浜田一夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。要塞騎士 (会話 | 投稿記録) による 2020年2月4日 (火) 15:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

浜田 一夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊田市[1]
生年月日 (1963-06-20) 1963年6月20日(60歳)
身長
体重
179[注 1][4] cm
89[注 1][4] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト2位
初出場 NPB/1984年8月4日[5]
KBO/1988年
最終出場 NPB/1987年4月14日[6]
KBO/1988年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

浜田 一夫(はまだ かずお、1963年6月20日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手投手・右投右打)[1]

愛知高校時代は同期の工藤公康[注 2]槙原寛己[注 3]とともに「愛知三羽烏[注 4]として名を馳せ[7]1981年プロ野球ドラフト会議で地元・愛知県に本拠地を置く中日ドラゴンズから2位指名を受け入団したが[1]、プロ入り後は1勝もできず球界を去った。

来歴

豊田市立堤小学校豊田市立高岡中学校出身[注 5][5]愛知高校1年生の時(1979年)に強肩を生かして捕手から投手へ転向し、2年生時(1980年)には愛知県大会のベスト4まで進出した[1]。3年生の夏(1981年)には愛知県大会予選・愛知県立成章高校戦で18イニングを投げたがその際にも球威が衰えておらず、本人も「このスタミナならプロでもやっていける」と自信を持っていた[3]

1981年プロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから2位指名を受け、契約金3,000万円・年俸300万円の契約で入団した[2]。背番号は51[1]。担当スカウト法元英明は無名時代から浜田に着目して「若くて活きが良く、スタミナのある本格派投手。粗削りだが2,3年鍛えれば良い投手になる」と評価しており、1982年度から二軍チーフコーチに異動することが決まっていたことから入団直後には「この手で一流投手に育て上げたい」と意気込んでいたほか[2]近藤貞雄監督も「一目見て『予想以上の才能の持ち主だ』と直感した。体つきから球質が重くて速い剛速球タイプだ。近い将来に中日のエースになれる」と高く評価していた[3]

重い速球シュートを武器に一軍で活躍することを期待され[5]、プロ2年目の1983年には二軍ウエスタン・リーグ)にてチーム最多の9勝[注 6]を挙げてリーグ最高勝率に輝くと[11]、3年目の1984年に一軍でプロ初登板を含め7試合9イニング登板したほか[12]1985年には二軍にてチームメイトの近藤満に次ぐ101イニングを投げて[13]20試合登板・6勝6敗2セーブ(防御率2.67・リーグ投手成績5位)の成績を残した[14]。しかし毎年期待を受けながら工藤・槙原ら同期の活躍に取り残され[5]、一軍では通算8試合登板・未勝利に終わり1987年限りで中日を退団した[注 7][4]

1988年韓国プロ野球KBOリーグ太平洋ドルフィンズに登録名金 一夫(キム・イルブ、김일부)として入団したが、わずか2勝に留まり1年で退団した[15]

人物

愛知高校時代には毎日、豊田市内の実家から2時間半かけて高校に通学していた[3]

入団内定直後には当時、中日で速球派投手として活躍していた小松辰雄を目標に挙げていたほか[2][3]、「(プロ入りするなら)中日以外に考えられなかった」と述べていた[3]。また同じく「三羽烏」とうたわれていた槙原・工藤については「2人とも素晴らしい投手だが負けたくない」と述べたほか[3]、中日球団社長・堀田一郎[注 8]は浜田の入団会見(1981年12月14日)に際して「『愛知三羽烏』は3人全員欲しかったがドラフト制がある以上無理なので、スカウトに調べさせたところ『浜田が一番』と自信ある意見が返ってきた」と述べている[3]

詳細成績

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1984 中日 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 40 9.0 7 2 7 0 0 10 0 0 7 6 8.71 2.03
1987 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.0 2 0 1 0 0 3 0 0 1 1 9.00 2.00
1988 太平洋 23 7 0 0 0 2 4 2 -- 0.333 312 72.0 70 10 34 1 7 39 38 35 4.38 1.44
NPB:2年 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 46 10.0 9 2 8 0 0 13 0 0 8 7 4.83 1.43
KBO:1年 23 7 0 0 0 2 4 2 -- 0.333 312 72.0 70 10 34 1 7 39 38 35 4.38 1.44

記録

NPB
  • 初登板:1984年8月4日、対広島東洋カープ戦(広島市民球場[5]。第18節・第17回戦(先発投手:都裕次郎)、8回裏に6番手投手として登板し1イニング3打数0被安打1奪三振1与四球0失点(捕手:大河原栄[17]
  • 最終登板:1987年4月14日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤ球場)にて先発投手・鹿島忠の後を継ぎ3回表より2番手投手として登板・1イニング6打数2被安打3奪三振1失点[6]

