「戦争と平和 (1967年の映画)」の版間の差分
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=== 第1部 アンドレイ・ボルコンスキー === |
=== 第1部 アンドレイ・ボルコンスキー === |
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[[ナポレオン]]の噂で持ち切りの1805年の[[サンクトペテルブルク|ペテルブルク]]の社交界、将来の進路を決められないピエールは仲間の貴族たちと放蕩生活にふけっていたが、伯父伯爵が亡くなり、莫大な財産を受け継ぐ。勧められるままエレンと結婚するが、妻のことで侮辱され、ドーロホフと決闘し、相手を傷つけてしまう。友人のアンドレイは[[アウステルリッツの戦い|アウステルリッツ]]の戦地に赴き、[[クトゥーゾフ]]将軍の副官として激戦のなか軍旗を掲げ軍を率いていたとき負傷して倒れる。その姿を見た敵将ナポレオンは美しい死と讃える。アンドレイは命を取り留め仏軍の捕虜となるが、ロシアの家族には戦死の報が届けられる。おりから彼の子を身ごもっていたリーザは正気を失い、出産直前に生還した夫の顔も見分けられぬまま死んでゆく。アンドレイは生への望みを失い、世間から隠れて暮らそうと考える。 |
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アンドレイを主人公に[[アウステルリッツの戦い]]を中心に描くとともに、アンドレイの家族やピエールの結婚とその破綻を描く。前半は原作の第一巻、後半は第二巻第一部に相当する内容になっている。 |
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前半は原作の第一巻、後半は第二巻第一部に相当する内容になっている。 |
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=== 第2部 ナターシャ・ロストワ === |
=== 第2部 ナターシャ・ロストワ === |
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1809年、ナターシャは初めての舞踏会に出席し、アンドレイに踊りを誘われる。二人は一目で愛し合い、アンドレイは求婚するが、ナターシャが若いために頑迷な父公爵によって一年間の猶予がつけられる。この一年は彼女にはあまりにも長過ぎた。狼狩りに加わったり、伯父の家でロシアの踊りを披露したりするが、無聊は収まらない。そのようなおり家族とモスクワの劇場で観劇中、エレンの弟のクラーギンと出会い、その熱烈な求愛に負け、外国への駆け落ちを決心する。企ては失敗し、それを知ったアンドレイも彼女を許そうとはしなかった。感受性豊かなナターシャがすべてのことに生き生きとした反応をしてゆくさまがみごとに描かれている。 |
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=== 第3部 1812年 === |
=== 第3部 1812年 === |
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1812年、ナポレオンがロシアに侵攻する。仏軍に連敗の露軍は、再度クトゥーゾフを司令官に迎える。アンドレイもまた出征し、[[ボロジノの戦い]]で負傷する。ピエールも従軍し戦争のすざまじさとおそろしさの一部始終を見聞する。本編は大半が壮大な戦闘シーンで占められている。 |
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=== 第4部 ピエール・ベズーホフ === |
=== 第4部 ピエール・ベズーホフ === |
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仏軍がモスクワに迫り、クトゥーゾフ将軍はモスクワ退却を決意する。ロストフ家も多くの市民とともに市街を撤退するが、ピエールは農民に身をやつし町に残る。ナポレオンを殺そうと思ってだった。そこでフランスの将校ランバン大尉と知り合う。モスクワの町は仏軍によって略奪放火され、義憤にかられ抵抗したピエールはとらえられ、死刑の宣告を受けるが、危うく処刑は逃れる。重傷で避難してきたアンドレイとナターシャは再会し、お互いの愛を確かめあう。クトゥーゾフはナポレオンの講和勧告を無視し続け、しびれを切らしたナポレオンは退却を始めた。ロシア軍が反撃を始める。捕虜になっていたピエールは解放されるが、ナターシャの弟ペーチャ少年は戦死する。ナポレオンは自軍を捨ててパリに逃げ帰って行った。捕虜となったランバン大尉はロシアの兵隊たちから「みんな同じ人間だ」と、酒食をふるまわれる。大尉はお返しに『アンリ4世万歳』の歌を教える。帰還したピエールは再会したナターシャに初めて会ったときから変わらぬ愛を確認する。 |
