FCS-2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yokohama1998 (会話 | 投稿記録) による 2015年9月4日 (金) 05:42個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

81式射撃指揮装置2型
「ありあけ」装備のFCS-2-31
開発・運用史
開発国 日本の旗 日本
就役年 1979年
送信機
形式 2-12:進行波管(TWT) +交差電力増幅管 (CFA)[1]
2-2x:マグネトロン
周波数 X (I) バンド
アンテナ
形式 警戒レーダ: スロットアレイ
追尾レーダ: カセグレン[2]またはPESA[3]
直径・寸法 警戒レーダ: 1.5 m×0.45 m
追尾レーダ: 約1 m径[4]
走査速度 警戒レーダ: 60 rpm
方位角 全周旋回無制限
仰俯角 警戒レーダ: -1〜+30°
追尾レーダ: -1〜+85°[4]
探知性能
探知距離 30 km (目標RCS 1m²)[5]
探知高度 15 km (目標RCS 1m²)[5]
テンプレートを表示

81式射撃指揮装置2型FCS-2)は、日本で開発された射撃指揮装置(FCS)艦砲個艦防空ミサイル(短SAM)の射撃指揮に用いられており、いずれも海上自衛隊護衛艦に装備されている。

来歴

1950年代末より、ソビエト連邦軍K-10S(AS-2「キッパー」)英語版空対艦ミサイルP-15(SS-N-2「スティクス」)艦対艦ミサイルなど対艦ミサイルの配備に着手した。1967年エイラート事件を受けて、西側諸国においてもこれらの脅威がクローズアップされ、対艦ミサイル防御(ASMD)が急務となった[6]

海上自衛隊では、当時進めていた第3次防衛力整備計画ではこれらの施策が間に合わなかったことから、第4次防衛力整備計画での導入を目指していた。これに応じて、ASMDに対応した新型GFCSとして開発されたのが本機である[7]

開発は、昭和45年度より、「小型射撃指揮装置」として着手された[8]。開発計画は砲制御部とミサイル制御部に区分され、砲制御部は下記のような開発線表が計画されていた。またミサイル制御部については、昭和50年度での委託研究が計画されていた[7]

技術試験までは順調に進展したものの、試作品の重量が過大であったために、追尾レーダーの精度を左右するサーボ機構の追従・応答性に不安が残るなどの問題が指摘された。また予算確保にも問題が生じたことから開発線表の1年延長が決定され、昭和49年度にも引き続いて陸上技術試験を行ったのち、昭和50年度より護衛艦「むらくも」の第2方位盤を試作機に換装しての海上技術・実用試験が開始された。しかし試験において、レーダー送信機の不調(国産電子管の絶縁低下・輸入増幅管の動作不良)という問題が発生し、その解決に半年を要したため、海上技術・実用試験も昭和51年度まで延長された。これにより、試験完了見積もりが昭和53年度にずれ込んだことから、当初計画されていたしらね型(50DDH)での採用は断念され、オランダのシグナール(現在のタレス・ネーデルラント)社からWM-25を輸入して装備した[9][10]

海上技術・実用試験では、特に冬季のシークラッター(海面反射)のために目標追尾が安定しないという問題が発生し、ドプラー効果を利用したMTT(Moving Target Tracker)、MTI(Moving target indication)が新たに開発されて組み込まれた。その他、重量軽減や電子防護機能向上策なども施され、昭和53年度より試験が再開された。しかしながら、これらの問題が解決された後にも、射撃指揮装置としての最重要機能である射撃精度と弾着観測精度が目標値に達しないという、重大問題が残った。このことから、1978年2月、実用実験隊(現在の艦艇開発隊)司令の下に、関東地方の技術研究本部海上幕僚監部および実施部隊の幹部を糾合して支援グループが編成され、またメーカーである三菱電機でも、鎌倉製作所の専門家を結集したグループが設置され、官民の力を結集したプロジェクトが発足した。両グループの精力的な取り組みによって問題は解決され、同年8月の対空射撃を経て、海上技術・実用試験は10月に成功裏に終了、1979年3月に、81式射撃指揮装置として制式化された[7]

設計

本機の開発時の目標は下記の3項目であった[7]

