第二次世界大戦下の宣戦布告
この項目「第二次世界大戦下の宣戦布告」は途中まで翻訳されたものです。(原文:en:Declarations of war during World War IIの2022年2月6日 (日) 20:31 (UTC) の版) 翻訳作業に協力して下さる方を求めています。ノートページや履歴、翻訳のガイドラインも参照してください。要約欄への翻訳情報の記入をお忘れなく。(2022年2月) |
この項目「第二次世界大戦下の宣戦布告」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Declarations_of_war_during_World_War_II&oldid=1070309650 英語版"Declarations of war during World War II" 20:31, 6 February 2022 UTC) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2022年2月) |
この項目は、第二次世界大戦下の宣戦布告(だいにじせかいたいせんかのせんせんふこく)の時系列である。
宣戦布告は、他国との戦争に突入するにあたって行われる正式な行為である。二国間または多国間で戦争を行うために行為遂行的発話が行われるか中央政府の代表により署名された文書が提出される。宣戦布告に関する正式な国際法規は開戦に関する条約(1907年のハーグ条約)である[1]。
第二次世界大戦下で、国家間の戦争につながった、これらの行為の裏側で行われた外交戦略については、第二次世界大戦の外交史を参照。
一覧
[編集]下表は、第二次世界大戦における国家間の戦争の勃発をまとめたものである。
表に記載のあるのは、事実上の戦争状態が存在した日付と戦争を仕掛けた国とその相手国である。出来事については、物理的な攻撃を伴わない単純な断交や明らかな宣戦布告の他、宣戦布告なき侵略行為、武力衝突をまとめた。稀有なケースとして、二国間の戦争が断続的な和平期間を挟み二度起きたものもある。講和条約または休戦期間は含まない。
種類について | |
---|---|
A | 事前の宣戦布告なき攻撃 |
C | 正式な宣戦布告、手続きなし(開戦事由があって覆せない場合があった) |
U | 最後通牒を経て戦争に至った |
W | 正式に宣戦布告された |
日付 | 戦争を仕掛けた国 | 相手国 | 種類 | 備考 | 出来事 |
---|---|---|---|---|---|
1939-09-01 | ドイツ | ポーランド | U[2][3] | ドイツが午前4:44に攻撃開始(ベルリン、ワルシャワ時間)[4][2][5] | ポーランド侵攻 |
1939-09-01 | スロバキア共和国 | ポーランド | A | スロバキアのポーランド侵攻 | |
1939-09-03 | イギリス フランス オーストラリア ニュージーランド インド トンガ トランスヨルダン モロッコ チュニジア |
ドイツ | U[2][3] | ロンドン時間午前11時15分、ネヴィル・チェンバレン英首相が最後通牒演説を行った。ウェストミンスター憲章(1931年)はオーストラリアとニュージーランドの議会でまだ批准されていなかったため、英国の対独宣戦布告はこれらの領土にも適用された。トンガはイギリス領ではなかったが、イギリスと並んで個別に宣戦布告した。フランスの対独最後通告は17:00に失効した。 | United Kingdom declaration French declaration |
1939-09-04 | ネパール | ドイツ | W | ||
1939-09-06 | 南アフリカ | ドイツ | W[2][3] | Declaration | |
1939-09-10 | バーレーン カナダ オマーン |
ドイツ | W[2][3] | Declaration | |
1939-09-17 | ソビエト連邦 | ポーランド | A[2][3] | Invasion | |
1939-11-09 | クウェート | ドイツ | W | Kuwaiti Declaration of War | |
1939-11-30 | ソビエト連邦 | フィンランド | A[2][3] | この2国間の2度目の戦争(1918年から1920年のフィンランドの侵攻後)。 | 冬戦争 |
1940-04-09 | ドイツ | デンマーク ノルウェー |
A[2] | デンマークの戦い ヴェーザー演習作戦 | |
1940-04-12 | イギリス | フェロー諸島 | A[3] | フェロー諸島占領 | |
1940-05-10 | ドイツ | ベルギー オランダ |
A/W[2][3] | ベルギーとオランダから西側へのドイツ軍の攻勢開始日。 | |
1940-05-10 | ドイツ | ルクセンブルク | A[3] | ドイツのルクセンブルク侵攻 | |
1940-05-10 | イギリス | アイスランド | A | イギリスのアイスランド侵攻 | |
