ロプノール

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座標: 北緯40度05分00秒 東経90度05分00秒 / 北緯40.083333度 東経90.083333度 / 40.083333; 90.083333

ロプノールの衛星画像。耳のような跡がロプノール。画面左下が北

ロプノール(羅布泊:Lop Nur、ロプ湖)は、中華人民共和国新疆維吾爾自治区東トルキスタン地域)の南東部にかつて存在した塩湖である。

この湖にはタリム川(塔里木河)が流れ込むが、湖から流れ出るはなく、その湖水は強い陽射しで蒸発するか地中に消えてしまう。

かつて、ロプノールは水深が浅く、またタリム川の流路が砂丘の移動などによって蛇行するため、低地を求めて湖の位置が変化すると考えられたため「さまよえる湖」と呼ばれてきた。しかし現在は、上流の天山山脈の降雪降雨量によって湖に流れこむ流量が変わるために消滅を繰り返しているにすぎず、湖自体の移動などは起きていないことが明らかになっている。

目次

[編集] 歴史

1935年に発行された書籍に描かれているロプノール付近の地図

ロプノールは、約200万年以上前に形成されたと考えられている。この地は、中国で古来から西域と呼ばれていた地域で、シルクロードの途中に位置し、の時代にはロプノール西岸に都市国家楼蘭が栄えていた。

3世紀頃からロプノール一帯の乾燥化が始まったと見られ、4世紀頃に楼蘭は急速に衰退した。このためシルクロードも、タクラマカン砂漠の南側を通る西域南道の往来が困難になり、代までには敦煌から北に上がって天山山脈の南側を通る西域北道へとルートの中心が移った。以降、楼蘭とロプノールは長く伝説とされていた。

13世紀のヴェネツィア商人で中国を旅行したマルコ・ポーロは、この湖の近くを通過した。

20世紀初頭、探検家ニコライ・ミハイロヴィッチ・プルジェヴァルスキースウェン・ヘディンは、周囲一帯を探検し、1900年に楼蘭遺跡を発見した。またこの遺跡の南側に、カラ・ブラン、 カラ・コシュンという2つの湖を発見、ヘディンは河川の流路の移動によりロプノールが南から北へと移るに違いないと予言した。1934年、ヘディンは再び一帯を探険し、北に戻ったロプノールを発見、ロプノールは”およそ1000年周期で南北をさまよっている”と説明した。しかし、その後の調査で流路上の河床が干上がることがあることが発見され、そのために湖が消滅していることが判明し、またカラ・ブランとカラ・コシュンはロプノールの代替と説明するには小さ過ぎ、現在では”さまよえる湖”説は否定されている。

[編集] 核実験場

1964年以来、ロプノール周辺地域は核実験場として使われ、1996年までに核実験が46回に渡り実施された。大気圏内核実験はロプノールの北西約100km、地下核実験はロプノールの北西約220kmの地域で行なわれた(ロプノールの湖床が実験場となったことはない)[1]。そのため、1950年代から1960年代にかけてロプノール付近は軍事上の立ち入り禁止区域となった。1980年代に立ち入り禁止が解除された後、中国科学院新疆分院の研究員が調査のためにロプノールに入って行方不明になり、世間の注目を集めた。これ以降、学者やメディア、観光客や探検者などが訪れるようになった。

[編集] 現在

ロプノールはタリム盆地のタクラマカン砂漠の東の外れに20世紀半ばまで存在していたが、2010年現在は干上がり、湖面は存在していない。夏訓誠(シア・シュンチョン)ら[2]によると、1959年には存在が確認されていたが、1972年にはすでに消滅していた。夏訓誠は2008年11月にも現地調査と衛星写真による調査を行い、中国新疆ウイグル自治区にある中国科学院の新疆生態地理研究所は消滅した時期を1962年と報告している[3]。この地域の乾燥化が進んだことや、タリム川上流にダムが建設されたことなどが消滅の一因と考えられている。

2004年頃、中国科学院ロプノール科学調査隊の現地調査によって、ロプノールが20数年ぶりに復活したことが判明した[4]。しかし、2005年には再び水がなくなり消滅した。

ロプノールの湖心を訪れるツアーなども組まれており、湖の中心には多くの旅行者や探検家によって湖心到達を記念する碑が建てられている[5]

2010年11月の成都商業報によると、中国科学院は今後ロプノール地区の砂漠化対策計画「新ローラン計画」の一環として、ロプノールに人造湖を建設することを計画している[6]

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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