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奥克彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥 克彦(おく かつひこ、1958年1月3日 - 2003年11月29日)は、日本外交官イラク日本人外交官射殺事件で銃撃を受け殉職した。参事官から大使に2階級特進。位階勲章従四位旭日中綬章学歴早稲田大学政治経済学部政治学科卒業学位政治学士(早稲田大学)称号大使

兵庫県宝塚市出身。家族は夫人とこども3人(1男2女)。

経歴

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同期

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同期入省

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同期留学

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オックスフォード大学の留学同期に廣木重之がおり、廣木がニューヨーク総領事を務めていた2012年には、奥の母校兵庫県立伊丹高等学校ニューヨーク市立大学バルーク校付属高校との間で、総領事館を通じ姉妹校提携が結ばれた[2]

人物

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  • 実家電器店であった。
  • 小中学時代は野球、高校以降はラグビーに打ち込むかたわら、学業にも励む。
  • 兵庫県立伊丹高校2年生の時に第54回全国高等学校ラグビーフットボール大会(於 東大阪花園ラグビー場)に出場。3年生ではキャプテンとして活躍した。
  • 早稲田大学政治経済学部政治学科の2年生までラグビー部に在籍。その時、宿沢広朗に指導を受ける。1978年8月(20歳)、公務員試験(外交官志望)に備えるためにラグビーを退部。本人は退部したことを後々まで悔やんでいたという(『ラグビーマガジン』2004年2月号 奥大使追悼特集記事)。
  • 研修留学したオックスフォード大では、日本人として初めてのレギュラー選手(ウィング)として活躍。
  • 英国で120年以上の歴史を持つ英国伝統の会員制紳士クラブ「ギャリック・クラブ」(ロンドン市内)における日本人初の会員となった。 同クラブでは2003年12月8日 奥をしのぶ会が開かれた。主催したのは、オックスフォード大で奥と共にラグビーをプレイしたレッジ・クラーク(英政界第3党・自民党幹部職員、45歳)。
  • 日本ラグビーフットボール協会員。
  • 2003年、イラクへ赴任。

イラク便り

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奥は、2003年4月より死の2日前まで、「イラク便り」を71回(4月23日 - 11月27日)外務省ホームページにて公開していた。

この中で奥はテロリズムに対し「自らの主張を満足させるために、他人の犠牲をいとわないという卑劣きわまる考え方に基づく行動だ」「暴力に訴える者は理由が何であれ、結局、支持を得ることができない」と批判を行っていた。

8月22日と24日のイラク便りは、8月19日の国連事務所(バグダッド北東部のカナール・ホテル)が自爆テロの襲撃を受け、デ・メロ国連事務総長特別代表、クリス・ビークマンUNICEF次席代表を始め、多数の国連関係者が犠牲になった事件関連にふれている。

2004年1月、この「イラク便り」は本として出版され、印税は遺族の意向によりイラク復興支援事業に寄付された。

最期の同行者

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25年間に渡って在イラク日本国大使館運転手として勤務した。イラク北部モスル北のカラムレス村出身。2003年11月29日、奥大使、井ノ上一等書記官と共に銃撃を受け殉職。54歳没。日本政府より、同日付で旭日単光章が授与された[1]

奥・井ノ上イラク子ども基金

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2004年8月27日、関係者(早大ラグビー部同窓の清宮克幸など)は、奥・井ノ上のイラクに対する熱意を引き継ぎ、イラクの子どもたちを助けるための「奥・井ノ上イラク子ども基金」を立ち上げた。

関連項目

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参考資料

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  • 『外交フォーラム』No.184(2003年11月号)寄稿「イラクの戦後復興における国連の役割」
  • 『外交フォーラム』No.187(2004年2月号)特別追悼企画「奥克彦大使・井ノ上正盛書記官の志」
  • 『イラク便りー復興人道支援221日の全記録ー』 扶桑社 ; ISBN 459404333X ; (2004年1月30日)
  • 『日本を想い、イラクを翔けた―ラガー外交官・奥克彦の生涯』松瀬 学 (著)新潮社 ISBN 4104600024 (2005年11月)
  • 清宮克幸『究極の勝利 ULTIMATE CRUSH』(講談社、2006年2月) ISBN 4062132710
  • 究極の勝利 ULTIMATE CRUSH』の英訳プレビュー (2006年9月出版)
  • 2004年3月6日放送のNHKスペシャル「奧克彦大使 イラクでの足跡」で放送されたインタビュー[3]
  • 『ラグビーマガジン』2004年2月号 奥大使追悼特集記事

脚注

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  1. ^ a b イラクでの殉職者に対する叙位・叙勲について|報道発表”. 外務省 (2003年12月5日). 2021年11月15日閲覧。
  2. ^ 「ニューヨーク市立大学バルーク校附属高校の教育長表敬訪問について」
  3. ^ (書き起こし)ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 : 奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(4)

外部リンク

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