桜餅

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桜餅(さくらもち)は、にちなんだ和菓子。桜とは桜ので、餅とは餅菓子の事で、代表的なものは、を葉で包んだ和菓子の一つで、桜の葉を塩漬けしたのが香る。の和菓子の流れに沿う物と、新たに江戸で生み出されて町人に広まった物とがある。雛菓子の一。春の季語である。

事物と名前[編集]

違う桜餅[編集]

桜餅という物は地方と人によって違う。それぞれの物の異なる名前を記して表す。

長命寺
関東の桜餅という呼び名の異なった名前。関西山陰での異なる名は長命寺餅。関西では桜餅とは異なった物とすることもある。
道明寺
関東での違う桜餅の呼び名。関東と山陰での異なる名は道明寺餅。

和菓子は京で生まれて江戸へ下ったので、桜餅を江戸で新しく作られた物と分けて、江戸で新しく作られた物を別の菓子の名前として長命寺餅と呼んだ。江戸で作られた物が江戸では広く桜餅と呼ばれるようになり、他方の物を道明寺という名前で呼び分けている。長命寺、道明寺という呼び名は江戸での名前である。文化の違う京と江戸では桜餅にも違う見方がある。関東、関西と名付けて地方の文化で見分けることがある。

古典に記されたこと[編集]

現在の桜餅だけでなく古文書などにも桜餅の名前が見える。

  • 長命寺の人気にならって大坂では北堀江の土佐屋に天保の頃に現れたという[1]
  • 茶湯献立指南(元禄九年、1696年)
  • 男重宝記
男重宝記(元禄六年、1693年)に「桜餅」とあるところに桜の五弁の花びらを模した桜餅の図が載っていて、その傍らに「中へあん入れる」と記されている[2]。この図はこなしあるいは練り切りと似ている。
  • 桔梗屋菓子目録
南方熊楠によれば、桜餅の知られている出現は天和三年(1683年)である。太田南畝の著「一話一言」に登場する京菓子司、桔梗屋の河内大掾が菓子目録に載せたという[3]。天和三年には桔梗屋菓子目録が出版され[4]、また京菓子司・桔梗屋の河内大掾が江戸に店舗を構えた[5]。これは蒸菓子であり、後の世の物とは別の物のようである。昔の作り方では餅を桜の葉で包み、蒸籠で蒸すやり方がある。

姿と形[編集]

長命寺の姿と形[編集]

長命寺1 長命寺2
長命寺1
長命寺2
  • 葉は一枚から三枚ほど用いている。
  • 餅の生地は皮を焼いた物。
  • は濾し餡を用いている。
  • 皮は多くは二つ折り、他に円筒型、殊に袱紗折りもある。
  • 中身を葉で被うか皮に沿う葉で包んでいる。
  • 小麦粉を水で延べて熱し固めた生地を作り、餡種を挟んだ生地に桜の葉を被った構成。[6][7]

道明寺の姿と形[編集]

道明寺1 道明寺2
道明寺1
道明寺2
  • 葉は一枚か二枚ほど用いている。
  • 餅は玉状から扁平なかたち。
  • 餅は弾力と粘りがある。
  • 餅の表は粒味のあるかたち。
  • 餅を葉の筋に沿って包んでいるか両方から葉を合わせて被せている。
  • 道明寺粉を蒸して餅を作り、これにを詰め、桜の葉に包んだ構成。[8][7]

それぞれの菓子の内容[編集]

典型的な物[編集]

桜餅は二つの違った物が知られている。

長命寺、関東風[編集]

長命寺(ちょうめいじ)は、塩漬けの桜の葉を用いた、江戸に発祥した桜餅。伝統で典型的なものの一つ。東京隅田川向島にこの桜餅を作り始めたといわれる同名の寺がある。

作製の仕方[編集]