1940-06-?? | ドイツ | スイス | A | ドイツ空軍がフランス侵攻に伴いスイスの領空を侵犯。スイス空軍は、ドイツ空軍を迎撃、一部を撃墜している。 | 第二次世界大戦中のスイスへの空襲 |
1940-06-10 | イタリア | フランス イギリス |
W[2][3] | France and the UK | |
1940-06-10 | カナダ | イタリア | W[2] | Declaration | |
1940-06-11 | 南アフリカ オーストラリア ニュージーランド |
イタリア | W[2] | ||
1940-06-11 | フランス | イタリア | W[2] | Declaration | |
1940-06-25 | イギリス | ヴィシー・フランス | A | ヴィシー・フランスは1940年7月8日にイギリスとの国交を断絶 | メルセルケビール海戦 |
1940-09-09 | イタリア | エジプト王国 | A | エジプトからのイタリアの正式な宣戦布告はなし | イタリアのエジプト侵攻 |
1940-09-22 | 大日本帝国 | ヴィシー・フランス | A | 南支那方面軍の独断越境により武力進駐 | 仏印進駐 |
1940-09-23 | 自由フランス イギリス オーストラリア |
ヴィシー・フランス | A | Invasion | |
1940-10-?? | タイ | ヴィシー・フランス | A | Franco-Thai War | |
1940-10-28 | イタリア | ギリシャ王国 | U[3] | イタリアがギリシャに侵攻 | ギリシャ・イタリア戦争 |
1940-11-23 | ベルギー亡命政府(自由ベルギー軍) | イタリア | W[6] | Declaration | |
1941-02-05 | 自由フランス | イタリア | A | Invasion | |
1941-04-06 | ドイツ | ギリシャ王国 | W[2][3] | ギリシャの戦い | |
1941-04-06 | ドイツ | ユーゴスラビア王国 | A[2][3] | ユーゴスラビア侵攻 | |
1941-04-06 | イタリア | ユーゴスラビア王国 | A[3] | ユーゴスラビア侵攻 | |
1941-04-07 | ユーゴスラビア王国 | ハンガリー | A[7] | ドイツの侵攻後、ハンガリーに爆撃を行った | ユーゴスラビア侵攻 |
1941-04-14 | ドイツ | エジプト王国 | A | エジプトは1945年まで宣戦布告しなかった | ゾネンブルーメ作戦 |
1941-05-02 | イギリス | イラク | A | アングロ=イラク戦争 | |
1941-06-08 | 自由フランス | ドイツ | A | [要出典] | シリア・レバノン戦役 |
1941-06-22 | ドイツ イタリア ルーマニア |
ソビエト連邦 | A[2][3] | 攻撃時にドイツから時限宣戦布告があった[8]。 | バルバロッサ作戦 |
1941-06-22 | トゥヴァ人民共和国 | ドイツ | W | ソ連の衛星国。1944年に自治共和国としてソ連に併合 | |
1941-06-25 | フィンランド | ソビエト連邦 | W | フィンランドはソ連との戦争の一部と認識している | 継続戦争 |
1941-06-27 | ハンガリー | ソビエト連邦 | C[7] | ハンガリーの数カ所が爆撃された後、ハンガリー軍はソ連の攻撃と判断し、政府は議会の同意なしに、摂政不在のまま両国がすでに交戦状態にあると判断した。 | バルバロッサ作戦 |
1941-08-25 | ソビエト連邦 イギリス オーストラリア |
イラン | A | イラン進駐 | |
1941-12-05 | イギリス | フィンランド ルーマニア ハンガリー |
W[9] | Declaration | |
1941-12-06 | フィンランド ルーマニア |
イギリス | W[3] | Declaration | |
1941-12-07 | イギリス | ハンガリー | W[10] | 1941年12月5日の英国の宣戦布告は、1941年12月7日の午前0時1分に発効した。 | Declaration |
1941-12-07 | 大日本帝国 | アメリカ イギリス タイ |
W/A[2] | W (日本の認識); A (イギリス、アメリカの認識) | |
1941-12-07 | カナダ オーストラリア ニュージーランド |
フィンランド ルーマニア ハンガリー |
W[3] | Declaration | |
1941-12-07 | カナダ パナマ |
大日本帝国 | W[3] | Declaration | |
1941-12-08 | イギリス アメリカ カナダ オーストラリア コスタリカ ドミニカ共和国 エルサルバドル グアテマラ ハイチ ホンジュラス オランダ王国亡命政府 ニュージーランド ニカラグア フィリピン・コモンウェルス トンガ[11] |
