ラズロ・ベネディク

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ラズロ・ベネディク
László Benedek
生年月日 (1905-03-05) 1905年3月5日
没年月日 (1992-03-11) 1992年3月11日(87歳没)
出生地 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ブダペスト
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨークブロンクス区
 
受賞
ゴールデングローブ賞
監督賞
1951年セールスマンの死
その他の賞
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ラズロ・ベネディクLászló Benedek, 1905年3月5日 - 1992年3月11日)は、ハンガリー出身の映画監督である。ハンガリー語名はベネデク・ラースロー (Benedek László [ˈbɛnɛdɛkˌlɑ̈ːsloː])。

生涯[編集]

ブダペストで生まれ、第二次世界大戦まではハンガリーの映画界で脚本家・編集技師として働く。ユダヤ系だったベネディクはルイス・B・メイヤーの助けで亡命し、ハリウッドでの活動を開始した。

1951年の『セールスマンの死』でゴールデングローブ賞監督賞を受賞し、全米監督協会賞にもノミネートされた。

1953年の監督映画『乱暴者』は論争を引き起こし、イギリスでは1968年まで上映禁止となった。

ベネディックは複数の言語を話すことができ、ドイツで『戦場の叫び』(1955年)、フランスで『Recours en grâce』(1960年)を監督している。また、『Perry Mason』などのテレビシリーズにも携わっている。

1992年にニューヨークブロンクス区で亡くなった。

フィルモグラフィ[編集]

受賞歴[編集]

部門 作品名 結果
ゴールデングローブ賞 1951年 監督賞 セールスマンの死 受賞
全米監督協会賞 1951年 映画監督賞 『セールスマンの死』 ノミネート
ヴェネツィア国際映画祭 1952年 金獅子賞 『セールスマンの死』 ノミネート

外部リンク[編集]