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木村恵二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村 恵二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府守口市
生年月日 (1965-08-30) 1965年8月30日(59歳)
身長
体重
178 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト1位
初出場 1991年4月11日
最終出場 2000年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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小中学生時代は守口リトル、守口シニアに所属した[1]

柏原高では3年夏の大阪府大会でベスト8まで進出した[1]近畿大学に進学。大学時代は、1学年上に西岡剛、同学年に山内嘉弘(元オリックス)と小松領平(元プリンスホテル)が主戦投手であったため、控え投手として過ごす[1]。2年秋の明治神宮大会では2試合ともに救援で登板した。当時の松田博明監督の評価は「下半身が全く使えず、カーブばかり投げる投手」という手厳しいものであった。

大学卒業後は日本生命に入社。ここで投球フォームの修正と徹底的な下半身強化に着手。その努力が実り、ドラフト候補に躍り出る。母校の松田監督も社会人時代の木村の投球を見て「大学時代とは別人のように速くなった」と驚いていた。1990年都市対抗野球では初戦敗退に終わったが、日本選手権で優勝に貢献し、自身も大会優秀選手(投手)に選出された[1]。チームメイトに新谷博らがいた。

1990年のプロ野球ドラフト会議福岡ダイエーホークスから1位指名を受け、入団[1]

1991年4月13日平和台球場での本拠地初登板では、西武ライオンズの主砲清原和博から4打席連続三振を奪うデビューを果たした[注 1]

1992年7月12日オリックス・ブルーウェーブ所属の鈴木一朗(後のイチロー)から彼にとってのプロ初安打を打たれる[2]

1994年、入団からしばらくは先発と中継ぎを担っていたが、94年に下柳剛と共に左右の中継ぎ投手としてチームを支えた。

1995年、怪我で離脱したボビー・シグペンに変わり、抑えを務めた。

1996年、シーズン序盤安定したピッチングで連続セーブを記録したが序盤以降は連続で救援失敗に終わりその間に抑えの座をホセ・ヌーニェスに明け渡すことになるなど不振に苦しんだシーズンになった。

1997年は、ホセが不調でシーズン序盤抑えを任され、連続セーブを記録したが、またしても連続で救援に失敗し(特に4月22日から24日の対日本ハム戦にて同一カード三試合三連続サヨナラ負けでニ試合敗戦投手になっている)、新人の岡本克道に抑えの座を奪われるなど前年より防御率は向上するも、信頼は得られなかった。

1998年、開幕から先発として起用されたが思うような成績を挙げられず、シーズン終了直後にダイエーから戦力外通告を受け、「何としてもホークスを倒したい」として同一リーグの西武ライオンズへ移籍[1]。西武では移籍初年度の1999年に37試合に登板したが、皮肉にもダイエー初のリーグ優勝・日本一を2位となった西武の一員として許すシーズンとなった。翌2000年は再び登板数が減少、同年再び戦力外通告を受け、現役を引退[1]

現役引退後は、福岡市中央区で飲食店を経営したが、後に閉店。現在は、九州総合スポーツカレッジとNPO法人ホークスジュニアアカデミーでコーチを務めている。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1991 ダイエー 29 16 5 0 1 4 14 0 -- .222 571 127.0 159 23 39 0 1 107 8 0 88 83 5.88 1.56
1992 27 10 1 1 0 3 6 1 -- .333 367 86.0 94 10 28 2 1 66 8 0 50 47 4.92 1.42
1993 35 9 2 1 1 6 6 6 -- .500 430 108.2 94 10 24 3 1 97 4 0 49 40 3.31 1.09
1994 46 0 0 0 0 5 1 2 -- .833 313 77.1 71 6 14 3 1 78 3 0 21 19 2.21 1.10
1995 55 0 0 0 0 7 9 21 -- .438 298 70.1 61 7 32 6 0 62 1 0 27 25 3.20 1.32
1996 30 4 1 0 0 1 6 5 -- .143 290 65.1 73 7 23 1 0 55 3 0 40 40 5.51 1.47
1997 48 4 0 0 0 2 6 5 -- .250 313 71.1 71 6 34 8 0 54 1 0 34 31 3.91 1.47
1998 10 9 0 0 0 2 4 0 -- .333 183 38.1 51 7 20 0 1 25 1 0 28 25 5.87 1.85
1999 西武 37 0 0 0 0 1 1 1 -- .500 198 46.2 42 4 19 2 3 27 0 1 25 25 4.82 1.31
2000 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 77 18.0 13 2 11 1 0 12 0 0 12 8 4.00 1.33
通算:10年 325 52 9 2 2 31 53 41 -- .369 3040 709.0 729 82 244 26 8 583 29 1 374 343 4.35 1.37

記録

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背番号

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  • 20 (1991年 - 1998年)
  • 46 (1999年 - 2000年)

脚注

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注釈

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  1. ^ ただしその試合では、秋山幸二に決勝本塁打を打たれ、敗戦投手になっている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、190ページ
  2. ^ イチロー、プロ初安打は1992年7月12日”. 日刊スポーツ (2008年7月30日). 2020年7月21日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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