「エラム・ドラヴィダ語族」の版間の差分
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'''エラム・ドラヴィダ語族'''(Elamo-Dravidian languages)は[[ドラヴィダ語族]]と[[死語 (言語)|死語]]となった[[エラム語]]を結合される仮説段階の[[語族]]である。死語となった[[ハラッパー語]]もこの語族に含まれる。[[ノストラティック大語族]]の提唱者は早い段階からエラム・ドラヴィダ語族を受け入れた。 |
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[[ロバート・コールドウェル]]が1913年に[[ベヒストゥーン碑文]]のエラム語とドラヴィダ語との比較を行い、フェルディナンド・ボルク(1924年)はエラム語が現在インドで話されている[[ドラヴィダ語]]系の[[ブラーフーイー語]]と関係があるとの説を提唱した。これらの説を継承した言語学者[[:en:David McAlpin|デイビッド・マカルピン]]が主導となって「エラム・ドラヴィダ語族」が提唱された。 |
[[ロバート・コールドウェル]]が1913年に[[ベヒストゥーン碑文]]のエラム語とドラヴィダ語との比較を行い、フェルディナンド・ボルク(1924年)はエラム語が現在インドで話されている[[ドラヴィダ語]]系の[[ブラーフーイー語]]と関係があるとの説を提唱した。これらの説を継承した言語学者[[:en:David McAlpin|デイビッド・マカルピン]]が主導となって「エラム・ドラヴィダ語族」が提唱された<ref>{{cite journal|last=Southworth|first=Franklin|title=Rice in Dravidian|journal=Rice|volume=4|issue=3–4|pages=142–148|doi=10.1007/s12284-011-9076-9|doi-access=free|year=2011}}</ref>。 |
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[[考古学]]の観点からは、[[インダス文明]]の担い手の言語が[[ドラヴィダ語族]]である可能性が高いと考えられており、[[インダス文明]]には[[メソポタミア文明]]からの影響、類似が多数見られる。従ってメソポタミア文明の[[エラム語]]とインダス文明の[[ドラヴィダ語族]]が同系であってもなんら不思議ではない。また[[ドラヴィダ語族]]とウラル語族、アルタイ諸語の間には文法の著しい類似性が存在し、このことは少なくとも一部において両者が共通の起源より派生したことを示唆する。両者の共通祖先としてエラム語の存在を位置づけることができるかもしれない。 |
[[考古学]]の観点からは、[[インダス文明]]の担い手の言語が[[ドラヴィダ語族]]である可能性が高いと考えられており、[[インダス文明]]には[[メソポタミア文明]]からの影響、類似が多数見られる。従ってメソポタミア文明の[[エラム語]]とインダス文明の[[ドラヴィダ語族]]が同系であってもなんら不思議ではない。また[[ドラヴィダ語族]]とウラル語族、アルタイ諸語の間には文法の著しい類似性が存在し、このことは少なくとも一部において両者が共通の起源より派生したことを示唆する。両者の共通祖先として原エラム語の存在を位置づけることができるかもしれない([[ノストラティック大語族#原郷と拡散]]を参照)。 |
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==脚注== |
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2021年6月16日 (水) 09:02時点における版
エラム・ドラヴィダ語族(Elamo-Dravidian languages)はドラヴィダ語族と死語となったエラム語を結合される仮説段階の語族である。死語となったハラッパー語もこの語族に含まれる。ノストラティック大語族の提唱者は早い段階からエラム・ドラヴィダ語族を受け入れた。
ロバート・コールドウェルが1913年にベヒストゥーン碑文のエラム語とドラヴィダ語との比較を行い、フェルディナンド・ボルク(1924年)はエラム語が現在インドで話されているドラヴィダ語系のブラーフーイー語と関係があるとの説を提唱した。これらの説を継承した言語学者デイビッド・マカルピンが主導となって「エラム・ドラヴィダ語族」が提唱された[1]。
文明との関連
考古学の観点からは、インダス文明の担い手の言語がドラヴィダ語族である可能性が高いと考えられており、インダス文明にはメソポタミア文明からの影響、類似が多数見られる。従ってメソポタミア文明のエラム語とインダス文明のドラヴィダ語族が同系であってもなんら不思議ではない。またドラヴィダ語族とウラル語族、アルタイ諸語の間には文法の著しい類似性が存在し、このことは少なくとも一部において両者が共通の起源より派生したことを示唆する。両者の共通祖先として原エラム語の存在を位置づけることができるかもしれない(ノストラティック大語族#原郷と拡散を参照)。
脚注
- ^ Southworth, Franklin (2011). “Rice in Dravidian”. Rice 4 (3–4): 142–148. doi:10.1007/s12284-011-9076-9.