「1910年ウィンブルドン選手権」の版間の差分

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== 大会の流れ ==
== 大会の流れ ==
* 男子シングルスは[[1878年ウィンブルドン選手権|1878年]]、女子シングルスは[[1886年ウィンブルドン選手権|1886年]]から「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)方式で優勝を決定していた。大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
* 男子シングルスは[[1878年ウィンブルドン選手権|1878年]]、女子シングルスは[[1886年ウィンブルドン選手権|1886年]]から「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)方式で優勝を決定していた。大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
* 混合ダブルスは、[[1912年ウィンブルドン選手権|1912年]]まで「選手権公認外競技」(Non-Championship Event)として扱われた。これは公式競技ではないため、ウィンブルドン選手権の優勝記録表には含まれていないが、日本語版の本記事では混合ダブルスの「選手権公認外競技」の結果も記載する。女子ダブルスは、[[1908年ウィンブルドン選手権|1908年]]から[[1912年ウィンブルドン選手権|1912年]]まで開催されなかった。
* 混合ダブルスは、[[1912年ウィンブルドン選手権|1912年]]まで「選手権公認外競技」(Non-Championship Event)として扱われた。これは公式競技ではないため、ウィンブルドン選手権の優勝記録表には含まれていないが、日本語版の本記事では混合ダブルスの「選手権公認外競技」の結果も記載する。
* 女子ダブルスは、[[1908年ウィンブルドン選手権|1908年]]から[[1912年ウィンブルドン選手権|1912年]]まで開催されなかった。


== 大会前年度優勝者 ==
== 大会前年度優勝者 ==
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== 決勝戦の結果 ==
== 決勝戦の結果 ==
* 男子シングルス{{flagicon|NZL}} [[アンソニー・ワイルディング]] vs. {{flagicon|GBR}} [[アーサー・ゴア]] 6-4, 7-5, 4-6, 6-2 [オールカマーズ決勝]
;男子シングルス
* {{flagicon|NZL}} [[アンソニー・ワイルディング]] vs. {{flagicon|GBR}} [[アーサー・ゴア]] 6-4, 7-5, 4-6, 6-2 [オールカマーズ決勝]
* 女子シングルス{{flagicon|GBR}} [[ドロテア・ダグラス・チェンバース]] vs. {{flagicon|GBR}} [[ドラ・ブースビー]] 6-2, 6-2 [オールカマーズ決勝]
;女子シングルス
* {{flagicon|GBR}} [[ドロテア・ダグラス・チェンバース]] vs. {{flagicon|GBR}} [[ドラ・ブースビー]] 6-2, 6-2 [オールカマーズ決勝]
;男子ダブルス
* 男子ダブルス:{{flagicon|GBR}} [[ジョシア・リッチー]]&{{flagicon|NZL}} [[アンソニー・ワイルディング]] vs. {{flagicon|GBR}} [[アーサー・ゴア]]&{{flagicon|GBR}} [[ハーバート・ローパー・バレット]] 6-1, 6-1, 6-2 [オールカマーズ決勝]
* 混合ダブルス:{{flagicon|AUS}} [[スタンレーダウスト]]&{{flagicon|GBR}} [[ドロテア・ラス・チェンバース]] vs. {{flagicon|CAN}} ロバパウエル&{{flagicon|GBR}} [[シャロット・クパー|シャーロット・ーパー・ステリー]] 6-2, 7-5 [選手権公認外競技
* {{flagicon|GBR}} [[ジョシアリッチー]]&{{flagicon|NZL}} [[アンソニーワイルディング]] vs. {{flagicon|GBR}} [[アーサー・ゴア]]&{{flagicon|GBR}} [[ート・ーパー・バレット]] 6-1, 6-1, 6-2 [オールカマーズ決勝
;混合ダブルス
* {{flagicon|AUS}} [[スタンレー・ダウスト]]&{{flagicon|GBR}} [[ドロテア・ダグラス・チェンバース]] vs. {{flagicon|CAN}} ロバート・パウエル&{{flagicon|GBR}} [[シャーロット・クーパー|シャーロット・クーパー・ステリー]] 6-2, 7-5 [選手権公認外競技]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2010年11月27日 (土) 01:38時点における版

1910年 ウィンブルドン選手権(The Championships, Wimbledon 1910)に関する記事。イギリスロンドン郊外にある「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」にて開催。

大会の流れ

  • 男子シングルスは1878年、女子シングルスは1886年から「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)方式で優勝を決定していた。大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
  • 混合ダブルスは、1912年まで「選手権公認外競技」(Non-Championship Event)として扱われた。これは公式競技ではないため、ウィンブルドン選手権の優勝記録表には含まれていないが、日本語版の本記事では混合ダブルスの「選手権公認外競技」の結果も記載する。
  • 女子ダブルスは、1908年から1912年まで開催されなかった。

大会前年度優勝者

男子シングルス

チャレンジラウンド

準々決勝

準決勝

  • ニュージーランドの旗 アンソニー・ワイルディング vs. イギリスの旗 ジェームズ・パーク 7-5, 6-1, 6-2
  • アメリカ合衆国の旗 ビールズ・ライト vs. イギリスの旗 アーサー・ロウ 6-3, 3-6, 6-4, 6-4

決勝

  • ニュージーランドの旗 アンソニー・ワイルディング vs. アメリカ合衆国の旗 ビールズ・ライト 4-6, 4-6, 6-3, 6-2, 6-3

オールカマーズ決勝

女子シングルス

チャレンジラウンド

準々決勝

準決勝

  • イギリスの旗 エディット・ジョンソン vs. イギリスの旗 グラディス・イーストレーク・スミス 1-6, 6-0, 6-3
  • イギリスの旗 ドロテア・ダグラス・チェンバース vs. イギリスの旗 ウィニフレッド・マクネアー 6-1, 6-0

決勝

  • イギリスの旗 ドロテア・ダグラス・チェンバース vs. イギリスの旗 エディット・ジョンソン 6-4, 6-2

オールカマーズ決勝

決勝戦の結果

男子シングルス
女子シングルス
男子ダブルス
混合ダブルス

外部リンク

  • 抽選表:男子女子 (男子はGrand Slam Tennis Archive、女子はTennisForum.com提供スレッドによる)

参考文献

  • Lance Tingay, “100 Years of Wimbledon” (ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0 参照元は以下の通り。男子シングルス試合結果:139ページ、女子シングルス試合結果:154ページ、混合ダブルス選手権公認外競技:182ページを参照。
  • Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 選手のフルネームについて、本書から補足した。


先代
1909年ウィンブルドン選手権
ウィンブルドン選手権
1910年
次代
1911年ウィンブルドン選手権