浅野財閥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

浅野財閥 (あさのざいばつ)は、浅野総一郎が設立した財閥である。十五大財閥の一つに数えられる。

概要[編集]

浅野総一郎コークス販売で成功を収めたのをきっかけとして、渋沢栄一渋沢財閥の支援の下、大規模化していった。1884年(明治17年)、官営工場である深川セメント製造所の払い下げを受けて浅野セメント日本セメントを経て現:太平洋セメント)を創立。以後、同社を中核企業として発展した[1]

第五銀行を買収し、日本昼夜銀行(後の浅野昼夜銀行)と改称した銀行を経営していたが業績不振に陥り、安田財閥に売却したため傘下に銀行を有していなかった[2]産業財閥)。このため浅野総一郎と同郷である安田善次郎率いる安田財閥金融財閥)との強いつながりが生まれ、同財閥の産業部門的な性格を有していた。徳富蘇峰はこの関係を、浅野はエンジン、安田は石炭(当時は石炭が燃料だった)と述べた。浅野財閥は、安田財閥からの融資に依存していた為に、安田財閥の一部と見做される事もある。

安田財閥からの支援によって、1896年(明治29年)に東洋汽船日本油槽船昭和海運を経て、現:日本郵船)を設立した後、大正9年に浅野造船所ユニバーサル造船を経て、現:ジャパンマリンユナイテッド)を設立し、造船や、鉄鋼業にも進出した。1908年(明治41年)には鶴見埋立組合鶴見埋築東京湾埋立を経て、現:東亜建設工業)を設立し、1913年(大正2年)から横浜市鶴見地区の埋立を開始した。埋立地には原材料運搬等に供することを目的に鶴見臨港鉄道(現:JR鶴見線)を開通させ、浅野セメントのほか、総一郎の女婿である白石元治郎が設立した日本鋼管(現:JFEホールディングス)、創業者一族が総一郎夫人の遠縁で沖牙太郎の死後に総一郎が経営を引き取った沖電気(現:沖電気工業[3]旭硝子(現:AGC)などが立地。京浜工業地帯として発展した。

第一次世界大戦による好景気から大正9年の大恐慌までの5年間に、20以上の新会社を設立して、またたく間に巨大になった。

1918年(大正7年)8月、浅野総一郎により一族の投資による証券保有会社、浅野同族株式会社が設立され財閥化した[4]。昭和3年には、直系企業の払込資本金額では、三井財閥三菱財閥安田財閥住友財閥に次いで5位の財閥で、直系企業・直系企業子会社・傍系企業の払込資本金額の合計では、住友財閥より上位の4位の財閥だった[5]浅野同族株式会社は、1944年(昭和19年)6月に、株式会社浅野本社に社名を変更した。

戦後連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) による財閥解体で、昭和22年3月に、三井、岩崎、住友、安田、中島、浅野、大倉、古河、野村、鮎川の10財閥の56家族が資産凍結と持株の提出を命令され、また、財閥系企業の役職を辞任させられた。[6]ここに浅野財閥は解体された。

傘下の企業は戦後、旧安田財閥富士銀行(戦前の安田銀行、現:みずほ銀行)をメインバンクとした。また同行が音頭を取って社長会である芙蓉会(芙蓉グループ)を結成すると、日本セメント昭和海運日本鋼管沖電気工業はメンバーとして名を連ねた[7]


浅野財閥は銀行を持たないので、他財閥などと共同で会社を設立して資本を得て、その会社の経営を浅野一族が掌り、傘下会社はそれぞれ証券保有会社を持ち、これを通した資本投下と浅野自身の資本を合わせて孫会社の支配を行うという方法で、小額資本にもかかわらず非常に多数の会社を支配した。[8]その主な共同出資者は安田財閥渋沢財閥大川平三郎田中栄八郎、徳川家(旧将軍家)、尾高豊作である。それでも資金が足りないので、安田財閥安田銀行を筆頭に、渋沢財閥第一銀行や、日本興業銀行台湾銀行などから融資を受けて財閥を運営した。[9]

浅野財閥は、政商鉱山業から発生したのではない点でも、また自らの事業から他社・他財閥を排除しない点でも、例外的な財閥だった[10]

