ビルマ国
| ビルマ国 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| ဗမာနိုင်ငံတော် | |||||
|
| |||||
|
国歌:တို့ဗမာသီချင်း[1] ドバマ・タチン | |||||
| 公用語 |
ビルマ語[要検証] 英語 日本語 | ||||
| 宗教 |
国家神道 仏教 キリスト教 | ||||
| 首都 | ラングーン | ||||
| 国家代表 | |||||
| 1943年 - 1945年 | バー・モウ | ||||
| 内閣総理大臣 | |||||
| 1943年 - 1945年 | バー・モウ | ||||
| 面積 | |||||
| 678,500km² | |||||
| 人口 | |||||
| 18,846,800人 | |||||
| 変遷 | |||||
| 建国宣言 | 1943年8月1日 | ||||
| イギリスに占領 | 1945年3月27日 | ||||
| 通貨 | チャット | ||||
| 時間帯 | UTC+6:30(DST:無し) | ||||
| |||||
| ミャンマーの歴史 |
|---|
| ピュー (–10世紀) |
| モン王国 (825?–1057) |
| パガン王朝 (849–1298) |
| ペグー(ハンターワディー)王朝 (1287–1539) |
| ピンヤ朝 (1313–1364) |
| アヴァ王朝 (1364–1555) |
| タウングー王朝 (1510–1752) |
| ペグー王朝 (1740–1757) |
| コンバウン王朝 (1752–1885) |
| イギリス統治下 (1824–1948) |
| 英緬戦争 (1824-1852) |
| ビルマ国 (1943–1945) |
| 現代 (1948–現在) |
| ビルマ連邦 (1948–1962) |
| ビルマ連邦社会主義共和国 (1962-1988) |
| (ビルマ式社会主義) |
| ミャンマー連邦 (1988–2010) |
| ミャンマー連邦共和国 (2010–現在) |
ビルマ国(ビルマこく、ဗမာနိုင်ငံတော်、英語: State of Burma)は、1943年(昭和18年)8月1日から1945年(昭和20年)3月27日にかけて、日本占領時期のビルマ(現ミャンマー)に存在した日本の傀儡国家である。
成立
[編集]1941年(昭和16年)12月26日、アウンサン率いるビルマ独立義勇軍(BIA)が設立され、日本軍(緬甸方面軍)と共にイギリス統治下のビルマへと進軍(ビルマの戦い)、翌1942年6月にはイギリス軍を駆逐してミャンマーを占領した[2]。
1943年3月10日、大本営政府連絡会議は「緬甸独立指導要綱」を策定[3]し、同月18日東京を訪れたバー・モウとアウンサンらに「独立」に関する指示を与えた。しかし、件の要綱はミャンマーを「指導者国家」とすべしと定めており、王政も議会制も集団独裁体制も排され、日本軍から適任とされたバー・モウを首班とする個人独裁体制が採られることになった[注釈 1][4]。
同年8月1日、ビルマ国の独立が宣言され、英領ビルマ初代首相だったバー・モウが国家代表(Naingandaw Adipadi)兼首相に就任[注釈 2]。ビルマ国を承認したのは日本[5]、ドイツ、イタリア、タイ、中華民国(汪兆銘政権)、満州国[6]、クロアチア、スロバキア、ブルガリア、バチカン市国の10か国、祝福のメッセージを送ったのは、スペイン、フランス、仏領インドシナだった[7]。また独立と同時に、ラジオ放送を通じてアメリカとイギリスに対して宣戦布告した[8]。
ビルマ国は憲法にあたる全64条からなる国家構成に関する基本法を制定し、その中で主権を有する「完全なる独立国家」とした[9]。国会代表のバー・モウには立法大権、行政大権、任命大権、統帥大権、認可大権が認められ、国家代表の諮問機関として枢密院が設置されたが、議会はなく、内閣は国家代表にその責任を負った[10]。一方、独立と同時に締結された「日本国緬甸国軍事秘密協定」[11]により、約20万人の日本軍は引き続きミャンマーへの駐留が認められ、その行動の自由が保障され、軍隊(ビルマ国民軍)と警察に対する指揮権が認められていた。つまり、突出した権限を有するバー・モウさえ操れば、日本軍の思いどおりになる体制が整えられており、独立とは名ばかりの日本の傀儡政権だったのである[7]。
バー・モウは、閣僚15名と枢密院議員17名を任命し[12]、その大半は親英エリートミャンマー人だったが、アウンサンを国防大臣に(ビルマ国民軍《BNA》最高司令官も兼任)、ウー・ヌを外務大臣に任命するなどタキン党の人材も登用した[2]。
経緯
[編集]バー・モウは、日本に認められた「合法」的枠内に限定されていたとはいえ、ミャンマー語の公用化推進、行政区画の簡素化、国軍独自の軍法作成など精力的に改革に取り組んだ。また、日本軍の主権侵害には強く抗議し、必ずしも日本の言いなりではない側面もあった。バー・モウは1943年11月4日・5日に東京で開催された大東亜会議にも出席し、のちに大東亜会議が1955年のアジア・アフリカ会議の精神を先取りしていたと評価している[13]。
ただ、日本支配の評判たるや惨憺たるもので、日本軍がミャンマーに持ちこんだ憲兵隊は、反日活動の疑いをかけた者を容赦なく拷問にかけ、気に入らないことがあれば一般市民を平手打ちし[14]、コレラの予防注射証明書の提出が遅い女性のスカートを公衆の面前でまくるなど乱暴狼藉を働いた。憲兵隊は「キンペイタイ」と今でもミャンマー語に残り、語り草になっている。また本来裸足入るべきパゴダに軍靴のまま上がったり、ミャンマーではご法度な人前で全裸になって水浴びをしたり、ミャンマーの価値観にそぐわない日本兵たちの行動も顰蹙を買った[15]。
