田中純弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
田中 純弥
出生名 田中 純弥
生誕 (1981-07-13) 1981年7月13日(37歳)
出身地 日本の旗 日本京都府城陽市
ジャンル 美術家
職業 画家
イラストレーター
ミュージシャン
作詞作曲家
公式サイト 田中純弥 instagram

田中 純弥(たなか じゅんや、1981年7月13日 - )は京都府城陽市出身の現代美術家で元歌手

日本のポップアート作家で、3D技法の立体絵やアクリル絵具による絵画、ドローイングなど、

すべての作品のモチーフは動物と賑やかな街並が中心である。

2013年の初個展から、わずか数年で国内のみならず海外からも声がかかるようになり、行われる個展や展覧会は、どれも高い人気を誇っている。

主に日本では表参道ヒルズや渋谷LOFT、東急ハンズ、京都みやこめっせ等で毎年個展を開催している。

過去には元関西ジャニーズJr.として活動し退社後は、バンド"あのHUMPTY"のボーカルとしても活動していた。

人物[編集]

「LOFTプロフィールより参照」

現代美術作家 田中純弥は、京都で生まれ育った。

幼い頃から絵を描くのが大好きで、時間があればいつも何かを描いている少年だった。

10歳のころ総理大臣から絵の賞をもらい、作品を人に見てもらう喜びを知る。

13歳でアメリカのテネシー州に留学し、そこで初めてアメリカンポップアートに触れる。

帰国後、すぐに芸能の世界に入り、音楽や芸を学びながら16歳で初となる作品展を京都駅で開催。

そのころの作風は繊細なタッチのドローイング画が中心だった。

17歳となった彼は、音楽に魅了され作詞作曲を含む音の世界に没頭することとなる。

そこから数年間、絵の世界から離れるものの、ある時実家を火事で失う。

家を無くしたことに落ち込んだ彼は、沈んだ気持ちを持ち直そうと

逆にポップで明るい絵を多く描くようになる。。。

2011年、ふたたび絵の制作をはじめ、主に3D技法を使った作品に意欲的に取り組む。

その翌年、小さな個展会場から始めた彼の作品は、

多くの人を楽しくハッピーにさせると評判に。

わずか数年で国内のみならず海外からも声がかかるようになった。

彼の作品は底抜けに明るく、愛に溢れている。

「日常生活で見慣れたものより、見たことのないものの方が魅力的である」

そんな彼の作品はビルや動物たちがどれも楽しそうに描かれ、

その世界観の中心にはどこかシュールさもある。

独学で鮮やかに描かれた田中純弥の空想の世界。そのイマジネーションは素敵な物語を秘めている。

来歴[編集]

