宣懿王后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

宣懿王后 魚氏(せんいおうこう ぎょし、선의왕후 어시1705年12月14日 - 1730年8月12日)は、李氏朝鮮第20代国王景宗の継室である。本貫は咸從魚氏。 景宗の王世子時代に世子嬪が若くして亡くなったため、継室として嫁いだ。景宗即位後は少論は景宗夫婦につき、老論は景宗の弟の延礽君を支持し、これによって兄弟の仲をどんどん引き裂いていった。老論は権力維持のため延礽君を王世弟(王位継承権のある王の弟)に冊封しようとし、王はこれを承諾したが、延礽君に代理聴政まで任せる話を出すと少論側は老論が景宗を殺害しようと計画したと告げたことから、老論は没落した(辛壬の獄)。そして宣懿王后は逆賊イ・インジャと結託し、少論と共に密豊君李坦(仁祖の第一子の昭顕世子の子孫)を養子に迎えて延礽君を退けようとしたが、延礽君率いる老論は景宗を毒殺し、計画は水の泡となった。

脚注[編集]