のちに国連事務総長となったウ・タントは以下のように回想している[12]。
例えば、日本の一等兵は、自分に対して無礼な態度を取ったビルマ人を平手打ちした。その結果、4年間の日本統治下におけるビルマ人の気分は、激しい恐怖感と完全な無力感に特徴づけられた…私が驚いたのは、私の経験上、最も教養があり、最も文明的で、最も礼儀正しい国民の一つである日本人が、最も傲慢で残忍な支配者になり得るという事実だった。 — ウ・タント
また日本軍は、1942年10月以降は早くも制空権を失い、主要都市や軍事基地が英空軍の空襲に晒され、建物・インフラが破壊された。また最大の輸出品だった米は、国際市場との繋がりの喪失、日本軍による家畜の徴発、労働者の徴用、インド人の大量退去による労働力不足、前述のインフラ破壊により、1938‐1939年度には輸出量が330万トンだったのに、1943‐1994年度には30万トンにまで減少し、作付面積と生産量も大幅に減少した。そんな中で日本軍は軍票を乱発したので、物価は1941年12月から1945年6月にかけて87倍に上昇、ハイパーインフレーションは人々の生活を圧迫した。1942年6月から始まった泰緬鉄道の建設には、ミャンマー人も10万6千人徴用され、劣悪な労働環境と拷問のせいで4万人以上が命を落とした[16]。
崩壊
[編集]1944年3月から7月にかけて展開されたインパール作戦が失敗に終わると、日本の戦局は悪化の一途を辿り、同年4月25日、バー・モウは、南方軍ビルマ方面軍参謀副長・磯村武亮の教唆を受けた参謀部情報班所属の浅井得一に暗殺されそうになったが、護衛していた兵士が警戒してことなきを得た[17]。
1945年3月27日、アウンサン率いる反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)が抗日蜂起を開始[注釈 3]。日本軍に見捨てられたバー・モウは、4月23日、自ら中古バスをチャーターして、ラングーンからモーラミャインの南のムドン村まで逃げのびた。バーモウはしばらくそこで身を隠していたが、8月14日夜、日本のポツダム宣言受諾を知ると、最後の閣議を開いてビルマ国としても宣言を受諾する旨を決定し、ここにビルマ国はその短い歴史に幕を下ろした[2]。
その後
[編集]現在、ミャンマー政府は、ミャンマー独立をビルマ連邦が成立した1948年としており、ビルマ国との連続性を認めていない。またミャンマー国軍は1945年3月27日の対日一斉蜂起を成立日とし国軍記念日としている(しばしば勘違いされているがビルマ独立義勇軍の成立は12月26日であり、3月27日のミャンマー国軍記念日とは関係がない)。一方でミャンマー政府は1981年4月、独立に貢献した南機関の鈴木敬司ら旧日本軍人7人に、国家最高の栄誉「アウンサン・タゴン(=アウン・サンの旗)勲章」を授与している[18]。
教育政策
[編集]日本側は日本語に英語に代わる外国語として学校で教えるよう主張したが、バー・モウは、膨大な英語文献をミャンマー語に翻訳することが当面の課題だと主張し、学校とは別に日本語学校は設立されたものの、日本語は選択科目とされた[19]。
美術
[編集]ビルマ国発足に関連して、日本の著名な従軍画家の手により戦争記録画が製作された。それらの多くは戦後、GHQに軍国主義的であると判断されて没収。1970年(昭和45年)、アメリカ合衆国から無期限貸与の形で日本に返還され、いずれも東京国立近代美術館に収蔵されている[20]。
ビルマ国政府
[編集]最初のビルマ国内閣は、以下のとおりである。
- バー・モウ, 首相兼国家代表
- Thakin Mya, 副首相
- バー・ウィン, 内務相
- ウー・ヌ, 外務相
- テイン・マウン (駐日ビルマ大使), 財務相(日本駐在ビルマ大使に任命された後、U Setに交替)
- アウン・サン, 国防相
- Thein Maung, 司法相
- Hla Min, 教育・保健相
- タキン・タン・トゥン, 農務相(後に運輸相)
- U Mya, 商工相
- Thakin Lay Maung, 通信・灌漑相
- Bandula U Sein, 福祉・広報相
- Tun Aung, 対日協力相
- Thakin Lun Baw, 公共事業復興相
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 当初、日本軍はコンバウン朝最後の王ティーボーの異母兄弟・ピンミナ王子(Pyinmina Prince)を王位に就けることを検討していたが、実現しなかった。その後、バー・モウが日本の言いなりになるような人物ではないことも発覚し、当たり障りのないウー・ヌを首相にしようと画策されたが、これにも失敗した。
- ↑ Naingandaw Adipadiは、ミャンマー語では「国家元首」を意味する一般名詞だが日本では「国家代表」と訳することが多い。バー・モウはミャンマー国内に向けては「Naingandaw Adipadi」を名乗っていたが、共和制を忌避する日本に配慮し、対外的には首相を名乗った。1943年11月には東京で開かれた大東亜会議にバー・モウが参加しているが、大東亜共同宣言には「ビルマ国内閣総理大臣」として署名している。
- ↑ なお、この敗走の過程で、日本軍は第一モールメン・タキン事件、カラゴン事件といった戦争犯罪を引き起こしている
出典
[編集]- ↑ Nippon News, Number 166, Nippon News, No. 166, August 11, 1943 (video). NHK International Inc. 11 August 1943.