材料は塩漬けの桜の葉、生地に用いる粉、小豆。粉は小麦粉であればよいが、白玉粉餅粉を加えるか、または上新粉でもよい。これに砂糖、小麦粉に味甚粉上南粉等を調製する。桜の葉を水に漬けておき、葉の塩を除く。生地の粉を餅粉や白玉粉から少しずつ水と合わせて置く。溶いた生地を薄く延ばして熱する。熱した後荒熱をとるように冷ます。焼き加減は周囲の水気が取れて乾く程度に、餅がしっとり仕上がるようにする。小豆の餡を丸めて、焼いた皮で包む。桜の葉を取り出し、真水で洗い水滴を除く。桜の葉を餅の表に巻くようにして付ける。色粉は粉の時点で混ぜておくと色が均等に出る。[6][7]

歴史、起源[編集]

長命寺の桜餅は享保二年(1717年)に長命寺の 門前で売り出したのがはじまりとされる[9]隅田川の土手の桜の落ち葉を醤油樽で塩漬けにし、餅に巻いた[10]もので、山本新六によって桜餅が作り出された。もとは墓参の人をもてなした手製の菓子であったといわれ、桜餅の葉は落ち葉掃除で出た桜の葉を用いることを思い至ったからだという。はじめは桜の葉のしょうゆ漬けだったともいわれる。山本新六は下総国銚子の人で元禄四年(1691年)から長命寺の門番をしていた。将軍吉宗の台命により享保二年(1717年)同じ年に側傍の隅田川沿いに北から南へ桜木の植栽が行われ、これを機に花見時に賑わい発展。記録に文政のころ(1818-1830年)の桜餅屋のことが上がっている。曲亭馬琴他編の『兎園小説』の中で屋代弘賢が書いている内容からは盛況ぶりがうかがえる。

「去年甲申一年の仕込高、桜葉漬込卅壱樽、但し一樽に凡そ二万五千枚程入、葉数〆七拾七万五千枚なり、但し餅一に葉弐枚宛なり、此餅数〆卅八万七千五百、一つの価四文宛、此代〆壱千五百五拾貫文なり、金に直して二百廿ヒ両壱分弐朱と四百五拾文、但六貫八百文の相場、此内五拾両砂糖代を引き、年中平均して一日の売高四貫三百五文三分宛なり」屋代弘賢、兎園小説(文政八年、1825年)

桜餅一つの売値四文は現在の価値に直すと、推定で米の価格から換算した場合は約63円、大工の賃金から換算した場合は約322円[11][12]喜多村信節著文政十三年(1830年)自序の『嬉遊笑覧』には内容を変えて作られていることが記される。

近年隅田川長命寺の内にて櫻の葉を貯へ置て櫻餅とて柏餅のやう
に葛粉にて作るはしめハ粳米にて製りしがやがてかくかへたり

」『嬉遊笑覧巻十上 飲食』(文政十三年、1830年)[13]

三田村鳶魚著の『桜餅』には「不忍の新土手は文政三年の築造であるから、それより前に、長命寺の桜餅があったのである。」とあり、文政三年より前に長命寺の桜餅はあったと推察している。

桜餅はさまざまな絵画や詩文にも登場する。『東都歳時記』(天保九年、1838年)長谷川雪旦画「桜餅屋」[14]は、「隅田川名物 さくらもち」の店の絵の図である。歌川広重二代画・喜翁(歌川豊国)三代筆「江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅」(元治元年、1864年)には、桜咲く墨堤を背景に、二人の女性が桜餅の袋を提げた竿の両端を持って歩いてゆく姿が描かれている。明治二十一年の夏に正岡子規が長命寺境内の山本屋の二階に泊まっていた際に、七草集にある「花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅(もちひ)家づとにせよ」(明治二十一年、1888年)という歌を詠んでいる。

分布[編集]

