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また、同期である[[今西錦司]]らとともに登山家としても知られ、1958年には、京都大学学士山岳会の隊長として、[[パキスタン]]領の[[チョゴリザ|チョゴリザ山]]への登頂を成功に導いた。登山に関する著書も多い。
また、同期である[[今西錦司]]らとともに登山家としても知られ、1958年には、京都大学学士山岳会の隊長として、[[パキスタン]]領の[[チョゴリザ|チョゴリザ山]]への登頂を成功に導いた。登山に関する著書も多い。


1984年(昭和59年)から[[世界平和アピール七人委員会]]の委員も務めた。1966年(昭和41年)[[勲章#フランスの勲章|フランス共和国国家勲功騎士章]]。1974年(昭和49年[[瑞宝章|勲二等瑞宝章]]。1975年(昭和50年)[[朝日文化賞]]。1977年(昭和52年)[[日本芸術院]]会員。1979年(昭和54年)[[文化功労者]]顕彰。1987年(昭和62年)[[文化勲章]]受章。1988年(昭和63年)春し、贈[[従三位]]、贈[[瑞宝大綬章|勲一等瑞宝章]]
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1966年(昭和41年)[[勲章#フランスの勲章|フランス共和国国家勲功騎士章]]。1974年(昭和49年)[[瑞宝章|勲二等瑞宝章]]。1975年(昭和50年)[[朝日文化賞]]。1977年(昭和52年)[[日本芸術院]]会員。1979年(昭和54年)[[文化功労者]]顕彰。1987年(昭和62年)[[文化勲章]]受章。1988年(昭和63年)春に病没し、贈[[従三位]]、贈[[瑞宝大綬章|勲一等瑞宝章]]。

== 記念 ==
1998年(平成10年)から2012年(平成24年)まで、人文科学系の優秀な書籍を対象に[[桑原武夫学芸賞]]が授与されている。
1998年(平成10年)から2012年(平成24年)まで、人文科学系の優秀な書籍を対象に[[桑原武夫学芸賞]]が授与されている。


郷里敦賀市の市立図書館の館内には桑原の胸像が建てられている。
郷里敦賀市の[[敦賀市立図書館]]の館内には桑原の胸像が建てられている。

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=== 旧蔵書 ===
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==著作==
==著作==
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*[[古都 (小説)]]
*[[古都 (小説)]]
*[[国際日本文化研究センター]]
*[[国際日本文化研究センター]]

== エピソード ==
*1988年に遺族から京都市へ寄贈された桑原の蔵書約1万冊が、遺族への相談もないまま、2015年に京都市によって誤廃棄されていたことが分かった。


== その他 ==
== その他 ==
*[[東京女子大学]]名誉教授で法学者・[[教会法]]学者の[[桑原武夫 (法学者)|桑原武夫]]、[[脳神経外科学]]者・[[医師]]の[[桑原武夫 (脳神経外科学者)|桑原武夫]]はいずれも別人。
*[[東京女子大学]]名誉教授で法学者・[[教会法]]学者の[[桑原武夫 (法学者)|桑原武夫]]、[[脳神経外科学]]者・[[医師]]の[[桑原武夫 (脳神経外科学者)|桑原武夫]]はいずれも別人。

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2017年4月29日 (土) 02:31時点における版

桑原 武夫(くわばら たけお、1904年明治37年)5月10日 - 1988年昭和63年)4月10日)は、日本フランス文学・文化研究者、評論家文化勲章受章。人文科学における共同研究の先駆的指導者でもあった。

来歴・人物

福井県敦賀郡敦賀町蓬莱(のち敦賀市)の出身。父は京都帝国大学教授東洋史専攻の桑原隲蔵(じつぞう)。敦賀は里帰り出産の地なので実質的には京都生まれだが、本人が敦賀に愛着を持ちこの経歴を称し続けた。

京都一中三高を経て、1928年(昭和3年)、京都帝国大学文学部卒業旧制大阪高校教授兼京都大学文学部講師を経て1943年(昭和18年)、東北帝国大学法文学部助教授。1948年(昭和23年)、京都大学人文科学研究所教授、1959年(昭和34年)同所長、1968年(昭和43年)定年退官、名誉教授

