コンテンツにスキップ

男女群島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Inforiver (会話 | 投稿記録) による 2020年4月25日 (土) 16:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎構成)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

男女群島
九州近海における男女群島の位置
女島の空中写真(国土画像情報 由来)
女島の空中写真(国土画像情報 由来)
女島の空中写真 / 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
地理
場所 東シナ海
座標 北緯31度59分20秒 東経128度21分7秒 / 北緯31.98889度 東経128.35194度 / 31.98889; 128.35194
諸島 五島列島
主要な島 男島、クロキ島、寄島、ハナグリ島、女島
面積 4.75 km2 (1.83 sq mi)
最高標高 281.3 m (922.9 ft)
最高峰 女島
行政
都道府県 長崎県の旗 長崎県
市町村 五島市市旗 五島市
浜町
人口統計
人口 0人
追加情報
時間帯
テンプレートを表示

男女群島(だんじょぐんとう)は、五島列島福江島の南南西およそ70kmの東シナ海に浮かぶ島嶼[1]。無人島。長崎県五島市浜町に属する。

長崎県内において男女群島は南西端(画像左下)に位置する
拡大
拡大

Clip
長崎県内において男女群島は南西端(画像左下)に位置する

30kmほど北西沖には肥前鳥島がある。

鹿児島県本土と男女群島の位置関係
拡大
拡大

Clip
鹿児島県本土と男女群島の位置関係
地図
1.男女群島、2.鳥島3.福江島

概要

構成

北東から南西に向かって、男島、クロキ島、中ノ島、ハナグリ島、女島と島が連なる[1]

  • 男島
  • クロキ島黒木島
  • 中ノ島寄島
  • ハナグリ島花栗島) - ハナクリ島とも
  • 女島

小島・岩礁

国土地理院地図(抄)

  • 鮫瀬、沖赤瀬、二重鼻、ヲキノヒラセ、ガメ瀬小島 - 女島
  • 帆立岩(帆立島)- 寄島の南沖
  • 北泊り、立神、真浦タテガキ、小泊、ベットウ岩、荒瀬崎、マツタ、アカモ - 男島

自然

男女群島はすべての島が均質な溶結凝灰岩から成り立つ[1]海岸線海食崖により囲まれており、柱状節理が随所にみられる[1]。植物は、暖温帯性(北方系)のタブノキヤブニッケイ等と亜熱帯性(南方系)のオオタニワタリクワズイモ等が混生する。また、マルバニッケイなどの北限地に当たる[1]

動物は、天然記念物であるカラスバトアカヒゲが生息する他、爬虫類昆虫でも例として男島にヒバカリの固有亜種ダンジョヒバカリが分布するなど珍しい種が生息する。

地質・鉱物、植物、動物の点から貴重な自然を呈しているため、1969年(昭和44年)8月18日国指定の天然記念物(天然保護区域)に指定されている。そのため、一般人の立ち入りには許可が必要である。また、オオミズナギドリカンムリウミスズメなどの海鳥の集団繁殖地となっており、1973年(昭和48年)11月1日に国指定男女群島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積416ヘクタール、全域が特別保護地区)。

歴史

国産み神話では、イザナギイザナミの二柱の神がまず大八島を産み、続いて6島を産んでいるが、通説では男女群島が6島の最後に産んだとされる両児島(ふたごのしま)に比定される。

8世紀後半から9世紀にかけて南路をとった遣唐使船の航海の目印となり五島列島と寄港地になった。中世になると源定茂が島を所領して海外貿易の中継地として利用した。室町期から戦国時代にかけては松浦水軍の松浦党に属した宇久氏の勢力下に入り、男島や女島から当時の遺物が出土している。

江戸時代承応年間(1652年-1655年)には、漁場として最盛期を迎え、島在住の地元漁師はもちろん、四国や九州各地から多くの漁船が集まり福江藩の職制に「女島奉行」が設置されるほどになった[2]

1886年(明治19年)には周辺海域でサンゴ漁が始められ、1889年(明治22年)には300隻を超える船が操業した。1902年(明治35年)頃からは日本全国から仲買人が島を訪れるようになり、明治末年には外国人も参加して、島に居住するイタリア人の仲買人もいた[2]。海難事故も多く、1905年(明治38年)に約1200人、その翌年に約1000人がサンゴ漁の途中に台風にあって遭難して命を落としている。

1889年(明治22年)4月1日に、町村制施行により南松浦郡富江村に属する。その後1928年(昭和3年)1月1日より大浜村の所属となる[3]

1925年(大正14年)には女島灯台の建設が開始され、1927年(昭和2年)に竣工、初点灯している。その後、女島の高崎山に海軍のレーダー基地が建設された。

1945年(昭和20年)6月8日に、戦火が迫り空襲が相次いでいたため、民間人引き上げ命令が出されて全島民、女島灯台職員および職員家族全員が退去した。11月5日、進駐軍が女島灯台施設を爆破[4]

1948年(昭和23年)3月1日に、女島灯台の戦災復旧にあわせて灯台職員および島民らが帰島した。

1957年(昭和32年)には、木下恵介監督の映画作品『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台の一つとなり、主に女島でロケーション撮影された。

1969年(昭和44年)8月18日に、国指定の天然記念物(天然保護区域)に指定される。総合学術調査の際、男島の林の中で中世の石垣群が発見されている。

近年は、近隣諸国からの密入国や密輸、密漁や不審船の監視のために海上保安庁巡視船が近海をパトロールしている。

2006年11月から無人島になったが、日本でも屈指の磯釣り、ダイビングスポットになっており、全国からの来島者で賑わいをみせている。

排他的経済水域基点問題

交通

渡船は長崎平戸佐世保熊本鹿児島などから出ており、高速艇で3時間程度で到着する。

映画

参考図書

脚注

関連項目