I-16 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。112.239.23.134 (会話) による 2016年3月15日 (火) 09:56個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連項目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ポリカルポフ I-16

2003年の航空ショーで展示されたI-16

2003年の航空ショーで展示されたI-16

ポリカルポフ I-16:И-16 イー・シヂスャート、 Polikarpov I-16)は、ソビエト連邦ポリカルポフ設計局の開発した単葉戦闘機である。戦間期から第二次世界大戦の初期にかけて労農赤軍の主力戦闘機を務めた、世界最初の実用的な引き込み脚を持った戦闘機である。

概要

木製の太く短い胴体を持つ本機の外観は、アメリカ合衆国製の高速レース機であるジービー・レーサーに類似して、極度に寸詰まりな形態となっている。機首のエンジンカウリング前面にシャッターを設け、厳寒時にエンジンがオーバークールとなることを防止している[1]1933年に試作機のTsKB-12が完成、12月に初飛行した。

時代に先駆けた機構的な特徴は、パイロットの人力によってワイヤ駆動で作動する引き込みで、速度は配備当時世界最速であり、実戦でも九五式戦闘機He 51など複葉戦闘機を性能的に圧倒した[2]

スペイン内戦ノモンハン事件独ソ戦の初期、ソ連・フィンランド戦争に使用されたが、この時期の航空機の進歩は目覚しく、いずれの戦闘でも方により新しい高性能の戦闘機が現れたことで、不運にもある意味で「やられ役」を演じることとなってしまった。それでも、ソ連ではI-16を操縦する撃墜王が幾人も誕生した。だが、ドイツ国防軍がソ連に侵攻した1941年時点ですでにI-16は相対的に旧式化しきってしまっており、その後も戦闘機や戦闘爆撃機として運用が続けられたものの、より高性能なYak-1LaGG-3MiG-3が登場すると、徐々にそれらに取って代わられていった。

1932年設計着手時には、複葉機全盛の中で、純片持式低翼単葉、純モノコック構造の胴体、引込脚、スライド式の風防推力式単排気管など、新機軸を盛り込んだ意欲的な設計であった。各種の派生型を合わせ、1941年までに8,644機(9,450機とも)が作られた。第二次世界大戦勃発時には旧式化していたが、新たなタイプが再生産され、1943年頃まで対地攻撃任務などに運用された。

そのずんぐりした機体からソ連兵からはイシャク(Ishak、ロバ)スペイン内戦の兵士からはモスカ(Mosca、ハエ)、ラタ(Rata、ハツカネズミ)などの愛称で呼ばれた。

南京抗日航空記念館で、実機が観られる。塗装は暗緑色で国籍マークは青天白日。

派生型

一部の型に関する説明には文献によって相当な差異が見られる。このリストは次の文献を基にしている。[3][4][5]

