ニューワールド・ピクチャーズ

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ニューワールド・ピクチャーズ(ニュー・ワールド・ピクチャーズ、New World Pictures)社は、ロジャー・コーマンと弟のジーン・コーマンが1970年に設立した米国インディペンデント映画の製作・配給会社。ニューワールド・ピクチャーズは設立当初から低予算のエクスプロイテーション映画やティーン向け映画に専念した。そのきっかけは、『またまたあぶない看護婦』(1970年、ステファニー・ロスマン監督)とその4本の続編(いわゆる「看護婦もの」)である。後に「女囚もの」「ギャングもの」「暴走もの」「環境怪物もの」などの新しいジャンルが次々加わることになる。

ニューワールド・ピクチャーズは、若い才能に映画を製作する機会を与えることで後に大変有名となる。ロスマン、ジョー・ダンテ(編集を担当)、ポール・バーテル(1975年監督作『デス・レース2000年』)、ジェームズ・キャメロン(1981年監督作『殺人魚フライング・キラー』)、ジョナサン・デミ(1974年監督作『女囚刑務所・白昼の暴動』)、ロン・ハワード(1977年監督作『バニシングIN TURBO』)、ステーブ・カーヴァー(1974年監督作『ビッグ・バッド・ママ』、ジョン・セイルズ(『ピラニア』(1978)、宇宙の7人(1980)の脚本担当)、ゲイル・アン・ハード(製作を担当)など、低予算の環境でキャリアをスタートさせた。

また、役者としてもチャック・ノリスデビッド・キャラダインシルベスター・スタローンタリア・シャイアなども、キャリアのごく初期にこの会社の作品に出演していたことがある。

B級映画の製作・配給だけでなく、実は世界中の巨匠たちの作品も全米配給を行っていた。『叫びとささやき』(1971年)と『秋のソナタ』(1978年、両方ともイングマール・ベルイマン監督)、『フェリーニのアマルコルド』(1973年、フェデリコ・フェリーニ監督)、『アデルの恋の物語』(1975年)と『トリュフォーの「思春期」』(1976年、両方ともフランソワ・トリュフォー監督)、『デルス・ウザーラ』(1973年、黒澤明監督。アカデミー賞外国語映画賞受賞)、『ブリキの太鼓』(1979年、フォルカー・シェレンドルフ監督。アカデミー賞外国語映画賞受賞)、『アメリカの伯父さん』(1980年、アラン・レネ監督)などである。

また、『子連れ狼』(1972年、三隅研次監督)は、再編集を行って"Lone Wolf and Cub: Baby Cart at the River Styx"という形で公開し、当時観客だったクエンティン・タランティーノらに影響を与えた。

1983年にコーマンが、ニューワールド・ピクチャーズを売却すると、かつての面影はほとんど無くなった。

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