浅野財閥の企業は、戦前から、「浅野」を社名に使わない企業が多く、マークも各社で異なり、統一されていなかった。そのせいで知名度が低い。

グループ企業[編集]

浅野財閥では、投資による支配、重役を送り込む支配、直接支配、間接支配など、複雑多様な支配形態があり、そのうえ、大会社が比較的少なく群小会社が特に多いので、全ての会社を把握することが困難である[11]。資本金は別にして、会社の数では、他の財閥を凌ぐ[12]。昭和18年時点で、直径・傍系会社は94社、公称資本金7億円[13]

財閥本社

  • 浅野同族株式会社 大正7年設立。大正3年設立の浅野合資会社の後身。浅野財閥の他の会社に投資はするが、指揮監督はしないので、他財閥の本社とは異なる。一つの営利会社として活動する。[14]
  • 白石同族合資会社

セメント関連

  • 浅野セメント 明治17年に官営深川セメント製造所の払い下げで設立。明治31年に、浅野総一郎33万5千円、渋沢栄一20万円、安田善次郎10万円、大川平三郎11万円、尾高幸五郎5万5000円出資し、合資会社になる。大正2年に株式会社になる。[15]。北は北海道から、南は台湾まで、日本全国に浅野セメントの工場が散在し、日本のセメント生産高の半分以上を占めると言われた。[16]日本セメントを経て現:太平洋セメント
  • 浅野石材工業 明治38年設立。砂利、割栗石、花崗岩を、多摩川、須賀、四方津、若林、馬入川、相模川、利根川などで採取。[17]
  • 日本石膏 大正3年に浅野財閥が、岩手県黒沢尻の原石から焼石膏を製造販売する会社に、出資。原石を浅野セメントに供給する。[18]浅野総一郎が社長。[19]
  • 浅野スレート 大正4年設立。オーストリア企業から特許と製造機械を購入して、日本で最初にスレートを製造した会社。[20]大正12年に浅野セメントと合併、昭和26年に浅野スレート株式会社独立。平成12年に株式会社アスクと浅野スレート株式会社が合併し、株式会社エーアンドエーマテリアルが発足。[21]
  • 石綿スレート 大正10年設立、市価を安定させるための、浅野スレートと日本石綿盤製造の共同販売機関。[22]
  • 秩父セメント 大正12年に根津財閥大倉財閥大橋財閥若尾財閥、浅野財閥、大川財閥諸井恒平大友幸助小倉常吉など大勢で創立。浅野泰次郎が取締役。[23]秩父小野田から太平洋セメントを経て現:秩父太平洋セメント[24]
  • 旭コンクリート工業 大正12年、浅野セメントが出資し設立。愛知・三重・岐阜で営業。[25][26][27]
  • 浅野スレート販売 大正13年設立。すぐに浅野スレートに改称。スレートの販売会社。[28]昭和26年浅野スレート株式会社(製造販売)となり、現:エーアンドエーマテリアル[29][30]
  • 大阪石綿工業 大正14年、金剛商会より買収し設立。アスベストセメントの管やスレートを製造。[31]漫画家の手塚治虫勤労動員で働いていた会社。[32]昭和20年浅野セメントスレート部に合併される。[33]
  • 浅野ブロック製造 大正14年設立、昭和3年株式会社に。道路舗装の金剛アスファルトブロックの製造販売。[34]
  • 日本ヒューム管 大正14年設立。英国ヒュームパイプアンドコンクリート社の特許によるコンクリート製品ヒューム管の製造販売[35]。(現:日本ヒューム[36]
  • 日本スレート販売 大正15年設立。浅野セメントと他3社の合同販売会社。
  • 日本セメント 昭和2年に浅野セメントの傘下に入る。昭和14年に浅野セメントに合併される。[37]
  • 土佐セメント 昭和7年に浅野セメントが過半数の株を取得。[38]昭和17年浅野セメントに合併[39]
  • 日東セメント 広島の会社。浅野セメントが、昭和9年に1万株を、昭和11年に6700株を取得し、完全に支配する。[40]昭和17年浅野セメントに合併[41]
  • 東亜セメント 尼崎市の会社。昭和10年に浅野財閥が殆どの株を取得。[42]昭和17年浅野セメントに合併[43]
  • 中国石膏 昭和11年設立。[44]
  • 東京セメント 昭和3年設立。[45]武蔵野鉄道の子会社。[46]