大日本帝国 | W[3] |
イギリスの対日宣戦布告
| |
1941-12-08 | 南アフリカ | 大日本帝国 フィンランド ルーマニア ハンガリー |
W[3] | South African declaration | |
1941-12-08 | モンゴル人民共和国 | ドイツ | W[要出典] | ||
1941-12-08 | 満洲国 | アメリカ | W[3] | ||
1941-12-08 | 大日本帝国 | イギリス領マラヤ | A | マレー作戦 | |
1941-12-09 | オーストラリア ニュージーランド キューバ |
大日本帝国 | W[3] | ||
1941-12-09 | 中華民国 | ドイツ イタリア 大日本帝国 |
W[3] | 中華民国と日本は1937年から戦闘を行っている。 | 日中戦争 |
1941-12-11 | ドイツ イタリア |
アメリカ | W[2][3] | ||
1941-12-11 | アメリカ キューバ コスタリカ ドミニカ共和国 グアテマラ ニカラグア |
ドイツ イタリア |
W[3] | Germany | |
1941-12-11 | オランダ王国亡命政府 | イタリア | W[3] | Declaration | |
1941-12-11 | ポーランド亡命政府 | 大日本帝国 | W[2] | 日本は宣戦布告を拒否。当時の東条英機首相は「我々はポーランドの宣戦布告を受け入れない。ポーランド人は自身の自由のために戦っているのであり、宣戦布告はイギリスの圧力のせいである。」との声明を発表した | |
1941-12-12 | ルーマニア ブルガリア スロバキア共和国 |
アメリカ イギリス |
W[3] | ||
1941-12-12 | ハイチ エルサルバドル パナマ |
ドイツ イタリア |
W[3] | Declaration | |
1941-12-12 | オーストラリア オランダ |
ポルトガル | A | 日本軍による利用を警戒した保障占領。ポルトガル自体は第二次世界大戦中を通して中立を維持した。 | |
1941-12-13 | イギリス ニュージーランド 南アフリカ |
ブルガリア王国 | W[3] | ||
1941-12-13 | ホンジュラス | ドイツ イタリア |
W[3] | Declaration | |
1941-12-13 | イタリア | キューバ グアテマラ |
W[3] | Declaration | |
1941-12-14 | クロアチア独立国 | アメリカ イギリス |
W[3] | Declaration | |
1941-12-15 | ハンガリー | アメリカ | C[12] | 首相は議会と摂政の承認を得ずに米国大使にその旨を伝えたが、当初は「戦争」を意味するものではないと否定していた。大使がこの口頭での通告を拒否したため、翌日、首相は文書で通告を強化した。 | Declaration |
1941-12-16 | チェコスロバキア亡命政府 | ドイツ イタリア フィンランド ルーマニア ハンガリー 大日本帝国 ブルガリア王国 クロアチア独立国 スロバキア共和国 |
W[3] | チェコスロバキアは、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト社会主義共和国連邦と戦争状態にあるすべての国に宣戦布告。 | Declaration |
1941-12-16 | 大日本帝国 | サラワク王国 | A | 日本占領時期のイギリス領ボルネオ | |
1941-12-17 | アルバニア | アメリカ | W | Declaration | |
1941-12-19 | ニカラグア | ルーマニア ハンガリー ブルガリア |
W[3] | Declaration | |
1941-12-19 | ルーマニア | ニカラグア | W[13] | 枢軸国のうち、ルーマニアだけが同じ日にニカラグアに宣戦布告し、応酬した。 | Declaration |
1941-12-20 | ベルギー亡命政府 | 大日本帝国 | W | Declaration | |
1941-12-24 | ハイチ | ルーマニア ハンガリー ブルガリア |
W[3] | Declaration | |
1941-12-24 | ルーマニア | ハイチ | W[14] | 枢軸国のうち、ルーマニアだけが同じ日にハイチに宣戦布告し、応酬した。 | Declaration |
1942-01-01 | 連合国 | 枢軸国 | W | アルカディア会議で宣言 | Declaration |
1942-01-06 | オーストラリア | ブルガリア | W | Declaration | |
1942-01-25 | タイ | イギリス アメリカ |
A | 政府は米英に宣戦布告したが、駐米大使は宣戦布告の通達を拒否。1945年8月16日に対英米宣戦布告無効宣言 | Declaration |
1942-01-25 | イギリス ニュージーランド 南アフリカ |