東北地方太平洋側および秋田県)、関東甲信地方静岡県島根県東部、鳥取県西部へ分布している。

日本の地域区分の一覧藩の一覧令制国一覧

桜餅長命寺が伝わった場所の分布
  • 関東甲信地方
  • 東北地方(福島県、宮城県、岩手県、青森県旧南部藩地域、秋田県)
  • 静岡県、長野県
この地方は長命寺の分布の外縁部にあたる。
  • 石川県金沢市、島根県東部、鳥取県西部
局所で伝えられた所もある。松平不昧が山陰へ江戸より長命寺を持ち込んだといわれる。

道明寺、関西風[編集]

道明寺(どうみょうじ)は、道明寺粉を用い、桜の葉で包む桜餅。京都の茶店や和菓子店でよく見られるとして京風桜餅とも呼ばれるもの。伝統で典型的なものの一つ。大阪府藤井寺市に材料の道明寺粉の由来にもなったという同名の寺がある。

作製の仕方[編集]

材料は塩漬けの桜の葉、道明寺粉、小豆の糯米を浸け置き、水切り蒸し上げ、天日干しして乾いたら石臼などで挽いて砕く、粒の大きさで道明寺餅の食感は変わるがこれで道明寺粉が出来る。葉の塩は水で抜く。水を吸わせた道明寺粉を蒸し上げる。砂糖は蒸した後で混ぜるか、水に溶いて吸わせる。餅を平らに広げて餡を詰め形を整え、桜の葉で包む。色粉は粉か砂糖水と混ぜる。[8][7]

歴史、起源[編集]

もち米で出来た昔からの餅の姿が、古くから伝わる和菓子の流れに合っていて各地に通じて広まっている。長命寺がもとといわれる[15]。餅を葉で挟むのが同じ椿餅がある。

分布[編集]

北海道東北地方日本海側宮城県)、中部地方北陸地方愛知県岐阜県)、関西地方以西に分布している。

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桜餅道明寺が伝わった場所の分布
  • 近畿地方、北陸地方、中国地方、四国地方、九州地方
北前船で北方へ伝えられた。
  • 宮城県
  • 関東甲信地方、静岡県
この地方では道明寺と呼ぶ。
ただし、道明寺の分布でない以下の場所は除かれる。
この地方は長命寺が伝わったところである。

現在の物[編集]

現在の桜餅と呼ばれる物には、先に書いたような伝統的なものだけでなく、さまざまに変わったものがある。

長八さくらもち
長八さくらもちは、桜の葉の産地である伊豆で作られる桜餅。米粉と餅粉で作った皮で粒餡を大福のように包んだものと、上新粉の皮でこしあんを二つ折りに包んだものの2種類がある。いずれも伊豆で作られた塩漬けの桜の葉を2枚用いて中身をほぼ完全に包んでいるのが特徴である。
ひとひら桜餅
ひとひら桜餅は、鎌倉の二つ折りの桜餅である。
みどりの桜もち
島根県雲南市(旧三刀屋町地域)には「みどりの桜もち」という、薄い緑色をした桜餅がある。これは三刀屋町にある御衣黄(ぎょいこう)という、花弁が緑色をした桜をヒントに作られたものである。

材料[編集]

桜の葉[編集]

桜の生の葉には塩漬けの香りは無く、桜の葉を塩漬けにすることで香る。桜の葉は香りを移すもの、葉で包むと包んだ物の乾燥を防ぐものである。葉がやわらかく毛が少ないオオシマザクラの葉を塩漬けにして使う。この塩漬けの桜の葉は、全国シェアの70%ほどが伊豆半島松崎町で生産されている。餅の大きさとの外観上のバランスから、関東では大きめの葉、近畿では小さめの葉を好んで使う傾向がある。

桜餅の独特の芳香は、この桜の塩蔵葉に含まれる香り成分のクマリンによる。桜餅は桜の葉を取り外して食べても、そのまま食べても良いが、肝毒性を持つクマリンは食品添加物としては認められていないので[16][17]、美味とはいえ極端に摂食しすぎることには注意が必要である。