  • 豊国セメント 4/150の株を浅野財閥が所有。[47]昭和48年三菱鉱業・三菱セメント・豊国セメントが合併し三菱鉱業セメント。平成2年三菱金属と三菱鉱業セメントが合併し、現:三菱マテリアル。[48]
  • 大分セメント 9/221の株を浅野財閥が所有。[49]昭和13年小野田セメントと合併、現:太平洋セメント[50]
  • 日本高炉セメント 昭和16年設立、昭和24年に第一セメントに社名変更、平成15年に中央商事と合併し、株式会社デイ・シイ発足。[51]
  • 磐城セメント[52]
  • 大同洋灰 昭和8年に満州で設立。浅野セメントが83%の株を持つ。[53]
  • 満州洋灰(満州セメント) 昭和10年。浅野セメントが半数の株を持つ。[54]七尾セメントと共同出資。[55]
  • 本渓湖洋灰 昭和10年に大倉財閥満州で設立し、渋沢財閥古河財閥・浅野財閥も参加。総数6万株だが、浅野財閥は1万2千株を取得。[56]
  • 朝鮮浅野セメント 昭和11年設立。[57]
  • 台湾セメント 昭和12年設立、社長は浅野総一郎、セメント製造販売。[58]
  • 満州浅野スレート 昭和13年設立。[59]
  • 鉄筋コンクリート 昭和4年、浅野同族会社の建設部が独立した会社。学校校舎や橋の鉄筋コンクリート工事。[60]
  • 地下工業 地下ケーブル工事。浅野財閥が900/10000株を所有。[61]
造船
製鉄・金属
商社
  • 浅野物産 大正7年に米国グレース会社と共同で設立したが、大正9年に浅野財閥が全ての株式を握る。昭和4年の不況時にも経営状態は良好。自動車工場と自動車学校も経営[105]。貿易、計量器、薬品販売、土木建築請負、運送業、有価証券取得、投資[106]。(東通を経て、現:丸紅。土木工事部門は後に分社化されNIPPO
  • 太平洋貿易 鈴木紋次郎が取締役。[107]
爆薬
埋立・築港
  • 東亜港湾工業 明治45年設立の鶴見埋立組合が、大正3年鶴見埋築になり、さらに東京湾全体の埋め立てを目指して大正9年東京湾埋立に改名し、昭和7年に請負工事の港湾工業を一時分離したが、昭和19年に合併して東亜港湾工業に改名(現:東亜建設工業[111]。大正2年の鶴見埋築創立時、株式総数7万株、浅野財閥2万3千株、安田財閥1万6千株、渋沢財閥8千株、徳川家8千株。[112]大正6年に神奈川県足柄上郡神縄村に落合水力発電所を建設し鶴見埋立地に電力を供給する[113][114]
  • 港湾工業 昭和7年に東京湾埋立から分離独立、昭和19年に合併して戻り、東亜港湾工業になる。(現:東亜建設工業)上記参照。
  • 橘樹水道 昭和2年に橘樹郡鶴見町[115]に設立。浅野造船所が大正7年から自営していた水道を、鶴見埋立地の他社にも開放したもの。鶴見の山の手に水源の貯水池3箇所を所有。[116][117]横浜市に買収される[118]
  • 尼ヶ崎築港 昭和4年設立。関西の尼崎の埋立。東京湾埋立の姉妹会社[119]。昭和17年にはこの埋立地が、日本有数の工場地帯になった[120]。昭和23年に民間企業による埋め立てが禁止されたので、46万坪で埋立を中止。[121]
  • 京浜運河 大正8年に宇都宮金之丞らが設立したが頓挫した事業を浅野財閥が引き継ぐ。京浜間に運河を掘り、その土砂で埋立をする計画。大正12年の関東大震災で休止。[122]。大正15年東京湾埋立に合併される[123]
  • 小倉築港 大正12年設立。浅野小倉製鋼所から、北九州の小倉海岸埋立を引き継ぐ。昭和26年小倉興産に改名。[124][125]
  • 室蘭埋築[126]
  • 北海道工業
不動産
海運
炭鉱・鉱山
鉄道
銀行・証券
電気・電力
林業・製材
  • 東北浅野製材 大正8年設立。セメント樽材の製材。浅野セメント工場の敷地内にある。[205]
  • 北秋木材 大正9年に、浅野財閥と大倉財閥が共同で設立。実権は浅野財閥。秋田県の官有林の木を製材・販売。関東大震災で大きな利益。[206]浅野熊沢硫黄山閉山後に、硫黄運搬専用鉄道を秋田杉の運搬に利用し、浅野と秋田木材の共同で浅野製材所を明治40年に設立。大正8年に北秋木材に改称。現:株式会社北秋[207]
  • 信越木材 大正9年設立。信州南佐久郡南牧村に製材所、付近の山林を所有。関東大震災の頃は経営状態良好だったが、昭和4年には殆ど休業。[208]