タイ | W | ||
1942-02-19 | 大日本帝国 | ポルトガル | A | 日本軍が西半分のオランダ領東インド地域も含めて全島を占領。ポルトガル自体は第二次世界大戦を通じて中立を維持した。 | Invasion |
1942-03-02 | オーストラリア | タイ | W[3] | ||
1942-05-05 | 南アフリカ オランダ王国亡命政府 ポーランド |
ヴィシー・フランス | A | マダガスカルの戦い | |
1942-05-05 | イギリス 北ローデシア 南ローデシア 南アフリカ タンガニーカ ベルギー領コンゴ |
ヴィシー・フランス 大日本帝国 |
A | マダガスカルの戦い | |
1942-05-22 | メキシコ | ドイツ イタリア 大日本帝国 |
W[3] | Declaration | |
1942-06-05 | アメリカ | ハンガリー ルーマニア ブルガリア |
W[7] | United States Declaration of War upon Hungary United States Declaration of War upon Romania United States declaration of war upon Bulgaria | |
1942-06-13 | イロコイ連邦 | ドイツ イタリア 大日本帝国 |
W | 合衆国政府とは別に、枢軸国に対して公式に宣戦布告 | Declaration |
1942-08-22 | ブラジル | ドイツ イタリア |
W | Declaration | |
1942-11-08 | アメリカ合衆国 カナダ |
ヴィシー・フランス | A | Invasion | |
1942-11-10 | ドイツ イタリア |
ヴィシー・フランス | A | Invasion | |
1942-11-12 | ドイツ | チュニジア | A | Invasion | |
1942-12-14 | エチオピア帝国 | ドイツ イタリア 大日本帝国 |
W | ||
1943-01-09 | 汪兆銘政権 | アメリカ イギリス |
W[3] | Declaration | |
1943-01-17 | イラク | ドイツ イタリア 大日本帝国 |
W[3] | Declaration | |
1943-01-20 | チリ | ドイツ イタリア |
W | Declaration | |
1943-04-07 | ボリビア | ドイツ イタリア 大日本帝国 枢軸国 |
W | ボリビアは1943年4月7日に連合国に加盟し宣戦布告したが、実際に軍が戦地に派遣されることはなかった。 | Declaration |
1943-07-12 | スイス | イギリス | A | スイス軍の対空砲火によって、スイスの領空を通過中のイギリス空軍の爆撃機2機が撃墜される[15]。 | 第二次世界大戦中のスイスへの空襲 |
1943-08-01 | ビルマ国 | アメリカ イギリス |
W[3] | Declaration | |
1943-09-08 | ドイツ | イタリア アルバニア |
A | イタリアが連合国に降伏した直後、ドイツはアッシェ作戦を発動し、イタリアとイタリアの支配地域(衛星国であったアルバニアなど)へ速やかに侵攻した。 | Operation Achse, German occupation of Albania |
1943-09-09 | イラン | ドイツ | W | Declaration | |
1943-10-01 | スイス | アメリカ | A | スイス領空に侵入したアメリカ軍爆撃機がスイス軍によって撃墜[16]。 | 第二次世界大戦中のスイスへの空襲 |
1943-10-13 | イタリア | ドイツ | W[2] | ムッソリーニ解任後、無条件降伏を経て連合国の共同参戦国(連合国の一員とは認められず)として宣戦。宣戦布告はピエトロ・バドリオからマドリードのドイツ大使に渡された。 | Declaration |
1943-11-26 | コロンビア | ドイツ | W | 第二次世界大戦下のコロンビアを参照 | Declaration |
1944-01-17 | 自由フランス | イタリア社会共和国 | A | モンテ・カッシーノの戦い | |
1944-01-27 | リベリア | ドイツ 大日本帝国 |
W | Declaration | |
1944-04-01 | アメリカ合衆国 | スイス | A | アメリカ陸軍航空軍がシャフハウゼンへの昼間爆撃をおこなう。なお、スイスは第二次世界大戦を通じて中立の立場を維持した。 | 第二次世界大戦中のスイスへの空襲 |
1944-06-06 | フランス共和国臨時政府 | ドイツ | A | Invasion | |
1944-07-25 | フランス共和国臨時政府 | 大日本帝国 | A | Invasion | |
1944-08-25 | ルーマニア | ドイツ | W[3] | ソ連侵攻に伴う政変によって枢軸国から離脱。共同参戦国扱い | Declaration |
