法観寺
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| 法観寺 | |
|---|---|
八坂の塔 |
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| 所在地 | 京都府京都市東山区清水八坂上町388 |
| 位置 | 北緯34度59分54.78秒 東経135度46分45.27秒 |
| 山号 | 霊応山 |
| 宗派 | 臨済宗建仁寺派 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | 伝・崇峻天皇5年(592年) |
| 開基 | 伝・聖徳太子 |
| 正式名 | 霊応山 法観禅寺 |
| 別称 | 八坂の塔 |
| 札所等 | 京都十三仏霊場11番 |
| 文化財 | 五重塔、紙本着色八坂塔絵図(重要文化財) 太子堂・薬師堂(市文化財) |
法観寺(ほうかんじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は霊応山。観音霊場として知られる清水寺の近隣に位置する。街中にそびえ立つ五重塔は通称「八坂の塔」と呼ばれ、周辺のランドマークとなっている。境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないことから、「八坂の塔」は、寺自体を指す通称ともなっている。
目次 |
[編集] 歴史
伝承によれば、当寺の五重塔は592年聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという。聖徳太子創建との伝承は文字通りに受け取ることはできないが、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力である。
治承3年(1179年)、火災で焼失したが源頼朝により再建された。その後も幾度か焼失したがその都度再建されている。現在の塔は、足利義教(室町幕府第6代将軍)により再建されたものである。 その間、仁治元年(1240年)に臨済宗建仁寺派に属する禅寺となる。さらに暦応元年(1338年)より夢窓疎石の勧めにより足利尊氏が全国に安国寺・利生塔を建てたが、都の利生塔としてはこの塔を充て仏舎利を奉納した。
戦国時代には、地方から上洛した大名が当寺に定紋入りの旗を掲げることによって、誰が新しい支配者・天下人になったかを世人に知らせたという。
[編集] 伽藍
五重塔は高さ49mで東寺、興福寺の五重塔に次ぐ高さをもつ純和様、本瓦葺の建築である。中心の礎石は創建当初のものが残っておりそのまま使われている。初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置する。塔の中は公開されることもあり礎石の上の心柱や諸仏を見ることができる。また階段を二層目まで登ることもでき窓から京の町並みを眺望できる。重要文化財に指定されている。
他の堂宇としては、太子堂、薬師堂、茶室がある。太子堂には、聖徳太子の3歳と16歳の像がある。薬師堂には本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、夢見地蔵、さらに十二神将像が安置されている。 茶室は五重塔の風鐸の音を聞くことができることから聴鐸庵という。(風鐸とは塔の軒先に吊された風鈴状のもののことである。)ほか境内には、木曽義仲の首塚と伝わる石塔もある。
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財
- 五重塔
- 紙本著色八坂塔絵図(法観寺参詣曼荼羅)
[編集] 京都市指定文化財
- 太子堂
- 薬師堂

