横路節雄

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横路 節雄(よこみち せつお、1911年1月2日 - 1967年6月14日)は日本政治家衆議院議員

来歴・人物[編集]

北海道夕張市出身。札幌師範学校北海道教育大学札幌校の前身)を卒業し、小学校教諭となる。北海道教職員組合委員長及び日本教職員組合副委員長、北海道議会議員を経て、1952年10月第25回衆議院議員総選挙北海道1区から立候補し初当選(通算8回当選。同じ北海道1区の社会党候補には道議会の後輩島本虎三もいた)。日本社会党の国対委員長や政審会長を歴任。1960年安保闘争では党安保対策委員長。

1959年北海道知事選挙で社会党公認で出馬したが自民党新人の元衆議院議員・町村金五町村信孝の父)に敗れ、直後の補選で国政に復帰した。1967年6月14日、議員在職中に56歳で死去。

妻・美喜の実兄は野呂榮太郎、長男は前衆議院議長横路孝弘

党職
先代:
島上善五郎
日本社会党国会対策委員長
第6代 : 1963年 - 1966年
次代:
柳田秀一