コンテンツにスキップ

荒川文六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒川文六

荒川 文六(あらかわ ぶんろく、1878年明治11年)11月18日[1] - 1970年昭和45年)2月9日[1][2])は、日本の電気工学[3]位階正三位九州帝国大学総長[4]工学博士[4]

人物

[編集]

神奈川県横浜生まれ。荒川省吾の長男[4]。1886年、日本組合番町教会で小崎弘道から受洗。高等学校時代に信仰告白をなし、日曜学校教師、オルガニストとして活躍。後に福岡組合基督教会(現、日本基督教団福岡警固教会)に移り、福岡女学院理事長、日本基督教団常議員をつとめた。

九州帝国大学教授、同大総長の他、九州タイムズ社長も歴任する等、西日本での電気工学界の中心人物として活躍する。1946年3月22日、貴族院勅選議員に任じられ[5][6]無所属倶楽部に属し1947年5月2日まで在任した[2]。1911年、工学博士[1]1965年文化功労者

主著に『荒川電気工学』等。趣味は西洋音楽[4]。宗教はキリスト教[4]

晩年は久留米市に自宅を構えた。1970年(昭和45年)2月9日、腸閉塞のため久留米大学病院にて死去。91歳。告別式は同月17日、福岡女学院大学で行われた[7]

略歴

[編集]
  • 日本中学卒業。同期に渋沢元治など
  • 1897年7月:第一高等学校卒業
  • 1900年7月:東京帝国大学工科大学電気工学科首席卒業
  • 1901年4月:東京帝国大学工科大学助教授
  • 1911年1月:九州帝国大学工科大学教授(電気工学第二講座)
  • 1931年7月:九州帝国大学工学部長(1933年7月まで)
  • 1936年11月:九州帝国大学総長(1945年3月まで)
  • 1945年12月:九州帝国大学名誉教授

栄典

[編集]
位階
勲章等

家族・親族

[編集]
荒川家
  • 父・省吾(東京士族[4]
  • 妻・千代子(1883年 -1943年、井深文雄の妹[4]、井深梶之助の長女[10]
  • [4]
親戚

出典

[編集]
  1. ^ a b c 荒川 文六とはコトバンク。2021年5月5日閲覧。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』91-92頁。
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 58頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 上』ア126頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月5日閲覧。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  6. ^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。
  7. ^ 訃報欄 荒川文六(元九大総長、九大名誉教授、工博)『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月10日 12版 15面
  8. ^ 『官報』第4013号「叙任及辞令」1940年5月25日。
  9. ^ 『官報』第5359号「叙任及辞令」1944年11月24日。
  10. ^ a b 『大衆人事録 第12版 東京篇』44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月5日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


学職
先代
納富磐一
電気学会会長
20代:1933年 - 1934年
次代
小平浪平