養命酒
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養命酒(ようめいしゅ)は、養命酒製造株式会社が製造、販売する薬味酒・薬用酒である。同社によって商標登録もされている。
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[編集] 製品概要
正式な商品名は、薬用養命酒(やくようようめいしゅ)である。14種類の生薬により、滋養強壮効果があるとして販売されている。
なお、生薬の内訳は以下の通り。[1]
- 桂皮(けいひ)
- 紅花(こうか)
- 地黄(じおう)
- 芍薬(しゃくやく)
- 丁子(ちょうじ)
- 杜仲(とちゅう)
- 人参(にんじん)
- 防風(ぼうふう)
- 鬱金(うこん)
- 益母草(やくもそう)
- 淫羊藿(いんようかく)
- 烏樟(うしょう)
- 肉蓯蓉(にくしょうよう)
- 反鼻(はんぴ)
上記の生薬を、日局規定のチンキ剤製法に準じて冷浸して作られている。ただし、味醂、ブドウ糖などを加えている。
アルコール度数が1%未満になるように希釈すれば未成年者でも服用(飲用)可能である。
なお、出血中の飲用は禁忌とされている。
[編集] 販売
酒類販売業者からは酒類(>リキュール類>薬味酒)として、薬局等では医薬品(>滋養強壮保健薬>薬用酒)として販売されており、それぞれパッケージのデザインが異なる。ただし、中身は両者とも同じである。薬事法と酒税法の両方の適用を受けるため、薬局やドラッグストア等で販売する分にはパッケージに「薬用」の表示を付けている。
[編集] 歴史
製造元に残る伝承によれば、慶長年間、信州(現在の長野県上伊那郡中川村)に住んでいた塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた老人を助けた。この老人が塩沢の元を去るときに、礼に薬用酒の製法を教えてくれたものが養命酒の起源だという。1602年製造開始。1603年には徳川家康に献上され、そのときに「飛龍」の印を使うことが許されたという。日本初の商標ともいわれている。
赤穂浪士が養命酒を飲んでいた記録があるほか、1774年刊行の小説、『異国奇談和荘兵衛』に養命酒が登場している。長らく塩沢家で製造されてきたが、1923年には製造元が会社組織になった。東京への進出当初は全く売れなかったが、広告を出した所反響が大きく、一気に販売量を増やしたと言われている。
海外に知られるようになったのは、海軍大将の山本五十六が養命酒の愛飲家で、ロンドン海軍軍縮会議に参加する若槻禮次郎全権大使に同行した際に持っていったのがきっかけと言われている。その後、中国やマレーシア、シンガポール、ブラジルなどに輸出するようになる。
戦後は、「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」などの少年少女向けの漫画雑誌にも一時、広告を出していた事があったり[2]、自動車のおもちゃなどの付録をつけて児童に向けても販売していた。当時は虚弱体質の子供が多かったため、滋養用によく「養命酒」が飲まれていたからだとされる。
[編集] イメージキャラクター・出演者
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 保命酒 - 鞆の浦が名産の薬用酒。養命酒同様に生薬がとけこんだお酒で、養命酒と同様に冷え症などに効くお酒である。ただし、同酒には、医薬品としての商品は存在しない。
- 塩沢幸一 - 海軍大将。塩沢家の出身で、同期の山本五十六からは「おい養命酒」と呼ばれていた。
- やしきたかじん - ABCラジオで放送中に「養命酒はなんできくねん、まじで吐きそうになった」と批判的に発言した事で後日、当時「必殺シリーズ」のスポンサーだった養命酒製造より始末書を書かされた。