TsKB-12
最初の試作機。336 kW (450 hp) M-22 エンジン 、翼内に非同調式のShKAS機関銃2丁と弾薬900発を搭載していた。
TsKB-12bis
2番目の試作機。533 kW (715 hp) Wright SGR-1820-F-3 サイクロン エンジンを搭載していた。
TsKB-12P (I-16P)
翼内にShVAK機関砲 2丁と弾薬150発を搭載した試作機。
TsKB-18
M-22エンジンと装甲コックピットを備えた地上攻撃機。ShKAS またはPV-1機関銃4丁と100 kg (220 lb)の爆弾を搭載した。さらに2機のI-16 Type 5には6丁のShKAS機関銃が搭載され、そのうち4丁は地上掃射のために20°下に向けることができた。
TsKB-29 (SPB)
空圧式の降着装置とフラップ、ライトサイクロンエンジン、ShKAS機関銃二丁を搭載しており、Zvenoプロジェクトにて高速急降下爆撃機として使用された。
I-16 Type 1
量産試作型。358 kW (480 hp)M-22エンジンを搭載していた。.
I-16 Type 4
最初の量産型。M-22エンジンを搭載していた。
I-16 Type 5
Type 4に流線形でテーパーのかかったエンジンカウルと522 kW (700 hp) シュベツォフ M-25エンジンを搭載した型。2機の試作機がM-62エンジンを搭載して試験された。量産された。
I-16 Type 6
545 kW (730 hp) シュベツォフ M-25Bエンジンを搭載した。重量は1383 kgまで減少した。
I-16 Type 10
4丁のShKAS機関銃(同調式のものを胴体に2丁搭載し、翼内にあと2丁搭載した)と560 kW (750 hp)M-25Bエンジンを搭載し、スライド式キャノピーに代わって風防を設置、冬季には引き込み式スキーを装着可能とした型。イスパノスイザ製の機体はライトサイクロンR-1820-F-54エンジンを搭載していた。
I-16 Type 12
I-16 Type 5 に2門のShKAS機関銃と 2門のShVAK機関砲を搭載した型。
I-16 Type 16
Type 10に同調式ShVAK 12.7mm試作型を搭載した型。1939年に16211-16213のシリアルナンバーの3機のみ製作された。工場での試験を通過し空軍での試験のために輸送された。[6]
I-16 Type 17
Type 10に2門のShKAS機関銃と2門のShVAK機関砲を搭載し、尾輪をゴム製タイヤに変更、560 kW (750 hp)M-25Vエンジンを搭載した型。数機に地上掃射のための12.7 mm (0.5 in) UB機関銃が搭載された。
I-16 Type 18
Type 10に620 kW (830 hp) シュベツォフ M-62エンジンと二速スーパーチャージャー、可変ピッチプロペラを搭載した型。 翼下に2つの100 l (26 US gal)増槽を搭載できた。
I-16 Type 19
翼内に搭載したShKAS機関銃をサヴィン-ノロフ機関銃に交換した以外はType 10と同じ型。プロペラ同調機銃は交換されていない。1939年に19211-19213のシリアルナンバーで3機のみ製造された。最初は新型機銃の試験に使用され、その後空軍にI-16SNとして送られた。冬戦争において活動が見られた。[6][7]
I-16 Type 20
この名称は最初に1939年2月に第21工場で製造された、プロペラ同調式のサヴィン–ノロフ (SN)機関銃を装備した4機の試作機に与えられた。このタイプは1939年8月に却下され、その後この名称は落下式増槽を装備できる最初の型(増槽以外はtype 10と同じ)に再度使用された。この93 l (25 US gal)増槽はPSB-21と名付けられた。80機が空軍に引き渡された。加えて、1940年1月以降に製造されたすべてのI-16はこれらの増槽を搭載することができた。[6]これらの増槽は日本の97式戦闘機が使用したものを基にしていた。[要出典]
I-16 Type 21 and Type 22
これらの型は4丁のプロペラ同調機銃を搭載するように計画された。Type 21はShKASのみを搭載する計画で、一方type 22はShKASとSN機関銃を混載する計画だった。これらのタイプはどちらも机上のみの存在で、使用されることはなかった。[6]
I-16 Type 23
Type 10にRS-82ロケット弾を追加した型。1939年5月から35機が製造された。それ以上の生産は1939年8月に中止された。[6]
I-16 Type 24
4丁のShKAS、左右のエルロンを同時に下げる方式を廃しフラップを設置、尾輪を追加、2枚目のドアをコックピット右側に設置、670 kW (900 hp) シュベツォフ M-63エンジンを搭載した型。
I-16 Type 27
Type 17にM-62エンジンを搭載した型。
I-16 Type 28
Type 24に2丁のShKASと2門のShVAKを搭載した型。
I-16 Type 29
機首に2丁の同調式ShKAS、胴体下部に1丁のUBSを搭載した型。翼内には銃火器を搭載せず、地上攻撃用の装備のために取っておかれた。ロケット弾架を両方の翼に3つずつ搭載した。さらに1941年からは外部増槽用のハードポイントが多目的なものに変更され、新型落下式増槽PLBG-100またはFAB-100爆弾を搭載できるようになった。1941年夏に撮影された戦時中の写真から2つの搭載例が確認できる。1つは6発のRS-82ロケット弾と2発のFAB-100爆弾、もう一つの例は4発のRS-132ロケット弾。[8]
I-16 Type 30
1941-42年に再び量産された型。M-63エンジンを搭載していた
I-16TK
Type 10に高高度での性能を高めるためターボチャージャーを搭載した型。8,600 m (28,200 ft)で494 km/h (307 mph)に達したが、量産はされなかった。
UTI-1
Type 1の複座練習機型。
UTI-2
UTI-1の改良型。固定脚を装備していた。
UTI-4 (I-16UTI) または I-16 Type 15
Type 5の複座練習機型。ほとんどが固定脚を装備した状態で製造された。この型はかなりの数が製造されており、おおよそ3,400機が製造された。[9]

要目 (I-16 Type 24)

I-16 三面図

出典: [4]

諸元

性能

  • 最大速度: 525 km/h (高度3000 m)
  • フェリー飛行時航続距離: (海里)
  • 航続距離: 700 km (増槽搭載時)
  • 実用上昇限度: 9,700 m
  • 上昇率: 14.7 m/min、高度5000mまで5.8分
  • 翼面荷重: 134 kg/m2
  • 馬力荷重(プロペラ): 346 kW/kg

