全州李氏

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全州李氏
各種表記
ハングル 전주이씨
漢字 全州李氏
発音 チョンジュイシ
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全州李氏の紋章「李花紋」

全州李氏(ぜんしゅうりし、전주이씨、チョンジュイシ)は、朝鮮氏族の一つ。本貫全羅北道全州である。14世紀李成桂が出て李氏朝鮮を建国した。

概要[編集]

始祖は新羅で司空を務めた李翰。李成桂は李翰から数えて22代子孫とされているが王族の李姓を持つものは女真族ではないかと言われている。李成桂の父李子春はモンゴル名の吾魯思不花と明記されている。李子春の同母兄李子興は塔思不花、李子春の兄弟も完者不花、那海などモンゴル名を持っていた[1]

李翰は、新羅で「司空」という役職に就いていたと『太宗実録』など李氏朝鮮時代の歴史書には記録されており、統一新羅時代から高麗時代にかけて全州地方に勢力を持っていた有力地方豪族だという説がある一方で、李翰の中国渡来説があり[2]、これは全州李氏の記録である『完山実録』には、「李翰は元々は、中国に住んでいたが、海を渡って新羅に渡来した」と記録されており、また『李氏得姓之由來(이씨득성의유래)』には、「李翰は本来は中国の唐朝帝国の末裔であり、李翰の新羅への渡来以降代々全州に住んでいた」と記録されていることを証拠とする[2]

また、全州李氏は百済時代末期から続く豪族・全州李氏に、鴨緑江流域に居住していた農耕と養豚を正業とする女直出身の李翰が養子として婿入りしたという伝承がある。[要出典]

李氏朝鮮時代、王族は王朝の機構の一つである宗簿寺で管理されていた。現在、全州李氏の宗親会としては全州李氏大同宗約院があり、宗廟祭礼祭を行っている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^
    • 池内宏満鮮史研究 近世編』 中央公論美術出版
    • 山内弘一「朝鮮王朝の成立と両班支配体制」 武田幸男編集『朝鮮史』山川出版社
    • 室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』新潮新書
    • 宮家邦彦『哀しき半島国家韓国の結末』、PHP研究所、160頁「李氏朝鮮は1392年、元が衰退したのちに親『』であった女真族の李成桂が建国し、コリア半島をほぼ制圧したあと、1402年に明に朝貢冊封した。」
    • 豊田隆雄『本当は怖ろしい韓国の歴史』、彩図社、70頁「倭寇の撃退に功績をあげた李成桂は1392年、高麗を倒して朝鮮を建国。漢城(現ソウル)に都をおいた。出身については、女真族だったと主張する研究者も多い。出身地が女真居住地域だったこと、李成桂がモンゴル名を持っていたこと、幕下に女真の首領を加えたことなど、数々の傍証がある。」
    • 岸本美緒/宮嶋博史「明清と李朝の時代」『世界の歴史 12』、中央公論社、17頁「全州李氏の一族とされるが、女真族の出身とする説もある。父の李子春は、元の直轄領となっていた咸鏡道地域の双城総管府に使える武人であった。この地域は女真族が多く住んでいた。李成桂が武臣として台頭するにあたっても、その配下の女真人の力が大きく作用した。」
    • 倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』、扶桑社、34頁「1392年、李成桂という謎の人物が高麗を倒し、新王朝を建国します。謎というのは、どこの誰だかよくわからないからです。韓国は当然ながら朝鮮人だと言いますし、中国人のなかには漢民族だとか、モンゴル軍閥の一人だと言う人もいます。最も信憑性が高いのは、女真人満州人)でしょう。」
    • 岡田英弘宮脇淳子研究室『論証:李氏朝鮮の太祖李成桂は女直人(女真人)出身である
  2. ^ a b “김성회의 뿌리를 찾아서 <17> 전주이씨(全州李氏)”. 世界日報. (2011年10月9日). オリジナル2017年9月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170916181712/http://www.segye.com/newsView/20111018004055 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

  • (朝鮮語) 全州李氏 - 全州李氏大同宗約院公式サイト