  • 多目標同時射撃能力
  • 小型高速目標の探知・捕捉・追尾
    有人の攻撃機が基準となっていた当時にあっては、P-15でも小型・高速と考えられていた。なおFCS-1開発時に要求された的速は900ノット (1,700 km/h)までであった[11]
  • 複数火器・SAM指揮管制能力
    従来の艦砲に加えて、新型の35mm機銃40mm機銃など多くの火器の搭載が検討されていたことから、これらを単一のGFCSで管制することが求められた。

試作機

上記の経緯により、試作機は砲制御部を模したものとされた。方位盤には、追尾レーダーとともに警戒レーダーが装備され、下側に警戒レーダーのスロットアレイ・アンテナ、上側に追尾レーダーのカセグレン・アンテナを積み重ねた構造となっていた。方位盤全体がアウターロール・インナーピッチ型の二重揺篭型のスタビライザーによって安定化されており、また風圧や塩害の影響を少なくするため、方位盤全体が白いレドームに覆われていた。警戒レーダーは横長の長方形のアンテナを備えており、60 rpmの速度で水平方向をスキャンし、捜索と目標追尾(複数)を同時に実施するという捜索中追尾(TWS)方式が採用され、警戒レーダーが捉えた目標のうち高脅威度のものを追尾レーダーに移換して攻撃を実施する構成とされた[7][12]

これらのレーダーは共通の送信機を使用しているが、このレーダー送信機としては、周波数可変能力(F/A)を実現するため、進行波管(TWT)とともに交差電力増幅管(CFA)が採用された[1]。また上記の経緯により、電子防護能力向上のためパルス圧縮が、またクラッター抑圧能力向上のためにMTT回路やMTI装置が付加され、レーダー追尾能力の改善が図られている[12]

捜索段階では送信機の全出力が警戒レーダーに分配される。目標を探知すると、警戒レーダーに40パーセント、追尾レーダーに60パーセントの割合で出力が分配される[5]。追尾においては、FCS-1と同様、2対4個のホーンによる振幅モノパルス方式によって角度誤差を検出し、自動追尾する[13]

また視認によって発見した緊急目標を捕捉、照準するために、レドーム外に光学照準器が独立して設けられている[12]。これは照準望遠鏡とTVカメラ(CCTV)、整合望遠鏡等によって構成されている[1]

なお電子計算機としては、ワード長16ビットの国産デジタル計算機が用いられた[1]。情報を時分割処理することにより、1台のFCSでミサイル射撃と砲射撃の2つの計算を同時にできるようにされた[12]

搭載艦艇

FCS-2-12

「やまゆき」装備のFCS-2-12レドームと光学照準器

ミサイル射撃指揮装置2型-12は、試作機の設計を基本として、ミサイル制御部を付加した。ミサイル誘導用の送信機にはNATO型の連続波(CW)送信機であるMk.73を装備し艦対空ミサイルシースパロー)の管制を可能としており、「Highタイプ」と呼ばれる[1][12]

方位盤はDIR-2-12、光学照準器はOPT-2-12と称される。光学照準器にはレーザー測距儀が追加されたほか、後述のFCS-2-21と同様に、テレビ画像の自動追尾機能も付与された。なお電子計算機については、新しい標準となっていたAN/UYK-20電子計算機に変更された[1][12]

デジタル連接化も配慮されており、艦の戦術情報処理装置や、併載されるFCS-2-21からも目標探知情報を得られるようになっている[1]

搭載艦艇

FCS-2-2x

「やまゆき」装備のFCS-2-21A

射撃指揮装置2型-21は砲の管制に特化したタイプであり、「Lowタイプ」と呼ばれる[12]

基本的には、試作機をもとにレドームを廃して追尾レーダー部のみを独立させた構成であるが、最大の変更点として、安定化方式の改正がある[7]。従来の国産FCSは、68式、72式、FCS-2試作機と、いずれもスタビライザで機械的に水平面を作る方式であったが、本機では、照準線(LOS)を電子的にスタビライズする方式に変更された。これはアメリカ製のMk.56 砲射撃指揮装置では用いられており、国産機では経験・実績がなかったものの、試作を経ることなく実現の目処がついた[1]。レドームが廃されたこともあり、光学照準器は別体ではなく、方位盤の右側面に装備する形式とされた。また新たな試みとして、テレビ画像による目標自動追尾方式(TV追尾)が採用された[1]