  • 1995年8月、当時14歳(中学2年)の時、母親の勧められジャニーズ事務所に入所。
    • 関西ジャニーズJr.メンバーの主力として活躍。ヤンキー的なルックスがSMAP中居正広に気に入られテレビ番組「キスした?SMAP」で一躍人気となり関西Jr.の中で実力人気と共にリーダー的存在となる。関ジャニの中では(東京の滝沢秀明、今井翼らと共に)Mステに一番初めに出演するなど関西Jr.を世に知らしめた。
    • その後北山純一・野中和久・現関ジャニ∞横山裕らと共に「Kanjani Knight」という4人の看板テレビ番組を持ち関西Jr自体の人気を高めた。番組や舞台のバックには現関ジャニ∞の渋谷すばる村上信五錦戸亮安田章大丸山隆平等がいた。特に村上信五とは仲がよく、村上のあだ名を純弥が「ひな」と名づけたのは当時のファンの中で有名である。
    • テレビ番組「堂本剛のDO-YA!」にレギュラー出演。また現・関ジャニ8のメンバーと「なんじゃに?!関ジャニ」や現・のメンバー達と「京都ビストロジャーニー」等、様々な看板番組を持ち映画やドラマにも出演するなどJr.ブームの火付け役として活躍する。この時代のメンバーが後に黄金期と言われている。
  • 1997年1998年、舞台「Kyo to Kyo」(京都駅 シアター1200(現在の劇団四季の京都劇場))の出演では現・嵐の大野智を相方とし共に主役として、1日5公演を2年間行う。その頃、大野智と共に細かいイラストを描いて遊んでいた所、2人の絵の才能が高く評価され、2人のイラストが京都駅劇場に展示される。kyotokyoの中では大野と組むTOP-Jや、関ジャニ8がいたヤングチームのセンターを務めていた。
  • 1998年11月、事務所を北山純一と共に突如脱退した。脱退の理由は「好きなことをして生きてみたい」とのこと。
  • 1999年、インディーズバンド「JAVELIN HEAD」を、元関西ジャニーズJr.の北山純一・野中和久らと結成。ボーカル、ギター、サックスとして活躍。1999年に京都府・文化パルク城陽大ホールにて1300人ソールドアウトを達成するなど、結成からすべてワンマンライブを中心に活動したが、純弥が上京したことにより2002年人気絶頂で突如解散。
  • 2002年より拠点を東京に変えインディーズロックバンド「HUMPTY」を北山・野中らと結成。ボーカル・リーダーとして活動する。
  • 2006年、ベースの脱退を機にバンド名をあのHUMPTYに改名。
  • 2009年 日本青年館1300人ワンマンライブ達成。
  • 2010年 メジャーシングル 『飲み過ぎんなよ〜Yaaaahバババイ〜』発売。レコチョクでダウンロード1位となる。YouTubeでは合計300万再生を超えるヒットとなる。
  • 2011年 赤坂ブリッツワンマンライブ達成、東日本大震災のチャリティーに力を入れる。
  • 2012年 ニコニコ動画で人気のけいたん、暴徒と共にコラボとして「踊ってみた」項目で投稿した曲は50万再生を突破。「歌ってみた」では3日間で10万再生を突破。
  • 2012年 ギターが海外に留学したためバンド活動休止。その間、趣味で描いていた立体絵画を初個展とし展示。
  • 2013年 アーティスト名、AMO JUNYAとして個展を数回開催。独学での色使いと繊細な立体技法が注目され、海外からも声がかかりはじめる。
  • 2014年 デザインフェスタの出展に加え、渋谷LOFT個展、京都みやこめっせ個展、など年間10回以上の個展を開催する。
  • 2014年 AMO JUNYAデザインのキャラクター「キネコ」のLineスタンプが発売される。
  • 2015年 アーティスト名を本名の田中純弥に改名。
  • 2015年 表参道ヒルズ個展から始まり、LOFTや銀座東急ハンズ個展や、アパレルとのコラボなど活動の幅を広げ、フランス パリ等の展覧会への出展も果たす。
  • (現在)絵描きを本業に活動。年に数回はバンドあのHUMPTYとしてのライブ活動をしている。2011年から東京/六本木で飲食店、Cafe Bar等を経営&プロデュースも行っている。

個展[編集]

ドラマ[編集]

CM[編集]

テレビ番組[編集]

雑誌[編集]

  • 「MUSiQ? SPECIAL OUT of MUSIQ」(2010年10月 - )田中純弥のコラム〜光と影〜連載

舞台[編集]

  • Kyo to Kyo - 京都シアター1200(1997年 - 1998年)
  • ミュージカル SHOW劇MASK 1997-V6(坂本・井ノ原・岡田)編(1997年12月6日 - 27日)-松竹座

出版物[編集]

  • 「男のコのための超楽々エレキ塾☆」(2010年2月25日)YAMAHA music media corporation
  • 「男のコのための超楽々アコギ塾☆」(2010年2月25日)YAMAHA music media corporation

ライブ活動[編集]

あのHUMPTY[編集]

JAVELIN HEAD[編集]

  • 1999年 - 2002年、年間約20本のワンマンライブを行っていた。

ディスコグラフィ[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]