1944-09-05 | ソビエト連邦 | ブルガリア | W | Declaration | |
1944-09-07 | ハンガリー | ルーマニア | W[3] | Declaration | |
1944-09-07 | ルーマニア | ハンガリー | W[3] | Declaration | |
1944-09-08 | ブルガリア | ドイツ | W | ソ連侵攻に伴う政変によって枢軸国から離脱。共同参戦国扱い | Declaration |
1944-09-15 | ドイツ | フィンランド | A | Lapland War | |
1944-09-21 | サンマリノ | ドイツ イタリア社会共和国 |
A | Battle of San Marino | |
1944-09-23 | フィリピン第二共和国 | アメリカ イギリス |
W[17] | Philippine declaration | |
1944-12-28 | ハンガリー王国 | ナチス・ドイツ | W[18] | デブレツェン市にで成立した臨時国民政府がソ連と休戦し、ドイツに対し宣戦布告した。共同参戦国扱い | Hungarian declaration |
1945-02-02 | エクアドル | ドイツ 大日本帝国 |
W | Ecuadorian declaration | |
1945-02-07 | パラグアイ | ドイツ 大日本帝国 |
W | Paraguayan declaration | |
1945-02-12 | ペルー | ドイツ 大日本帝国 |
W[3] | Declaration | |
1945-02-15 | ベネズエラ ウルグアイ |
ドイツ 大日本帝国 |
W | ||
1945-02-23 | トルコ | ドイツ 大日本帝国 |
W | Declaration | |
1945-02-24 | エジプト王国 | ドイツ 大日本帝国 |
W | Declaration | |
1945-02-26 | シリア レバノン |
ドイツ 大日本帝国 |
W | Declaration | |
1945-02-28 | サウジアラビア | ドイツ | W | Declaration | |
1945-03-01 | サウジアラビア | 大日本帝国 | W[3] | Declaration | |
1945-03-01 | イラン | 大日本帝国 | W[3] | イラン、前日に遡って日本に宣戦布告(1945年2月28日) | Declaration |
1945-03-03 | フィンランド | ドイツ | W | フィンランド、1944年のモスクワ休戦協定に基づき、1944年9月15日に遡ってドイツに宣戦布告。共同参戦国扱い | ラップランド戦争 |
1945-03-07 | ルーマニア | 大日本帝国 | W[3] | Declaration | |
1945-03-27 | アルゼンチン | ドイツ 大日本帝国 |
W | ||
1945-04-11 | チリ | 大日本帝国 | W | Declaration | |
1945-06-07 | ブラジル | 大日本帝国 | W[3] | Declaration | |
1945-07-09 | ノルウェー亡命政府 | 大日本帝国 | W | ノルウェー亡命政府、1941年12月7日、日本への宣戦布告を発表 | Declaration[19] |
1945-07-14 | イタリア | 大日本帝国 | W | Declaration | |
1945-08-08 | ソビエト連邦 | 大日本帝国 | W[2] | 第二次世界大戦の全期間中、最後の戦争勃発 | ソ連対日参戦 |
1945-08-10 | モンゴル人民共和国 | 大日本帝国 | W[20] | W(デジュール) A(デファクト 1945年8月9日) ソ連軍との国境を越えた24時間後に宣戦布告 |
ギャラリー
[編集]-
ドイツ大使ハンス=アドルフ・フォン・モルトケ、ポーランドの指導者ユゼフ・ピウスツキ、ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、ユゼフ・ベック。ドイツ・ポーランド不可侵条約締結から5か月後の1934年6月15日にワルシャワで行われた会談にて。
-
1939年9月23日、ポーランド侵攻の終結に伴い、東ポーランドのブレスト=リトフスクで行われたドイツ国防軍と赤軍の共同軍事パレードの際の写真。左からマウリッツ・フォン・ヴィクトリン、ハインツ・グデーリアン、セミョーン・クリヴォシェイン。
-
