文定王后
![]() |
文定王后 | |
---|---|
朝鮮王妃 | |
在位 |
正徳12年7月19日 - 嘉靖23年11月20日 (1517年8月6日 - 1544年12月4日) |
別称 | 聖烈仁明文定王后(諡号) |
出生 |
弘治14年10月22日 (1501年12月2日) |
死去 |
嘉靖44年4月6日 (1565年5月5日) |
配偶者 | 中宗 |
子女 |
明宗 懿恵公主 孝順公主 敬順公主 仁順公主 |
氏族 | 坡平尹氏 |
父親 | 尹之任 |
文定王后 尹氏(ぶんていおうこう いんし、ムンジョンワンフ ユンシ、1501年12月2日 - 1565年5月5日)は、李氏朝鮮第13代国王明宗の生母。李氏朝鮮第11代国王中宗の3人目の王妃。本貫は坡平尹氏。諡号は聖烈仁明文定王后。坡山府院君・靖平公尹之任と全城府夫人・李氏の娘。
生涯[編集]
1515年に章敬王后が産褥死すると、1517年に揀択、17歳で王妃に冊封された。章敬王后の遠縁にあたる。彼女は世子(のちの仁宗)を保護する責任があったので、後日彼女の政治的立場が強化される名分になった。1534年に慶源大君を産む。
中宗晩年期から弟の尹元衡(小尹)と側近で尹元衡の妻鄭蘭貞らと共に朝政に介入し、1544年11月、中宗が没すると王大妃となり、1545年8月に継子の仁宗が没し、同月に慶源大君が12歳で即位して明宗となると大王大妃に転じ、後見として垂簾聴政を行い、優れた政治感覚と儒教的な見識を発揮して家臣たちを制圧した。
文定王后は仏教を篤く信じていたことから仏教に対する保護政策を図り、身辺に僧侶を近づけるなどしたため、反仏教的な儒者から批判を受けた。
家族[編集]
- 父:尹之任(1475年-1534年) - 貞熹王后尹氏の弟 尹士昕の曾孫
- 母:全城府夫人 全義李氏(1475年-1511年)
- 兄:尹元亮(1495年-1569年) - 敦寧都正。仁宗の後宮 淑嬪尹氏の父
- 弟:尹元老 - 敦寧府都正。息子の尹百源が孝恵公主(中宗・章敬王后尹氏の子)の娘、金善玉(権臣金安老の孫)と結婚
- 弟:尹元衡 - 領議政瑞原府院君。妻は鄭蘭貞
- 夫:中宗
- 息子:明宗(慶源大君)
- 娘:懿恵公主(1521年-1564年 名は玉蘭。淸原尉 韓景禄に降嫁。3男1女を儲ける。)
- 娘:孝順公主(1522年-1538年 名は玉蓮。綾原尉 具思顔に降嫁。難産の為死去。)
- 娘:敬順公主(1530年-1584年 名は玉賢。霊川尉 申檥に降嫁。1男を儲ける。)
- 娘:仁順公主(1542年-1545年 早世。
- 性別不詳:(1528年) 早世。※王女の可能性が高いという。
文定王后が登場する作品[編集]
小説[編集]
- 女人天下 - 朴鍾和による小説作品。1959年刊行。
- 王妃の男たち - ユン・テヒョンによる小説作品。2007年刊行。ISBN 9788986277852
映画[編集]
テレビドラマ[編集]
- 校洞の奥様(MBC 1981年、配役: キム・ヨンリム)
- 朝鮮王朝五百年 風蘭(MBC 1985年、配役: キム・ヘジャ)
- 林巨正-快刀イム・コッチョン(SBS 1996年、配役: キム・チョン)
- 王朝の暁 〜趙光祖伝〜(KBS 1996年、配役: キム・ミンジョン
- 女人天下(SBS 2001年、配役: チョン・イナ)
- 宮廷女官チャングムの誓い(MBC 2003年、配役: パク・チョンスク)
- 新伝説の故郷 2008年 鬼書(KBS 2008年、配役: イ・ドッキ)
- 天命(MBC 2013年、配役: パク・ジヨン)
- オクニョ 運命の女(MBC 2016年、配役: キム・ミスク)
- 魔女宝鑑 〜ホジュン、若き日の恋〜(JTBC 2016年、配役: キム・ヨンエ)
- 朝鮮生存記(TV朝鮮 2019年、配役: イ・ギョンジン)
先代 章敬王后 |
朝鮮王妃 在位:1517年 - 1544年 |
次代 仁聖王后 |
先代 貞顕王后 |
朝鮮大妃 在位:1544年 - 1545年 |
次代 仁聖王后 |
先代 昭恵王后(追尊) 安順王后 |
朝鮮大王大妃 在位:1545年 - 1565年 |
次代 仁穆王后 |