スタンダールアランの研究により、フランスの文学や評論を広く日本に紹介した。父・隲蔵の関係もあり、早くから西田幾多郎内藤湖南ら戦前の京都学派の碩学の謦咳に直接接することが多く、戦後は同年代の吉川幸次郎貝塚茂樹などの戦後の京都学派の中心的存在として、戦後のさまざまな文化的ムーブメントに主導的な役割を担った。

フランス文学にとどまらず、多方面に亘る深い学識と行動力は各方面に及び、俳句を論じた「第二芸術」(『世界』1946年)は論議を呼んだ。 また、京大人文研を根拠地として、学際的な、さまざまの分野の研究者を組織することにより、先駆的な共同研究システムを推進したことでも知られる。『フランス百科全書の研究』『ルソー研究』(1951年、毎日出版文化賞)、『宮本武蔵と日本人』など、日本の人文科学分野の研究における数々の業績を通じて、梅棹忠夫梅原猛上山春平鶴見俊輔多田道太郎ら多くの文化人の育ての親となった。

時代背景もあり、『百科全書』派研究などが同時代のフランスで高い評価を受けたわけではない[要出典]。また国内でも和洋漢に及んで「浅く広い」桑原の仕事をディレッタント(好事家、学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)視する学者もあった。有名な「第二芸術論」も、アイヴァー・リチャーズが『実践批評』で用いた手法をそのまま転用したものであることが外山滋比古によって指摘されている[要出典]。このことを指していったのではないだろうが、小松左京は「ある人が『あなたのやったことはみな思いつきに過ぎない』と批判したところ桑原さんは『思いつきかも知れないが、おまえ思いつきいうてみい』と切り返した」と回想している[要出典]

岩波書店中央公論社等の出版社との連携も強く、戦後の出版ブームでは『文学入門』『日本の名著』など今日に残る新書のベストセラーを数多く出版した。生前に朝日新聞社と岩波書店からそれぞれ全集が発刊されている。

また、同期である今西錦司らとともに登山家としても知られ、1958年には、京都大学学士山岳会の隊長として、パキスタン領のチョゴリザ山への登頂を成功に導いた。登山に関する著書も多い。

1984年(昭和59年)から世界平和アピール七人委員会の委員も務めた。1981年(昭和56年)には京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)初代所長に就任、没するまで務めた[1]

1966年(昭和41年)フランス共和国国家勲功騎士章。1974年(昭和49年)勲二等瑞宝章。1975年(昭和50年)朝日文化賞。1977年(昭和52年)日本芸術院会員。1979年(昭和54年)文化功労者顕彰。1987年(昭和62年)文化勲章受章。1988年(昭和63年)春に病没し、贈従三位、贈勲一等瑞宝章

記念

1998年(平成10年)から2012年(平成24年)まで、人文科学系の優秀な書籍を対象に桑原武夫学芸賞が授与されている。

郷里敦賀市の敦賀市立図書館の館内には、桑原の胸像が建てられている。

京都市右京中央図書館には「桑原武夫コーナー」が設けられ、生前に使用していた机や椅子、直筆のノートが展示されている[2][3]

旧蔵書

蔵書のうち、特に学術的価値の高いものは生前に京都大学に寄贈され[4][3]、人文科学研究所図書室に「桑原武夫文庫」(1047冊)が設けられている[5]

没後、京都市国際交流会館開設(1989年)に合わせ、1988年に蔵書約1万冊(古典の全集[4]、フランス語の哲学書籍など[2]を含む)が京都市に寄贈された[2][3]。国際交流会館には生前の書斎を再現した記念室が設けられ、旧蔵書は一般公開されていた[4][3]。2008年、右京中央図書館の開設に伴い、桑原の記念室は同館に移されることとなったが[2][4]、旧蔵書は市立図書館の蔵書との重複が多いとして正式な登録がなされず[4]、保管スペースがないとして別の図書館の倉庫に移された上[2][4][3]、2015年に遺族に無断で廃棄処分された[2][4][3]。2017年にこのことが判明、廃棄を承認した担当部長の処分とともに公表された[2][4][3]