- 1 2 3 根本 2010, pp. 62–88.
- ↑ 参謀本部 編『杉山メモ』 下、原書房〈明治百年史叢書〉、1967年、388-391頁。国立国会図書館書誌ID:000001090702。
- ↑ 根本 1996, pp. 118–119.
- ↑ 外務省條約局 編「日本國「ビルマ國」間同盟條約」『第二次世界戦争関係条約集』日本外政協会、1943年12月18日、443-443ノ2頁。NDLJP:1445259/255。
- ↑ 康徳10年8月3日外交部佈告第1号(『政府公報』号外, 康徳10年8月3日, 1頁国立国会図書館書誌ID:000000022501-i6039171
- 1 2 阿曽村・奥平 2016, pp. 83–88.
- ↑ 「ビルマ対英米宣戦布告」『同盟世界週報』第24巻第33号、同盟通信社、1943年8月、1233-1234頁。
- ↑ 「新生ビルマの陣容」『外交時報』第107巻第4号、外交時報社、1943年8月15日、68-70頁、国立国会図書館書誌ID:000000003175。
- ↑ 根本 1996, p. 120.
- ↑ 防衛庁防衛研修所戦史室 1967, p. 544
- 1 2 Thant Myint-U 2008, 10.THE IMPORTANCE OF DRESSING UP.
- ↑ バー・モウ 著、横堀洋一 訳『ビルマの夜明け』太陽出版、1973年、351頁。国立国会図書館書誌ID:000001215900。
- ↑ ミャンマーでは大変無礼な行為である。
- ↑ 鈴木 1977, pp. 125–131.
- ↑ 根本 1996, p. 124.
- ↑ 『ビルマの夜明け - バー・モウ(元国家元首)独立運動回想録』373頁。
- ↑ 藤井厳喜「教科書が教えない歴史 ミャンマー、インドネシア独立に尽力した日本人に勲章]」夕刊フジ 2014年2月26日
- ↑ 根本 2010, p. 71.
- ↑ 25年ぶり戦争絵画 報道関係者に公開『朝日新聞』昭和45年(1970年)6月16日夕刊、3版、9面
- ↑ “伊原宇三郎 1894 - 1976 IHARA, Usaburo 作品詳細”. 独立行政法人国立美術館. 2022年9月2日閲覧。
- ↑ “小磯良平 1903 - 1988 KOISO, Ryohei 作品詳細”. 独立行政法人国立美術館. 2022年9月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 太田常蔵『ビルマにおける日本軍政史の研究』吉川弘文館、1967年。国立国会図書館書誌ID:000001090799。
- 鈴木, 孝『ビルマという国―その歴史と回想』国際PHP研究所、1977年。
- 根本敬「ビルマ近・現代史研究における「日本占領期」の扱われ方 J.Beckaの学位論文(1983)の書評を中心に」『東南アジア -歴史と文化-』第1985巻第14号、東南アジア学会、1985年、102-121頁、doi:10.5512/sea.1985.102。
- 根本, 敬『アウン・サン―封印された独立ビルマの夢』岩波書店、1996年。ISBN 978-4000048682。
- 阿曽村邦昭、奥平龍二 編『ミャンマー: 国家と民族』古今書院、2016年。ISBN 978-4772281164。
- 防衛庁防衛研修所戦史室 編『ビルマ攻略作戦』朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1967年。国立国会図書館書誌ID:000001104734。
- Thant Myint-U (2008). The River of Lost Footsteps. Faber & Faber. ISBN 978-0571217595