武装

お知らせ。 使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

現存する機体

1993年から、ニュージーランドのパイロットであり事業家のTim Wallisの所有するAlpine Fighter Collectionが、ロシアで発見された6機のI-16と3機のI-153をノヴォシビルスクのSoviet Aeronautical Research Institute (Sibnia)によって飛行可能な状態にレストアすることを計画した。[10] レストアされた最初の機体 (I-16 9) の初飛行は1995年に行われた。レストアされた機体は鉄道でヴラジヴォストークに輸送され、そこから香港経由でニュージーランドまで船で輸送された。この計画は3機目のI-153がニュージーランドに到着した1999年に完了した。さらに7機目のI-16が後にアメリカ人収集家のJerry Yagenのためにレストアされた。

飛行可能機

  • I-16 Type 24 White 45/N30425, Commemorative Air Force, Texas, USA
  • I-16 Type 24 White 28/N1639P, Military Aviation Museum, Virginia, USA
  • I-16 Type 24 CM-249/EC-JRK, Fundación Infante de Orleans, Madrid, Spain
  • I-16 Type 24 Red 4/NX7459, Flying Heritage Collection, Washington, USA
  • I-16 Type 24 9/D-EPRN, 個人所有, Germany
  • I-16 Type 24 34/RA-1561G, 個人所有, Russia

展示機

参照

脚注

  1. ^ ちなみにこの機がこれほど寸詰まりな形態になったのは、設計者であるニコライ・ポリカールポフの「高速性能を追求するのならば、機体は短い方が有利である」との持論からと言われている。
  2. ^ なお、ノモンハン事件関連で九七式戦闘機に対しても優速であったとする記述がまま見受けられるが、最高速度は九七戦が475km/h(高度3000m時)と同等もしくはやや上回り、I-16が優速であったのは急降下速度である。
  3. ^ Liss 1966, p. 8.
  4. ^ a b Shavrov 1985
  5. ^ Green 2001, pp. 473–475.
  6. ^ a b c d e Маслов М. А. (2008) (Russian). Яуза / Коллекция / ЭКСМО. pp. 55–57. ISBN 978-5-699-25660-0 
  7. ^ С.В. Иванов (2001) (Russian). Война в воздухе. 43. ООО "АРС". ""Раньше чем начались испытательные стрельбы ультраШКАСа, два инженера, Савин и Норов, представили в 1935 г. на испытания еще один авиационный пулемет СН скорострельностью 2800-3000 выстрелов в минуту. В 1936 г. пулемет успешно прошел стрельбовые испытания, а в 1937 г. был рекомендован к серийному производству. Пулеметами СН немедленно вооружили истребители И-16; И-16 с пулеметами СН получили обозначение тип 19, несмотря на то, что кроме вооружения самолет ничем не отличался от И-16 тип 10. Пулеметами СН заменили крыльевые ШКАСы, синхронные пулеметы остались прежними - ШКАСы. В начале 1939 г. завод № 21 изготовил три И-16 тип 19 (заводские номера 192111, 19212 и 19213). С 17 по 26 марта самолеты испытывал заводской летчик-испытатель Томас Сузи. По результатам испытаний было рекомендовано построить партию таких самолетов. Но массовое производство посчитали нецелесообразным. Под обозначением И-16СН истребители передали в ВВС. Весной 1939 г. на вооружение ВВС РККА был принят авиационный пулемет ультраШКАС. Истребители, вооруженные ультраШКАСАми и СН, приняли участие в войне с Финляндией зимой 1939-1940 г.г."" 
  8. ^ Маслов М. А. (2008) (Russian). Яуза / Коллекция / ЭКСМО. pp. 144–145. ISBN 978-5-699-25660-0 
  9. ^ Маслов М. А. (2008) (Russian). Яуза / Коллекция / ЭКСМО. p. 76. ISBN 978-5-699-25660-0 
  10. ^ Peat. Pages 219 to 224.

参考文献

  • Green, William and Gordon Swanborough. The Great Book of Fighters. St. Paul, Minnesota: MBI Publishing, 2001. ISBN 0-7603-1194-3.
  • Liss, Witold. The Polikarpov I-16 (Aircraft in Profile Number 122). Leatherhead, Surrey, UK: Profile publications Ltd., 1966.
  • Peat, Neville (2005). Hurricane Tim : The Story of Sir Tim Wallis (Hardback). Dunedin: Longarce Press. ISBN 1-877361-17-8 
  • Shavrov V.B. Istoriia konstruktskii samoletov v SSSR do 1938 g. (3 izd.) (in Russian). Moscow: Mashinostroenie, 1985. ISBN 5-217-03112-3.

関連項目

関連機