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辻俊哉

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辻 俊哉
マツゲン箕島硬式野球部 投手コーチ ##81
オリックス時代
(2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県甲府市
生年月日 (1979-07-14) 1979年7月14日(45歳)
身長
体重
178 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 2001年 ドラフト5巡目
初出場 2002年5月29日
最終出場 2013年6月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

辻 俊哉(つじ としや、1979年7月14日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手捕手、右投右打)、アマチュア野球指導者。2022年まで国士舘大学硬式野球部監督を務めていた。現在はマツゲン箕島硬式野球部で投手コーチを務めている。

経歴

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プロ入り前

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甲府工業高校時代は第79回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦敗退。

東都大学野球国士舘大学では1年春からレギュラーとなり、リーグ戦全試合出場で4年時は主将も務めるが1部昇格はなし、2001年のドラフト5巡目でロッテに指名され、入団。

ロッテ時代

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2002年、当時正捕手だった清水将海の怪我や、里崎智也橋本将らの伸び悩みなど、チームの捕手難の事情の中、1年目にして6月に一軍昇格。プロ初本塁打を満塁本塁打で飾り、41試合に出場した。里崎・橋本に続く3番手捕手として一軍に定着したが、自軍が大量リードしている際に途中交代でマスクを被る事が殆どで、大抵は左投手に対してのスタメン代打で起用され、一塁指名打者に入る事が多かった。

2006年は、開幕から右の代打として頭角を示し、里崎の故障の際には代役を務め、後半は橋本の極度の不振により2番手として出場機会を増やし、シーズンを通して初めて1軍に居続けた。

オリックス時代

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2006年11月、早川大輔とのトレードでオリックスへ移籍。

2007年は12試合、2008年は9試合出場にとどまる。

2009年は、一軍選手の相次ぐ故障やその打力を買われ、6月3日の中日戦で、プロ入り初の「5番・一塁手」として出場するなど、移籍後最多の25試合に出場。

2010年はわずか5試合の出場と出場機会が減った。

2011年も8試合の出場に留まったが、二軍ではこの年入団したエバン・マクレーンとバッテリーを組み、マクレーンが一軍に昇格した際もバッテリーを組んで2勝貢献した。

2012年2013年は5試合の出場に留まり、2013年10月30日戦力外通告を受けた[1]

現役引退後

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引退後は指導者に転身し、2014年4月より母校国士舘大学のコーチ[2]に就任、同年12月1日付で同大監督に抜擢され就任。2022年まで務めた。

2024年よりマツゲン箕島硬式野球部の投手コーチを務めている[3]

選手としての特徴

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本職・登録は捕手だが打撃力があり、それを活かして一塁手代打での出場も多い。

2006年3月26日の対ソフトバンク2回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、同球場の外野フェンスの右翼ポール際にある福岡銀行の広告看板の同行のマスコットキャラクターが描かれている部分にダイレクトで打球を当て、賞金100万円を獲得した(賞金を獲得したのは柴原洋に次いで2人目)。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2002 ロッテ 41 94 82 6 17 4 0 1 24 8 0 0 7 1 4 0 0 23 3 .207 .241 .293 .534
2003 4 5 5 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2004 10 27 24 1 10 3 0 0 13 6 0 0 1 0 2 0 0 3 1 .417 .462 .542 1.003
2005 2 1 1 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
2006 52 96 88 2 21 5 1 0 28 9 1 0 4 1 2 0 1 20 3 .239 .261 .318 .579
2007 オリックス 12 39 33 2 6 2 0 0 8 3 0 0 2 0 4 0 0 8 1 .182 .270 .242 .513
2008 9 18 18 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 2 .056 .056 .111 .167
2009 25 38 36 3 9 1 0 0 10 1 1 0 0 0 1 0 1 5 0 .250 .289 .278 .567
2010 5 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .250 .250 .250 .500
2011 8 16 11 0 2 1 0 0 3 0 0 0 4 0 1 0 0 4 2 .182 .250 .273 .523
2012 5 6 6 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
2013 5 16 15 1 3 1 0 0 4 4 0 0 0 0 1 0 0 3 1 .200 .250 .267 .517
通算:12年 178 360 323 16 72 18 1 1 95 32 2 1 18 2 15 0 2 73 14 .223 .260 .294 .554

年度別守備成績

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捕手 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2002 40 189 16 1 6 3 .995 21 13 8 .381
2003 4 17 2 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2004 10 44 3 1 0 0 1.000 4 3 1 .250
2005 2 0 0 0 0 0 .000 0 0 0 - -
2006 14 51 6 0 0 0 1.000 7 6 1 .143 9 40 1 0 6 1.000
2007 12 57 5 0 0 1 1.000 9 9 0 .000 -
2008 8 37 4 1 1 0 .976 7 6 1 .143 -
2009 20 42 1 0 0 0 1.000 7 7 0 .000 3 16 0 0 2 1.000
2010 4 9 1 0 0 0 1.000 1 0 1 1.000 -
2011 7 26 4 0 1 0 1.000 5 3 2 .400 1 6 0 0 0 1.000
2012 1 0 0 0 0 0 .000 0 0 0 - 2 9 0 0 0 1.000
通算 122 472 42 3 8 4 .994 62 48 14 .226

表彰

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記録

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背番号

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  • 45 (2002年 - 2006年)
  • 37 (2007年 - 2013年)

脚注

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  1. ^ 戦力外通告のお知らせ”. 2013年10月30日閲覧。
  2. ^ 前オリックス・辻氏、アマ復帰“1号”!母校・国士舘大コーチに”. スポーツ報知. 2014年3月5日閲覧。
  3. ^ “マツゲン箕島硬式野球部【選手紹介】””. www.w-minoshima.or.jp. 2024年4月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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