タイトル

NPB

背番号

  • 51 (1982年 - 1987年)
  • 19 (1988年)

登録名

  • 浜田 一夫 (はまだ かずお、1982年 - 1987年)
  • 金 一夫 (キム・イルブ、김일부、1988年)

脚注

注釈

  1. ^ a b 入団直後の新聞報道では「身長180 cm・体重78 kg」[2][3]
  2. ^ 名古屋電気高校西武ライオンズ6位指名。NPB通算224勝・最優秀選手(MVP)2回・正力松太郎賞4回・野球殿堂競技者表彰 (2016年)。
  3. ^ 大府高校読売ジャイアンツ(巨人)1位指名。NPB通算159勝。
  4. ^ 「愛知の高校三羽ガラス」[2]「愛知の三羽ガラス」[3]とも表記される。
  5. ^ なお1982年(昭和57年)4月に高岡中学校から分離独立する形で豊田市立前林中学校が開校しており[8]、堤小学校の現在の進学先中学校は前林中学校となっている[9]
  6. ^ 21試合に登板し106回1/3イニングを投げて9勝3敗0セーブ・防御率3.64(投手成績9位)の成績[10]
  7. ^ 『昇竜の軌跡』(ベースボール・マガジン社・2005年)では「1987年に引退」と述べられている[4]
  8. ^ 1979年(昭和54年)2月 - 1985年(昭和60年)6月まで中日球団社長[16]

出典

  1. ^ a b c d e 『'82プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 1982年3月号、日本スポーツ出版社、1982年3月31日、67頁。 
  2. ^ a b c d e 『中日新聞』1981年12月11日朝刊第12版第一運動スポーツ面21頁「浜田(2位指名愛知高)も中日入り内定 スタミナある本格派投手 『目標、小松さん』」
  3. ^ a b c d e f g h i 『中日新聞』1981年12月15日朝刊第12版第一運動スポーツ面17頁「『中日の浜田』が誕生 入団発表 『スタミナに自信』 球質の重い剛速球タイプ」
  4. ^ a b c d ベースボール・マガジン社 2005, p. 141.
  5. ^ a b c d e 『中日ドラゴンズ '87ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、1987年4月14日、28頁。ISBN 978-4806201847 
  6. ^ a b 『中日新聞』1987年4月15日朝刊第12版第一運動スポーツ面19頁「セ・リーグ第2節14日 ナゴヤ・夜 広島10-2中日 中日"苦投"リレー ナゴヤ初戦飾れず 鹿島タブー犯し早々とKO ゲーリー3号散る」
  7. ^ 『'85プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 第9巻第3号(通算:第88号、1985年3月号)、日本スポーツ出版社、1985年3月31日、37頁。 
  8. ^ 学校概要”. 豊田市立高岡中学校. 豊田市. 2020年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月1日閲覧。
  9. ^ 2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市. p. 4 (2019年6月26日). 2020年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月1日閲覧。
  10. ^ ホームラン 1984, p. 167.
  11. ^ a b ホームラン 1984, p. 73.
  12. ^ 『'87プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 第11巻第3号(通算:第106号、1987年3月号)、日本スポーツ出版社、1987年3月31日、73頁。 
  13. ^ ホームラン 1986, p. 67.
  14. ^ ホームラン 1986, p. 167.
  15. ^ “[프로야구 매니저] OB의 재구성 - 역대 재일교포 투수 올스타” (朝鮮語). 中央日報 (大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市: 中央日報). (2010年6月23日). オリジナルの2020年1月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200101142229/https://news.joins.com/article/4264080 2020年1月1日閲覧。 
  16. ^ 中日ドラゴンズ『中日ドラゴンズ70年史』(初版第1刷)中日新聞社、2006年2月23日、37頁。ISBN 978-4806205142 
  17. ^ 中日新聞』1984年8月5日朝刊第11版第一運動スポーツ面21頁「セ・リーグ第18節4日 広島・夜 広島8-4中日 首位決戦 中日敗れ再び2差に 宇野の3試合連発フイ 都、伏兵に痛い2発 継投も遅れる」

参考文献

  • 『'84プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 第8巻第3号(通算:第78号、1984年3月号)、日本スポーツ出版社、1984年3月31日、73,167頁。 
  • 『'86プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 第10巻第3号(通算:第97号、1986年3月号)、日本スポーツ出版社、1986年3月31日、67,167頁。 
  • 池田哲雄 編『中日ドラゴンズ70年 昇竜の軌跡』ベースボール・マガジン社、2005年6月1日、141頁。ISBN 978-4583613246 

関連項目

外部リンク