ボビー・ヘブ
ボビー・ヘブ Bobby Heb | |
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1966年 | |
基本情報 | |
出生名 | Robert Alvin Von Hebb |
生誕 | 1938年7月26日 |
出身地 | アメリカ合衆国・テネシー州ナッシュビル |
死没 | 2010年8月3日(72歳没) |
ジャンル | R&B、ソウル |
職業 | 歌手、ソングライター |
担当楽器 | ボーカル、ピアノ、ギター |
活動期間 | 1955年-2010年 |
レーベル | Cadet、Crystal Bal、Epic、Laurie、Mercury、Philips、Scepter、Tuition |
ボビー・ヘブ(Bobby Hebb、1938年7月26日[1] ‒ 2010年8月3日[2])はアメリカ人のR&B/ソウル歌手・ピアニスト・作曲家。
1966年のヒット『Sunny』で知られる。
生涯
[編集]Robert Von Hebbとしてテネシー州ナッシュビルに生まれた。両親WilliamとOvallaは盲目の音楽家だった[3]。 ボビーが三歳、兄Haroldが9歳の時にナッシュビルで歌・ダンスのチームとして活動を始める。
カントリー音楽のプロデューサーオーウェン・ブラッドレイのテレビ番組に出演し、ロイ・エイカフに認められ[3]、Acuffのバンドでスプーンなどの楽器を担当するようになる。その後Johnny Bragg and the Marigoldsのメンバーとなる。
ボ・ディドリーの『Diddley Daddy』のバック・コーラスを担当した。
アメリカ海軍バンドで西海岸スタイルのトランペットを吹き、ミッキー&シルビアのミッキー・ベイカーと交代した[3]。
『サニー』誕生
[編集]1963年11月28日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の翌日、兄Haroldがナッシュビルのナイトクラブでナイフの喧嘩で殺された。ヘブは憔悴し、作曲に慰めを求めた。こうして生まれたのが『Sunny』である。と言われるが、本人によると、その時はジェラルド・ウィルソンのアルバム『You Better Believe It!』に癒されたとのことである。
この曲が最初に収録されたのは1965年収録、1966年リリースの弘田三枝子のアルバム『ニューヨークのミコ』で、ビリー・テイラー・トリオが伴奏のしっとりとしたバラード調のアレンジであった。
その後、本人の"Sunny"はニューヨークで録音され1966年にシングル発売、R&Bで三位、ポップで2位、イギリスで12位[4][5][3]。1966年にビートルズとツアーした時には"Sunny"はビートルズのシングルよりも売れていた。BMIは"Sunny"を「世紀の100曲」の25位とした。1976年、ディスコ・バージョンの『Sunny '76』を発表、R&Bで94位。
その後
[編集]"A Satisfied Mind"は1966年にポップNo. 39、R&B No. 40のヒット、"Love Me"は1967年にNo. 84となった[4]。
ルー・ロウルズの1971年のヒット"A Natural Man"をコメディアンのサンディ・バロンと共作。
"Sunny"の6年前にはロイ・エイカフの"Night Train to Memphis"をカバーし、ニューヨークでトップ50となっていた。
1972年、シングル"Love Love Love"はイギリスでNo. 32となった[5]。
35年後、That's All I Wanna Knowを録音発表。1970年にLove GamesをEpicレコードから発表して以来だった。
2008年10月に日本の大阪と東京で演奏した。
死
[編集]2010年に72歳で亡くなるまで、故郷のナッシュビルで暮らした。2010年8月3日、ナッシュビルのトライスター・センテニアル・メディカルセンターで治療中に肺癌で死去[6]。彼はナッシュビルのスプリングヒル・セメタリーに埋葬されている[7]。
『サニー』をカバーした人たち
[編集]- 稲垣潤一 - 稲垣潤一 (アルバム)
- 弘田三枝子 - アルバム「ミコ、R&Bを歌う」にて
- 岩崎宏美 - アルバム『新しい愛の出発〜ラブ・コンサート・パート1〜』
- 奥田民生
- 鈴木雅之 - カバーアルバム「Soul Legend」にて
- 鈴木聖美
- 長山洋子 - アルバム『ヴィーナス』収録
- 原田知世 - アルバム「Summer breeze」にて
- 小野リサ - アルバム「DANCING BOSSA」にて
- 藤井風 - 「へでもねーよEP」にて(2020)
- ボニーM
- シェール
- Classics IV
- ダスティ・スプリングフィールド
- Electric Flag
- エラ・フィッツジェラルド
- ビリー・アイリッシュ
- フォー・トップス
- フランク・シナトラ&デューク・エリントン。
- フランキー・ヴァリ ‒ 二回カバー。
- ホセ・フェリシアーノ
- ジョージィ・フェイム
- ジェームズ・ブラウン
- ジャミロクワイ
- Johnny Rivers
- レナード・ニモイ
- Les McCann
- ミュージック ‒ "Just Friends (Sunny)"というタイトルで。全米No. 31。[3]
- オスカー・ピーターソン
- Rudy Macias
- スティーヴィー・ワンダー
- フォー・シーズンズ
- ウェス・モンゴメリー
- ウィルソン・ピケット
- 勝新太郎
- 咲妃みゆ(宝塚歌劇団 雪組「La Esmeralda」にて)
- ポール・モーリア 「Love Is Blue (L'Amour Est Bleu) / Sunny」1967年 Philips - 40495
- AJICO
- ザ・ベンチャーズ
- アン・バートン
参照
[編集]- ^ “Bobby Hebb”. TOWER RECORDS ONLINE -タワーレコードオンライン. 2022年7月28日閲覧。
- ^ Lenta.ru
- ^ a b c d e Murrells, Joseph (1978). The Book of Golden Discs (2nd ed.). London: Barrie and Jenkins Ltd. p. 205. ISBN 0-214-20512-6
- ^ a b Whitburn, Joel (2003). Top Pop Singles 1955-2002 (1st ed.). Menomonee Falls, Wisconsin: Record Research Inc.. p. 309. ISBN 0-89820-155-1
- ^ a b Betts, Graham (2004). Complete UK Hit Singles 1952-2004 (1st ed.). London: Collins. p. 350. ISBN 0-00-717931-6
- ^ “Bobby Hebb, singer of 1966 hit "Sunny", dies at 72”. Associated Press story. MSNBC (2010年8月3日). 2017年4月26日閲覧。
- ^ “Bobby Hebb buried at Spring Hill Cemetery in Nashville, Tennessee”. findagrave.com. 2017年4月26日閲覧。
- Cooper, Daniel (1998). "Bobby Hebb". In The Encyclopedia of Country Music. Paul Kingsbury, Editor. New York: Oxford University Press. p. 235.
外部リンク
[編集]- [リンク切れ]公式ウェブサイト
- ボビー・ヘブ - オールミュージック
- ボビー・ヘブ - Discogs
- Bobby Hebb interview on Nashville Scene
- That's All I Wanna Know on Tuition Records, Germany
- ボビー・ヘブ - Find a Grave