哈瑪星

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哈瑪星
Gushan villages2.svg
鼓山区の区画地図(藍色が哈瑪星)
各種表記
繁体字 哈瑪星
簡体字 哈玛星
拼音 Hāmǎxīng
通用拼音 Hāmǎsīng
注音符号 ㄏㄚ ㄇㄚˇ ㄒㄧㄥ
発音: (台語)ハマセン
(国語)ハマシン
台湾語白話字 Há-má-seng
日本語漢音読み はばせい
日本語慣用読み はません
英文 Hamasen
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哈瑪星
—  俗称地名  —
哈瑪星一号船渠
座標: 北緯22度37分20.5秒 東経120度16分16.5秒 / 北緯22.622361度 東経120.271250度 / 22.622361; 120.271250
中華民国の旗 中華民国
Flag of Kaohsiung City.svg 高雄市
区域 鼓山区
等時帯 CST (UTC+8)
郵便番号 804
市外局番 07
※座標位置は哈瑪星代天宮

哈瑪星(はません)は台湾高雄市鼓山区にある地名で、正式な住所地名ではなく現在の五福四路中国語版と旧高雄臨港線廃線)の交差する踏切より南側、鼓山漁港、漁市場まで、東端は旧高雄港駅一帯の高雄臨港線貨物支線の線路まで、西は哨船頭中国語版の東側のエリアを俗称したもの。

歴史[編集]

埋立前の高雄港一帯(1904年)

哈瑪星は元は海域で日本統治時代台湾総督府当局が打狗港(現高雄港)の航路確保のため港口浚渫した。1900年縦貫線(後の屏東線高雄臨港線)の「打狗停車場」(初代打狗駅すなわち高雄駅、後の高雄港駅)が設置され、1908年に打狗港築港第一期が始まり浅野財閥浅野総一郎が台湾総督府から認可を得て埋立地造成事業を開始[1]、新生地は「浅野埋立地」[1]、または「台湾地所埋立地」[1]と呼ばれた。埋立地エリアはその後都市計画により道路網構築と区画整備がなされ官公庁や金融機関、工場が立ち並んだ。隣接する鹽埕町中国語版(現鹽埕区)とともに市内有数の繁華街へと変貌し、1918年ごろには従来の旗後(旗津)、哨船町(哨船頭)に取り変わって地方行政の中心となった[1]

「哈瑪星」の呼称は打狗駅から南西・南東方向に2本の貨物支線が高雄港や漁港、漁市場、倉庫街へ伸びていたことから、当時の駐在日本人日本語でこれらを「濱線」(はません、Hamasen)と俗称するようになったことが由来で、当時の台湾人居住者もこの埋立地一帯を高雄訛りの台湾語でそのまま音訳して別の漢字をあてた「哈瑪星」(Há-má-seng)と呼び始めたことが名残となって現在も使われている。なお国語での読みは「ハマシンHāmǎsīng)」だが、英語表記も含めて台湾語由来の音が優先されている。

日本統治時代の行政地区では埋立地として造成された寿町中国語版新浜町中国語版湊町中国語版に相当する。駅北側、線路の西の「山下町1丁目」、駅前西側と南側の魚市場までの支線沿いの「新浜町1-2丁目」、駅西側の西子湾トンネル入口前、哈瑪星第一船渠の東側の「湊町1-5丁目」に大別される[1]。新浜町の港湾地区から船着場周辺の魚市場までは貨物専用線が整備され、鮮魚列車が運行されていた。日本語での「濱線」の俗称は駅とその周辺の新浜町のみを指していたが、この地域の産業は大部分が港湾と濱線と密接不可分な関係であり、後に台湾人が哈瑪星と呼ぶエリアは新浜町だけでなく寿町や湊町を含む「浅野埋立地」すなわち現鼓山区南部一帯を指すようになった。現在も複数の村里中国語版台湾の村里)を纏めた行政上の総称として使われることがあるが、一般的には初期の埋立地エリア内と認知されている。

  • 新浜町(新濱町):麗興里、維生里に相当。
  • 寿町(壽町):寿山山麓の鼓岩里、興宗里、峰南里一帯と桃源里南部に相当。
  • 湊町:寿山里、恵安里、延平里、新民里に相当。
1930年の行政区分入り地図
1935年の高雄港一帯地図

公共施設[編集]

1924年時点で新浜町(岸壁含む)と湊町で全体の40%を占めていた[2]

