように考えるということは了解しましたが、これまでウィキペディア上で記事の出典の書き方の話が言及されてきた際にはほとんどinline citation=個別参照法という文脈で語られて来ていましたし、少なくとも経験上タバコはマーダーさんのような認識はむしろ少数派なように感じます。とはいえ、方針・ガイドライン文書がそのような慣例的な部分を持つことはあまり詳しくない人に対する説明を考えればあまり良くないでしょうし、「本文中の出典の脚注」とする方がいいかもしれませんね。それに合わせて文案を書き換えようかと思います。「経験上こうだ」という部分に引きずられてしまうのもあまり良くないですね。ご指摘ありがとうございます。
後半に関しては、タバコはマーダーさんの説明を受けてもやはりその部分が変わったことで文意がどう変わるのか良くわかりませんが、どちらであっても文意が変わるものではないのであればタバコはマーダーさんのご意見を採用しても同じですから、それで合意できるのであれば「出典提示の要件」としましょう。--重陽会話2014年9月10日 (水) 22:38 (UTC)
 私の解釈が少数派であるという根拠は見つかりませんでした。以下に述べるように、異なりますからね。最近2月においても、Wikipedia‐ノート:出典を明記する#文章の小改訂提案の通り、Hman氏(2014年2月5日05:21UTC)が述べるには、「個別参照法(手引書)は、実質的に末尾に参考文献を挙げる(general reference)」ということであり、Ks aka 98氏(2014年2月5日15:54UTC)が述べるには「個別参照法は定着した訳語ではないので、混乱が生じうる」ということです。
このWikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)は、末尾の脚注・referencesタグを必要とします。一方、Wikipedia:出典を明記する#本文中に注釈を挿入する(ガイドライン)では、1番目の方法として末尾不要で文章の直後に『なになに』参照と書くだけで、3番目の方法でやっと脚注機能を使います。
Wikipedia:出典を明記する#個別参照法(ガイドライン)とは、手順1で末尾に文献を記載し、手順2で本文中にどの文献かが特定できるように記載するということです。本文中に注釈を挿入する(inline citation)と、末尾に参考文献を挙げる(general reference)との複合方式です。
英語版のen:Wikipedia:Inline citationは、文中にて出典を挙げる「アリス・ジョーンズがその著書『太陽』で述べたのは」のような方法や、文末にアドレスを挿入する方法とかも例示されていますが、Wikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)は、そのようなことは述べていないので、部分的な対応です。
 論争のない記事では「議論のないような導入部の記載に出典の提示を求められることはあまりない」という内容に続き、そのまま訳せば「ただし、導入部に出典提示の要件についての例外があるということではありません」となります。前後の文章がつながって、出典の要求という行為が起こりうることに、導入部も例外ではないという文意になります。文の流れをぶった切って検証可能性に変えれば、但し書きの文意が変わります。--タバコはマーダー会話2014年9月11日 (木) 11:04 (UTC)
Wikipedia‐ノート:出典を明記する#文章の小改訂提案でのやり取りは追いかけていませんので存じ上げませんが、私がよく関わっていた記事選考の場などでは出典が適切に付けられているか否かが俎上に上がることも多く、その場合の多くは個別参照法による出典提示を念頭に置いた指摘がされています。当然、インテキスト方式であれ的確に出典が提示されていればそれが問題視されることはまずないですが、多くの良質な記事、秀逸な記事に選出された記事群を見れば明確なように、個別参照法以外の方法は主流ではないことも確かです。そのような実際の記事執筆における実情を踏まえた上での「経験上」という話ですので、Wikipedia名前空間のノートのやり取りなどのログを見てもこの辺りの感覚はわかりにくいかもしれませんね。
この節では説明が求められそうな記述に対しては読者が自分自身の手で確認できるようにインラインで出典を提示しましょうという文脈で解説がなされているのですから、その解説の中において出典の要求という行為がなぜ起こりうるのかと言えば、それはストレートに検証可能性を満たすためということでなければ文脈が繋がりませんよ。ここで重要なのはルールの精神、文書の文脈、文意なのですから、英語版の文書の文面を厳密に正確にトレースすることにはこだわっていません。
ですが、この文書において最も重要な部分はKusunoseさんに紹介していただいた「複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典の提示が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典の提示はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。」という部分なのですから、この部分を日本語版に導入するのが最優先なのであって、前置きや補足の部分の表現に関しては同意できる形で同意できればそれでいいと思っています。というわけで、タバコはマーダーさんのご指摘を受けた形で利用者:重陽/下書き4を書き換えましたのでご確認ください。--重陽会話2014年9月11日 (木) 15:31 (UTC)