ガス・コークス

石油
  • 浅野石油部 明治26年設立。サミュエル商会から石油を購入して販売。横浜に石油タンクを建築。[221]
  • 北越石油部 明治31年設立。サミュエル商会の契約満期で、日本国内で石油採掘する会社を設立。成功せず、明治35年に宝田石油に合併される。[222]
  • 宝扇商会 明治35年、宝田商会と共同で設立。明治37年宝田石油に合併される。[223]
  • 南北石油 明治38年設立。原油の輸入。横浜に保土ヶ谷製油所を建設したが、明治41年の原油輸入関税引き上げで、宝田石油に売却[224]
  • 大日本石油鉱業 大正5年設立。帝国石油を経て、現:国際石油開発帝石。
  • 内外石油 大正10年設立。外国原油の輸入精製。国際相場の変動と関税により採算合わず、製油所建設を中止[225][226]
  • 千代田石油 大正13年設立。外国原油の輸入精製。大正14年に株の半数を三菱財閥に譲渡し、製油所を共同で建設。三菱商事が原油供給。経営不振で昭和2年に破産申請[227]
窯業

その他

病院[編集]

学校[編集]

  • 浅野綜合中学校(現在の 浅野中学校・高等学校) 大正9年に、横浜市神奈川区に設立。科学に強い人材を浅野財閥の為に養成する学校。[265][266]子安海岸埋立の土砂採取場として買収したが、埋立許可が得られずに無駄になっていた台地に学校を建設した。[267]浅野総一郎がよく訪れて、生徒たちを見てニコニコしていた。浅野総一郎は生徒たちに話をしたが、その話がとても面白かったと当時の生徒が述べている。また、浅野総一郎夫人浅野サクも時々訪れた[268]。昭和9〜16年には大磯高麗山の浅野家別邸で臨海学校を行う[269]。現在でも浅野総一郎の誕生日に高校卒業式が行われる。
  • 浅野工学専門学校 横浜市の要請で、横浜市神奈川区に大正14年設立。[270]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本の15大財閥―現代企業のルーツをひもとく』p.145
  2. ^ 『日本の15大財閥―現代企業のルーツをひもとく』p.147
  3. ^ 『日本の15大財閥―現代企業のルーツをひもとく』p.148-149
  4. ^ 森川英正『日本財閥史』教育社歴史新書、1986年、p.168
  5. ^ 森川英正『日本財閥史』教育社歴史新書、1987年、p.175-176
  6. ^ 森川英正『日本財閥史』教育社歴史新書、1987年、p.224.
  7. ^ 『日本の15大財閥―現代企業のルーツをひもとく』p.151
  8. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 企業(1-014)日本産業経済新聞 1943.5.22-1943.6.4 (昭和18)財閥の重工業進出 (9)
  9. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.248〜250.
  10. ^ 森川英正『日本財閥史』教育社歴史新書、1986年、p.25-26
  11. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.50.
  12. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.228.
  13. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 企業(1-014)日本産業経済新聞 1943.5.22-1943.6.4 (昭和18)
  14. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.310〜.311.
  15. ^ 森川英正『日本財閥史』教育者歴史新書、1986年、p.80.
  16. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.242.
  17. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.255.
  18. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.245—246.
  19. ^ 渋沢栄一記念財団
  20. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.376〜378。
  21. ^ エーアンドエーマテリアル 会社沿革
  22. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.378.
  23. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.231,p.330.
  24. ^ 秩父太平洋セメント 沿革
  25. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.234.
  26. ^ 旭コンクリート工業 沿革
  27. ^ 旭コンクリート工業 概要
  28. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.700〜701.
  29. ^ アスベスト・センター
  30. ^ エーアンドエーマテリアル 会社沿革
  31. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.237.
  32. ^ 虫マップー手塚治虫ゆかりの地を訪ねてー
  33. ^ アスベスト・センター
  34. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.236.
  35. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.697〜698。
  36. ^ 日本ヒューム 沿革
  37. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.429〜432.
  38. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.433.
  39. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 企業(1-014)日本産業経済新聞 1943.5.22-1943.6.4 (昭和18)
  40. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.435〜437.
  41. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 企業(1-014)日本産業経済新聞 1943.5.22-1943.6.4 (昭和18)
  42. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.437〜438.
  43. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 企業(1-014)日本産業経済新聞 1943.5.22-1943.6.4 (昭和18)
  44. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.710.
  45. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.684.
  46. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.76.
  47. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.260.
  48. ^ 北九州イノベーションギャラリー 三菱マテリアル 沿革
  49. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.260.
