久保千春
生誕 |
1948年3月9日(76歳) 鹿児島県 |
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国籍 | 日本 |
活動期間 | 1973年 - |
医学関連経歴 | |
職業 | 内科医 |
所属 | 九州大学 |
専門 | 心療内科、心身医学 |
久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日[1] - )は、日本の内科医(心療内科学)、心身医学者。医学博士。第23代九州大学総長。日本心療内科学会理事長。
経歴・人物
[編集]鹿児島県出身。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業後、1966年に九州大学医学部へ入学[1]。中村哲とは大学で同級。中村がアフガニスタンで凶弾に倒れた際には弔辞を読んだ[2]。
鹿児島玉龍高等学校3年の時に慢性腎炎を患い、2ヶ月半の療養生活を送る[3]。それがきっかけで腎臓病の解明と治療法の研究をするべく医師を志した[4]。腎炎自体は大学入学後の食事療法と運動制限などの効果もあって、大学3年次には症状は好転したという[4]。
大学5年次の臨床講義で池見酉次郎(九州大学精神身体医学研究施設教授)の心身医学講義を受講したことにより、心療内科医を志望することを決める[4]。当時の心療内科は医学的認知度が低い時代であったため、心療内科医師を志望することに対して周りからいぶしがられたという[5]。
九州大学卒業後に心療内科の医局へ入り心療内科・内科の2年間の研修の後、1975年より九州大学医学部細菌学教室で、免疫の研究に取り組む[4]。1982年11月から1984年11月までアメリカ合衆国へ渡り、オクラホマ医学研究財団研究所に2年間留学し、ロバート・グッドの指導の下で栄養と免疫・老化に関する研究を行った[4]。
1984年の帰国後、国立療養所南福岡病院内科医長に就任、1988年に大学へ戻って心療内科医師となり、気管支喘息、アトピー性皮膚炎、過敏性腸症候群、摂食障害、緊張型頭痛、不安症やうつ病などストレス関連疾患の診療や研究を続ける[4]。1993年に九州大学医学部心身医学教授となる[6]。
2008年4月に九州大学病院院長に就任[7]。2014年3月まで6年間病院長を務め、院長勇退と共に九州大学を退官[8]。
2014年7月に九州大学総長(学長)候補選考会議にて、有川節夫の後任となる第23代総長に選出される[9]。同年10月1日付にて九州大学総長に就任し[10]、6年間の任期を務めて2020年9月退任。2016年日本心療内科学会理事長[11]。2019年九州市民大学学長[12]。2020年10月より中村学園大学学長[13]に就任し、現在に至る。
著書
[編集]- 『心身症』(2013年、最新医学社)
- 『心身相関医学の最新知識』(2012年、日本評論社)
- 『心身医学標準テキスト第3版』(2009年、医学書院)
- 『心身症診断・治療ガイドライン2006』(2006年、協和企画)
- 『心因性難聴』(2005年、中山書店)
- 『皮膚心療内科』(2004年、診断と治療社)
- 『現代心療内科学』(2003年、永井書店)
- 『心身医療実践マニュアル』(2003年、文光堂)
- 『生活習慣病の予防・治療に役立つ心身医学』(2001年、ライフ・サイエンス)
- 『漢方の考え方と使い方』(1997年、光原社)
- 『自律神経失調症』(1996年、保健同人社)
脚注
[編集]- ^ a b 新総長に久保前九州大学病院長が就任 九州大学 10月1日付、任期は6年間 ふくおか経済ニュース 2014年9月30日
- ^ 【動画あり】惜別と意志継承を誓う涙 福岡で中村哲医師の合同葬 各界から供花続々 西日本新聞2019年12月11日
- ^ 九州大学総長 久保千春先生に聞く 『わたしの勉学時代』 関塾タイムス
- ^ a b c d e f 心身相関から社会と心を考える 『心と社会』No.121巻頭言 日本精神衛生会
- ^ 新春特別インタビュー 九州大学病院 久保千春院長 九州医事新報 2012年1月号
- ^ 理事紹介:久保千春 日本うつ病センター
- ^ 新病院長挨拶 (PDF) 九大病院だより 2008年4月号
- ^ 九州大学病院 久保千春病院長が来春退官 九州医事新報 2013年12月号
- ^ 九大学長に久保氏 「グローバルに躍進させる」 産経新聞 2014年7月18日付
- ^ 久保千春 第23代九州大学総長が就任 九州大学トピックス 2014年10月3日付
- ^ 認定NPO法人日本心療内科学会理事長に就任して日本心療内科学会
- ^ 「学長のご挨拶|」九州市民大学
- ^ 次期学長に久保千春氏を選任中村学園
外部リンク
[編集]- 総長室 - 九州大学
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