大分縣護國神社

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大分縣護國神社
Oita gokoku jinja1.jpg
所在地 大分県大分市大字牧1371
位置 北緯33度14分06.5秒
東経131度38分31.3秒
座標: 北緯33度14分06.5秒 東経131度38分31.3秒
主祭神 大分県縁故の英霊
社格 旧内務大臣指定護国神社・別表神社
創建 明治8年(1875年)
本殿の様式 流造
例祭 4月9日・10月9日
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大はまやと巨大熊手

大分縣護國神社(おおいたけんごこくじんじゃ)は、大分県大分市にある神社護国神社)である。大分市中央部の小山、松栄山の中腹に社地を構える。大分市が2006年に実施した「私が選ぶおおいた100景」のアンケートでは、護國神社からの大分臨海工業地帯の眺望が3位に入っている[1]


祭神[編集]

大分県縁故の戦没者約4万4千柱を主祭神とし、殉職警察官自衛官相殿に祀る。

沿革[編集]

明治7年(1874年)、大分県初代県令森下景端が、佐賀の乱戦死者15柱、台湾出兵での戦病死者3柱、明治維新勤王志士など5柱を合わせて祀り、翌明治8年(1875年10月18日、慰霊顕彰のために招魂社を創建したのに始まる。昭和14年(1939年)、招魂社の制度改正により大分縣護國神社に改称し、内務大臣指定護国神社となった。昭和18年(1943年)、北側展望台付近から現在地に遷座した。

昭和20年(1945年)の第二次大戦敗戦以降は「豊霊宮」と称していたが、日本の主権回復後の昭和27年(1952年)、元の大分縣護國神社に復した。

祭祀[編集]

境内[編集]

  • 慰霊碑 - 大分県関係戦没者の慰霊塔を中にして、右に元歩兵第47聯隊戦没者慰霊の「軍旗の碑」、左に大分県出身予科練戦没者慰霊の「鎮魂の碑」が建っている。
  • 言霊記念館 - 展示館。特攻隊員が残した遺書や手紙を掲示するほか、写真やビデオ上映も行われている。
  • 満蒙開拓義勇軍碑 -- 昭和13年(1938年)、満蒙(満州蒙古)へ開拓のため組織され派遣された義勇軍の記念碑。銃と鍬を手に持つ隊員の像、レリーフがある。
  • 西南の役軍人墓地 - 明治10年(1877年)の西南の役に際し戦死した陸軍軍人214柱の墓地。展望台、豊後梅の梅林の奥にある。鹿児島山口など、薩長出身者が多い。西南の役の戦死者墓地はこの軍人墓地と次項の警察官墓地の2つに別れている。
  • 西南の役警察官墓地 - 西南の役に際し戦死した103柱の警視隊墓地。表参道百段の脇にある。青森秋田福島をはじめとする東北北陸出身の士族が多い。戊辰戦争で薩長と戦った元会津藩家老佐川官兵衛熊本県阿蘇郡で戦死し、この墓地に警察官として埋葬されている。
  • 平成26年9月には特攻勇士の像が建立された。

交通[編集]

JR大分駅から、大分バスで萩原バス停下車、徒歩15分。

脚注[編集]

外部リンク[編集]