エレバス (モニター)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | |
| 起工 | 1915年10月12日 |
| 進水 | 1916年6月19日 |
| 就役 | 1916年9月2日 |
| 退役 | |
| その後 | 1946年7月にスクラップとして廃棄 |
| 除籍 | |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 7,200トン |
| 全長 | 405 ft (123.4 m) |
| 全幅 | 88 ft (26.8 m) |
| 吃水 | 11 ft 8 in (3.6 m) |
| 機関 | レシプロエンジン、2軸推進 6,000hp |
| 最大速 | 12ノット (22 km/h) |
| 乗員 | 226名 |
| 兵装 | 15インチ砲2門 4インチ砲8門 12ポンド対空砲2門 3インチ対空砲2門 2ポンド対空砲2門 機銃4基 |
エレバス (HMS Erebus, I02) は、イギリス海軍のモニター艦。エレバス級の1番艦。本級の2隻の艦名は、ジョン・フランクリンによる北西航路調査のために1845年に北極諸島へ派遣され遭難した2隻のボムケッチに因んで命名された。
本級は海上戦闘ではなく火力支援を主目的として設計され、その吃水はごく浅いものであった。エレバスは42口径15インチ砲2門(マーシャル・ネイから取り外されたもの)を連装砲塔として、前甲板に装備した。射程距離を伸ばすため砲塔は高いバーベット上に位置し、最大射程は40,000ヤード(22.7 マイル/36.5 km)であった。エレバス級は、第一次世界大戦当時におけるドイツ軍の沿岸砲台よりも長い射程を持つよう計画されていた。
装甲は砲塔が13インチ、バーベットで8インチ、司令塔6インチ、バルクヘッド4インチ、甲板2~4インチであった。また、船体にはバルジが取り付けられ、強固な対魚雷防御構造となっていた。
目次 |
艦歴 [編集]
第一次世界大戦 [編集]
第一次世界大戦中、エレバスはベルギーのオステンドとゼーブリュッヘを拠点としてドイツ海軍に対して攻撃を行った。1917年10月28日にドイツ海軍のFLボート(en:FL-boat、有線遠隔操縦式の自爆艇)による攻撃で損傷を受ける。1919年には連合軍のロシア内戦干渉に参加し、白海およびバルト海での艦砲射撃を行った。
第二次世界大戦 [編集]
1921年、エレバスはドイツ戦艦バーデンに対する砲撃試験に参加した。その後第二次世界大戦まで主に砲術訓練艦として活動する。改修のうえケープタウンに警備艦として配備されることとなり、1939年8月には工事が完了したが、第二次世界大戦の勃発により配備は実現しなかった。
エレバスは地中海東部へ配備されることになり、南アフリカ経由で地中海へ向かったが、その途中で日本の参戦により目的地が変更となった。1942年3月2日にエレバスはトリンコマリーに到着し、そこの警備艦となった。4月9日、日本軍によるトリンコマリー空襲で至近弾により被害が生じ戦死者5名を出した。日本軍の攻撃の結果東洋艦隊がキリンディニへ退くと、エレバスもそこへ移った。9月にはマダガスカルのマジュンガへの上陸作戦に参加した。
1943年、エレバスはスエズ運河を通過して地中海へ移動。7月、シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)に参加。7月20日には爆撃で6名の戦死者を出した。
1944年6月のノルマンディー上陸作戦でもエレバスは陸上に対する支援砲撃を行った。この際に榴弾の腔発事故により15インチ砲1門を損傷している。
1944年9月10日[1]、エレバスはアストニア作戦でル・アーヴルに対して攻撃を行った。沿岸砲台からの反撃を受けて損傷し、しばらく戦線を離脱した。11月にはオランダのワルヘレンに対する上陸作戦であるインファチュエイト作戦の支援を行う。
エレバスは1946年7月に廃棄された。エレバスの15インチ砲1門は、イギリス海軍最後の戦艦であるヴァンガードに転用されたとされる[2]。
注記 [編集]
- ^ "The Campaign in North-West Europe: The Channel Ports, September 1944" The Canadian Army, 1939-1945. Department of National Defence p.225 2010年9月18日閲覧
- ^ The 15 inch Guns of HMS Vanguard
参考文献 [編集]
- Ian Buxton, Big Gun Monitors : Design, Construction and Operations 1914-1945, Seaforth Publishing, 2008, ISBN 978-1-84415-719-8
外部リンク [編集]
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