「オープン・ザ・ブレイブゲート王座」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
213行目: | 213行目: | ||
|style="text-align:right;"|6 |
|style="text-align:right;"|6 |
||
|2015年2月28日 |
|2015年2月28日 |
||
|[[ |
|[[大阪府立体育会館]]第2競技場 |
||
|- |
|- |
||
!第28代 |
!第28代 |
||
220行目: | 220行目: | ||
|style="text-align:right;"|1 |
|style="text-align:right;"|1 |
||
|2015年11月1日 |
|2015年11月1日 |
||
|[[ |
|[[大阪府立体育会館]]第1競技場 |
||
|- |
|- |
||
!第29代 |
!第29代 |
||
227行目: | 227行目: | ||
|style="text-align:right;"|2 |
|style="text-align:right;"|2 |
||
|2016年3月5日 |
|2016年3月5日 |
||
| |
|大阪府立体育会館第2競技場 |
||
|- |
|- |
||
!第30代 |
!第30代 |
2017年7月2日 (日) 15:29時点における版
オープン・ザ・ブレイブゲート王座 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詳細 | |||||||||||||||
現王者 | ジミー・カゲトラ | ||||||||||||||
獲得日 | 2017年3月20日 | ||||||||||||||
管理団体 | DRAGON GATE | ||||||||||||||
創立 | 2005年3月13日 | ||||||||||||||
|
オープン・ザ・ブレイブゲート王座(オープン・ザ・ブレイブゲートおうざ)は、日本のプロレス団体DRAGON GATEが管理する王座。
特徴
挑戦資格は体重82kg以下。
2005年3月にK-ness.とYOSSINO(現:吉野正人)の発案で創設。
チャンピオンベルトの中央にある龍のエムブレムは8つにばらせるようになっており、この仕掛けを利用して初代、第9、15、20、26、31代王者決定トーナメントでは参加者8人に配られて勝者が回収していった。
歴代王者
代 | レスラー | 戴冠回数 | 防衛回数 | 獲得日付 | 獲得した場所(対戦相手・その他) |
---|---|---|---|---|---|
初代 | 土井成樹 | 1 | 5 | 2005年3月13日 | 名古屋国際会議場、YOSSINO |
第2代 | ドラゴン・キッド | 1 | 1 | 2005年11月13日 | 名古屋国際会議場、コミッショナー預かり |
第3代 | 吉野正人 | 1 | 4 | 2006年3月19日 | 本川越ペペホール、谷嵜なおき、ドラゴン・キッドとの3WAYマッチ |
第4代 | マット・サイダル | 1 | 2 | 2007年2月12日 | SITE-KOBE |
第5代 | 堀口元気 | 1 | 2 | 2007年3月25日 | 津市体育館 |
第6代 | 神田裕之 | 1 | 2 | 2007年7月1日 | ワールド記念ホール |
第7代 | 吉野正人 | 2 | 6 | 2007年9月22日 | 大田区体育館 |
第8代 | アンソニー・W・森 | 1 | 0 | 2008年4月13日 | 名古屋テレピアホール、王座返上 |
第9代 | Gamma | 1 | 6[1] | 2008年4月27日 | 博多スターレーン、アンソニー・W・森 |
第10代 | Dr.マッスル[2] | 3 | 0 | 2008年6月29日 | 大阪府立体育会館第2競技場 |
第11代 | 堀口元気 | 2 | 2 | 2008年7月27日 | ワールド記念ホール、m.c.KZ. |
第12代 | 吉野正人 | 4 | 2 | 2008年10月12日 | 名古屋テレピアホール |
第13代 | CIMA | 1 | 3 | 2009年3月22日 | 両国国技館 |
第14代 | 土井成樹 | 2 | 0 | 2009年7月19日 | ワールド記念ホール、王座返上 |