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== キャスト == |
== キャスト == |
2013年5月17日 (金) 17:45時点における版
戦争と平和 | |
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Война и мир | |
監督 | セルゲーイ・ボンダルチューク |
脚本 |
セルゲーイ・ボンダルチューク ワシーリー・ソロヴィヨフ |
原作 | レフ・トルストイ |
製作 | セルゲーイ・ボンダルチューク |
製作総指揮 | ニコライ・イワーノフ |
出演者 |
リュドミラ・サベーリエワ ヴャチェスラフ・チーホノフ セルゲーイ・ボンダルチューク |
音楽 | ヴャチェスラフ・オフチンニコフ |
撮影 |
アナトリー・ペトリツキー アレクサンドル・シェレンコフ イォランダ・チェン |
編集 | タチアナ・リハチョワ |
製作会社 | モスフィルム |
配給 | ヘラルド |
公開 | 1965年7月(第1部、モスクワ国際映画祭)[1] |
上映時間 |
427(=147+100+84+96)分 401分(ビデオ) 414分(4部作) 263分(2部作) 453分(4部作) 403分(ケベック) |
製作国 | ソビエト連邦 |
言語 |
ロシア語 ドイツ語 フランス語 |
製作費 | $100,000,000[2] |
『戦争と平和』(せんそうとへいわ、Война и мир)は1965年から1967年にかけて公開されたソビエト連邦の歴史映画4部作。ロシアの文豪レフ・トルストイの代表作の1つである大河歴史小説『戦争と平和』を映画化した作品である。監督・脚本・主演はセルゲーイ・ボンダルチューク。第4回(1965年)モスクワ国際映画祭最優秀作品賞[3]をはじめ、第41回アカデミー賞外国語映画賞など、様々な映画賞を受賞している[4]。
4部作として制作されたが、日本では第一部と完結篇の2つに分け、第一部(210分)は1966年7月23日[5]に、完結篇(177分)は翌1967年11月23日[6]に一般公開された。また、NHK BSプレミアムで2012年1月30日から同年2月1日まで放送されたトータル403分のハイビジョン版と同じ素材を用いたDVDが発売されている[7]。
ストーリー
原作に対して、ピエール、アンドレイ、ナターシャの3人に絞った構成になっており、他の登場人物のエピソードはかなり削られている。
第1部 アンドレイ・ボルコンスキー
ナポレオンの噂で持ち切りの1805年のペテルブルクの社交界、将来の進路を決められないピエールは仲間の貴族たちと放蕩生活にふけっていたが、伯父伯爵が亡くなり、莫大な財産を受け継ぐ。勧められるままエレンと結婚するが、妻のことで侮辱され、ドーロホフと決闘し、相手を傷つけてしまう。友人のアンドレイはアウステルリッツの戦地に赴き、クトゥーゾフ将軍の副官として激戦のなか軍旗を掲げ軍を率いていたとき負傷して倒れる。その姿を見た敵将ナポレオンは美しい死と讃える。アンドレイは命を取り留め仏軍の捕虜となるが、ロシアの家族には戦死の報が届けられる。おりから彼の子を身ごもっていたリーザは正気を失い、出産直前に生還した夫の顔も見分けられぬまま死んでゆく。アンドレイは生への望みを失い、世間から隠れて暮らそうと考える。
前半は原作の第一巻、後半は第二巻第一部に相当する内容になっている。
第2部 ナターシャ・ロストワ
1809年、ナターシャは初めての舞踏会に出席し、アンドレイに踊りを誘われる。二人は一目で愛し合い、アンドレイは求婚するが、ナターシャが若いために頑迷な父公爵によって一年間の猶予がつけられる。この一年は彼女にはあまりにも長過ぎた。狼狩りに加わったり、伯父の家でロシアの踊りを披露したりするが、無聊は収まらない。そのようなおり家族とモスクワの劇場で観劇中、エレンの弟のクラーギンと出会い、その熱烈な求愛に負け、外国への駆け落ちを決心する。企ては失敗し、それを知ったアンドレイも彼女を許そうとはしなかった。感受性豊かなナターシャがすべてのことに生き生きとした反応をしてゆくさまがみごとに描かれている。
原作の第二巻第二部から第三巻第一部までに相当する内容になっている。ただし、ピエールがナターシャに想いを告白するのは、ナターシャが自ら引き起こしたスキャンダルによる心労で病に伏せた後である。
第3部 1812年
1812年、ナポレオンがロシアに侵攻する。仏軍に連敗の露軍は、再度クトゥーゾフを司令官に迎える。アンドレイもまた出征し、ボロジノの戦いで負傷する。ピエールも従軍し戦争のすざまじさとおそろしさの一部始終を見聞する。本編は大半が壮大な戦闘シーンで占められている。
