小野神社 (厚木市)

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小野神社
Ono-jin (Atsugi) 1.jpg
所在地 神奈川県厚木市小野428
位置 北緯35度25分56.7秒
東経139度19分08.3秒
主祭神 日本武命
社格 式内社(小)、郷社旧社格
創建 不詳
本殿の様式 神明造
別名 閑香明神社
閑香大明神(江戸時代
例祭 4月21日
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小野神社(おのじんじゃ)は、神奈川県厚木市小野に鎮座する神社延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載されている相模国延喜式内社十三社の内の一社(小社)とされる。

祭神[編集]

由緒・歴史[編集]

当社の創建時期は不明であるが、『延喜式神名帳』において「相模国十三座(式内社)の内 愛甲郡一座小野神社」と記されている[1]ように、古くから小野の地に鎮座する神社である。当地域は古くより「小野の里」と呼ばれ、『和名類聚抄』にも記載されている愛甲郡「玉川郷」の中心地であった。霊亀2年(716年)、奈良時代高僧である行基薬師如来の像を刻んで当社に奉安したと社伝により今に伝えられている[2]

鎌倉時代には、源頼朝以来三代に渡り御家人として将軍に仕えの名手として名高い、愛甲村にを置く愛甲三郎季隆[3]が当社を篤く信仰していた(季隆を筆頭に愛甲家全体でも崇拝されていた)。古い納札には建久5年(1194年)に当社を再興した記録があり、その時の願主に愛甲三郎季隆の名があり、また鎌倉幕府政所長官の大江膳大夫廣元の名も残っている(以降、社殿は現在までに五回改められている)[4]。なお、愛甲氏の本家である横山氏は小野妹子子孫といわれている[1]

その後、江戸時代末期にはわずかに鎮座地の転社(移転)が行われ(転社の歴史については「#旧社地」を参照)、また明治6年(1873年)には郷社(近代社格制度)に列せられている[4]。拝殿はそれまで藁葺屋根嘉永元年1848年築)であったが、昭和43年(1968年)には鉄板葺に替えられている[1]

扁額に現在も残っている「閑香大明神」は江戸時代に称していた名で、小野の「閑香さま」と一般には呼ばれていた[2]。江戸時代に編纂された『新編相模国風土記稿』からは、当時の社名が「閑香大明神」、祭神は「下春命」であったことが伺える。祭神が現在の日本武命となったのは明治時代に入ってからで、「日本武尊が東国に遠征する際に野火の焼きうちにあった」という『古事記』の記述の地が、小野と関係するとされたことによる[1]

境内[編集]

境内(拝殿横・本殿裏手)には旧社標等や以下の社(境内社)がある[5]

境内社[編集]

祭礼[編集]

旧社地[編集]

当社は元々、現在の場所より西南方向に200メートル程いったところにある丘陵(通称"神の山")に位置していた。転社(移転)時期は嘉永年間(1848〜1854年)の初頭頃と考えられている。なお、現在では丘陵は私有地(個人の所有地)となっており、当社に代わって秋葉神社小祠が鎮座している(この小祠自体は、当社の転社後に建てられたものと思われる)[6][7]

交通[編集]

周辺[編集]

以下は厚木市教育委員会によって当社前に設置されている「あつぎの文化財獨(ひとり)案内板(ふるさと時空探訪モデルコース)」より、紹介されている当社以外の寺社遺跡古墳などスポット9箇所を掲載する[8]

備考[編集]

現在、厚木市愛甲の熊野神社[9]が当社の管理を兼務しているが、熊野神社にも神職が不在であることが多いため

御朱印等については事前に問い合わせした方がよい(2017年1月2日確認)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 小野神社(おの)神社(茅ヶ崎家族:相模十三社)
  2. ^ a b 小野神社(延喜式神社の調査)
  3. ^ 愛甲三郎季隆・遺跡めぐり(見て歩きの記)
  4. ^ a b 小野神社(神奈川県神社庁)
  5. ^ フォト散歩・神奈川県厚木市小野(小野神社)(Monochrome Photography Gallery Jinjya Bukkaku)
  6. ^ 相模・大山麓の古社:小野神社(厚木市小野)(かつて日本という国があった。)
  7. ^ 式内社御朱印情報(掲示板)(関東の神社めぐり プチ神楽殿)
  8. ^ ふるさと時空探訪モデルコース(メリーの部屋 2006年6月9日)
  9. ^ 熊野神社(神奈川県神社庁)

参考文献[編集]

  • 神奈川県神社庁「小野神社」のページなど

関連項目[編集]

外部リンク[編集]