草原の輝き (映画)

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草原の輝き
Splendor in the Grass
監督 エリア・カザン
脚本 ウィリアム・インジ
原作 ウィリアム・インジ
製作 エリア・カザン
音楽 デヴィッド・アムラム
撮影 ボリス・カウフマン
編集 ジーン・ミルフォード
配給 ワーナー・ブラザーズ
公開 アメリカ合衆国の旗 1961年10月10日
日本の旗 1961年11月17日
上映時間 124分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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草原の輝き』(そうげんのかがやき、Splendor in the Grass)は、1961年アメリカ青春映画である。

概説[編集]

1920年代のアメリカを舞台にエリア・カザンがメガホンを撮った青春悲恋映画。当時既にスター女優だったナタリー・ウッドの相手役に選ばれるというラッキーな映画デビューを果たしたウォーレン・ベイティがこの映画でスターになっていった。

母親から押しつけられた貞操観念と傲慢な父親の干渉で、愛し合う二人が悲劇を迎える。世界大恐慌を背景に青春と家族が描かれる[1]

のちに1981年にテレビドラマとしてもリメイクされた。劇中に作品のタイトルが出てくる、ウィリアム・ワーズワースの詩( "Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood")の一節が出て来る。

Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

ストーリー[編集]

1928年、カンサスに住むバッドと、ディーン(ディーニー)は高校3年生。愛し合っているが、ディーンの母親は保守的な倫理観の持ち主で
「男は尻軽な女を軽蔑する。そういう女とは結婚したがらない」ということもあってディーンはバッドのすべてを受け入れるに至らない。バッドの父で石油業者のエイスは息子がフットボールの選手であることが大自慢で、イェール大学に入れたがっているが、バッドには父親の期待が心の負担になっている。父は理解あるように振舞うが本能的には暴君で、姉のジェニーが家出して堕落してしまい、大学を追われたのも、こんな父のいる家庭がたまらなかったからだ。バッドはひたむきなのだが、彼女はそれを受けとめてくれない。父は「女には2種類あって、時々気晴らしに遊ぶ女と、結婚する女だ。
感情に任せて、責任取らされるようなことはするな」という。そんなことでイライラした気持を、バッドは折にふれて乱暴な行動で爆発させる。ついに同級生でコケティッシュな娘ファニタの誘惑に負ける。

青春の悩みに苦しんでいるディーンはこの事件でショックを受け、ワーズワースの詩の授業の途中に教室を抜け出し、川に身を投げる。救助に飛び込んだバッドのおかげで死を免れたディーンは精神病院に入院する。、父の希望通りイェール大学に入ったバッドは、勉強にも身が入らず、酒ばかり飲み、あげくにアンジェリーナというつまらないイタリア娘と結ばれてしまう。学校は退学寸前のところまでいっている。そこで父のエイスはニューヨークへ出かける。ちょうど、1929年の世界大恐慌がやってきた。エイスは大打撃をかくして息子に会い、女をバッドの寝室に送り込んだりするが、その夜窓から飛びおりて自殺する。

ディーンは病院で知り合ったジョニーという若い医師と婚約する。退院してから、バッドが田舎へ引込んで牧場をやっていることを知り、訪ねて行く。バッドはアンジェリーナとつつましく暮らしていた。2人は静かな気持ちで再会する。


受賞・ノミネート[編集]

部門 候補 結果
アカデミー賞 脚本賞 ウィリアム・インジ 受賞
主演女優賞 ナタリー・ウッド ノミネート
英国アカデミー賞 海外女優賞 ナタリー・ウッド ノミネート
ゴールデングローブ賞 作品賞 (ドラマ部門) エリア・カザン ノミネート
主演男優賞(ドラマ部門) ウォーレン・ベイティ ノミネート
主演女優賞(ドラマ部門) ナタリー・ウッド ノミネート

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 村上春樹は川本三郎と一緒に書いた『映画をめぐる冒険』(講談社)の中で「この映画のことを想うとき、いつも哀しい気持ちになる」「あるいは僕の涙腺が弱すぎるせいかもしれないが、観るたびに胸打たれる映画というのがある。『草原の輝き』もそのひとつである」と書いていて、ナタリー・ウッドについては「青春というものの発する理不尽な力に打ちのめされていく傷つきやすい少女の心の動きを彼女は実に見事に表現している」という。