そこまで仰るならば、上で繰り返されてきた議論のように、この部分も検証可能な証拠よりも独自研究を当然のものであると重視して、当初の 「inline citation=個別参照法」、「citation requirements検証可能性」という訳にしましょう。--タバコはマーダー会話2014年9月11日 (木) 17:17 (UTC)
inline citationに関しては上で申しました通り、ガイドライン文書を整備するのに「経験上こうだ」という感覚的な部分に引きずられてしまうのもあまり良くないとも思いますので、「inline citation=本文中の出典の脚注」の方がより良いかと思います。上記は「inline citation=本文中の出典の脚注」の方が「inline citation=個別参照法」よりも良い訳語選択だということを受け入れた上で、文案を作成した時点における訳語選択の理由を説明しただけです。citation requirementsに関しては先の意見の通りどちらの訳語を選択しても文意は同じことだと思いますので、タバコはマーダーさんが「検証可能性」でよいと言うのであればそれでいきましょう。我々はより良いガイドライン文書を作成するために議論しているのであって自分の意見を押し通すためのディベートをしているわけではないのですから、重大な誤訳だの独自研究だのと言われれてしまったら釈明の一つも行いますけれども、基本的には是々非々で考えてより良い意見を拾い上げていきたいと思っています。--重陽会話2014年9月11日 (木) 23:26 (UTC)
そうだったんですね。重陽様が、方針やガイドライン以外の何を重視されているのかよくわからないということで、当方も説明に困っているため、区別するための強調が強くなってすみません。
文意・要旨は「導入部は、(容易に検証可能であろう)一般性の高いレベルの事柄によって書かれるのですが、(出典が提示されていないため)出典が要求されることもあるかもしれません。」であって、「一般性が高い事柄なので、検証可能性を満たしているが、出典を挙げていないケース」とかに言及しているので、「出典の要求」に例外はないとの但し書きがあるということです。
つまり、「検証可能性を満たしているとは、即ち、出典を提示しているかはまだ決定されていない」ため、このような文章であると思います。重陽様が「検証可能性を満たしているとは、即ち、出典を提示している」と昇格させているために文意が変わります。
Wikipedia:検証可能性とは、「検証可能な事柄を書いていても」、「信頼できる情報源がなければ削除されるかもしれない」ということでもあります。Wikipedia:検証可能性とは、すなわち「出典提示の要件」という思い込みが変わりにくいというのであれば、もしかすると私のほうが誤解かもしれないので、潔く重陽方式でいきましょうということです。--タバコはマーダー会話2014年9月12日 (金) 07:27 (UTC)
ご返答の間隔が大幅に開いてしまって申し訳ありません。ここの文意・要旨は「導入部は通常記事本文に書かれている情報の繰り返しである→だから同じ情報に対して記事本文と導入部で二重に重複して出典提示する必要は無い(だから導入部では出典の提示が省略できる)→だけど論争のある主題の記事などでは読者への利便性のためにinlineで出典を提示すべき」であると認識しています。2行目に「冗長さを回避するために記事本文と重複する出典の提示を避けようとすること」あるように、出典の提示を省けるのは記事本文で出典が提示されている重複部分に限られているという前提があります。タバコはマーダーさんのお話を伺うと、記事中のどこにもその情報に対する出典の提示がされていない記述に関して、その内容が一般的であるから出典を提示していないケースのお話をされているようで、そこの部分の認識にずれがあるのだと感じました。そこのずれが埋まれば話は早いような気もするのですがどうでしょう?
私の方は10月中ごろまではウィキペディアへの時間がほとんど取れない状態が続くことになりそうですので、申し訳ありませんが他の節の部分に関してはタバコはマーダーさんに話を進めていただければ有り難いです。--重陽会話) 2014年9月23日 (火) 17:43 (UTC)修正、ins, del略--重陽会話2014年9月23日 (火) 17:51 (UTC)
「多くの場合(usually)重複」とある文は、すべてが重複でもないですし、この文は違うことを説明しています。なので、一般的であるので出典を提示していないケースもありうると思います。
出典の提示が求められなさそうな文章についても出典が要求されるかもしれない、という文意がなくなっていると思いましたが。この部分に長々と固執するにもいかないので、重陽様の案にしましょう。--タバコはマーダー会話2014年9月25日 (木) 13:28 (UTC)
了解しました。ありがとうございます。文案の検証可能性の部分だけ戻しました。他になければ利用者:重陽/下書き4で行きましょう。--重陽会話2014年9月28日 (日) 16:21 (UTC)
他に異論もないようですのでガイドラインに反映し、関連するショートカットを作成ました。--重陽会話2014年10月11日 (土) 15:40 (UTC)