原作の第三巻第二部に相当する内容になっている。ただし、ピエールは義勇軍を率いて参戦するのではなく、戦場を単独で視察に来るだけである。
第4部 ピエール・ベズーホフ
仏軍がモスクワに迫り、クトゥーゾフ将軍はモスクワ退却を決意する。ロストフ家も多くの市民とともに市街を撤退するが、ピエールは農民に身をやつし町に残る。ナポレオンを殺そうと思ってだった。そこでフランスの将校ランバン大尉と知り合う。モスクワの町は仏軍によって略奪放火され、義憤にかられ抵抗したピエールはとらえられ、死刑の宣告を受けるが、危うく処刑は逃れる。重傷で避難してきたアンドレイとナターシャは再会し、お互いの愛を確かめあう。クトゥーゾフはナポレオンの講和勧告を無視し続け、しびれを切らしたナポレオンは退却を始めた。ロシア軍が反撃を始める。捕虜になっていたピエールは解放されるが、ナターシャの弟ペーチャ少年は戦死する。ナポレオンは自軍を捨ててパリに逃げ帰って行った。捕虜となったランバン大尉はロシアの兵隊たちから「みんな同じ人間だ」と、酒食をふるまわれる。大尉はお返しに『アンリ4世万歳』の歌を教える。帰還したピエールは再会したナターシャに初めて会ったときから変わらぬ愛を確認する。
原作の第三巻第三部から第四巻までに相当する内容になっている。ただし、原作にあるエピローグはなく、ピエールとナターシャが結ばれることを示唆して物語は終わる。
キャスト
- ナターシャ・ロストワ - リュドミラ・サベーリエワ
- アンドレイ・ボルコンスキー公爵 - ヴャチェスラフ・チーホノフ
- ピエール・ベズーホフ - セルゲーイ・ボンダルチューク
- エレン・クラーギナ - イリーナ・スコブツェワ
製作
製作期間は1960年から1967年、撮影期間は1961年から1967年に渡っている[2]。また、製作費は物価の上昇度合いから換算すると、2005年時点の7億ドルに相当し、史上最も製作費のかかった映画とされる[8]。
当時のソ連政府の全面的な協力の下、戦闘シーンで使われた馬は1,500頭、エキストラとスタントは合計12万人に及び、また300人以上の俳優が起用されている。特に、1812年のボロジノの戦いを再現したシーンは、実際に戦闘が行なわれた場所を用いて撮影されており、撮影に2年、撮影後の編集作業等に1年を要している。なお、戦闘シーンの撮影では映画史上初めて遠隔操作カメラが用いられ、300mの長さのワイヤに添って動くカメラで上空から撮影された[8]。
本国ソ連では1966年から1968年の間に1億3500万人を超える人々がこの映画を観たとされ、また、世界117カ国の劇場で公開された[8]。
ピエールの妻エレンを演じたイリーナ・スコブツェワは、ピエール役で監督のセルゲーイ・ボンダルチュークの妻である[9]。
主な映画賞受賞
- 第4回モスクワ国際映画祭
- 最優秀作品賞
- 第41回アカデミー賞
- 外国語映画賞
- 第26回ゴールデングローブ賞
- 外国語映画賞
- ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 (1968)
- 外国映画トップ1
- 第34回ニューヨーク映画批評家協会賞
- 外国語映画賞
参考文献
- ^ “Voyna i mir I: Andrey Bolkonskiy (1965) - Release dates” (英語). IMDb. 2013年4月25日閲覧。
- ^ a b “Voyna i mir (1967) - Box office / business” (英語). IMDb. 2013年4月23日閲覧。
- ^ “Moscow International Film Festival (1965)” (英語). IMDb. 2013年4月25日閲覧。
- ^ “Voyna i mir (1967) - Awards” (英語). IMDb. 2013年4月23日閲覧。
- ^ “戦争と平和(第一部)”. KINENOTE. 2013年4月23日閲覧。
- ^ “戦争と平和(完結篇)”. KINENOTE. 2013年4月23日閲覧。
- ^ “戦争と平和 【完全版】”. Amazon.co.jp. 2013年4月23日閲覧。
- ^ a b c “Voyna i mir (1967) - Trivia” (英語). IMDb. 2013年4月27日閲覧。
- ^ “Irina Skobtseva - Biography” (英語). IMDb. 2013年5月15日閲覧。
関連項目
- 1812年ロシア戦役
- 戦争と平和 (1915年の映画)
- 戦争と平和 (1956年の映画)
- 戦争と平和 (1972年のドラマ)
- 戦争と平和 (2007年のドラマ)
- アカデミー外国語映画賞ロシア代表作品の一覧
外部リンク
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