なお1970年代頃から、ビニール製の人造品の葉とクマリン以外の香料を使用した桜餅も作られている。

餅、粉、餡の所見[編集]

  • 桜餅の材料の白いもち米からは白い餅ができるが、桜色はもとの色でなく後から付けているものもある。
  • 家庭等で材料を調えるのが難しい場合、もち米を硬めに炊くことでも代用される。
  • 九州ではもち米の炊いたもので作られることがある。
  • 道明寺粉は高価なので、道明寺粉を用いて作られたもののほうが高価な場合が多い。
  • 最近では漉し餡を用いているが、かつては粒餡を関西で、漉し餡を関東で用いていた。

脚注[編集]

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  1. ^ “桜餅”, CD-ROM世界大百科事典 (第2 ed.), 平凡社,日立システムアンドサービス, (1998), http://www.mypaedia.jp/netencyhome/ 
  2. ^ 新板増補男重宝記1702年 吉野屋藤兵衛 亀田文庫
  3. ^ 御菓子司 鶴屋寿 歴史 桜餅発祥の地「京都」。”. 御菓子司 鶴屋寿 (2004年). 2012年2月4日閲覧。 “大田南畝(おおたなんぽ)の随筆『一話一言』(一)に登場する京御菓子司「桔梗屋」の河内大掾が菓子目録「御菓子品々」の中に“さくら糖”、菓子目録「御茶菓子丸蒸物類」の中に“さくらもち”を載せたといいます。”
  4. ^ お菓子の歩み (明治末期迄)”. 京都府菓子卸商業組合. 2012年2月4日閲覧。 “天和 3 1683 江戸”桔梗屋菓子目録”出版さる。(一話一言”
  5. ^ 和菓子のあゆみ 京の菓子と江戸の菓子”. GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちは (2006年3月16日). 2012年2月4日閲覧。 “天和テンナ3年(1683)には,京菓子司として御所上納の家柄である桔梗屋が,今の東京 日本橋一丁目に店舗を構えました。”
  6. ^ a b 和菓子のレシピ、桜餅(さくら餅)”. 末廣屋喜一郎&伝統の和菓子文化普及委員会 (2004年2月29日). 2015年7月31日閲覧。
  7. ^ a b c d レシピ/桜餅
  8. ^ a b 和菓子のレシピ、道明寺”. 末廣屋喜一郎&伝統の和菓子文化普及委員会 (2004年4月24日). 2015年7月31日閲覧。
  9. ^ 長命寺 桜もち”. 全国和菓子協会 (2011年). 2015年7月31日閲覧。 “享保2年(1717年)初代山本新六が隅田川土手の桜の葉を集め、塩漬けにして桜餅を考案、向島の名跡長命寺の門前にて売り始めてそれから二百八十年余、隅田堤の桜と共に名物となった。”
  10. ^ 岸朝子 『東京五つ星の手みやげ』 東京書籍、2004年、116-117頁。ISBN 4-487-79906-6
  11. ^ 江戸時代の貨幣価値換算表
  12. ^ 江戸時代の1両は今のいくら?
  13. ^ 嬉遊笑覧1903年
  14. ^ 月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年3月号  歳時記のかおり 三月 桜餅
  15. ^ 和菓子ヒストリー『桜餅』”. 東京製菓学校 (2010年3月26日). 2010年12月17日閲覧。 “もともとは江戸で考案された和菓子で、のちに関西へ伝わる際に道明寺粉にアレンジされたのではと思われます。”
  16. ^ FDA CFR21 189-C-130(クマリン)アメリカ食品医薬品局”. 財団法人 日本食品化学研究振興財団 (1989年1月12日). 2009年4月17日閲覧。
  17. ^ 厚生労働省行政情報-通知-食品衛生法施行規則及び食品、添加物等の規格基準の一部改正について”. 財団法人 日本食品化学研究振興財団 (1971年3月17日). 2009年4月17日閲覧。