著作

単著

  • 『事実と創作』 創元社、1943年、講談社学術文庫、1977年
  • 『囘想の山山』 七丈書院、1944年
  • 『ざくろの花』 生活社、1946年
  • 『フランス印象記』 弘文堂書房、1947年、講談社学術文庫、1978年
  • 『現代日本文化の反省』 白日書院、1947年
  • 『現代フランス文学の諸相』 筑摩書房、1949年 
  • 『人間素描』 中央公論社、1950年、筑摩叢書(新編)、1976年
  • 『文学入門』 岩波新書、1950年
  • 『宛名のない手紙』 弘文堂、1951年
  • 『歴史と文学』 新潮社、1951年 
  • 『近代文学入門』 三笠書房、1952年
  • 『第二芸術論』 河出書房、1952年、講談社学術文庫、1976年
  • 『文化への発言』 創文社、1953年
  • 『登山の文化史』 創元社、1953年、のち新潮文庫平凡社ライブラリー、1997年
  • 『世界文学入門』 新評論社、1954年 
  • 『雲の中を歩んではならない』 文藝春秋新社、1955年 
  • 『ソ連・中国の印象』 人文書院、1955年
  • 『フランス的ということ — 桑原武夫文芸評論集』 岩波書店、1957年
  • 『この人々』 文藝春秋新社、1958年 
  • 『チョゴリザ登頂』 文藝春秋新社、1959年 
  • 『研究者と実践者』 中央公論社、1960年 
  • 『時のながれ』 河出書房新社、1961年 
  • 『日本文化の考え方 — 評論とおしゃべり』 白水社、1963年 
  • 『発展しつつある国々 — インド・ネパール・アフリカ紀行』 河出書房新社、1963年 
  • 『「宮本武蔵」と日本人』 講談社現代新書、1964年
  • 『詩人の手紙 — 三好達治の友情』 筑摩書房、1965年、増補新版1982年 
  • 『フランス文学論』 筑摩書房、1967年
  • 桑原武夫紀行文集』1・2・3  河出書房、1968年 
  • 桑原武夫全集』全7巻  朝日新聞社、1968–69年
  • 『思い出すこと 忘れえぬ人』 文藝春秋、1971年、講談社文芸文庫(新編)、1990年
  • 『伝統と近代』 文藝春秋〈人と思想〉、1972年。代表作選集 
  • 論語 — 中国詩文選』 筑摩書房、1974年、新版1982年、ちくま文庫、1985年
  • 『ヨーロッパ文明と日本』 朝日選書、1974年、のち新版
  • 『文明感想集』 筑摩書房、1975年 
  • 『フランス学序説』 講談社学術文庫、1976年 
  • 『文学序説』 岩波全書、1977年。新版・岩波全書セレクション、2005年
  • 『わたしの読書遍歴』 潮出版社、1978年、新版1991年、潮文庫、1986年
  • 『文章作法』 潮出版社、1980年、潮文庫、1984年。潮ライブラリー、1999年
  • 桑原武夫集』全10巻  岩波書店、1980–81年
  • 『桑原武夫集』 富士正晴編、現代の随想21、弥生書房、1982年
  • 『昔の人 — 今の状況』 エセー集、岩波書店、1983年 
  • 『日本文化の活性化 — エセー・一九八三年–八八年』 岩波書店、1988年、遺著

共著・伝記

  • 『文学と女の生き方』 生島遼一共著、中央公論社、1952年
  • 『新唐詩選続篇』 吉川幸次郎共著、岩波新書、1954年 
  • 『日本の眼 外国の眼』 桑原武夫対話集、中央公論社、1972年 
  • 『人間史観 — 桑原武夫対談集』 潮出版社、1983年
  • 『日本語考 — 桑原武夫対談集』 潮出版社、1984年 
  • 『桑原武夫伝習録』 梅棹忠夫司馬遼太郎編、潮出版社、1981年
  • 『桑原武夫 その文学と未来構想』 杉本秀太郎編、淡交社、1996年

