端敬王后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

端敬王后慎氏(たんけいおうごう しんし、タンギョンワンフ、成化23年1月14日1487年2月7日) - 嘉靖36年12月7日1557年12月27日))は益昌府院君 信度公 慎守勤(世宗の四男、臨瀛大君の娘が母)と永嘉府夫人 権氏の娘で、李氏朝鮮第11代国王中宗の王妃。

即位前の1499年に結婚する。1506年中宗即位と共に王妃になるが、燕山君の縁戚(父の妹が燕山君の妃)だったために反正勢力の反対に遭い、中宗の反対にもかかわらず、中宗即位後わずか7日後に王妃の身分を剥奪され、後宮を追放される。死後、第21代国王英祖の時代に復位される。陵は京畿道楊州市長興面日迎里にある温陵。

チマ岩伝説[編集]

端敬王后が廃位され、後宮を追われた後も中宗は彼女をしのんで、たびたび仁王山の岸にいる端敬王后の家を遠くから眺めた。このうわさを聞いた端敬王后は、後宮にいた頃よく着ていたチマ(韓服の下衣、ラップスカート)を仁王山の岩の上にかけておいた。それで後世の人々はその岩をチマ岩と呼んだ。

端敬王后が登場する作品[編集]