長岡市悠久山野球場

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長岡市悠久山野球場
Nagaoka Yukyuzan Baseball Stadium
長岡市悠久山野球場
施設データ
所在地 新潟県長岡市悠久町400番地
座標 北緯37度26分0.9秒 東経138度52分47.4秒 / 北緯37.433583度 東経138.879833度 / 37.433583; 138.879833座標: 北緯37度26分0.9秒 東経138度52分47.4秒 / 北緯37.433583度 東経138.879833度 / 37.433583; 138.879833
開場 1967年
所有者 長岡市
管理・運用者 MCMフェニックスグループ指定管理者
グラウンド 内野:クレー舗装
外野:天然芝
照明 なし
使用チーム • 開催試合
新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2007年~、ホームゲームの一部を開催)
収容能力
8,218人
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積:13,310m2
両翼:98 m
中堅:122 m

長岡市悠久山野球場(ながおかし ゆうきゅうざんやきゅうじょう)は、新潟県長岡市にある野球場。施設は長岡市が所有し、MCMフェニックスグループ(中越環境開発(株)、(株)丸富、ミズノスポーツサービス(株)から成る共同事業体)が指定管理者として運営管理を行っている。

歴史[編集]

前身[編集]

1949年7月、長岡市東部の古志郡栖吉村(旧長岡市に編入された後、市町村合併を経て現在の長岡市に位置する)から長岡駅南蒲原郡見附町(現在の見附市)を経由して古志郡栃尾町(栃尾市に編入された後、市町村合併を経て現在の長岡市 に位置する)を結ぶ軽便鉄道を運行していた栃尾鉄道線(のちの越後交通栃尾線)が電化完成後の沿線開発と誘客を目指し、南側の終点にあたる悠久山駅前に開業させたのが、悠久山球場の始まりである。8月に社会人野球のオープン戦を開催してこけら落としし、翌1950年から1955年の間にはプロ野球公式戦も開催。セ・リーグ8試合、パ・リーグ2試合が開催された(1956年にも日程が組まれたが、中止となっている)。しかし地方都市で、更には雪国という地理条件もあって球場の経営状況は好転せず、栃尾鉄道が長岡鉄道、中越自動車と合併して越後交通となった1960年を相前後して球場は廃業。跡地は県営長岡水泳競技場(のちの長岡市悠久山プール屋外水泳場。2008年をもって閉鎖)の建設用地となった。

球場の新設[編集]

悠久山野球場がなくなったため、長岡市内で行われる高校野球の公式戦は各高校のグラウンドなどで開催されてきたが著しく不便であったため、新たに市営の野球場を整備することとなり、1967年5月に現球場が悠久山プールの裏手に開場した。竣工当時は両翼90m、中堅120m、スタンドの収容人数は13,718人。以来プロ野球、高校などの公式戦が開催されており、全国高等学校野球選手権新潟大会においては新潟市中央区鳥屋野運動公園野球場と共に概ね隔年でメイン開催球場となり、開閉会式と準決勝以降の試合を実施していた(2008年まで)。数度の改修を経て2001年には両翼98m、中堅122mと拡張され、アマチュア公認規格を充足するフィールドとなった。但し拡張に伴い、収容人数は8,218人と減少している。

スタンドが小さく、老朽化も進むなど設備も陳腐化しており、プロ野球の公式戦は1996年6月8日近鉄バファローズ西武ライオンズ11回戦が最後。二軍戦はフィールド拡張が行われた2001年から2008年までの間、読売ジャイアンツ(巨人)主催のイースタン・リーグ公式戦が毎年5月もしくは6月に1試合、三条市民球場との2連戦形式で開催されていた。2004年10月23日に発生した新潟県中越地震でスタンドとフィールドに被害を受けた影響で2005年8月いっぱいまで震災復旧工事が行われ、9月1日から供用を再開した。また2007年に発足したベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ、当時北信越BCリーグ)の新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが主催公式戦の一部を開催している。2008年から長岡市内に活動拠点を移転したのに伴い、同年シーズンは開催試合数が増加した。2015年にはチーム最多となる10試合の公式戦を開催しているほか、新潟が「独立リーグ日本一」となった2012年のグランドチャンピオンシップ第3戦もここでおこなわれた。