追尾レーダーのアンテナとしては、52DD用のFCS-2-21Aでは試作機と同様のカセグレン式が踏襲されたが、52DE用に開発されたFCS-2-21Bでは、艦が対空捜索レーダーをもたないこともあって捜索機能の付与が求められたことから、パッシブ・フェーズドアレイ(PESA)方式に変更された[14]。水平方向の走査は方位盤の旋回により行う一方、俯仰方向の走査は電子的にレーダービームを指向して行うという1次元フェーズドアレイ方式とされた。なおFCS-2-21では、レーダー送信管はマグネトロンとされた[1]

射撃指揮装置2型-22は-21の改良型で、追尾可能な俯角が-21の82度から100度に拡張され、天頂までの追尾が可能となった[5]。なおFCS-2-22Aでは、アンテナ部は-21Bと同様にPESAとされている[14]

射撃指揮装置2型-23には、シースパローミサイルの管制機能が付加された[5]

搭載艦艇

FCS-2-31

すずなみ」装備のFCS-2-31F
ステルス化が施されている。
はやぶさ」装備のFCS-2-31C

射撃指揮装置2型-31はFCS-2シリーズの最新型で、砲・対空ミサイルの発砲・発射管制を行う。追尾レーダーのアンテナが露出した外見上はFCS-2-2xに類似している。また、右側には複合センサー(TVカメラ、IRカメラ、レーザ測距儀)が併設されている。レーダー方位盤の型式はDIR 2-31とされている。

搭載艦艇

参考文献

  1. ^ a b c d e f g h i j 多田智彦「世界的レベルのFCS開発秘話海上自衛隊FCS発達史-2-」『軍事研究』第32巻第11号、ジャパンミリタリー・レビュー、1997年11月、204-222頁、NAID 40000812861 
  2. ^ 朝雲新聞社編集局 編『自衛隊装備年鑑 2001』朝雲新聞社、2001年、335頁。ISBN 4750910228 
  3. ^ 金子博文 (2012年11月13日). “艦載装備品開発の歩み” (PDF). 2013年7月24日閲覧。
  4. ^ a b 防衛庁 (1981年11月5日). “制式要網 81式射撃指揮装置 Q2009”. 2004年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月11日閲覧。
  5. ^ a b c d e 長井荒人「海上自衛隊の現有艦載レーダー」『世界の艦船』第433号、海人社、1991年3月、84-89頁。 
  6. ^ 大熊康之『軍事システム エンジニアリング』かや書房、2006年。ISBN 978-4-906124-63-3 
  7. ^ a b c d e f 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み(第22回)ポスト4次防の新装備(FCS-2,62口径76ミリ速射砲),いしかり/ゆうばり型DE History of Domestic Built Destroyers of JMSDF(22)」『世界の艦船』第805号、海人社、2014年10月、157-165頁、NAID 40020191677 
  8. ^ 小林正典, 津根雅孝, 十時新治「わが国艦載兵器開発の歩み (特集・自衛艦の研究開発プロセス)」『世界の艦船』第674号、海人社、2007年5月、84-89頁、NAID 40015404746 
  9. ^ 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み(第18回)「しらね」型DDH(その2)DDH総括 HSとDDH(空地分離)、幻の4次防艦」『世界の艦船』第799号、海人社、2014年6月、150-157頁、NAID 40020064889 
  10. ^ 小滝 国雄「今もミサイル管制の主役 外国製FCSの横顔」『世界の艦船』第493号、海人社、1995年3月、92-95頁。 
  11. ^ 伊東隆行「国産FCSの誕生 - 射撃指揮装置1型開発余話」『世界の艦船』第493号、海人社、1995年3月、80-83頁。 
  12. ^ a b c d e f g 野田正巳「短SAM発射! 射撃指揮装置2型の登場」『世界の艦船』第493号、海人社、1995年3月、84-87頁。 
  13. ^ 北村謙一「レーダー射撃の話」『世界の艦船』第433号、海人社、1991年3月、104-109頁。 
  14. ^ a b 西本真吉、山岸文夫、篠原英男「フェーズドアレイ・レーダの研究開発経緯と装備品への応用<その4>」『月刊JADI』第602号、日本防衛装備工業会、1997年7月、4-20頁、NAID 40005001614 
  • 小滝 國雄「射撃指揮レーダー 過去・現在・未来」『世界の艦船』第616号、海人社、2003年10月、82-87頁、NAID 80016093236 
  • 多田智彦「4 レーダー/電子戦機器 (海上自衛隊の艦載兵器1952-2010)」『世界の艦船』第721号、海人社、2010年3月、100-105頁、NAID 40016963809 

関連項目