恵慶宮洪氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
恵慶宮洪氏
各種表記
ハングル 혜경궁홍씨
漢字 惠慶宮洪氏
発音: ヘキョングンホンシ
日本語読み: けいけいきゅうこうし
英語表記: Crown Princess Hong of Hyegyeonggung
テンプレートを表示

恵慶宮 洪氏(けいけいきゅう こうし、ヘキョングン ホンシ、雍正13年6月18日1735年8月6日) - 嘉慶20年12月15日1816年1月13日))は、荘献世子(荘祖)の正室正祖の生母。本貫は豊山洪氏。

のちに王妃に追尊され、孝康慈禧貞宣徽穆裕靖仁哲啓聖献敬王后と諡された。

生涯[編集]

1735年: 洪鳳漢の次女として生まれる。

1744年: 世子嬪になる。

1762年: 壬午士禍による荘献世子の死後、英祖は「恵嬪」(ヘビン、혜빈)の嬪号を下した。洪氏は出宮。

1776年: 正祖が即位すると洪氏は恵慶宮の宮号を与えられた。

1815年: 正祖の死去から15年後に死去、献敬嬪(ホンギョンビン、헌경빈)という諡号を贈られた。享年81。

1899年10月: 献敬王后に追尊される。

大韓帝国成立後の1903年に荘献世子が荘祖懿皇帝に追尊されると、洪氏も献敬懿皇后(ホンギョンウイファンフ)に追尊された。

家族[編集]

  • 父:洪鳳漢 - 洪萬容宣祖仁穆王后の娘の貞明公主の息子)の曾孫
  • 母:韓山府夫人李氏(1713年 - 1755年)
  • 夫:荘献世子(のちに国王に追尊されて「荘祖」の廟号を贈られた)
    • 息子:懿昭世子(1750年 - 1752年、夭折)
    • 息子:正祖(1752年 - 1800年)
    • 娘:清衍郡主(1754年 - 1821年、光恩尉 金箕性に降嫁。)
    • 娘:清璿郡主(1756年 - 1802年、興恩尉 鄭在和に降嫁。)

恨中録[編集]

「閑中録」「泣血録」とも呼ばれる。恵慶宮の自叙伝で、1795年から1805年にかけて作成された。父王の命で非業の死を遂げた夫の哀話と、実家の豊山洪氏の怨憤を晴らすために書きついだ続編からなる。全6巻。朝鮮宮中文学の研究に重要な資料である。

脚注[編集]

[ヘルプ]

登場作品[編集]

ドラマ[編集]

映画[編集]