かつては行楽地としても賑わっていた長岡市街地東側の丘陵地の麓、住宅街の南側に位置している。積雪地という立地条件もあってフィールドの暗渠が積雪の重みで詰まってしまい、他の野球場と比較して早期に水捌けが悪化してしまうという難点がある。このため長岡市では概ね5年に1回のペースで定期的に暗渠の改修を行っている。

2011年7月から供用を中止して、前述の暗渠改修と合わせてスコアボード改築なども含めた改修事業を実施し、2012年4月から供用を再開した[1]。なお近年、利用者からは照明の増設やトイレの改修など、陳腐化が著しい場内設備の拡充・改善を求める意見がしばしば寄せられているが、市側は照明設備について「(宅地と緑地に隣接する)周辺環境への配慮から、設置は難しい」とした上で、施設そのものの老朽化等の問題から、新施設を市内の別の場所に整備すべきとの意見があることなどを踏まえて「現在の悠久山野球場をどの程度まで整備するか苦慮している」と現状を説明している。

主なエピソード[編集]

プロ野球開催全般の概況
照明設備がないので、1軍の試合の大抵は週末日中に開催される「新潟シリーズ」2-3連戦(年度により日曜日がダブルヘッダーで行われることもあった)の土曜日に行う第1試合の会場として使われた。
イチロー、プロ初本塁打
1993年6月12日に開催された近鉄対オリックス8回戦の8回表、無死無走者から、オリックス・鈴木一朗(のちのイチロー)が、近鉄この日の先発・野茂英雄から、右中間へ1号ソロ本塁打を放った。これがイチローのプロ初本塁打で、後に悠久山球場はこの事で全国に知られることとなった。
タフィ・ローズ、初の1試合2本塁打
1996年6月8日に開催された近鉄対西武11回戦に、4番・左翼で先発した近鉄・タフィ・ローズは4回裏の第2打席、西武の先発・豊田清から右翼ポール際へ11号ソロ本塁打。8回裏には同じく豊田から、決勝打となる12号ソロ本塁打を右中間場外へ運び去った。ローズはこの試合が、自身来日初の1試合2本塁打となった。
ファーム交流戦
2006年6月1718日に、ファーム交流戦・サーパスインボイス2連戦が開催された。試合は両日ともインボイスが大勝。17日の試合後には、両チーム全選手・コーチ・スタッフと東尾修による少年野球教室も開催された。
高津臣吾、終球式
2012年9月22日に、[BCリーグ公式戦・新潟対信濃が行われた。同年8月31日に今シーズン限りで選手としての現役引退を表明していた新潟の高津臣吾選手兼任監督が9回表2アウトから登板し、信濃の原大輝をレフトフライに打ち取った。試合後には最後の1球を投じる「終球式」が行われ、ヤクルト時代にバッテリーを組んだ古田敦也がゲストに登場してその球を受けた。

施設概要[編集]

長岡市悠久山野球場
  • グラウンド面積:13,310m2
  • 両翼:98m、中堅:122m
  • 内野:クレー舗装、外野:天然芝
  • スコアボード:磁気反転式(2011年まではパネル式)
  • 収容人数:8,218人
    • メインスタンド〔内野Aスタンド〕:3,492人(ベンチ席)、一・三塁側スタンド〔内野Bスタンド〕:2,226人(ベンチ席)、外野スタンド:約2,500人(芝生席)
  • 内野Bスタンド下に室内練習場あり(但し狭隘で天井が低いため用途は限定される)

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ イチロー初本塁打の地・悠久山野球場、電磁式スコアボードに 新潟-朝日新聞(2011年7月30日)

関連記事[編集]

外部リンク[編集]