編著・共編著

  • 『科学読本』 野田又夫共編、白水社、1943年
  • 『ルソー研究』 岩波書店、1951年
  • 『18世紀フランス』 河出書房、1952年 
  • 『フランス百科全書の研究』 岩波書店、1954年 
  • 『フランス革命の指導者』 創元社、1956年
  • 『一日一言 — 人類の知恵』 岩波新書、1956年
  • 『岩波小辞典西洋文学』 岩波書店、1956年 
  • 『フランス革命の研究』 岩波書店、1959年 
  • 『世界の歴史10 — フランス革命とナポレオン』 中央公論社、1961年、中公文庫、1975年
  • 『日本の名著 — 近代の思想』 中公新書、1962年
  • 『ルソー』 岩波新書、1962年
  • 『ブルジョワ革命の比較研究』 筑摩書房、1964年
  • 『現代の対話 — 末川博湯川秀樹梅原猛』 雄渾社、1966年
  • 中江兆民の研究』 岩波書店、1966年
  • 『文学理論の研究』 岩波書店、1967年 
  • 『世界の歴史24 — 戦後の世界』 河出書房新社、1974年、河出文庫、1990年
  • 『フランス革命の指導者』 朝日選書、1978年
  • 『素顔のヨーロッパ』 朝日選書、1978年
  • 『中国とつきあう法』 加藤周一ほか、潮出版社、1978年
  • 『吉川幸次郎 — 追悼文集』 筑摩書房、1982年 
  • 『日本文化と世界を考える』 大阪書籍〈朝日カルチャーブックス〉、1983年
  • 『明治維新と近代化 — 現代日本を産みだしたもの』 小学館〈創造選書〉、1984年
  • 湯川秀樹』 日本放送出版協会、1984年
  • スタンダール研究』 鈴木昭一郎共編、白水社、1986年

翻訳

  • 赤と黒』 スタンダール著、生島遼一共訳、岩波文庫(上下)、1933年、改訳版1956年、新版2007年
  • 『散文論』 アラン著、作品社、1933年
  • 『カストロの尼』 スタンダール著、岩波文庫、1936年、改訳版1956年
  • 『匣と亡霊』 スタンダール著、生島遼一共訳、竹村書房、1937年、のち岩波文庫 
  • 『芸術論集』 アラン著、岩波書店、1941年、岩波書店(改訳版)、1978年。中公クラシックス(抄版)、2002年
  • デカルト』 アラン著、野田又夫共訳、筑摩書房、1944年、みすず書房(改訳版)、1971年 
  • 『ヴァニナ・ヴァニニ』 スタンダール著、生島遼一共訳、世界文学社、1947年、のち岩波文庫 
  • 『媚薬』 スタンダール著、生島遼一共訳、世界文学社、1949年、のち岩波文庫
  • 社会契約論』 ルソー著、前川貞次郎共訳 岩波文庫、1954年
  • 『文学の思い上り』 ロジェ・カイヨワ著、塚崎幹夫共訳、中央公論社、1959年 
  • 『ヴァレリー全集』第8、第10、第11、共訳、筑摩書房、1967年、のち新版
  • 『スタンダール全集』 人文書院(全12巻)、1968–69年、のち新版、生島遼一と編者代表 
  • 『告白』 ルソー著、多田道太郎樋口謹一共訳、岩波文庫(全3巻)、1965–66年。他に筑摩書房〈世界古典文学全集49 ルソー〉 1965年
  • 『ふくろう党 バルザック全集1』 共訳、東京創元社 
  • 三酔人経綸問答』 中江兆民著、島田虔次共訳・校注、岩波文庫、1965年、のちワイド版
  • 新井白石折たく柴の記」— 日本の名著』 責任編集、中央公論社、1969年、のち中公文庫・中公クラシックス
  • 百科全書 序論および代表項目』 ディドロダランベール編、編共訳、岩波文庫、1971年
  • 世界の名著37 ミシュレ』 責任編集、多田道太郎・樋口謹一共訳
  • 『啄木・ローマ字日記』 石川啄木、編訳、岩波文庫、1978年

関連項目

その他

脚注

外部リンク