鶴見神社 (横浜市)

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鶴見神社


拝殿

地図
所在地 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1-14-1
位置 北緯35度30分39.9秒 東経139度40分38.6秒 / 北緯35.511083度 東経139.677389度 / 35.511083; 139.677389 (鶴見神社)座標: 北緯35度30分39.9秒 東経139度40分38.6秒 / 北緯35.511083度 東経139.677389度 / 35.511083; 139.677389 (鶴見神社)
主祭神 五十猛命
素戔嗚尊
社格 村社
創建 推古天皇
例祭 天王祭(7月第4金土日)
主な神事 杉山祭(鶴見の田祭り、4月29日)
地図
鶴見神社の位置(神奈川県内)
鶴見神社
鶴見神社
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鶴見神社(つるみじんじゃ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央(旧・武蔵国橘樹郡鶴見村)に鎮座する神社。旧社格村社。神紋は有職鶴(ゆうそくづる)。横浜・川崎間の最古の神社とされる。

概要[編集]

沿革・伝承[編集]

鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神杉山神社)と称された。1920年大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。

相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。当時、少し上流にあった鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものとされる。

社殿は、1753年宝暦3年)に再建され、1853年嘉永6年)には名主・佐久間権蔵が社殿を改築したという記録がある。1911年(明治44年)3月31日、火災のため社殿が全焼し、1915年(大正4年)11月に再建された。

境内地はかつて約5000坪に及び、鎌倉将軍藤原頼経1241年仁治2年)に参詣した際に奉納したと伝えられる(前述の古木)や富士塚(境内の奥に現存)のほか、大きな神木が茂っていた。この神木に関して、一つの伝承がある。江戸時代のこと、その神木の中でも大きなが人々の信仰をあつめていた。あるとき、江戸の芝居小屋の棟木にするため、この檜の巨木を切り倒したところ、病人が出るなど奇怪なことが続いた。そこで、この檜を伐採した跡に、これに代わる木を植えたところ、鎮まったという。

祭神[編集]

当社の本殿は、杉山大明神と天王宮の二社相殿となっている。

境内[編集]

境内末社[編集]

境内奥の富士塚(側面)
境内奥の富士塚(正面)
境内社

文化財[編集]

杉山神社と鶴見神社[編集]

鶴見神社は、古来、杉山大明神(杉山神社)と称された。「杉山神社」と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在鎮座し、数十社が現存する。この「杉山神社」は、武蔵国都筑郡内唯一の式内社だが、所収された神社の所在は確定していない。そのため、鶴見神社も「杉山神社」の論社の一つとされる。ただし、当地である鶴見区は都筑郡ではなく橘樹郡に属していた。

  • 続日本後紀』の第7巻、承和5年(838年)2月庚戌の条
    「武藏國都筑郡枌山神社預之官幣。以靈驗也。」
  • 同、承和15年(848年、嘉祥元年)5月庚辰の条
    「奉授武藏國无位枌山名神從五位下。」
  • 延喜式神名帳
    「都筑郡一座 小 杉山神社」
  • 神道集
    「六宮ヲ椙山ノ大明神ト申ス。本地ハ大聖不動明王、是也。」
※「枌」「椙」は、いずれも「杉」の異体字。

杉山神社の論社[編集]

※港北区岸根町、西区中央一丁目、保土ケ谷区星川一丁目の各地については当地と同様に都筑郡ではなく、橘樹郡(岸根と星川)および久良岐郡(西区中央)に属していた。

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 寺尾稲荷道道標(旧東海道を歩く)
  2. ^ a b c 市域文化財一覧(PDF版)
  3. ^ 鶴見神社の歴史(鶴見神社)
  4. ^ 横浜市教育委員会の現地看板
  5. ^ 鶴見の歴史 第5回:鶴見の伝統芸能(その2)鶴見の田祭り(鶴見区役所)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]