公共施設(1924年時点) 落成時期 場所
台湾総督府土木局高雄出張所 1908年(明治41年)7月30日 旗後町
高雄灯台 1895年(明治28年)10月 旗後町
高雄第一公学校中国語版 1897年(明治30年)6月14日 平和町
高雄臨時開港検疫所 1916年(大正5年)10月10日 哨船町
台南憲兵分隊高雄駐在所 1919年(大正8年)5月10日 哨船町
高雄停車場 1900年(明治33年)11月 新浜町
高雄米穀検査所 1905年(明治38年)5月 新浜町
台湾総督府税関支署 1895年(明治28年)10月29日 岸壁
台湾総督收税官吏高雄出張所 1914年(大正3年)4月10日 岸壁
台南供託局高雄出張所 1922年(大正11年)4月 岸壁
高雄郡役所 1920年(大正9年)9月1日 湊町
高雄郵便局[3] 1896年(明治29年) 湊町
高雄街役場 1920年(大正9年)9月1日 湊町
高雄高等女学校中国語版 1924年(大正13年)4月 湊町
高雄第一小学校[註 1][4] 1907年(明治40年)5月24日 湊町
高雄州庁 1920年(大正9年)9月1日 山下町
台湾総督府中央研究所高雄検糖支所 1920年(明治45年)4月1日 山下町
台湾総督府高雄医院 1920年(大正3年)6月2日 山下町
総督府鉄道部高雄事務所 山下町
台南専売支局高雄出張所 1922年(大正11年)4月 堀江町
植物検査所高雄分所 1921年(大正10年)9月 堀江町
高雄第二小学校 1922年(大正11年)5月18日 堀江町
高雄中学校中国語版 1922年(大正11年)4月 三塊厝
高雄第三公学校 1921年(大正10年)7月1日 三塊厝
高雄第二公学校 1907年(明治40年)7月22日 苓雅寮

企業・工場[編集]

1924年時点で高雄への新規進出企業のうち新浜町には13社(31%)、湊町には11社(26.1%)で全体の6割弱を占めていた[2]

高雄所在の各種会社、工場一覧表(1924年)[5][6]
会社および工場 営業項目 所在地
富重造船鐵工所 造船鐵工所 旗後町
荻原造船鐵工所 造船鐵工所 旗後町
打狗整地株式会社 土地買売、借貸業務、現鹽埕区の土地埋立事業 哨船町
台湾銀行出張所 哨船町
大阪商船株式会社高雄支店 船舶運輸業 新浜町
本田合名会社 煤炭販売 新浜町
山下汽船礦業株式会社台湾支店高雄出張所 海運業、礦業其他 新浜町
台湾商工銀行高雄支店 新浜町
三十四銀行高雄支店 新浜町
台湾運輸株式会社 海陸運輸業 新浜町
三井物産株式会社台南支店高雄出張員 近海郵船代理店 新浜町
台南新報社高雄支局 新浜町
日東商船組 海陸運輸業 新浜町
二郵組 船内労働力供給 新浜町
高雄労動需給組合 労働力提供 新浜町
商会高雄出張所 貿 易 商 新浜町
台湾倉庫株式会社高雄支店 倉庫及運輸業 新浜町
高雄商事株式会社 煤炭販売 湊町
高雄製船鐵工株式会社及工場 造船鐵工 湊町
台湾地所建物株式会高雄出張所 土地買売、借貸業務 湊町
台湾銀行高雄支店 湊町
彰化銀行高雄支店 湊町
台湾日日新報社高雄駐在員 湊町
台湾新聞報社高雄出張所 湊町
葛原冷蔵株式会社高雄出張所 冷凍魚撈業、製冰業、冷蔵業 湊町
南部製酒株式会社 酒精製造 湊町
台湾海陸産業株式会社高雄出張所 漁業、漁市 湊町
安藤商会高雄支店 石油代理店 湊町
日東製冰会社高雄營業所及工場 冰之製造、販売 山下町
台湾電力株式会社高雄出張所及發電所 電氣供給 山下町
台南新報高雄支局高雄印刷所 活版、石版印刷 山下町
浅野セメント台湾支店・工場 水泥製造、販売 田町
株式会社台湾鐵工所及工場 製糖機械製造 入船町
塩水港製糖株式会社酒精工場 酒精、冰糖製造 入船町
多木合名会社及工場 肥料、煤炭製造販売 鹽埕町
台湾肥料株式会社及工場 肥料製造 鹽埕町
高雄劇場株式会社 堀江町
台湾製罐株式会社及工場 製罐 三塊厝
台湾煉瓦株式会社高雄工場 煉瓦製造販売 三塊厝
東洋電化株式会社及工場 生煤炭、炭化石灰製造 前金
高雄労動需給組合 労工供給 前金

高雄港駅が縦貫線の終着駅として設置され、当時は高雄市の中心地としてだけではなく高雄港近代化の発祥地として当時は最も繁栄していたが、高雄駅(現三民区へ)や州庁舎が移設され、商業地としての地位が徐々に低下していった。第二次世界大戦中は激しい空襲を受け、戦後は中華民国統治下で都心機能は東部への流失は加速、漁港機能が前鎮区に移転したことで鼓山市場も、高雄港第二港口の完成で貿易港・物流拠点としての地位低下も著しいものとなった。近年は往時の繁栄を取り戻す機運が高まり、市が街並み再生に乗り出しているほか[7]

