幕末の四大人斬り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

幕末の四大人斬り(ばくまつのよんだいひときり)とは、幕末期の京都において暗殺活動を行い、「人斬り」の異名を取る尊王攘夷派の4人の志士の呼称[1]。「天誅」と称して彼らが起こした要人暗殺テロ事件は、都の人々を震撼させた[2]

四大人斬り[編集]

田中新兵衛[編集]

たなか しんべえ、1832年 - 1863年7月11日
薩摩藩出身。1862年8月15日、今太閤と呼ばれるほどの権勢を振るっていた島田正辰を殺害する。これは、続発する天誅の初めとなった[3]。他にも多数の暗殺を行なったとされ、「人斬り新兵衛」の異名がある。朔平門外の変における姉小路公知暗殺の嫌疑で捕縛され、取り調べ中に突如自刃した。

河上彦斎[編集]

かわかみ げんさい、1834年12月25日 - 1872年1月13日
熊本藩出身。1864年8月12日、兵学者の佐久間象山を暗殺するなど、「人斬り彦斎」とも呼ばれた[3]。他にも多数の暗殺を行なったとされる。明治維新後、高田源兵衛と名を改める。その後、二卿事件への関与や広沢真臣暗殺の嫌疑を理由に捕縛され、斬首された。

岡田以蔵[編集]

おかだ いぞう、1838年2月14日 - 1865年7月3日
土佐藩出身。多くの佐幕派に危害を加えたが、中には吉田東洋を暗殺した犯人の探索で上京した土佐藩士・井上佐市郎の惨殺もあり、「人斬り以蔵」の異名を得た[3]。他にも多数の暗殺を行なったとされる。京都で捕縛され、土佐にて拷問の末に一連の天誅を自白し、打ち首獄門に懸けられた。

中村半次郎[編集]

なかむら はんじろう、1838年12月 - 1877年9月24日
薩摩藩出身。天誅行動で鳴らし、「人斬り半次郎」の異名をとった[3]1867年9月30日、兵学者で自らの師でもある赤松小三郎を暗殺した。明治維新後、桐野利秋と名を改める。その後、西南戦争において反乱軍として政府軍と交戦の末、額に銃弾を受け戦死した。

関連作品[編集]

小説[編集]

  • 『人斬り新兵衛』(南条三郎、1955年、同光社)
  • 『人斬り彦斎』(今東光、1957年、東京創元社)
  • 『人斬り彦斎』(海音寺潮五郎、1961年、東方社)
  • 『人斬り半次郎』(池波正太郎、1963年、東方社)
  • 『人斬り彦斎』(天野哲夫、1966年、久保書店)
  • 『人斬り以蔵』(司馬遼太郎、1969年、新潮文庫)
  • 『人斬り新兵衛』(海音寺潮五郎、1976年、講談社)
  • 『人斬り新兵衛』(西村望、1993年、徳間書店)
  • 『神剣 人斬り彦斎』(葉室麟、2016年、角川春樹事務所)

映画[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『歴史ポケット人物新聞 回天ふたたび 坂本龍馬』p95 及川拓哉著 大空出版 2008年8月1日
  2. ^ 『幕末史』p136 半藤一利新潮社 2008年12月20日
  3. ^ a b c d 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社編 1994年10月22日

参考文献[編集]

関連項目[編集]