  50. ^ 一般社団法人セメント協会
  51. ^ 株式会社デイ・シイ 沿革
  52. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.240.
  53. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.440.
  54. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.443.
  55. ^ 満州経済社『満州企業の全面的検討』康徳9年(昭和17年)、p.126.
  56. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.443.
  57. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.685.
  58. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.683.
  59. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.698〜699.
  60. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.234〜235.
  61. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.232.
  62. ^ 浅野造船所『我社の生立』浅野造船所、昭和10年、p.12,p.14.
  63. ^ 中外産業調査会『中堅財閥の新研究 関東編』中外産業調査会、昭和12年、p.187〜188.
  64. ^ JFEエンジニアリングの沿革
  65. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.313.
  66. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.43.
  67. ^ 東京製綱 沿革
  68. ^ 東京製綱の歴史
  69. ^ 森川英正『日本財閥史』教育者歴史新書、1986年、p.85〜86.
  70. ^ トーカイ 沿革
  71. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.268.
  72. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.260〜262.
  73. ^ 渋沢栄一記念財団
  74. ^ 太平洋金属 沿革
  75. ^ 浅野造船所『我社の生立』浅野造船所、昭和10年、p.38,p.50.
  76. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.262.
  77. ^ 飯塚陽介「明治後期資本財産業の成長と機械商」2009-4. 一橋大学機関リポジトリ
  78. ^ 中外産業調査会『中堅財閥の新研究 関東編』中外産業調査会、昭和12年、p.239.
  79. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.264.
  80. ^ 日本鋳造 企業情報
  81. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.265〜267.
  82. ^ 浅野造船所『我社の生立』浅野造船所、昭和10年、p.81〜82.
  83. ^ JFE鋼材 沿革
  84. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.69.
  85. ^ 千葉雄二『尼鋼十年史』尼崎製鋼所、昭和17年。
  86. ^ 吉澤石灰工業 沿革
  87. ^ 井東憲『鋼管王白石元治郎』共盟閣、昭和13年、p.297.
  88. ^ 関東製鋼の成り立ち 大同特殊鋼のサイト
  89. ^ 大同特殊鋼の歴史
  90. ^ 戦争中の女子生徒勤労動員会社一覧
  91. ^ 渋沢栄一記念財団
  92. ^ 井東憲『鋼管王白石元治郎』共盟閣、昭和13年、p.297.
  93. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  94. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  95. ^ 東北機械製作所 沿革
  96. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  97. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  98. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 満州(6-014)満州日報 1935.8.27 (昭和10)
  99. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 製鉄業(13-028)満州日日新聞 1935.12.17 (昭和10)
  100. ^ 岩井良太郎『戦争と財閥』千倉書房、昭和13年、p.101.
  101. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 企業(1-014) 日本産業経済新聞 1943.5.22-1943.6.4 (昭和18)
  102. ^ 将校用軍刀の研究(4) 第三報の続き
  103. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.69.
  104. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.69.
  105. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.314.
  106. ^ 中外産業調査会『中堅財閥の新研究 関東編』中外産業調査会、昭和12年、p.196.
  107. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.247.
  108. ^ 日本カーリット 沿革
  109. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.371-376。
  110. ^ 日本カーリット 沿革
  111. ^ 東亜建設工業の歩み
  112. ^ 東秀紀「京浜臨海部と浅野総一郎」『調査季報』135号、1998年9月、横浜市、p.19
  113. ^ 服部一馬「成立期の京浜工業地帯」『調査季報』25号、横浜市、p.28.
  114. ^ 東亜建設工業 今に受け継がれる創業者浅野総一郎のCSR精神
  115. ^ 横浜市役所 鶴見区の歴史
  116. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.317〜318.
  117. ^ 浅野造船所『我社の生立』浅野造船所、昭和10年、p.143.
  118. ^ 「京浜工業地帯の父 浅野総一郎の軌跡(2)」『Web版有鄰』第467号、、平成18年10月10日、p.2.
  119. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.296.
  120. ^ 千葉雄二『尼鋼十年史』尼崎製鋼所、昭和17年、井上好三郎の言葉。
  121. ^ 尼ケ崎築港株式会社 沿革
  122. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.278.
  123. ^ 川崎市 川崎港の歩み
  124. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.45.
  125. ^ 小倉興産 沿革
  126. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.54.