高雄港駅施設跡周辺を「哈瑪星鉄道文化園区」と呼んだり、高雄捷運西子湾駅に接続する高雄ライトレールの駅名が哈瑪星駅となるなど、観光面で再び脚光を浴びるようになった。市政府(文化局と都市発展局)が地域コミュニティと共同で推進している「哈瑪星再興プロジェクト」は埋立地エリアのうち、旧山下町(1丁目)、旧新浜町(1丁目・2丁目)、そして旧湊町(1 - 5丁目)を指している[8]

年表[編集]

戦前[編集]

戦後[編集]

主な景勝地・施設[編集]

  • 西子湾(旧哨船町、現在の哨船頭里(哨船街)は埋立地ではないため厳密には哈瑪星のエリアではないが、近年の観光案内では一体化されていることが多い)

ギャラリー(戦前)[編集]

ギャラリー(現代)[編集]


関連図書[編集]

  • 打狗文史再興會社《濱線追憶》[15]
  • 王聡威中国語版《濱線女兒》
  • 米果《朝顏時光》
  • 藍鯨中国語版》創刊号特別編「哈瑪星」[16]
  • 楊玉姿、張守真《哈瑪星的文化故事》
  • 高雄市中正文化中心管理處《哈瑪星海洋的鏡像導覽手冊》
  • 劉文放《高雄市旗鼓地區之文學地景書寫研究》

当地出身の著名人[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1907年創立時は鹽埕埔の民家を間借りし、1908年に打狗山麓に移転、1913年に正式に湊町で新校舎が落成。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 李, 文環 (2015-10-14). “踏話頭:哈瑪星之歷史定位” ((繁体字中国語)). 高雄港都首部曲:哈瑪星(はません). 蔡侑樺、黃于津、蔡佩蓉、佘健源. 台中: 好讀出版. pp. 13-14. ISBN 9789861783499. http://booklook.morningstar.com.tw/pdf/1019044.pdf. 
  2. ^ a b (繁体字中国語)3.哈瑪星─高雄市的行政重鎮 哈瑪星紀事(哈瑪星社區網站)
  3. ^ 高雄商工会 『高雄の港勢及貿易』 高雄商工会、1924年、225頁。
  4. ^ (繁体字中国語)潘, 南德 (1961). 《高雄市志》,〈教育篇〉,上. 高雄市文獻會. 
  5. ^ 田中一二、芝忠一 『臺灣の工業地打狗港』 台湾日日新報社、台北、1918年、1-15頁。
  6. ^ 高雄商工会 『高雄の港勢及貿易』 高雄商工会、1924年、222,224。
  7. ^ 日本統治時代に繁栄した「哈瑪星」、かつての街並み再生へ/台湾・高雄2017-8-14,フォーカス台湾
  8. ^ (日本語)計画の説明 興濱計画(シンビンプロジェクト)
  9. ^ (繁体字中国語)Jon (2008年11月27日). “發現老高雄 - 哈瑪星的誕生”. Pixnet. 2015年12月30日閲覧。
  10. ^ (繁体字中国語)郭志榮、陳志昌 (2012年4月8日). “都更‧哈瑪星”. 公視新聞議題中心. 2015年12月30日閲覧。
  11. ^ (繁体字中国語)劉宥廷、謝明祚 (2015年4月29日). “哈瑪星人扛大砲抗議 拒陸客遊覽車進入”. 中時電子報. 2015年12月30日閲覧。
  12. ^ (繁体字中国語)李義、柯宗緯 (2015年8月22日). “哈瑪星鐵道園區開發案 正反兩方對嗆”. 中時電子報. 2015年12月30日閲覧。
  13. ^ 高雄市、エコ交通世界フェス開催へ スマートシティー目指す/台湾2017-09-20,フォーカス台湾
  14. ^ エコモビリティ世界フェスティバル2017(台湾・高雄市) ICLEI英語版(国際環境自治体協議会)
  15. ^ (繁体字中国語)黃良傑 (2013年11月24日). “〈南部〉「書」發「濱線追憶」 守護哈瑪星文史” (中国語). 自由時報. pp. 1. http://news.ltn.com.tw/news/local/paper/733051 2015年9月29日閲覧。 
  16. ^ (繁体字中国語)黑潮文化 (2014年5月28日). “探訪臺灣城鎮鄉村文化,《藍鯨》創刊號介紹高雄「哈瑪星」”. BIOS Monthly. pp. 1. http://www.biosmonthly.com/contactd.php?id=4724 2015年9月29日閲覧。 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]