冒頭を現状に即し、また長さとして段落数による目安の追加[編集]

現在、冒頭は、ガイドラインがなんであるか、スタイルマニュアルがなんであるかの説明になっているのは、まだガイドラインというものが整備されていない2005年の名残です。

また当時は、3段落以内という量の規定がありましたが、スタブがあればいいというような当時ではそれでよかったでしょう。その後~現在において、記事全体の長さに対応と規定されていますが、ここをもう少しざっくり説明ができないかということですね。

既にガイドラインテンプレートが貼られてだいぶ時間も経っているので、導入部のガイドラインの冒頭にて、このガイドラインの要約を説明した具体例にもなる機能的なガイドラインにするということがまず1点。

  • 修正案です。伴って長さの節も用意致します。

『「概要」節を作る場合』の節をネスト2つのレベル2の見出しにし、直前の「Wikipedia日本語版では」という文章をこちらに含めます。そして、「概要文」の節の次に、「長さ」の節を入れます。そのため、「概要文」の節の長さに関する文章、「概要は記事全体の簡略版であると考えられ」以降は、長さ節に移動となります。1週間後に異論がなければ反映いたします。--タバコはマーダー会話2014年9月29日 (月) 08:37 (UTC)

反映いたしました。--タバコはマーダー会話2014年10月6日 (月) 11:47 (UTC)

導入部の文章の書き方の節を翻訳し追加します[編集]

導入部の文章の書き方の節を翻訳します。ここは英語版に従い、導入文という表現にし、導入部には、他にテンプレートやInfoboxや画像が含まれることを説明します。そこで導入文に含まれる4つの節「導入部の書き方、定義文、表記、概要文」は、一括の導入文節としました。

翻訳に際して
  • 「美麗辞句(peacock term)」という用語は、英語版では、表現のガイドラインが統合されて生まれた説明語句のようですが、日本語版はそのガイドラインが翻訳されていないため、頻用されている「大言壮語」としました。Wikipedia:大言壮語をしないには、peacock termsの英語原文と日本語訳を併記して「Avoid peacock terms(クジャク用語を避けよ)」と書いてあり、定訳はないようです。
  • 導入部の文章を指すIntroductory textの訳を導入文としました。 『一流の科学者が書く英語論文』p.72-74.、『大学院留学入試エッセー』p.168を参照しました。
  • 伴って、導入部の要素という節を作り、簡単に「導入部では、テンプレート他と導入文が含まれる」と説明しました。
位置の移動に際して
  • 強調のことを太字と説明されているので、「強調(太字)」に訂正しました。
  • 本文という表現は、違うものを指していて曖昧なので、記事本文、導入文など適宜変更しました。
  • 「最初の文の形式節」では、「通称と本来の名称」という組み合わせで「記事名が通称で、定義文で本来の名称」という説明がありますが、「記事名の付け方」における「一般名と正式名称」という説明に変更しました。

1週間後に異論がなければ反映いたします。--タバコはマーダー会話) 2014年10月6日 (月) 11:47 (UTC)--タバコはマーダー会話2014年10月6日 (月) 14:26 (UTC)に推敲

反映いたしました。--タバコはマーダー会話2014年10月13日 (月) 15:22 (UTC)

定義文の文体についての文章の位置移動・修正について雑記[編集]

提案のテンプレ除去に併せて、「……とは……である。」という文章を他に合わせて、「(項目名)とは……である。」として、この一段落を「例」節から「文の形式」節に移動しました。

「導入部の要素」節の翻訳も当初想定した範囲でしたが、しばし今回の修正で様子を見ます。また、しばらくよく読んで他に気になったことに、記事としての全体的なバランスがあります。個々の文章が全体との統一性を欠いているような部分です。--タバコはマーダー会話2014年10月14日 (火) 13:54 (UTC)

別名に関する文章の修正案[編集]

導入部が別名だけになっているような記事がありますので、注意を促した修正案を提案します。

修正前
  • ただし、別名が多数あり、記事本文でまとめて記述する必要があるような場合はこの限りでありません。
修正案
  • よく知られた別名や、なじみのある国での言語表記について導入部にて言及します。導入部は別名を詰め込む場所ではないので、その他雑多な別名は記事本文で言及します。用語という節にて、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。

1週間待ち異論がなければ、変更します。--タバコはマーダー会話2015年10月7日 (水) 12:24 (UTC)

