中正紀念堂
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中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう)は、台湾の台北市中正区にある中国の伝統的な宮殿陵墓式の建築物。2007年5月19日、行政院により台湾民主紀念館と改名されたものの、2007年6月7日に立法院が台湾民主紀念館組織規程を否決し、再び中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう)の正式名称に戻された。
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[編集] 概要
中正紀念堂は、中華民国の初代総統である蒋介石の死を偲び、1980年までに建設された。中正紀念堂の「中正」は蒋介石の本名であり、介石は彼の字(あざな)である。
初代から第5代に亘って総統職を務めていた蔣介石が1975年に死去した際、行政院(日本の内閣に当たる政府組織)が全国民の哀悼の意を表すことを目的として、同年6月に紀念堂の建設を決定した。その後、中正紀念堂籌備小組籌備委員(途中から中正紀念堂籌建指導委員会)が建設準備を進めた上で蔣介石の生誕90年に当たる1976年10月31日に起工され、1980年3月31日に完成した。一般公開されたのは同年の4月5日であり、現在では国立故宮博物院・龍山寺と共に台北市の三大観光スポットに数えられている。
2007年5月19日、泛緑連盟に属する陳水扁政権は、台湾正名運動の一環として、中正紀念堂を台湾民主紀念館へと改名した。陳政権は改名の理由として、二・二八事件を始めとした蒋介石政権の人権侵害行為を挙げているが、中国国民党を中心とする泛藍連盟は強く反発している[1]。現在では中正紀念堂の名称に戻されている。
2007年12月7日、台湾教育部の主導のもと、大中至正の文字は取り外され、翌日自由廣場の文字が取り付けられた。また、館内の案内板表記も「民主紀念館」のままであり、儀仗隊も廃止されたままである。館内蒋介石像の前には二・二八事件への抗議幕や、反蒋介石デモの写真、多数の幟、旗、凧を配置し、蒋介石像を覆い隠した状態となっている。
[編集] 施設
中正紀念堂の敷地面積は25万m²にのぼり、日本統治時代の山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地跡地である。敷地中には本堂のほかに国家戯劇院や国家音楽庁、台湾民主公園広場、休息所や回廊、庭園、池(光華池・雲漢池)なども併設されている。本堂を始めとするこれらの施設は市民達の憩いの場となっているほか、公園広場は政治的な集会の場として使用されることも多々あり、特に1987年の戒厳令解除後には学生運動やストライキの集合地点として使われることも多くなっている。また、中正紀念堂の最寄駅である台北捷運(Taipei Metro)の中正紀念堂站(站=駅)はホームが中正紀念堂を意識したデザインになっているほか、出入口も紀念館へ向かうことを配慮した設計となっている。
敷地の東側に位置する紀念本堂の面積は約1万5千平方メートルで、西にある中国大陸を臨むように設計されている。建物の高さが70メートルにも及ぶ本堂には「自由廣場」という高さ30メートルの正門と他2つの門があり、その内部はメインフロアと地階に分けられている。メインフロアの奥には巨大な蔣介石の銅像が安置されており、像の上方には蔣介石の基本政治理念であった「倫理、民主、科学」という三民主義の本質が、像の土台には「生活の目的は人類全体の生活を向上させるためであり、生命の意義は宇宙が継承する生命を創造することである」という蔣介石の言葉がそれぞれ記されている。日中は像の両脇で儀杖隊が警護しており、1時間ごとに交代の儀式が行われる。なお、フロアの天井の最上部には国章である「青天白日」の徽章が描かれている。
また、地階には以下のような施設が設置されており、それぞれが蔣介石を偲ぶ施設としての役割を果たしている。
- 文物展示室 - 蔣介石の衣服、文献、写真などを陳列しており、蔣介石の一生または業績に従って11のユニットに分けられている。
- 中央通路 - 蔣介石が生前乗用した2台のキャディラックと台湾民主公園の模型が展示してある。
- 中正紀念図書館 - 面積が2418平方キロメートルにも及ぶ図書館で、蔣介石の著作や彼に関連する書物を中心とした3万冊以上の書籍、150冊以上の定期刊行物が収蔵されている。また、館内には視聴覚エリアがあり、文化、歴史などに関連するビデオやテープなどの視聴覚教材が利用できる。
- 故蔣介石総統紀念室 - 1994年10月31日に落成した施設で、蔣介石が総統として働いていた執務室を、当時の文物を用いて再現したものである。陳列物は宋美齢夫人が描いた水墨画以外はほとんどが外国からの贈り物で占められており、蔣介石がいかに簡素な生活を好んでいたかを示している。
なお、地階にはこの他にも講演ホールや懐恩ギャラリー、中正ギャラリーや端元ホールといった施設がある。
[編集] 建築テーマ
蔣介石を追悼する場であると同時に、中国文化・精神と中華民国の思想(イデオロギー)を示す場でもあるため、建物の各部分がさまざまなテーマに基づいて設計されている。
- 屋根 - 北京の天壇を模して造られた本堂の屋根は八角形で、「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」の八徳を象徴している。また、「人」の字が重なって天に達するように見える設計もされており、これによって「天人合一」(天と人が一つになる)という中国の思想を反映している。その他にも、頂の黄金色が栄光ある昇華を象徴している。
- ひさし - 二重のひさし(簷)のことを中国語では「複簷」と言うが、この「複」は「復」と発音が同じであることから、中華民国の復興と大陸の回復(国共内戦で中華民国政府が失った中国大陸の領土の奪還)という目標を表わしている。
- 階段 - 本堂の三方には花崗岩の階段が84段あるが、正面の階段にある5段を加えると89段になるので、これによって蔣介石の享年である89を表わしている。また、正面階段の中央には国徽(国の象徴)であることを示す「御路」(中国の伝統建築において、宮殿や廟堂にのみ用いられる参拝路)があるほか、3層ある階段によって蔣介石と中華民国が奉ずる三民主義の「民権、民族、民生」を表わしている。
- 基礎 - 3層からなる本堂の広い基礎部分はすべて正方形であり、これによって蔣介石の本名である「中正」を象徴している。
- 外装 - 本堂の外装は屋根瓦として用いられている青色の瑠璃瓦、壁に用いられている白色の大理石によって中華民国の国章である「青天白日」を表している。更には、紀念館前の伝統図案による花壇も含めることによって、「自由、平等、博愛」を象徴する「青天白日満地紅」(中華民国の国旗の図柄)を表すような配慮もされている。ちなみに、「青天白日」は蔣介石が所属していた中国国民党の党章でもある。
- 山並み - 敷地内にある国家戯劇院の屋根は「廡殿」、国家音楽庁の屋根は「歇山」と呼ばれる中国の伝統的な設計にそれぞれなっており、紀念館の八角形の屋根を「主峰」として3つの山が立ち並ぶように配置されている。

