金田進

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金田 進
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1960-06-15) 1960年6月15日(57歳)
身長
体重
179 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1981年 ドラフト4位
初出場 1983年5月29日
最終出場 1987年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (1996 - 2004,2013)

金田 進(かねだ すすむ、1960年6月15日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。

来歴・人物[編集]

近大付属高校では1978年、エース松嶋善久(近鉄)を擁し、捕手、二番打者として夏の甲子園府予選決勝に進出。しかしPL学園に敗退、甲子園出場を逸する。この試合では両チームがともに13安打を放つが、PL学園の西田真二木戸克彦のバッテリーに要所を抑えられ、3-9で大敗した。PL学園は甲子園で優勝。高校同期に松嶋の他、控え投手の木村悟(近大日本ハム)、一塁手の神田大輔(南海)がいた。

卒業後は丸善石油(現・コスモ石油)に進む。1981年都市対抗にはエース成田幸洋とともに四国銀行の補強選手として出場。1回戦で大昭和製紙北海道と対戦し、リリーフした成田とのバッテリーで活躍するが敗退[1]した。

同年、ドラフト4位指名で中日ドラゴンズに入団。1983年には中尾孝義金山卓嗣らと捕手の座を争い、16試合に先発マスクを被る。しかしその後は中尾が正捕手として定着し、出場機会に恵まれなかった。ファームでは一塁手、代打での出場も多かった。1991年限りで現役引退。

引退後はブルペン捕手を経て、1996年から2004年までの間に二軍バッテリーコーチや育成コーチを歴任した。その後は中日球団渉外部所属を経て2012年10月末に、退団した中村武志の後任として2軍捕手コーチに就任することとなった。

2013年10月15日、球団より来季の契約を結ばないことが発表された[2]

2015年12月1日、名古屋コーチン専門店「鳥開 総本家」を展開するプログレの硬式野球チーム「鳥開ベースボールクラブ」の監督に就任することが発表された[3]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1983 中日 29 55 52 4 11 3 1 0 16 4 0 0 2 0 1 0 0 7 0 .212 .226 .308 .534
1984 10 8 7 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .143 .250 .143 .393
1985 13 18 18 1 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .167 .167 .333 .500
1986 7 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .143 .143 .143 .286
1987 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:5年 61 90 86 6 16 3 1 1 24 5 0 0 2 0 2 0 0 15 0 .186 .205 .279 .484

年度別守備成績[編集]

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1983 27 23 18 5 .217
1984 10 9 9 0 .000
1985 11 11 9 2 .182
1986 4 0 0 0 -
1987 2 1 1 0 .000
通算 54 44 37 7 .159

記録[編集]

  • 初出場・初打席:1983年5月29日ヤクルト戦(ナゴヤ) 水沼四郎の代打、梶間の前に三振
  • 初安打:1983年6月8日広島戦(広島) 津田から左前安打
  • 初打点:1983年6月15日大洋戦(金沢) 7回五月女から右越適時三塁打

背番号[編集]

  • 50 (1982年 - 1991年)
  • 83 (1996年 - 2001年)
  • 82 (2002年 - 2004年、2013年)

脚注[編集]

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  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ 来季の契約について中日球団公式サイト2013年10月15日配信
  3. ^ 元中日の金田氏が監督を務める「プログレ」が選手募集、来年4月まで

関連項目[編集]