  127. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.297.
  128. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.54.
  129. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  130. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.36
  131. ^ 森川英正『日本財閥史』教育者歴史新書、1986年、p.81-82.
  132. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.218.
  133. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.37-41.
  134. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.279〜280.
  135. ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 海運(30-004)神戸又新日報 1933.9.16 (昭和8)
  136. ^ 商船三井オーシャンエキスパート 沿革
  137. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.280.
  138. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.277。
  139. ^ 日の出興業 会社沿革
  140. ^ 森川英正『日本財閥史』教育者歴史新書、1986年、p.26。
  141. ^ 中外産業調査会『中堅財閥の新研究 関東編』中外産業調査会、昭和12年、p.209.
  142. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.243.
  143. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.29.
  144. ^ 常磐興産 沿革
  145. ^ 渋沢栄一記念財団
  146. ^ 渋沢栄一記念財団
  147. ^ 北秋 沿革
  148. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.247〜248.
  149. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.248.
  150. ^ 中外産業調査会『中堅財閥の新研究 関東編』中外産業調査会、昭和12年、p.201.
  151. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.30.
  152. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.30.
  153. ^ 森川英正『日本財閥史』教育者歴史新書、1986年、p.134
  154. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.253.
  155. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.72.
  156. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.708.
  157. ^ 井東憲『鋼管王白石元治郎』共盟閣、昭和13年、p.259,p.296.
  158. ^ 井東憲『鋼管王白石元治郎』共盟閣、昭和13年、p.296.
  159. ^ 昭和KDE 沿革
  160. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.256.
  161. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.251〜252.
  162. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.705〜706.
  163. ^ 満州経済社『満州企業の全面的検討』康徳9年(昭和17年)、p.126.
  164. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.259.
  165. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.284。
  166. ^ 渡邉恵一「青梅鉄道の設立と浅野総一郎」『立教経済学研究』第4巻、第3号、 1995年、p.187〜212.
  167. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.243.
  168. ^ 長秋雄「筑波花こう岩と旧筑波町の歴史」『GSJ地質ニュース』Vol.3, No.6, 2014年6月, p.186.
  169. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.283。
  170. ^ 太平洋不動産 沿革
  171. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.286。
  172. ^ 立川市歴史民俗資料館『資料館だより』第19号、平成27年3月。
  173. ^ 渡邉恵一「戦間期京浜工業地帯における鉄道輸送問題 鶴見臨港鉄道の成立と展開」『経営史学』第46巻第 2 号、3〜27頁、駒沢大学、2011年 9 月、p.9,表2。
  174. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.288。
  175. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.691。
  176. ^ 三岐鉄道80年の歩み
  177. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.290。
  178. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.692〜693。
  179. ^ 奥多摩工業 沿革
  180. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.695。
  181. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.53.
  182. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.689。
  183. ^ 満州経済社『満州企業の全面的検討』1942年、p.126.
  184. ^ 井東憲『鋼管王白石元治郎』共盟社、昭和13年、p.171.
  185. ^ 森川英正『日本財閥史』教育社歴史新書、1986年、p.148-149。
  186. ^ 森川英正『日本財閥史』教育社歴史新書、1986年、p.148-149。
  187. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.252.
  188. ^ 中外産業調査会『中堅財閥の新研究 関東編』中外産業調査会、昭和12年、p.203.
  189. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.55.
  190. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  191. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.90.
