アフォンソ4世 (ポルトガル王)
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アフォンソ4世(Afonso IV 発音:[ɐˈfõsu]、1291年2月8日 - 1357年5月28日)は、第7代ポルトガル王(在位:1325年 - 1357年)。ディニス1世と王妃イザベル・デ・アラゴンの子。「勇敢王」と呼ばれる。
父ディニス王の晩年に反乱を起こしたが、母のとりなしで和解し、1325年の父の死後に王位を継承した。
1309年にカスティーリャ王サンチョ4世の末娘ベアトリスと結婚した。ベアトリスは父ディニスの従妹に当たり(父方の祖母で同名のベアトリスはサンチョ4世の異母姉であった)、また1302年にアフォンソの姉コンスタンサとベアトリスの兄フェルナンド4世が結婚していた。アフォンソ4世とベアトリスの間には4男3女が生まれた。
- マリーア(1313年 - 1357年) カスティーリャ王アルフォンソ11世の王妃
- アフォンソ(1315年)
- ディニス(1317年 - 1318年)
- ペドロ1世(1320年 - 1367年)
- イザベル(1324年 - 1326年)
- ジョアン(1326年 - 1327年)
- レオノール(1328年 - 1348年) アラゴン王ペドロ4世の王妃
長女マリーアの夫アルフォンソ11世には既に愛妾がいて、王妃を顧みなかった。しかも、マリーアの弟ペドロの2番目の妃となる王族のコンスタンサ・マヌエルに横恋慕し、結婚のための旅立ちを妨げた。アフォンソ4世は娘が虐待されていることに怒り、1326年から1329年までカスティーリャと戦争状態となった。マリーアは父と夫の仲裁に入り、その後カスティーリャが続行しているレコンキスタへの加勢を父に要請した。アフォンソ4世はそれに応えて兵を出し、1340年10月30日のサラド川の戦いでカスティーリャ=ポルトガル連合軍はマリーン朝のスルタン、アブー・アル=ハサン・アリーに勝利した。この時、アフォンソ4世は負傷している。アルフォンソ11世は獲得した戦利品を贈ろうとしたが、アフォンソ4世は「利益のために援助したのではない。」と言い、捕虜のモーロ人1人と剣と盾の他は受け取らなかった。
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