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熊林親吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊林 親吾
名前
愛称 クマ
カタカナ クマバヤシ シンゴ
ラテン文字 KUMABAYASHI Shingo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-06-23) 1981年6月23日(44歳)
出身地 秋田県秋田市
身長 169cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 秋田商業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 日本の旗 ジュビロ磐田 0 (0)
2002-2004 日本の旗 湘南ベルマーレ 84 (3)
2005 日本の旗 横浜F・マリノス 8 (0)
2006-2007 日本の旗 ベガルタ仙台 47 (3)
2007 日本の旗 徳島ヴォルティス 20 (0)
2008-2012 日本の旗 ザスパ草津 181 (13)
2013-2015 日本の旗 ブラウブリッツ秋田 75 (3)
通算 415 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

熊林 親吾(くまばやし しんご、1981年6月23日 - )は、秋田県出身(北海道旭川市生まれ)の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー

来歴

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秋田市立秋田商業高等学校では同級生に清野智秋がおり、3年連続インターハイ全国高校サッカー選手権に出場。全国高校サッカー選手権おいては3年ともにベスト16という成績を収めた[1]。卒業後は清野と共にジュビロ磐田へ入団。

磐田では出場機会は得られなかったが、2002年に期限付き移籍をした湘南ベルマーレでは定位置を確保し[2]、2004年には完全移籍に移行する。

その後数々のクラブを渡り歩き、2008年に加入したザスパ草津時代には2011年10月26日の対横浜FC戦で、J1J2通算300試合出場、2012年3月10日の対湘南ベルマーレ戦でJ2通算300試合出場を達成。

2013年には地元のブラウブリッツ秋田に完全移籍[3]。2015年に現役引退[4]

2016年シーズンよりブラウブリッツ秋田U-18チームの監督に就任。JFA公認A級ジェネラルのライセンスを保有する。2019年よりトップチーム・コーチを兼任。

エピソード

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  • 湘南での応援歌は当初高田保則と同じ曲(原曲は『We Are The Champ』)であったが、応援団のコールリーダーに直接「この曲は振り付けがあるので7ゲート(応援団が集まるバックスタンドのゲート名)の人しかできない、手拍子があればメインスタンドも含めてスタジアム中に応援してもらえるから磐田時代の先輩である藤田俊哉名波浩のような応援歌がよい」と要望を伝え名波浩やベルマーレOBの中田英寿と同じ曲を使った応援歌を作ってもらった。
  • 仙台での応援歌は当初「金萬・ババヘラ・熊林」と秋田名物を並べたユニークなものであったがその後氣志團の『スウィンギン・ニッポン』を原曲とする歌に変わった。しかし、この曲は熊林の移籍後熊林個人の応援歌ではなく、仙台のチーム応援歌となり、ザスパ草津の一員として初めてユアテックスタジアムに凱旋した際に新曲として披露された。後に熊林はラジオ番組で「自分の歌を歌ってもらえるのかと思ったら、歌詞が熊林の部分が仙台に変わっていてショックだった」と語っている。しかし、このチーム応援歌となったスウィンギン・センダイは東日本大震災後にスタンディング・センダイとしてベガルタ仙台と氣志團の交流のきっかけになるなどしている。
  • 2007年最終節は当時レンタル移籍中の徳島ヴォルティスとレンタル元のベガルタ仙台が仙台のホーム、ユアテックスタジアムで対戦。直前に仙台からの戦力外通告が発表され、徳島からも戦力外との報道(こちらは公式ではなく新聞報道)があった中での試合であったが、試合直後、仙台サポーターの元へ走り寄り、深々とお辞儀をし、逆に仙台サポーターは普段自チームの元所属選手はブーイングで迎えることも多いがこの時は仙台時代の応援歌の大合唱で迎え、熊林本人だけでなく仙台の一部選手、サポーターも涙するということがあった。
  • 元々、CKを蹴る際など自チームサポーターを腕を振って煽ったり、サポーターを盛り上げることが多々見られたが、ザスパ草津では2008年シーズン途中から、試合後サポーターの前で拡声器を使ってマイクパフォーマンスをする通称「熊林劇場」が勝利後のお約束となった。マイクパフォーマンス以外にも草津温泉の法被を着る、負傷して長期離脱となった高田保則のユニフォームを着るなどのパフォーマンスを見せた。2009年シーズンはこれをさらに発展させた「草津劇場」として活躍した選手が法被を着たり湯もみ板を持って、さらに他の選手全員が肩を組んでのパフォーマンスを行った。
  • 憧れの選手はプロ入り前から一貫して磐田時代の先輩でもある名波浩奥大介(奥は横浜F・マリノス所属時代もチームメイトだった)と言い続けている。
  • 横浜F・マリノス時代のチームメイト、松田直樹が心筋梗塞で倒れた際には、ザスパ草津所属全選手のサインとメッセージをチームフラッグに集めて入院先の長野へ自ら持参。亡くなった直後の試合(2011年8月6日、対サガン鳥栖戦)ではゴールを決め喪章を天へとささげ、またヒーローインタビューで松田との思い出、病院に駆け付けた際の松田の母のメッセージを語った。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000磐田28J100000000
200100000000
20020000-00
湘南30J2282-40322
20038371-42413
2004190-00190
2005横浜FM13J180100090
2006仙台6J2412-10422
200761--61
徳島31200-20220
2008草津14382-20402
2009454-20474
2010272-10282
2011374-10384
2012341-00341
2013秋田8JFL321-20341
201410J3312-20332
2015120-00120
通算日本J1 80100090
日本J2 33219-17234921
日本J3 432-20452
日本JFL 321-20341
総通算 415221021243724
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2005年横浜FM1320
通算AFC 20

その他の国際公式戦

指導歴

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  • 2016年 - ブラウブリッツ秋田
    • 2016年 - 2018年 U-18 監督
    • 2019年 - 2023年 U-18 監督兼トップチームアシスタントコーチ
    • 2024年 U-18 監督
    • 2025年 アカデミーダイレクター
    • 2026年 - トップチーム ヘッドコーチ

脚注

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  1. 熊林親吾選手 移籍加入のお知らせ | ブラウブリッツ秋田”. ブラウブリッツ秋田 公式ホームページ. 2025年10月2日閲覧。
  2. 秋田MF熊林が16年間の現役生活に別れ「本当に悔いなくやりきりました」”. ゲキサカ (2015年10月5日). 2025年10月2日閲覧。
  3. 1.8 熊林親吾選手の入団記者会見を行いました | ブラウブリッツ秋田”. ブラウブリッツ秋田 公式ホームページ. 2025年10月2日閲覧。
  4. 熊林親吾選手 現役引退のお知らせ | ブラウブリッツ秋田”. ブラウブリッツ秋田 公式ホームページ. 2025年10月2日閲覧。
  5. 21期には下田光平がいる。

関連項目

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外部リンク

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