山之内幸夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

山之内 幸夫(やまのうち ゆきお、1946年 - )は、日本の元弁護士。元大阪弁護士会所属。山口組の顧問弁護士だったことで知られる。

人物[編集]

1946年、香川県小豆島に生まれる。実家は小さな魚屋を営んでおりさほど裕福ではなかった。また、母親は読み書きもできなかったが、昼は魚屋、夜はふぐ鍋の屋台を切り盛りして生活費や学費を捻出していた。2歳のころより、大阪で幼少時代を過ごす。大阪府立成城工業高等学校卒業。

1970年早稲田大学法学部を卒業。1972年司法試験に合格。司法修習を終え、1975年、大阪弁護士会に登録[1]。 損害保険会社の顧問弁護士事務所に就職しており、交通事故関係の事件を主に担っていたことから、暴力団と当初は敵対する関係であったが、そのうち、1976年頃より暴力団関係者から逆に弁護を依頼されることが多くなる。1984年山口組の顧問弁護士に同組幹部・小田秀臣の推薦で就任する[1][2]1987年、大阪弁護士会より、「暴力団の顧問は弁護士の品位を害する」という理由で、懲戒処分を受ける[1]1988年徳間書店より、著作『悲しきヒットマン』を出し、翌年、東映にて、映画化される。

1991年2月、恐喝罪で逮捕[3]1995年3月23日にて、大阪地方裁判所は無罪判決を下すが、検察側は控訴する[3]1997年2月25日大阪高等裁判所で控訴棄却となり、同年3月13日無罪が確定する[3]。この際、150人の弁護団が結成される。その後、一時相場師として生計を立てようとするが、相場の下落で失敗。

その後も、著作活動をしつつ、弁護士活動を続ける[2]

2013年9月9日に大阪府摂津市で依頼人の男に事業をめぐって紛争中だった会社の倉庫の扉を開けるために壁を壊すようにそそのかし、壁を破壊させた建造物損壊教唆罪で2014年4月に在宅起訴された。2015年1月に大阪地裁は懲役10ヶ月執行猶予2年の有罪判決を下し、2015年11月19日に最高裁で確定した。この判決により弁護士資格を喪失。現在は、著作活動をしながら大阪府内で暮らしている。

その他[編集]

  • オウム真理教を弁護した横山昭二弁護士を「大阪弁護士会2000人のうち2001番目の弁護士だ」などと発言し、横山から名誉を毀損したとして、民事訴訟を起こされ1審では勝訴したが、2審では敗訴し、30万円の損害賠償請求が命じられた。
  • 「暴力団員の構成員は貧しい家庭の者が多く、親の愛情も満足に受けられなかった人が多かった。親の愛情を受けた子供は絶対ヤクザにはならない」と発言している。
  • クラシックギターを引くことが趣味。

主な著作[編集]

出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 暴力団に今、何が? 山口組元顧問弁護士が語る - 大阪日日新聞
  2. ^ a b 山之内幸夫弁護士 - 弁護士・法律事務所データベース
  3. ^ a b c はぐれ弁護士「生贄」の記 - Amazon.co.jp

外部リンク[編集]