こんにちは。「別名」節の全文について、
「特によく知られている別名は強調(太字)にし、導入部に記載します。第1段落中に記すのがよいでしょう。ただし、別名が多数あり、記事本文でまとめて記述する必要があるような場合はこの限りでありません。」を、
「特によく知られている別名は強調(太字)にし、導入部に記載します。第1段落中に記すのがよいでしょう。よく知られた別名や、なじみのある国での言語表記について導入部にて言及します。導入部は別名を詰め込む場所ではないので、その他雑多な別名は記事本文で言及します。用語という節にて、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。」にするという提案ですか?--Yapparina会話2015年10月7日 (水) 13:30 (UTC)
その通りです。--タバコはマーダー会話2015年10月7日 (水) 13:51 (UTC)
修正には賛成します。細部が少し気になるので以下のような文ではどうでしょうか。
「よく知られた別名について導入部にて言及します。特によく知られている別名は強調(太字)にし、第1段落中に記すのがよいでしょう。日本語以外の言語に主題が関連深い場合などは、その言語表記についても導入部にて記します。ただし、導入部は別名を詰め込む場所ではないので、その他雑多な別名は記事本文で言及します。名称に関する節をつくり、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。」
(変更理由)1.特によく知られている~ の後に、よく知られた別名や~ と来るのが説明がやや重複しており少し混乱する。2.なじみのある「国」ではなく「言語」にした方が普遍性がありそう。事実上は同じことかもしれないが。3.「用語という節にて」と書くと、本当に「用語」という節名で統一しようとする人もいるので。--Yapparina会話2015年10月10日 (土) 02:03 (UTC)
ありがとうございます。反対ではないということですね。別名が強調されるわけですから、「よく知られた」と「特によく知られた」の、二重の指示をなくしましょう。注意書きとして機能するように、ケース、原因と対策になるようにしましょう。これでどうでしょう。
修正案(別名節の全文です)
別名は強調(太字に)します。できれば第1段落中に記すと読者が探しやすいでしょう。導入部に雑多な別名が詰め込まれて、記事の全体像が説明されなかったり、言語表記が多すぎて可読性がよくない場合には、別名については節にして記事本文で言及します。導入部では、いくつかの特によく知られた別名や、主題に関連深い言語での言語表記が挙げられるでしょう。名称に関する節をつくり、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。--以上の署名のないコメントは、タバコはマーダー会話投稿記録)さんが 2015年10月10日 (土) 20:32 (UTC) に投稿したものです(Yapparina会話)による付記)。
修正案のご提示ありがとうございます。1点だけ。「別名は強調(太字に)します。」の前に、「項目名の別名がある場合、導入部にて言及します。」を入れてはどうでしょうか。出だしがいきなり「別名は強調(太字に)します。」なのでが説明として唐突に感じます。他については異論ありません。--Yapparina会話2015年10月11日 (日) 03:53 (UTC)
別名を導入部で挙げることは、このガイドラインの他の部分とも合わせると、何度も登場します。以下でどうしょう。
「別名は強調(太字に)し、できれば導入部の第1段落中に記すと読者が探しやすいでしょう。」--タバコはマーダー会話2015年10月11日 (日) 12:17 (UTC)
了解しました。導入的な文章を意図的に排するならば、前の文で良いと思います。2015年10月10日 (土) 20:32の案に賛成いたします。--Yapparina会話2015年10月11日 (日) 22:20 (UTC)
修正には賛成という意見の上で、表現について議論になっていましたが、途中で合意が得られ、その後進展もないので反映しました。
前回の編集から1年ほど経過し、この文書の導入部も浸透し合意が得られているとし、ついでのnutshellの翻訳も追加しました。この文書の内容に反するものではなく、端的なので提案はしませんでしたが、異論があれば議論を行いますのでよろしくお願いします。--タバコはマーダー会話2015年10月18日 (日) 16:55 (UTC)

過剰な例の減量[編集]

株式会社日立製作所の説明例は、固有名詞であるにもかかわらず、漠然としており、何をなして知られているのかが分からないため例として不適切です。「主題を取り巻く一連の状況や事実を提示することで、その主題が何であるかの文脈を確立します」という基準を満たしません。実際の記事を見ても同じです。例が多いとは思っていましたので、異論がなければ、1週間後に削除します。--タバコはマーダー会話2015年11月11日 (水) 07:38 (UTC)

反映しました。--タバコはマーダー会話2015年11月18日 (水) 09:08 (UTC)

概要文節の修正案[編集]

この文書の冒頭の表現に合わせる修正案です。概要節との区別化も図り、節の名前自体を何を行えばいいのかの説明にします。

  • 修正案
続いて記事本文を要約する
導入部では定義に続いて、記事本文の重要な側面を要約します。また…
  • 現在の文面
概要文
導入部には定義に続いて記事の概要を記します。概要では読者にその記事の要点を示し、また…

異論がなければ、1週間後に反映します。--タバコはマーダー会話2015年12月4日 (金) 06:45 (UTC)

反映しました。--タバコはマーダー会話2015年12月11日 (金) 09:22 (UTC)