  192. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.704〜705.
  193. ^ 沖電気 年表
  194. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.304。
  195. ^ 沖電線 社長あいさつ
  196. ^ 沖電気 年表
  197. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.240.
  198. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.47.
  199. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.302.
  200. ^ 西武鉄道 沿革図
  201. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.333。
  202. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.47.
  203. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.307〜309.
  204. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.53.
  205. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.320.
  206. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.319〜320.
  207. ^ 北秋 沿革
  208. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.321.
  209. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.708。
  210. ^ ニッポー 沿革
  211. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.318〜319.
  212. ^ 和田寿次郎『浅野セメント沿革史』浅野セメント、昭和15年、p.707。
  213. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.316.
  214. ^ ニッポー 沿革
  215. ^ 北秋 沿革
  216. ^ 渋沢栄一記念財団
  217. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.31.
  218. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.246.
  219. ^ 渋沢栄一記念財団
  220. ^ 渋沢栄一記念財団
  221. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.33.
  222. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.33.
  223. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.33.
  224. ^ 森川英正『日本財閥史』教育者歴史新書、1986年、p.82-85.
  225. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』春秋社、1937年、p.34.
  226. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.309.
  227. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.310.
  228. ^ タカラスタンダード 沿革
  229. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.247.
  230. ^ 渋沢栄一記念財団情報資源センター
  231. ^ 合力理可夫「安川・松本家における経営多角化」『第一経大論集』第19巻第3号,p.73.
  232. ^ 井東憲『鋼管王白石元治郎』共盟閣、昭和13年、p.291〜292.
  233. ^ 渋沢栄一記念財団 黒崎窯業 年表
  234. ^ 黒崎播磨株式会社
  235. ^ 浅野保険代理部株式会社
  236. ^ 損害保険会社の合併図
  237. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.321.
  238. ^ 小川功「“虚業家”高柳淳之助による似非・企業再生ファンドの挫折」『滋賀大学経済学部研究年報』vol.11,2004年,p.59.
  239. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.246.
  240. ^ 横浜共立倉庫 沿革
  241. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.246.
  242. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、帝国興信所、昭和4年、p.321.
  243. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  244. ^ 伊藤忠食品130年の歩み
  245. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.247.
  246. ^ 森田克徳「わが国ビール産業の黎明と大日本麦酒の成立」p.21.
  247. ^ 渋沢栄一記念財団
  248. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.31〜32.
  249. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.247.
  250. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.247.
  251. ^ テイカ 沿革
  252. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.247.
  253. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.247.
  254. ^ 『浅野関係会社名簿』昭和13年。
  255. ^ 『浅野関係会社名簿』昭和13年。
  256. ^ NIPPO 沿革
  257. ^ 西野入愛一『浅野・渋沢・大川・古河コンツエルン読本』春秋社、1937年、p.55.
  258. ^ 樋口弘『日本財閥論』上巻、味灯書屋、1940年、p.70.
  259. ^ 帝国興信所『財閥研究』第一輯、昭和4年、帝国興信所、p.312.
  260. ^ 高橋亀吉『日本財閥の解剖』中央公論社、昭和5年、p.246.
  261. ^ 7.浅野総一郎、良三父子とブロツキー 岡田正子
  262. ^ 日本鋼管病院 沿革
  263. ^ 井東憲『鋼管王白石元治郎』共盟閣、昭和13年、p299.〜p.300.
  264. ^ 日本鋼管病院 沿革
  265. ^ 浅野中学校・高等学校 沿革
  266. ^ 浅野総一郎(二代目)『父の抱負』浅野文庫、昭和6年、p.59.
  267. ^ 浅野造船所『我社の生立』浅野造船所、昭和10年、はしがき、p.3.
  268. ^ 『浅野学園六十年史』浅野学園、昭和55年、p.87,p.508.
  269. ^ 『浅野学園六十年史』浅野学園、昭和55年、p.32.
  270. ^ 浅野工学専門学校 沿革

参考文献[編集]