圓徳院

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  • 円徳院(新字体、文化庁が使用)
  • 圓德院(旧字体、歴史的表記)
  • 圓徳院(新旧字体混用、高台寺が使用)
圓徳院
Entokuin Kyoto18n4272.jpg
北庭
所在地 京都府京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町530
位置 北緯35度0分2.1秒 東経135度46分45.8秒 / 北緯35.000583度 東経135.779389度 / 35.000583; 135.779389座標: 北緯35度0分2.1秒 東経135度46分45.8秒 / 北緯35.000583度 東経135.779389度 / 35.000583; 135.779389
宗派 臨済宗建仁寺派
本尊 釈迦如来
創建年 慶長10年(1605年
開基 三江紹益
文化財 北庭(小堀遠州 整庭)- 名勝
襖絵(長谷川等伯 筆)- 重要文化財
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圓徳院(えんとくいん、常用漢字体:円徳院)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派高台寺塔頭のひとつ。本尊は釈迦如来開基三江紹益豊臣秀吉正室北政所(高台院)が晩年の19年間に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地ともいう。

安置されている三面大黒天は秀吉の念持仏と伝わるもの。また小堀遠州が整えた北庭は、旧円徳院庭園(きゅう えんとくいん ていえん)として国の名勝に指定されているほか、長谷川等伯の筆による襖32面の墨画は国の重要文化財に指定されている。

沿革[編集]

圓徳院は、備中国足守藩主で北政所(高台院)の甥にあたる木下利房が、伏見城の北政所化粧御殿をこの地に移築して自らの邸としたことに始まる。利房の死後その菩提をともらう寺となり、利房の院号「圓德院」をそのまま寺号として高台寺塔頭となる。

境内[編集]

  • 長屋門 - 正門が侍長屋に連結する武家屋敷の様式。木下家の屋敷だった頃の名残。
  • 唐門
  • 南庭 - 方丈の南西に位置する。奈良国立文化財研究所の森蘊の指導による徳村宗悦の作庭。
  • 方丈
  • 政所窯
  • 三面大黒天 - 堂は京都御苑からの移築。
  • 北書院
  • 茶室 - 抹茶をもらいながら担当者から様々な話が聞ける。
  • 檜垣の手水鉢
  • 北庭
  • 歌仙堂

文化財[編集]

名勝[編集]

  • 北庭 - 指定名称は「旧円徳院庭園」。北書院の東に位置する。賢庭が作庭した伏見城北政所化粧御殿前庭の池泉回遊式庭園を移築したものだが、その際に敷地面積が縮小したことからこれを枯池泉座視式に改めている。その後さらに小堀遠州によって整えられたのが今日にまで伝わる姿である。庭東の築山から枯滝を枯池に落とした2島を配置してこれを3本の石橋で結ぶという、桃山時代の典型的な枯山水の書院庭園の趣をもったもので、国の名勝に指定されている。全体に巨岩を多数配置した珍しい庭園としても知られる。

重要文化財[編集]

  • 襖絵 - 指定名称は「紙本墨画山水図 伝長谷川等伯筆 大方丈襖貼付 32面」。天正17年(1589年)頃の制作。元は大徳寺塔頭三玄院方丈を飾るものだったが、明治初期の廃仏毀釈によって流出し、今日では円徳院に山水図32面が、京都楽美術館に松林山水図4面が、それぞれ分蔵されている。等伯はかねてより三玄院で襖絵を制作するを懇願していたが、住持春屋宗園は修業の場に絵は不要と相手にもしなかった。ある時宗園が2か月ほど留守をすることを知った等伯は、この時ぞとばかりに三玄院に押しかけ、止める雲水たちを振り切って客殿に上がり込み、一気呵成にこの襖絵を描いた。帰ってきて事の次第を知った宗園はいたく立腹しつつも絵の出来栄えには感嘆し、結局この襖絵を認めてそのままにしたという[1]。襖絵の料紙が作画にはおよそ不向きな雲母刷り胡粉桐紋様唐紙であることから、この逸話はおおよそ事実に近いと考えられている。全36面もの襖絵のすべてを桐紋様の上に描いた作品は他に例を見ない特異なものとしても知られている。また、雲母刷りの桐紋様を降り続く雪に見立てていることが特徴である。
現在円徳院で展示されているのは平成24年(2012年)に完成した京都文化協会文化財未来継承プロジェクト(綴プロジェクト)による高精細複製品で、原本は京都国立博物館と石川県七尾美術館に寄託されている。

周辺[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『大寳圓鑑國師行道記』

参考文献・外部リンク[編集]