1939年10月16日、ユホ・クスティ・パーシキヴィらが交渉のためモスクワに到着した。左から、Aarno Yrjö-Koskinen(英語版)、パーシキヴィ、Johan Nykopp(英語版)、アルダー・パーソネン。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ On the Opening of Hostilities; 1907; Yale Law School Library; retrieved March 2014.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u "2194 Days of War"; (1977); Salmaggi, C. & Pallasvini, A.; ISBN 91-582-0426-1; per tables included. [Italian; American]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av Doody, Richard, “Chronology of World War II Diplomacy 1939 - 1945”, World at War, オリジナルのMay 5, 2016時点におけるアーカイブ。 February 2014閲覧。
- ^ “Germans invade Poland”. History.com. 1 December 2019閲覧。
- ^ “BBC ON THIS DAY | 1”. news.bbc.co.uk. 2022年4月10日閲覧。
- ^ Veranneman, Jean-Michel (30 September 2014). Belgium in WWII. ISBN 9781783376070
- ^ a b c “Táblázat az egyes államok hadiállapotba kerüléséről”. arcanum.hu. Arcanum Adatbázis Kft.. 2022年4月10日閲覧。
- ^ "The Rise and Fall of the Third Reich"; Shirer, William L
- ^ “BBC - WW2 People's War - Timeline”. www.bbc.co.uk. 2022年4月10日閲覧。
- ^ “Hadiállapot Magyarország és Nagy-Britannia között”. arcanum.hu. Arcanum Adatbázis Kft.. 2022年4月10日閲覧。
- ^ “The United States Invasion of Tonga In 1942”. 2005年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。23 July 2021閲覧。
- ^ Draveczki-Ury, Ádám (11 December 2011). “Hetven éve történt: hadüzenet az Egyesült Államoknak”. honvedelem.hu. Honvédelmi Minisztérium. 2022年4月10日閲覧。
- ^ Dr Erik Goldstein, Routledge, 2005, Wars and Peace Treaties: 1816 to 1991, p. 218
- ^ Dr Erik Goldstein, Routledge, 2005, Wars and Peace Treaties: 1816 to 1991, p. 217
- ^ “Der Archivar - Abgeschossen von der neutralen Schweiz”. Schweizer Radio und Fernsehen (SRF) (September 7, 2015). 2021年3月22日閲覧。
- ^ “Der Archivar - Abgeschossen von der neutralen Schweiz”. Schweizer Radio und Fernsehen (SRF) (September 7, 2015). 2021年3月22日閲覧。
- ^ “1. United States/Philippines (1898-1946)”. 2022年4月10日閲覧。
- ^ “Az új államiság kiépítése Magyarországon | Magyarok a II. világháborúban | Kézikönyvtár”. www.arcanum.hu. 2021年4月1日閲覧。
- ^ “Norway Declares War on Japan”. p. 1 (9 July 1945). 2022年4月10日閲覧。
- ^ Christopher P. Atwood (1999), "Sino-Soviet Diplomacy and the Second Partition of Mongolia, 1945–1946", Mongolia in the Twentieth Century: Landlocked Cosmopolitan, Bruce A. Elleman and Stephen Kotkin, eds. (Armonk, NY: M. E. Sharpe), 147.