第15代 | 谷嵜なおき | 1 | 6 | 2009年8月30日 | 博多スターレーン、KAGETORA |
第16代 | K-ness. | 1 | 1 | 2010年1月11日 | 名古屋テレピアホール |
第17代 | スペル・シーサー | 1 | 1 | 2010年2月27日 | KBSホール |
第18代 | タイガースマスク | 1 | 4 | 2010年4月18日 | アプラ高石 |
第19代 | 吉野正人 | 5 | 0 | 2010年8月14日 | 神戸サンボーホール、王座返上 |
第20代 | PAC | 1 | 11 | 2010年8月29日 | 博多スターレーン、横須賀享 |
第21代 | リコシェ | 1 | 3 | 2011年11月19日 | 大阪府立体育会館第2競技場 |
第22代 | ドラゴン・キッド | 2 | 9 | 2012年5月6日 | 愛知県体育館 |
第23代 | 吉野正人 | 6 | 4 | 2013年5月5日 | 愛知県体育館、王座返上 |
第24代 | 堀口元気H.A.Gee.Mee!! | 3 | 4 | 2013年9月29日 | 神戸サンボーホール、Kzy |
第25代 | フラミータ | 1 | 8 | 2014年3月16日 | 和歌山県立体育館、王座返上 |
第26代 | Kzy[3] | 1 | 1 | 2015年1月12日 | 神戸サンボーホール、Eita |
第27代 | 戸澤陽 | 1 | 6 | 2015年2月28日 | 大阪府立体育会館第2競技場 |
第28代 | Kotoka | 1 | 1 | 2015年11月1日 | 大阪府立体育会館第1競技場 |
第29代 | ヨースケ♡サンタマリア | 1 | 2 | 2016年3月5日 | 大阪府立体育会館第2競技場 |
第30代 | Eita | 1 | 4 | 2016年7月24日 | ワールド記念ホール |
第31代 | ジミー・カゲトラ | 1 | 2017年3月20日 | 和歌山県立体育館、エル・リンダマン |
主な記録
- 最多戴冠回数 : 6回 - 吉野正人(第3、7、10、12、19、23代)[4]
- 最多連続防衛回数 : 11回 - PAC(第20代)
- 最多通算防衛回数 : 16回 - 吉野正人
- 最年少戴冠記録 : 19歳3ヶ月 - フラミータ(第25代)
- 最年長戴冠記録 : 39歳 - スペル・シーサー(第17代)
オープン・ザ・ガンマゲート王座
第9代王者決定戦にて優勝したGammaが「DRAGON GATEで一番勇気のない俺がこのベルトを持っても価値がない」と言い、8枚のプレートを剥がして独自のプレートを貼り付けて強引に誕生した王座。
なお、挑戦者はGamma本人が一方的に決めて何かと言いがかりをつけたり、後付したルールで防衛することがある。また、当然ながら立会人も試合に介入する。
7度目の防衛戦でGammaが敗北して元に戻された。なお、プレートは超神龍にプレゼントされた。
Blood WARRIORS認定オープン・ザ・ブレイブゲート王座
第20代王者であったPACが2011年6月12日の神戸サンボーホール大会後にイギリスに帰国することを理由に谷嵜なおきがPACから強奪してメタル・ウォリアーをコミッショナーとした王座。
谷嵜が強奪後に7月24日のKBSホール大会でリッチ・スワンが挑むも敗北。続いてGammaが8月25日の後楽園ホール大会で挑戦するも事前に谷嵜から突き付けられた「王者(谷嵜)のみ2カウントで勝ちになる特別ルール」の影響で敗北。
その後、谷嵜は真の王者であるPACともGamma戦と同じく王者のみ2カウント勝利となる特別ルールで戦うと宣言して9月16日の後楽園ホール大会でタイトルマッチが組まれた。 しかし、王者のPACは2カウントルールに負けず谷嵜を破り、王座を自分の手に戻した。
その他
挑戦資格は体重82kg以下であるが2009年2月12日の第12代王者の吉野正人の2度目の防衛戦の相手のKAGETORAは85kgで規定体重をオーバーしていた。この防衛戦は先月25日に行われた「BATTLE OF TOKYO 2009」優勝者と行うことになっていた。しかし、吉野が全参加選手の体重を確認しておらず、KAGETORAの言い分を呑む形となった。そのためこの試合のみ体重制限が撤廃された。これまで規定体重をオーバーしてブレイブゲートに挑戦した選手はいなかった(挑戦が決まった段階で82kg以上あった選手もいたが体重を落として82kg以下にして挑戦した)。