辻野隆三

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辻野 隆三
Ryuso Tsujino
Tennis pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都小平市
生年月日 (1969-02-24) 1969年2月24日(48歳)
身長 176㎝
体重 76kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1987年
引退年 2003年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 6勝20敗
シングルス 2勝11敗
ダブルス 4勝9敗
生涯獲得賞金 $76,990
4大大会最高成績・シングルス
全豪 1回戦(1994)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 354位(1993年10月18日)
ダブルス 380位(1998年7月27日)
獲得メダル
男子 テニス
アジア大会
1994 広島 混合ダブルス
1994 広島 団体
2017年8月22日現在

辻野 隆三(つじの りゅうそう、1969年2月24日 - )は、日本のテニス指導者、解説者、元プロテニス選手。

人物[編集]

1969年2月24日東京都小平市出身。堀越高等学校卒業[1]

辻野は小学校3年(8歳)までは野球に熱中する少年であったが、その辻野がテニスを始めたのは1977年ウィンブルドン選手権男子シングルス決勝(ビョルン・ボルグvsジミー・コナーズ戦)で、ボルグが勝って優勝した試合をたまたまテレビで見て「これだ!」と閃き、すぐにテニススクールの門を叩いたことによるもの[2]

堀越高等学校時代は桜田倶楽部所属。全日本ジュニア選手権(U-18カテゴリー)では1985年から3年連続優勝[1][3]。最初の優勝では決勝戦で1学年上だった松岡修造柳川高等学校)に勝利している[1]。また全国高等学校総合体育大会では1986年度に堀越高等学校のメンバーとして、団体・個人の二冠に輝いた[1]

高等学校卒業後にアメリカへ渡り、ビタス・ゲルレイティスロバート・ランスドープ英語版らの指導を受けるなど2年半の武者修行を敢行した[1]。その間にプロに転向している[1]

プロ転向3年目の1990年、セイコー・スーパー・テニスに出場し、2回戦でボリス・ベッカーと対戦、0-2(4-6, 6-7)で敗れたが、ベッカーからサービスエースポイントを多く奪うなど大健闘した[1][4]

1992年、1994年、1996年のイザワ・クリスマスオープン・テニストーナメントに3度の優勝を果たす[5]

デビスカップ日本代表選手としては、1992年、1994年、1995年に松岡修造、山本育史と共にメンバーに選出され、出場している[6]

1994年の1994年アジア競技大会ではテニス競技に出場、ミックスダブルスで宮城ナナとコンビを組み、準優勝を果たした[7]

1997年に実業団テニスチームの北日本物産の監督に就任、2003年まで選手兼任監督として自らも現役でプレーしつつ、2006年の退任まで本村剛一藤原里華らを指導した[1]

2003年に現役を引退した後、後進の育成を考えて神奈川県横浜市にMIRAI TENNIS ACADEMYを設立[8]。指導者として活動する傍ら、GAORA日本放送協会のテニス中継では解説者を務める。

2001年に高校の同級生であった荻野目洋子(歌手)と結婚し3女がいる。また日本テニス協会では現在、ツアー機構事業推進本部プロツアー委員長、事業推進委員、専務理事直轄ジャパンオープン委員、常務理事会直轄国際委員を務め、日本プロテニス協会では平成25年度・26年度の2年間、常務理事を務めている[9]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 辻野隆三 Tsujino,Ryuso (PDF) 愛媛県テニス協会
  2. ^ テニス界の先駆者 辻野隆三選手に単独取材 All About
  3. ^ 18歳以下男子シングルス・ダブルス (PDF) 日本テニス協会
  4. ^ Boris Becker VS Ryuso Tsujino Tokyo Indoor Japan ATP HEADZHEAD
  5. ^ 過去の大会結果 IZAWA Xmas Open2006 TENNIS TOURNAMENT(WEB archives)
  6. ^ デビスカップ過去の情報 日本テニス協会・デビスカップ特設サイト
  7. ^ Tennis - Medallists from previous Asian Games - Mixed - Doubles The 17th Incheon Asian Games Organizing Committee
  8. ^ スタッフ紹介 MIRAI TENNIS ACADEMY
  9. ^ 歴代役員名簿 日本プロテニス協会

外部リンク[編集]